私アムゴッド16 『団欒』

 私の話を聞き終えて、彼は、静かに目を瞑った。

 もう涙は止まっていた。私は母の娘ではなく、神崎千尋という神様なのだから、涙を流すわけにはいかないのだ。

「お母さんを殺したこと、私は後悔していないわ。もちろん、とても寂しいけれど」

「母親がいなくて寂しくない人間なんていない。神様だってそうだ」

「あなたの話を聞いて、私も私の秘密を、包み隠さず話さなければいけない、って思ったのよ」

「話してくれてありがとう」

「感謝されるようなことじゃ、ないわ」

「辛いことを、それでも俺を信用してくれて話してくれたんだ。感謝を伝えなければいけない」

 彼は、私にお茶の入った水筒を差し出してくれた。お礼を言って受け取ると、喉を潤す。

「もしも、幹山さんが、殺してくれと私にお願いをしてくれたのなら……。私は彼を殺していたわ。願いを叶えるのが神様だから」

「君がそんなことをする必要はない」

「でも、死に殺されるよりは、よっぽどマシだと思わない?」

「君のお母さんはそうだったかもしれない。けれど、俺は、君みたいな子に、これ以上人殺しをさせるわけにはいかないと思っている」

「でも……!」

 そんな願いも叶えられないなら、私は本当に神様でなくなってしまう。

 死から母を救った私の殺人は、唯一の神様としての、立派な働き……、のはずだ。

「君の言う事は分かる。君はただ、助けを必要としている人に、救いの手を差し伸べているだけなんだろう。なら、俺は、君にお願いをするよ。もう、人は殺さないでくれ」

「……ずるいわ」

「けれど、俺の心からのお願いだ」

 私は神様で、向けられたお願いは、全て叶えなければいけない。そんなことを言われてしまえば、私はもう、誰も殺せなくなってしまう。死から、人を救えなくなってしまう。

「それか……。君が神様を止めるか、だ。神様を辞めてしまえば、君は俺の願いを聴く義務はない」

 それだけは、一番ない選択肢だ。私は例え何があっても、神様をやめるつもりはない。

「明日、幹山さんのところへ行ってくるわ」

「あなたを殺させてくださいって、頼むの?」

「いいえ。彼がそれを望んでいないのなら、私からそんな提案をする必要はないわ。ただ、話をしたいの。だって、まだ全然、彼とお話を出来ていないんだもの」

 それは本心だった。もっと、幹山さんと話がしたかった。彼の事を私は、全然知れていない。

「知りたいの。お母さん以外の人が、純粋なこの町の人間が、死に憑かれた人が、どんな思いなのか」


◆◇◆◇◆


 公園で仮面子と座っていると、なんだか落ち着く、と感じ始める。

 人といる、という事実と、一切の反応を見せない彼女がまるで風景の一部であるという矛盾した事実が、きちんと存在しているからだろうか。

 誰かといたいけれど、何かを話しかけてほしいわけじゃない。けれど、どうも気を使って何かを喋らなければいけない。そんな悶々とした雰囲気を、仮面子といるときは一切感じない。 

