私アムゴッド02 『不実在の神様』

 けれど、その少女はどれだけ私が引っ張っても決して公園から出ようとはしなかった。

「そんなに出たくないの?」と聞いても、反応無し。

「家に帰りたくないの?」と聞いても、反応無し。

 犬のお巡りさんはこんな気分だったのだろうか。そりゃあわんわんわわーんと泣きたくなる。

 それでも、あの唐乃介が自分の信念(かどうかは知らないけれど)を曲げてまでこの子のことをおしえてくれたのだ。このまま放っておくことは出来ない。しかし、義務教育という悪の手先に縛られてしまっている私は、もうまもなくすると学校にいかなくてはならない。みるからに小学生のこの仮面の女の子も、学校にはいかなくてはいけないはずだけれど、一向にここから動く気配もないので、もしかしたら今日一日をここで過ごすつもりなのかもしれない。

 それを見過ごして一人学校へ行くのか。それともこの子の寂しさを紛らわせるために私も学校をサボるのか。

 どちらが神様的行動かなんて悩む余地はない。

「あなた、今日は学校へ行かないつもりなの?」

「────」

 やっぱり、返事はない。

「じゃあ、私も今日は学校に行くのを止めようかな。あなたと仲良くなりたいし、っていうか、一回くらい声を聴いてみたいし」

「──」

 よく耳を澄ましてみても、やっぱり何も聞こえない。

 これは中々に攻略が難しそうだ。

「とりあえず、私が一方的に喋るからね。そうだ……まだ自分の名前も言っていなかった。あなたの名前を聞いたくせに、自分は名乗っていないのだから、そりゃあ口も聞いてくれないよね。私、神崎千尋って言うの。よろしくね」

 手を差し出しても、握り返してくれなかったので、無理やり悪手をする。困惑した表情すら見せなかったので──仮面をしているのだから当然だけど──これでも駄目か、と苦笑しながらも、少女の隣に腰掛けた。



 どこからか、お昼休みを告げるチャイムが鳴って、私のおなかもぐうっと可愛らしい音を立てた頃。

 完全に疲労困憊になっている私がいた。

 神様として活動を続けてきて半年ほどたとうとしているけれど、ここまで自分が無力だと気付かされることはなかった。

 結局数時間、公園のベンチで仮面の少女に一方的に話を続けてみたけれど、それらしい返答は一切返って来ないどころか、なんのリアクションもしてくれなかった。

 最終手段であるとっておきの一発ギャグまで披露したというのに、これでは神様のメンツが丸つぶれだ。

「ねえ、あなたはどうしてこの公園から出ようとしないの? その仮面はどうしてつけているの?」

 直接的なことを聞いても、会話の合間のあくびで忘れてしまうようなどうでもいいことを話しても、何も反応をしてくれない。

 神様として、というよりもなんだか人としての自信をなくしそうになる。人の形をした人形と話しているようだ。傍から見たらただの痛い子だ。

「よう、嬢ちゃん。仲良くやっているみたいだな」

 途中、唐乃介がやってきても、無反応を貫いていた。

「唐乃介はこの子と仲が良いの? 名前は知っているの?」

「ああ、もちろん知っているとも。俺とそいつとはもう長い間ずっと一緒にいるからな。ああ、そうだ。あれは、長い間雨が降っていた秋の日だった──」

「ごめん、唐乃介。その話、長くなる?」

「ああ、とっても長くなるな。千夜と一夜語りつくしても、足りないくらいだ」

「なら、その話はまた今度聞くわね。今は、私はこの子と仲良くしなくちゃいけないから」

「神様っていうのも大変だな。嬢ちゃん、よければ俺が力になるぜ?」

「ありがとう。でも、唐乃介は嘘しかつかないからいないほうが助かるかも」

「俺と違って正直者っていうのは美徳だけどよ、なんでもかんでも正直に言えばいいってもんじゃねえぜ? 何気ないその一言で傷つく人間も必ず出てくるんだ。例えば、今の俺のようにな」

 きっとその言葉も嘘だろう。

 もし本当に今の私の言葉で気付いていたのなら、唐乃介は「おいおい、そんなに褒めないでくれよ、けれど嬢ちゃん。俺は常に本当の事しか言わないぜ?」とかなんとか言うだろう。つまりまったく気にしていないのだ。そもそも本当にそれで不快になるなら、ホラ吹きなんて辞めてしまえばいいだけの話なのだ。

 唐乃介はその後も何事かを言っていたけれど、どうせ大したことじゃないし十割がホラなので聞き流しているうちにどこかへ言ってしまった。

 時計を見ると午後の二時を回ろうとしている。そろそろ私の空腹感も限界に近づこうとしている。

「あなた、おなか空いていない?」

 結局、この少女の呼び名は「あなた」に定着しつつある。名前を教えてくれないのだからしょうがない。勝手に「仮面子ちゃん」とかあだなをつけても、それはそれで失礼な気もするので、あやふやにするということで落ち着いた。主に私の中で。

 もちろんその言葉に反応しない彼女は、私が立ち上がってもその場を動く気配はまったくなかった。仕方が無いので、一人で公園を出て、近くのコンビニエンスストアで適当にカップめんや揚げ物を買うと、再び公園に戻ってきた。

