私アムゴッド04 『大人』

 幹山さんは、納得したような顔で頷いた。私の言葉を肯定するでも否定するでもなく、ただ私の言葉と考えを聞いて、得心がいったといったような声だった。

「幹山さんは、おかしいといわないの?」

「どうして僕がおかしいというと思うんだい?」

「先生に言われるから。自分を神様だと思い込んでいるだけだって。あなたには何にも力なんてないんだって。クラスメイトにも言われるわ。いつまでそんなこと言ってるんだって」

「神崎さんの先生や友達がどういうつもりでそういうことを言うのかは僕には分からないけれど、僕は神崎さんの言葉を否定するつもりはないよ。たとえ、神崎さんの言葉が嘘であってもね」

 幹山さんは不思議なことを言う。

 もし私が嘘を言っているのなら、幹山さんは私を怒ってもいいし、糾弾してもいいはずだ。

「重要なのは、神崎さんが僕の願いを叶えてくれるということなんだ。僕は、神様の不思議な力で空を自由に飛べるとは思っていない。もしも神崎さんにその力があったとしても、それは本当に最後の手段として取っておこうと思っている。この前は自分の力だけで飛びたいだなんて言っておいて、ころころと意見を変えるやつだと思うかもしれないけれど、僕は、ぶっちゃけてしまうと今のままでは空を飛ぶなんて到底出来ないと思っているんだ。……だからこそ、空を飛ぶということを諦められないでいるんだけれどね」

 それなら、やっぱり私が嘘をついているというのは、幹山さんにとって許しがたいことなのではないだろうか。もちろん私は幹山さんに対して神様としての何かしらの権能で飛翔能力を彼に授けるなんて事は出来ないと説明しているし、神様であることは紛れも無い事実なので嘘を言っているわけではないんだけれど、それでも、客観的に見て私が世間一般の常識から逸脱した言動と行為をしているということは、なんとなく理解している。

 それなのに、どうして彼は、私の言うことを否定しないんだろう。ただ、手伝うという名目で、自分の欲求を満たしているだけの私を。

「現に、神崎さんは僕を手伝ってくれている。色々な工夫と、案を出してくれている。そのどれも、僕が空を飛ぶには至らないものだけれど、神崎さんは決して僕をバカにせず、きちんと僕という赤の他人の抱える個人的な問題に向き合ってくれている。それが、重要なんだ。だから、僕は君の事を否定しない。君の矛盾を否定しない。そもそも人間は誰しも、矛盾を抱えて生きているものだからね」

「……あなたが私の先生だったら良かったのに」

 心のそこからそう思う。もしそうなら、私はこんなにも意固地な性格になっていなかったかもしれない。

「大人になるということは、ただ年を重ねているだけじゃ駄目なんだよ。ただ年をとるだけなら、誰にだって出来る。何も出来ない人間であっても、ね。大人とはそういうことじゃないんだ。これはあくまで僕の考えだけれど、大人というのは、人間社会を生きて、様々な人間を知った人の事をいうんだと思うんだ」

「知った、人間?」

「知識が優れているという意味じゃない。綺麗なもの。不条理。幸せ。新しい価値観。自分の知らない考え方。醜い感情。それらを知って、自分の中に落とし込んで、そうやって自分の中に自己を確立していった人間のことを“大人”と呼ぶんだよ」

「でもそれじゃあ、結局長く生きた人はみんな大人ということになるわ」

 長く生きればその分、いろんなことを知ることが出来る。それはつまり、幹山さんの言う所の大人になるということだ。

「そうだね、でもただ知るだけじゃ駄目なんだ。善悪を知って、その上でどういう行動が出来るかが重要なんだよ」

 ……分かったような、分からないような。

 応えられずに入ると、幹山さんは笑って「僕も、あんまり分かってないんだ」と言った。

 幹山さんの言った事は全部を分かることは出来ないけれど、でも、彼は大人なんだということは理解出来た。

 多分、学校にいる先生や、同級生とは違って、彼はいろんな人と出会って、知ったのだろう。

 だから、私のいうことを頭ごなしに否定しなかったのだ。

 そして、肯定もしなかった。

 ただ、自分の益になるかどうかを判断したのだ。

 神様の力を失っている私でも、自分の役に立つと考えた。

 私だって、神様ではあるけれど、中身はまだ十代の女子中学生なのだ。大人や、周りの人間からあれこれ言われて、精神的にまいってしまうことだってある。だから、幹山さんの言葉は、私の中にとても温かくしみこんでいった。

 私のやってきたことは間違いではなかったということを再確認できた。

 私は、私という箱庭の中で、ただ自己満足のために神様をやっているのかもしれないと、そう思ってしまうときもあったけれど。

 その箱庭を、彼は取っ払ってくれたのだ。

「それじゃあ、考えた案を、実行してみようか」ベンチから立ち上がると彼はそう言った。「先ほどの神崎さんの考えた方法は中々興味深いものだよ」

 私が考えたのは、空を飛ぶことが出来る鳥と、飛ぶことの出来ない鳥との違いとは何か。そして空を飛べない鳥と人間との違いは何かを考えるということだった。

「鳥の羽は、ああ見えてとても発達した筋肉らしいの。だから、空を飛ぶのに適した身体にあなたの身体を造りかえるというのが、人の身で空を飛ぶ良い方法なんじゃないかしら」