 最初はある程度感じてはいたけれど、最近では全く気にならなくなった。

 私から幹山さんに連絡を取る手段はないので、会うと言ってもただここで待つ以外の選択肢がない。

 幹山さんは、私への願いを、空を飛びたいという願望を破棄したいと言った。

 もしかしたら、もうここへは来ないかもしれないけれど。けれど、私には、ただ待つことしかできない。幹山さんを信じて、待つことしか。

 十分待って、三十分待って、一時間待って、空から赤が消えてしまいそうになる。

 来ないだろうか。

 考えてみれば、当たり前だ。最後の時間を少しでも、家族と過ごしたいと思うのは。

「やあ、神崎さん」

 まるで好きな男の子から声を掛けられた純情な女子中学生のように、私は文字通り飛び上がった。

「……こんにちは」当たり前だけれど、幹山さんの後ろには死がいる。「もう、ここには来ないのかと思ったわ」

「そのつもりだったんだけれどね。もしかしたら、神崎さんがいるかもしれない、と思って」

「私のために、わざわざ来てくれたの?」

「そうだよ。前は、神崎さんはあまり話が出来そうになかったから」

 私の精神状態は、幹山さんくらいの大人になると、簡単に見抜けているらしい。

「情けないわ。私は、神様なのに」

「そんなことないよ。誰かの死を嘆くと言うのは、当たり前のことだ」

「けれど、幹山さんは、死ぬことを受け入れているんでしょう?」

「受け入れている、というのは少し違うかな。どうしようもない、自然の摂理だから、ただ事実として認識しているだけだよ。まあ、本音を言うなら、僕は死にたくない」

「それなら、どうして抗おうとしないの?」

「抗おうにも、どうすればいいのかもわからないからね」

 私は、魔法少年という存在を知っている。けれどその彼でさえ、死を完全に消し去ることは出来ない。

 そんな人からすれば確かに、自分の後ろを歩く死をどうすれば消せるのかなんて、考えるだけ無駄なのかもしれない。

「どうすれば死なないか、じゃなくて、死ぬまでに出来るだけ後悔を少なくすることを考えているんだ」

 母とは全く違うことを、幹山さんは言う。

 死ぬという前提を、覆すことはきっとないのだろう。

「何か必死で足掻いてみて、どうにかなるかもしれないのに?」

「どうにもならないかもしれない」

「空を飛ぶことだって、同じでしょう?」

「空を飛ぶことはね、ゴールが見えないんだ。だから、挑戦するだけの価値がある。けれど、僕が死ぬことは決まっていて、ゴールがもう見えている。それも、一年や二年という比較的長いスパンがある話じゃない」

 受け入れているわけじゃない、と幹山さんは言ったけれど、私の目に映る幹山さんは、もうとっくに覚悟を決めて、死を受け入れている。

「最後にきちんと、神崎さんに挨拶がしたかった」

「……」

「ありがとう。君のおかげで、ここ数日は、とても楽しかったよ」

「嫌」

「けれどこれは、どうしようもないことだよ」

「その言葉……、嫌いだわ」

 幹山さんは困った様に笑うと、背を向けて歩き出した。

「もうすぐ夜になる。神崎さんも、帰らないと」

「夜に町を歩いていても、何も起きやしないわ」

「外に出たのかい?」

「ええ」

「そりゃあ、すごい。どうだった? 夜の町は」

「とても、静かだったわ」

 公園を出る。

 幹山さんの家は私とは反対方向にある。入り口に立ち、幹山さんに言った。

「あなたの家に、行ってもいいかしら?」

「僕の?」

「変な意味で捉えないでほしいのだけれど、幹山さんと、もう少し、一緒に居たいのよ」

 もうすぐ死んでしまう人と、少しでも話していたいと言うのは、当然のことだと言い聞かせながら言った。

「ああ、いいよ」

「本当に?」

 随分と簡単に返されて、面食らってしまう。

「家族にも、君の事は話しているんだ。神様とまでは、言っていないけれどね」

「そうなの?」

「最近仲良くなった女の子がいる、と言ったら、娘も、喜んでくれた。友達ができるってね」

「幹山さんの子供なら、きっと私よりも賢い子だわ」

「そんなことない。年相応の、普通の女の子だよ」

 先導されて、幹山さんの家まで向かう。

 表札がかけられたその家は、立派な一軒家で、きっと、普段からお仕事を頑張っているからこその賜物なのだと分かった。

 二人で並んで歩くとき、私はなるべく彼から視線を離して前を向いて歩いた。

 ふとした瞬間、彼の後ろの死を見てしまいそうだったから。

 家につくまでの時間は、永遠にも思えて、自分の家でもないのに、なぜか泣きそうになってしまった。

「さあ、あがって」

 靴を脱いで、そろえて玄関に置く。

 リビングは、夕食の匂いでいっぱいだった。とても、良い匂い。それだけでまた、涙が出そうになる。

「おかえりなさい。あら……?」

 台所から顔をのぞかせた女性が、私を見て驚いた顔をする。

「ただいま。彼女は……」

「はじめまして。お邪魔しています。私、神崎千尋と言います」

 神様であるということは伏せておいた。あまり、言わなくても良い情報だと思ったからだ。

「ああ、あなたが、主人が話している女の子ね」

「ええ、その、そうみたいです」

「ついにそっちの趣味に目覚めちゃったのかって、ちょっと心配してたんだけど」

 そっちの趣味がどっちの趣味なのかはわからないが、愛想笑いを浮かべておいた。

「こうして連れてきたんだから、違うと証明できただろう?」

「そうね。せっかく来てくれたんだから、ゆっくりしていって」

 奥さんは、いつもどおりの感じで、私を受け入れてくれた。まるで、自分の旦那がもう少しで死んでしまう事を知らないかのように、初めて会う私でもわかるほどに、いつも通りだ。