「はい。一応あなたの分も買ってきたんだけど、食べる?」

 もちろん、無反応。どうしたって何も返事をしてくれないんだから、私は一人空を見上げることにした。

 こうして何も考えずにただぼうっと空を見上げるのはいつぶりだろう。

 最近はずっと、神様として常に町の人を救うことを考えていた。

 東に病気で困っている人がいれば、病院へ連れて行き、西に空腹の人がいれば、近所でから揚げを買ってくる。

 その全てが上手く言ったとは自分では言えないけれど、少なくとも誰かの役には立っている……と思う。

「私、神様なんだ」

 ぽつり、と声が漏れていた。

 仮面の少女に話かけるでもなく、自然に出た言葉。ほとんど独り言に近い言葉だ。

「神様なんだけど、どうにも町の人には信じてもらえないみたいで、助けた人はありがとうとか言ってくれるけど、ただ近所の中学生が親切をしただけとしか思われていないみたいで、学校の人はバカなことやってないで学校に来いって言うんだ。どうしてだろうね。なんで、誰もしんじてくれないんだろうね。誰も、私以外の神様を見たこともないのに、どうして私が神様じゃないんだって言い切れるんだろう。私だって、もしかしたらこの町に私以外に神様がいるかもしれないって考えたことあるよ。私と同じように、人間として普段は生活をして、困っている人や自分に対してお祈りをしてくれる人に救いの手を差し伸べているかもしれない。でも、恥ずかしがりだからそれをおおっぴらにはしていないのかもしれない」

 誰も、私を神様じゃないというが、じゃあ本当の神様ってどんなものだろう?

 ただ祈りを捧げるだけの存在を。

 死んだ後にしか役に立たない存在を。

 そんな存在を神と呼ぶのなら。

 そんな存在でしか神として在れないのなら。

 それは間違いなく神様ではない。断じて違う。

 だって、誰の役にも立っていないではないか。

 神様とは見守るもの。そして、救いの手を差し伸べるもの。

 平等に、全人類を等しく扱うのが神様だ。

 なのになぜ、この町の人は見たことも聞いたこともない、いるかどうかも分からない概念を神と呼ぶのだろう?

「どうして、目に見える神よりも、目に見えない神を信じるんだろうね?」

「────」

 その時、初めて少女が何かを言ったような気がした。小さすぎて聞き取れなかったけれど。もしかしたら風の音や、草木が揺れるおとだったのかもしれないけれど。それでもやっぱり何かを言ったような気がしたのだ。

 しかし、結局それ以降、少女が何かを発する事は無かった。

 気がつくと、時計は午後五時を回っている。帰宅する学生もちらほらと見るようになった。

「それじゃあ、私は帰るね」

 本当は神様としてこの子を安全に家にまで送り届けるべきなんだろうけれど、多分この子はテコでも動かない。明日、学校へ行く前にもう一度、様子を見に来ようと決めて、歩き出すと同時。一人の人影がこちらにむいているのに気がついた。

「あら……?」

 正確には、その人影は私に向かって歩いているのではない。その横、公園の遊具、滑り台に向かっているのだ。

 その人影は、そのまま滑り台の階段から頂上まで登ると、おもむろに手をまっすぐ地面と平行に伸ばして、少ない面積で助走をつけながら滑り台の上からジャンプした。当然、自由落下の法則に従って地面へと落ちていく。

 ぐん、と鈍い音がして、その人影が少し辛そうな顔をしているのが目に見えた。

 多分、スーツを着ているからサラリーマンか何かなんだろう。仕事帰りに一体何をしているんだろうか。

 そのまま、その男は今度はジャングルジムへと登りだした。頂上まで登ると同じように手を伸ばして今度はあまり助走をつけずにジャンプ。

 当然、落ちる。

 今度は先ほどより痛そうな音がしたので、慌てて駆け寄った。

「あの、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だよ。恥ずかしいところを見られてしまったね」

 その男は、頭に大きなネジが生えていた。そのネジをきりきりと回して押し込むと、しゃがんだ状態から立ち上がり、もう一度ジャングルジムへと登ろうとした。

「何をしようとしているんですか?」

「君には何をしようとしていると見える?」

「高いところからのジャンプ」

「そうだね。事実だけを見れば、そうだ。しかし僕の目的は違うところにある。僕はね、空が飛びたいんだ」

「空を?」

「無理だと思うかい? 人の身で、空を飛ぶだなんて無謀だと、鳥類への侮辱だと思うかい?」

「いいえ、ちっとも」

 人が夢をみるのに、悪いことなんて一つもない。

「ありがとう。そう言ってくれるのは君だけだ」

「私に、お手伝いできることはある?」

「ありがとう。でも、これは僕の問題なんだ。僕の問題で、僕の挑戦だ。たとえ誰かの力を借りて空を飛べたとしても、それは僕自身が空を飛んだということにはならない。飛行機に乗って空を飛ぶのと同じことなんだ」

「でも、あなたはどう見てもそのままじゃ飛べそうに無いわ」

「そうだね。僕も、どうしたものかと考えているんだ。何が駄目なのかが分からない。いや、分かるんだけどね。月並みな言葉だけれど、何が分からないのかが分からないんだ。どこを問題点として指摘したらいいのか。そもそもどの前提が間違っているのか。そこからが、分からない。僕にあるのは、ただ、情熱だけだから」

 少し考え込んで、提案をする。それは、私にとっても彼にとってもとても魅力的な提案だと思った。

「私がお手伝いをするわ。そう、一緒に考えるの。あなたの何がいけないのか。どこが問題点なのか。どうすれば飛べるようになるのか。一緒に考える。それを実際に行動に移すのはあなた。これだったら、あなたが一人で飛べるということになるでしょう?」

「ああ、それはとても魅力的な提案だ。そういうことなら、ぜひ受けさせてもらおう」

 男が悪手を求めてくる。私もそれに応じた。

 当然、私ならなんとか出来るだろう。

 たとえ全能がなくても。

 たとえ全知がなくても。

 私は──

「私は、神様だから」



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