第一章 Stargazer (4)
全身義体への移植手術を終え、神経系の接続試験に明け暮れていたところへ、崔とアナンドが菓子折りを手に見舞いに来た。
「順調か、あっちのおれは?」
すごく、とアナンドが頷く。ジョーのコピーも義体との接続試験中だそうで、複製されても同じことをしているのだと思うと、無性におかしかった。
電子化された自分と対面するのは、面映ゆさもあってあまり気が進まなかったが、あのチャット以来、不思議と親近感を覚えた。電子人格が生命ではないなんてとんでもない。ありようこそ異なるが、かれは確かに生きていると感じた。
「想像以上にいい成績を出してるぞ。もともとジョーに義体の操作経験があったからだろうな。はい、これ」
菓子折りは、この前マリが話していた、オープンしたばかりのマカロン専門店のものだった。気配りなどではない。本題は彼女だと察せられる程度には、この研究者たちとの付き合いは長い。
いやな感じがした。嵐の予感に似た曖昧な靄に、言いようのない警戒心が首をもたげる。まだ手足をうまく動かせないのがもどかしい。どうにか言葉を繋いだ。
「これからも試験は山積みなんだろ。その後でようやく、未来予測の話になるわけか。先は長いな」
「まあ、そうだな」
崔は言葉を濁す。いつも自信たっぷりの断定口調で喋るだけに、余計に気にかかった。
「なあ、その未来予測についてもう少し詳しく教えてほしいんだけどさ、それは犯罪の抑止だとか、災害の防止とか……公共の福祉っていうんだっけ、そういうのに使うのか、あっちのおれを」
「実用化はまだまだ先だけどね、基本的にはそう」
アナンドも煮え切らない態度だ。崔は無言で撫で肩を竦めるばかり。
「基本的には、ってことは、例外があるのか」
「例外というか……情報の錬金術だって言えばわかるか」
「錬金術? 情報の? 全然わからん」
笑うなよ、と真顔の崔が釘を刺して、続ける。
「予言させようと思ってるんだ。来るべき未来の何かを」
「それが未来予測だろ。違うのか」
違うよ、とアナンドが引き取る。理解が追いつかないジョーと違い、二人は真剣そのもののぎらついた眼をしていた。
「いつかは魔女を複製するのが目標なんだ。魔女は未来が視えるし、実現の可不可を判断できる。それがどういう原理なのか、まだ誰も確かめてないけど、魔女にできるなら魔女の電子人格にもできるはずだ。未来視と誘起の力を持ったAIを作れるはずだ」
「そこにありとあらゆるデータをぶっ込んで、ちょっとした全知のAIを作る。第六感を持ってる全知の魔女に未来視をさせる。どんな答えが返ってくると思う?」
崔の白目が青く光る。わからない、と答えるほかなかった。シーツの上に置いた右手が意図せず震える。
「そう、わからない。わからないから、実行する。安藤さんには協力を断られた。魔女連盟にも。でも研究には魔女の協力が欠かせない。君からも説得してくれないか」
「おれとは違って、マリには協力するメリットがないだろ」
「メリットデメリットの話じゃないんだよ!」
アナンドの大声に、反射的に筋肉が緊張する。ごめん、と彼は呟き、汗を拭った。
「魔女の未来視、未来誘起の力は人知を超えたものすごいものだ。でも、魔女連盟は高額の依頼金を設定して、その恩恵を限られた者だけに与えてる。平たく言えば、金持ちだけにね。つまり、未来は裕福層の欲望次第。それが許されていいのかな。魔女の独占は善行かな? 人工の魔女、未来視と未来誘起ができるAIが一般化すれば、災害や犯罪の防止はもちろん、社会全体が良くなるのは間違いない。もし未来誘起ができなくても、何が起こるかだけでもわかっていれば、対処のしようはある。そうなれば魔女が限定的に祈ってるよりもずっと、人類の幸福につながると思わない?」
答えられなかった。アナンドの言うとおりのように思える一方、何かが根本的にずれているとも思う。