「ああ、僕は羽を何かで作ろうか、なんてことを最近では考えていたけれど、そういう方法もあるんだね……。最近の若い子は、とても柔軟な発想をしている」

「もちろん、簡単なことじゃないわ。だって、人間の身体を、つまりは肉体改造をして筋肉から造りかえるなんてことは容易に出来ることじゃない」

「でも、何か考えがあるから君はその案を出したんだろう?」

「成功するかどうかは分からないけれど……」

 ふと、そこで私は実はずっと隣にいた仮面の少女を見た。相変わらずの無表情で、じっとどこかを見つめている。

「ねえ、あなたはどう思う? この方法なら、彼は空を飛ぶことが出来るかしら」

 案の定、仮面の少女はうんともすんとも言わない。

「そういえば、その子は一体誰なんだい?」

 幹山さんが私にそう聞いた。そういえば、当たり前のようにそこにずっと存在していたので、この子が誰なのかを紹介するのを今の今までしていなかった。まあ、私も紹介が出来るほどこの少女のことについて知っているわけではないのだけれど。

「えっと、実は私にも名前が分からないんだけど……というか名前どころか何も分からないんだけれど。多分、この子はずっとここにいるの。私が帰った後何処に言っているのかは知らないけれど、少なくとも日中はここにいるんだと思う。ずっと喋らなくて、この仮面をかけている。それだけ」

「なるほど……」ふむ、と頷くと、幹山さんは仮面の少女の前でひざを落とした。「はじめまして、こんにちは。ずっと、挨拶をしていなかったね。僕は幹山と言うんだ」

「────」

 当然、何も応えない。ここまで来ると、イルカやコウモリみたいに超音波でも出しているのではないかと疑いたくなってしまう。

「もし君も、僕のことを応援してくれているのなら、とても嬉しいよ。そうでなくて、僕の事尾をバカにしているというのなら、それはそれでいいんだ。自分でもバカな事をしていると思っているからね」

 そういえば、唐乃介はこの子と意思疎通が出来たのだろうか。聞いても真実は教えてくれないだろうけれど、でも私にこの子の事を教えてくれたのは唐乃介だ。というか、今まであまり気にしなかったけれど、なぜあの時の唐乃介は嘘をつかなかったのだろう。唐乃介のホラ吹きは、棺ヶ丘でも有名なのに。

 と、そこで遠くからチャイムが聞こえてきた。学校のものらしいそれを聞いて、幹山さんは腕時計を確認する。

「ああ、もうこんな時間か」

「……ごめんなさい、私の事で、話し込んでしまって」

「いいんだよ。元々、僕の我儘に付き合ってもらっているんだから」

「でも、私が勝手に手伝うって言い始めたのに」

「それでもいいんだ。家族でも、仕事仲間でもない人間とこうして喋るというのは、とても貴重で面白い体験だからね」

 そう言うと、幹山さんは荷物をまとめて歩き出した。その後姿を見ながら、ふと気になったことを聞いてみる。

「幹山さんは、なんの仕事をしているの?」

 一瞬、立ち止まった幹山さんはゆっくりとこっちを見ると、いつもと変わらないやわらかい笑顔で言った。

「しがないサラリーマンだよ。神様に、自慢できるほどのものでもない」

「そんなことないと思うわ。だって、きちんとお仕事をして、家族のためにお金をかせいでいるんでしょう?」

「そう見えるかい? でも、僕は働いているところを君の前で見せたことが無い。もしかしたら、僕は普段とても怠けているかもしれないし、実は働いてなんかいなくて、君に嘘をついているのかもしれない」

「嘘をついているの?」

「いいや。僕はこれでもきちんと働いているんだ」

「だと思った」

 嘘をついている人間というのは、なんとなく分かる。よほど巧妙に隠している人はともかく、日常で出会う何の変哲も無い人間がつく嘘は、言葉にするのは難しいが、分かるのだ。それはオーラとか第六感とかそういったものの方が近いかもしれない。

「幹山さんのような人が、私に嘘をついているはずないから」

「それはまた、随分と信用されたものだ」

「それに、今日私に色々話をしてくれたでしょう? とても人に何かを教えるのに慣れていた感じがしたし、普段から色々な人と出会って話をしているから、ああした考えが自分の中に生まれたんだと思うから」

「それはまた、何とも感情的な推理だね」

「あと、かばんの中から仕事で使う資料が見えてるから」

「なるほど、合理的だ」

 そう言うと、幹山さんはかばんのチャックをきっちりと閉めた。

「それじゃあ、また明日」

「うん。また明日」

 挨拶をして、私たちは分かれた。

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