魔法少年ノクターン07 『夜想曲;魔法少年』

 午後の授業も全て終わり、帰宅する時間になると、三戸科さんが俺の席に寄って来た。

「よかったら、一緒に帰らない?」

 心臓が、どきりとはねる。それは、女の人と帰り道を一緒に歩くという行為にどきどきしているのではない。恐れたのだ。何にかは分からない。もしかしたら、三戸科さんは全て知っているのかもしれないという恐怖かもしれない。彼女に糾弾されるかもしれないという恐怖かもしれない。それとも、もっと他のもの。

「……ああ」

「良かった」

 だが、断る事はできなかった。たとえそうだとしても、それは、俺が彼女に対してお粉分ければならない贖罪だ。

 帰り道を二人並んで歩く。

「おいおい、いつのまにお前らそんな仲になったんだ?」途中で唐乃介に出会った。

「唐乃介、悪いけど、今は君の相手をしている暇はないんだ」小声で言う。

「おっと、そいつは悪かったな。俺も、実は、今から一仕事やらなきゃいけないんだよ。お互い、頑張ろうや」

 そう言うと、唐乃介はてこてことどこかへ歩いて行ってしまう。

「唐乃介って、どうして嘘しかつかないのかな」三戸科さんが言った。

「どうしてだろうね。でも、それがあいつの生きがいなんじゃないかな」

「そっかあ。たとえどんなことでも、生きがいがあるのはいいよね」

「でもあいつは嘘しかつかないし、それだったら……」

 言葉を続けようとして、止める。一瞬頭の中が空っぽになる。今のは、配慮に欠けすぎていた。ちらりと横を見る。

「別に、気にしなくて良いって言ったのに」

「ああ……うん、ごめん」

 そのまま無言になる。遠くから、車の音、人々の喧騒。風の音。それだけが、世界を支配している。

「ゴッドイズミー!ひゃっほい!」

 いきなり大きな声がするので前をみる。前方から女の子が走ってくる。俺よりも少し年下くらいだろうか。そのまま通り過ぎると、角を曲がっていった。

「やっぱり、この町って平和だよね」三戸科さんは、少しだけ呆れ顔で言った。

「……どうして、俺と?」

「どうしてかな。なんとなく、話がしたくなったから、じゃ駄目かな」

「駄目じゃないけどさ」

 でも、君が死ぬのは俺のせいなんだ。その言葉を言うことができたらどれだけ楽だろうか。いや、楽にはならないのかもしれない。それでも、言わないでいるよりはましだろう。

「最初に私の所にこれが来た時さ」顔を後ろに向けて、死を見る。「ああ、そっかって思ったんだよね。特に悪い事をしたつもりはなかったし、親にも迷惑をかけたりはしてないつもりだったんだけど、それでも、私はもう死ぬ運命なんだなあって」

「……」

「それで、最初はなんだかすんなり受け入れることができたの。それでも、時間が経つにつれて、やっぱり怖くなってきた。なんで私なんだろうって。お父さんもお母さんも友達もみんな、私に気を使ってくれている。でも、私にはそれが逆に辛かった。だから、どうにかしてこれを追い出そうとも考えた。でも、そんなことできないって頭では分かってるし、もう、諦めるしかないんだなあって思って。そうやって本当に割り切ることができたのが、つい最近。っていうか、さっき」

 俺は、ただただじっと話を聞いていることしかできなかった。何も、口出しをすることができない。どうして、俺はあの時死を斬ってしまったのか。

「なんだか思いつめてるみたいだけどさ。君は悪くないからね。もしかしたら私の知らない何かを知っているのかもしれないけれど。それでも、これが運命なんだから。だから、良いの。これで。それで、私の事を忘れないでいてくれたら、それなら私はみんなの中で、君の中で生きていくことができるから」

 三戸科さんは、そこまで話し終えると、ふうっと息を吐いた。それから伸びをすると、俺の方をじっと前を見つめた。

「……やっぱりさ」とても、小さな声だった。「やっぱり、そんなわけ、ないよね」それでも、聞き逃すわけには行かなかった。「やっぱり、怖いよ。死ぬのは、怖い。ああ、嫌だなあ……死にたくない。うん、死にたくないよ」

