私アムゴッド03 『空を飛ぶほどの思いを君に』

 その日は、結局なんの成果も得られず解散となった。仮面の少女はもちろん公園を動かない。

 家に帰ると、留守番電話が二件入っていた。一件は、学校から。なぜ今日学校に来なかったのかとか宿題が出ているだとか明日は学校に来なさいだとかこの留守電を聞いたら折り返し電話をかけなさいだとかそんなことを言っていたような気がするけれど、全て聞き流したのでもう覚えていない。

 もう一件は、よく分からない電話だった。

 再生してみても、何も聞こえない。一分ほど無音の時間が続いて、切れてしまった。

 気にしても仕方が無いので、それも忘れることにする。

 冷蔵庫を開けると、昨日作った残り物のカレーが出てきたので、レンジでチン。ついでにご飯も温めて、一晩寝かせたカレーを晩御飯にする。

 晩御飯を食べ終えると、テレビを見たりだらだらして過ごした。神様だからと言って、こういった時間がないわけじゃない。休息は神様であろうと必要なものだ。働いた時間と同じだけ、休息が必要となる。

「────……ぁ」

 いつのまにか眠ってしまったらしく、自分の寝言で目を覚ますと、夜中も夜中。時計の針はきっちり九十度に曲がっていた。コップ一杯の水を飲んで、ごろりと床に転がり、なんとなく窓の外を見ると、奇妙な光景が目に映った。もしかしたら、それは目の錯覚かもしれないけれど、窓の外、闇の中の住宅街に、その家々の屋根の上に、人影を見たような気がしたのだ。それも、ぴょーんとジャンプしている姿だった。慌てて窓を開けてみるけれど、既にその姿はない。

 もしあの人影が、私の見間違いじゃないとしたら、あのネジが飛び出たサラリーマンも同じように空を飛ぶことが出来るかもしれない。

 もちろん、その人影はただジャンプしているだけで空を飛んでいるわけではないのかもしれないし、そもそも私の見間違いの可能性だってあるのだけれど、希望は、あったほうが良い。

 翌日。

 家を出て最初に向かったのはあの公園だ。もちろんあの空を飛びたがる青年はいないけれど、これももちろん当然のように、仮面の少女は昨日と同じ場所にいた。

 もう、そういうものなんだと納得することにする。

 犬が喋る町なんだから、これくらい不思議な人間がいてもおかしくない。そういえば、頭から大きなネジが飛び出ている人だっているのだから、同じ場所から動かない少女なんて大したことないのかもしれない。

 しばらく、少女と取り留めない話を一方的にして、私は学校へと向かった。さすがに昨日の今日で学校を休むのはまずいのだ。

 教室に入る前に、担任の先生から呼び出し。そして、お説教を喰らった。

「神崎さん、昨日は学校を休んでどこでなにをしていたの?」

「神様として、やるべきことをやっていました」

「それじゃあ答えになっていないでしょう? 私は、場所と、具体的なあなたの行動を聞いているの。あなたは分かっていないのかもしれないけれど、あなたみたいな子どもが一人で外を歩いているというのは、とても危険な行動なのよ? 昼間は太陽も出ていて安全だと勘違いをしているかもしれないけれど、逆に昼間だからこそ、みんな気が抜けていて、何も起こらないだろうと慢心をしていて、不幸な事故や悪意ある事件に巻き込まれる可能性だってゼロじゃないんだから」

「でも、先生。私は、確かに子どもです。けれど、それ以上に私は神様なんです。私よりも小さい子どもが、学校に行かずに公園で一人ぼっちでいたら、それは私がどうにかしなければいけないんです。それが、神様としての私の役目なんです」

「違うわ、神崎さん」先生は、優しく諭すように言う。「あなたは、ただの子どもなの。決して、神様なんかじゃない」その言葉は、全てを包み込んでくれるようで、どこまでも優しく、そして、どこまでも不愉快だった。「あなたは、ただの人間よ。神様の仕事は、神様がやってくれる。あなたはそれを代行する必要なんてどこにもないの」