「だあれ?」

 幼い声がして、振り返ると、クマのぬいぐるみを持った、女の子が立っている。

「初めまして。私、神崎千尋っていうの。ちひろ、よ」

「ちひろ」

「そう。ちひろ。あなたは?」

「なこ」

「なこちゃんね。とても、良い名前だわ」

「なこもそう思う!」

 人数が急に増えたのにも関わらず、人数分の料理とお皿が用意され、一つの食卓を囲んで、夕食の時間になる。

 団欒、というのが、こういうものだと、私はしばらく忘れていた。お母さんと二人でいたときも、感じていたはずだった。けれど、忘れていた。思い出したくないことだった。お母さんの記憶を思い出せば思い出すほど、辛かった。忘れるわけにはいかない記憶だけれど、それでも、出来るだけ、別の事を考えていたかった。

 テーブルに、涙が落ちる。

 なこちゃんが心配そうな顔をして、私を見た。

 これが、家族の団欒で、当たり前の光景なのだ。それが、この家族からは、やがて失われてしまう。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「大丈夫よ。千尋ちゃんが、謝ることじゃないわ」

 涙を流したことだけじゃない。私は幹山さんを救う方法を知っている。けれど、そのためには他のだれかを犠牲にしなくてはいけないかもしれなくて。そして何より、幹山さん自身がそれを望んでいなければ、私はどうすることも出来ない。例え幹山さんが「助けてくれ」と言っても、魔法少年である彼が、それを許してくれるかどうかも分からない。

 分かるのはただ、私には何も出来ないという事だけだ。

嗚咽を飲み込んで、私は料理を無理矢理胃の中に押し込んだ。誰かと食べる料理がこんなにも温かいということにも、私は気が付かなかった。

 夕食を食べ終わり、辺りはすっかりと夜になっていた。

 なこちゃんがいるという事もあって、夜の町を帰るわけにもいかず、私は幹山さんの家に泊ることになった。

 空いている部屋を簡単に片づけてもらい、布団を敷く。

 知らない天井を見つめながら、考える。

 本当に、幹山さんを助ける方法はないのだろうか。

 こんな幸せな家族が、理不尽な理由で幸せを奪われていいはずがない。

 頭の中で、今まで得た情報を整理する。

 死は、誰かに憑いて、その人を殺す。

 魔法少年だけが、死を斬ることができる。

 斬られた死は、別の人のところへと移動する。

 死とは別のと魔法少年は戦っている。

 と死は、同じ剣で斬ることができる。

 なら、本質的には同じもの……?

 の正体はなんだろうか。

 何度考えても、得られた情報以上のことは思いつかない。

 この町の違和感。

 違和感を違和感たらしめている原因は何だ? 普通じゃない部分があるから、違和感を感じている。なら、私の思う普通とは?

 魔法少年の言葉を思い出す。

 ──君はまるで、異世界から来た人間みたいだな。

 違う、世界。

 そんなものがあるのだろうか。

 けれど、そうだとしたら。

 私が忘れているだけで、本当は違う世界からきたのだとしたら。

 その世界は、死がやってくることなんてなくて、夜だって誰でも自由に出歩けて、時間は常に一定のスピードで進んで、なんていない。

 お父さんの記憶がないのも、違う世界で私が生まれたからで、何かを忘れていると思っていたのは、もしかしたらそのことなのかもしれない。

 それが真実なら。

 私に出来ることは、何かあるだろうか。

 ただ世界を漂流しているというだけで、何か……。

 神様として、何か……。

 神様に出来ることは、なんだろう。

 私には何の力もない。

 何もできない。けれど、何かをしたいという気持ちはある。

 この町の真実に、近づくためには……?

 彼を、魔法少年にした人間がいる。

 その人なら、きっと、知っている。の正体も、なぜ死が存在するのかも。

 どうやって、探す?

 どこにいる?

 彼が見つけられないものを、私が、どうやって。

 目を瞑る。

 記憶を頼りに、風景が、頭を流れていく。

 その中の一つに、引っ掛かりを感じた。

 ああ、今のは、何だっただろう。

 手繰り寄せる。

 そうだ。

 魔法少年は、誰かが彼に与えた使命。

 なら……。

 きっと、誰かが見ているはずだ。

 上手く、出来ているか。

 それとも、失敗しているのか……。

 どこから?

 きっと、見えるところにいる。

 どこかに隠れている。

 それを、見つけられれば。

 どこだろう。

 例えば、絶対に怪しまれないところ。

 誰も気に留めない物。

 そんなところに、きっと、潜んでいる。

 違いない……。

 何かが分かりそうになって。

 それよりも先に、意識を手放した。

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