 俺に向けられた言葉なのか、それとも独り言なのか。それでも、俺は一言一句聞き漏らさずに彼女の言葉を聞いていた。

「俺が、君の代わりになればよかった」

「でも、そうしたら今度は私が君のために悲しむことになるんだよ」

「それでも、君が死んでしまうよりはましだよ」

「最近喋り始めた程度の仲なのに、そこまで思ってくれるのは嬉しいな」

「最近喋り始めた程度の仲の俺に、こんなこと打ち明けてくれるのも、嬉しいよ」

 いや、本当はまったく嬉しくない。知らなければ良かった、なんて思っている自分がいる。それでも、知らなければ、と思っている自分もまた、いる。

「じゃあね、また明日」

「うん、また、明日……」

「大丈夫だって。多分、明日はまだ会えるから。明後日も、明々後日も……」

「うん、分かってる。大丈夫だ。出来れば……本当に出来ればでいいから、時間と心に余裕があるときに、俺の演劇の練習に付き合って欲しい」

「うん、分かった……約束しましょう」

 そう言って、三戸科さんは、左手の小指だけを立てて前に出してきた。俺もそれと同じ格好をして、指切りをする。

「ゆびーきーりげんまーん、嘘ついたら……」そこで、彼女の言葉は途切れた。「そうだなあ……嘘、ついたら、私のことは忘れて、幸せに生きる、っていうのは?」

「そういう大それた約束は、もっと大事な人としたほうが良いと思うな」

「こんな悩みを聞いてもらった君は、充分大事な人の一員だと思うんだけどな」

「そうじゃなくて、もっとこう……恋人とか」

「そんな人、いないよ。残念ながら」

 指切りをした手を離すと、揃って歩き出した。

「私、実はさ。結構前から、君のこと気になってたんだよね」

「え?」

「うん、なんていうか、本当にちょっと気になってただけなんだけど、今じゃないと伝えられない気がして。やっぱり、自分の死を目の前にしてどこか興奮してるのかも」

「それは、ありがとう」

「どういたしまして」

 へへっと笑うと、三戸科さんは「私はこっちだから」と言って俺とは別の道を歩いて行く。太陽はだいぶ東の空へとしずんていっている。三戸科さんが歩く道は、夕日が建物に遮られて薄暗くなっている。そんな暗さの中でも、死はしっかりとそこに存在していた。

「それじゃあ、また明日!」

 何度目かの挨拶を三戸科さんが振り返って言う。

「また、明日」

 手を振ってそれに応じる。

 彼女の姿が完全に見えなくなってから、俺もまた、道を歩き出した。夜まではまだ時間がある。俺は、どうしたら彼女が救えただろう。だが、それは答えのない問いだ。あるとしたら、不可能である、ということだけ。

 俺は、何を忘れているのだろう。それは、もちろん魔法少年に関することだ。

 これを思い出せば、俺は何かを変えられることが出来るだろうか。なんとなく、そんな気がしてくる。それは、漠然とした思考。

 頭の中の靄はまだ晴れそうにない。何かを忘れている、ということだけしか分からない。それが何か分からないのだから、余計に頭が痛くなる。


「生きたい?」と誰かが聞いてきた。

「生きたくない」とその声に答える。

「じゃあ死にたいの?」と聞いてくるので、

「死ぬのは怖い」と答えた。

「ああ、それはとっても我儘だ」と声は続ける。

「俺は、全部全部我慢しているよ。皆を助けるために、一人を犠牲にするんだ」

「罪悪感で死ねば良いのに」

「死ぬことが、許されるのなら」

「もし死ぬことが許されたとして、本当に死ぬことが出来るのかい?」

「ああ、それは、もちろん」

「矛盾している。死ぬのは怖いんじゃ?」

 けれど。

 そんなこと、言ってられないだろう?

 俺は、魔法少年だ。

 魔法少年は、全部救わなきゃいけない。大衆か個人かなんて選択は、選ばない。

 どちらも、選ぶんだ。

 それが、ヒーロー。

「君は、死ねない」

「知ってるよ」


「それは、君が魔法少年だからだ」

「知ってる」

「この町は、棺ヶ丘。その意味を、考えた事は?」

 町の名前なんて、どうでも良い。俺はただ剣を振るうだけだ。町を守るために。一人を切り捨てて、他を守るために。

「もう一つ、この町には呼び名があるんだ」

 声が少しずつ遠くなっていく。夜空に、星が輝き始める。

「それを知れば、君はきっと変われるだろう。良くも悪くも」

 変わらなくて良い。俺は、このままでいい。矛盾と後悔を背負って、生きていく。俺は今日も、夜の町を飛び回る。

「でもこの事は、きっと君はすぐに忘れてしまう」

 だって、俺は、魔法少年だから。

「この町は、

 そんな感じで俺は今、魔法少年をやっている。

「この町をどう変えるかは、君しだいだ」

 声が、途絶えた。

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