「代行してるつもりなんてありません。私は、私自身が神様なんです。この町の、神様なんです」

「どうして、そう思うのかしら?」

「分かりません。物証なんてありません。でも、分かるんです。私は、神様としてこの町に生まれてきたんだって、確かに思うんです」


 結局その後も無意味なやりとりが続けられて、私は教室に戻された。普段からこういったことを繰り返している私だから、学校の中に仲良くしている人はいない。これっぽちもだ。所謂ぼっちというやつ。クラスメイトも、今では私を風景の一部としか捉えていないように学校生活を謳歌している。完全に無視されているわけでもないようで、二人一組を作れといわれればあまった人から声はかかるし、グループワークをしろと言われれば、班員から意見を求められる。

 要するに、みんな慣れたのだ。

 人間とは慣れる生き物だって誰かが言っていたらしいけれど、この学校の人間は、私のことに慣れてしまった。それは、私が神様としての活動をする上ではとてもやりやすい状況ではあるのだけれど、どういうわけか担任の先生だけは、未だに私にあれこれと意見をしてくる。

 それが、教師、というものなのだろうか。誰かを教え導くということに、喜びを感じる人間なら、確かに私を彼女が言うような道へと導けたのなら、それは教師としてこの上ない快感なのだろう。

 ……私には、分からない感覚だ。

 神様も、誰かを導くのだろうけれど。

 あの人がやっているのは、神様のそれとはまったく違うように感じる。彼女だけじゃない。

 学校教育というのが、そもそも教え導く空間とはまったく違うものなのだ。

 あれはもう、洗脳に近い。

 まだ善悪も分かっていないような子どもを押し込めて、教師の考える善を絶対的なものとして教えようとする。

 義務教育の期間のうちに教えられた間違った考えを、一体だれが正してくれるというのだろう?

 神様は、そうではない。

 神様は、教え導くのだけではなく、見守るのだ。

 全人類に平等に。

 その慈悲と加護を与え、見守る。そして困っている人がいたら手助けをする。

 それが神様だ。


「なるほど、要するに神崎さんは学校が嫌いなんだ」

 空を飛びたいサラリーマン……幹山さんは私の話を聞いてそういった。

「そう、なのかな。分からない。ただ、あの空間は異常だと思うの」

「それが正しい感覚なのかは、僕は教えられないな。それこそ、君の言うように価値観の押し付けになってしまう」

「それは違うと思うわ。これはただの会話で、雑談。その言葉のやり取りの中に、私の考えとあなたの考えがいったりきたりをするだけの話なんだもの」

 そんなことまで制限されてしまうと、人間はなにも言葉を話すことは出来なくなってしまう。

「ありがとう。それじゃあついでに聞くけれど、神崎さんは神様として僕を助けてくれるんだよね?」

 いつもの公園。その日は、無闇にジャングルジムから飛ぼうとするのではなく、作戦を考えようということになった。どうしてここまで話が脱線してしまったのかは分からないけれど。

「ええ、そう」

「じゃあ例えば……これはただの興味本位なんだけれど、もし神崎さんが僕を助けることで誰かが不幸になってしまったらどうするつもりなんだい? 例えば、僕は実は奥さんと子どもがいるのに、家族のことを放っておいて、一人でこんなことをやっていたとしたら? その場合、神様がやるべきことは、優しい言葉で、もしくは厳しい叱責で僕を諭して、家に帰って家族との団欒を楽しむようにするってことじゃないのかい?」

「ううん、それはしない。そんなことは絶対にしないわ。だって、それはあなたを助けることにはならないもの」

 まるで、その質問を知っていたかのように、私は即答する。

「でも、誰かは、僕が空を飛ぶことを辞めるように思っているかもしれない」

「でも、あなたは思っていないでしょう?」

「……」

「もしもあなたが本当は誰かにとめて欲しいと、無理だ、諦めろって言って欲しいって思っているのなら、私はそうするわ。でも、あなたはそんなことを一切思っていない。私は神様だから、誰にでも平等に救いの手を差し伸べる。平等に、みんなの神様であり、みんなを見守っている。もしも、あなたを止めて欲しいと誰かに言われたのなら、私はあなたを止めるし、あなたが飛びたいという願いを持ち続けているのなら、私はあなたを全力で手助けする」

「それは、矛盾しているよ」

 知っている。私には、不思議な力なんてものはなにもないから。

 だから、これは矛盾した願いなのだ。けれど。それでも。

「もしも、二人の人間に、互いを殺してくれと願われたら。私はその二人ともを殺すわ。だって、それが二人の願いなんだもの。それが、神様ってことでしょう?」

「なるほど、だから君は僕の願いを叶えてくれるんだね」

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