望む未来を手に入れるべく人々は魔女に、魔女AIに殺到し、それができない者はなすすべもなく打ちひしがれるだろう。
二極化は果たして、人類の幸福なのだろうか。過度の介入は未来に影響を与えないのだろうか。わからない。誰にもわからない。それはひとならざるものの領域だから。魔女とか――神とか。
あるいはそれを電子的に再現し、科学の光明で照らし出すのが彼らの究極目標なのかもしれない。すべてを数式で記述し、ひとならざるものを創出することが。
平等と幸福の名の下に、人工の魔女が量産され、人々の欲望を実現する。その危機感、禁忌感、嫌悪感の一方で、電子の世界で生きるもうひとりのジョーは今も着々と試験を続けている。新しいいのちがフラスコを出て、自由を得るための試験を。
やめろ、と言いたかった。そんな研究におれを使うな、と。しかし、複製されたジョーもまた、ひとつの生命だ。生命活動の停止は予期せぬ事故、天災などによるサーバー破損時を除き、複製された本人の意思でのみ決定されると同意書に記載があった。ジョーの一存ではかれの停止や削除は叶わない。
彼らもまた凡百から外れた道を進む者だったと、今さらながらに気づく。狂気にも似たその情熱に、横になっているにもかかわらず、目が眩んだ。
「フリーの魔女はどうなんだ。あんたらのことだから、何人か目星をつけてるんだろ」
研究者たちは黙った。顔を見合わせはしなかったものの、彼らの視線が互いを見遣ってわずかに揺らいだのを確かに見た。
「おい、まだ隠しごとがあるのか。まさかもう魔女もミラーリングを」
それはまだ、とアナンドが首を振る。それとは何だ。曖昧な言い方に苛立ちが募る。
「未来予測って、ものすごくマシンパワーを食うから単基でさせるのは非効率なんだ。魔女のAIの他にも二基、合計三基をリンクさせて未来予測をさせる」
「三人寄れば文殊の知恵っていうだろ。三位一体とか」
そういう意味じゃない、と口を挟むよりも、三という数字が引っかかった。二ではなく四でもない、その理由が。
――稲妻のように、確信めいた強さで予感が兆す。
「……おれと、魔女と、あと一人は誰だ」
訊くのは恐ろしかった。予想した答えが返ってくるのではないかと、みっともないほどに声が震えた。
「子ども。まっさらの、赤ん坊のAI。魔女ハーフの」
やっぱりそうかと、知らず呻く。それは絶望か、おぞましさか。
だしにされた悔しさと、平然としている研究者たちへの怒りをぶつける先が見つからず、ジョーは拳を握る。右手の痙攣は止まらず、燃え上がった炎も消えない。焦燥に似た不快感が増すばかりだった。
すべて計算ずくで、彼らはジョーをミラーリングしたのだ。
「子どもって、そんな予定はないぞ……おい、まさか、生殖バンクに掛け合ったとか言わないよな」
答えはない。沈黙こそが答えだった。
「怖い顔しないでよ。断られたよ、当たり前だろ。だから改めて訊くけど、研究のために採精させてくれないかな」
断られて当たり前のことを敢えて尋ねる彼らの狂熱と倫理と道徳を超越する純粋さ、歪んだ積極性に、眩暈がした。
崔とアナンドはそれから二時間近くも言葉を費やし、唾を飛ばし身振り手振りを交えて、低コストで未来視とその誘起が実現される素晴らしさを説いたが、ジョーの結論は否から微動だにしなかった。
「あっちのおれがどう考えようとあいつの自由だけど、マリを巻き込むのはごめんだし、子どもなんてもっての外だ。これ以上は譲れない。帰ってくれ」
ややあって、崔とアナンドが退職すると挨拶に来た。よそに好条件で招かれたという。ガイウスは今後、医療方面でのBMTの合法化を目指し、複製された電子人格たちが暮らす場としてのVR環境開発に注力するとのことで、コピーされたジョーと協働しての研究はそれなりの成果を上げたようだった。
「すごいじゃないか、おめでとう」
咄嗟に出た言葉が社交辞令なのか嫌味なのか、ジョー自身にもわからない。崔とアナンドは笑って去っていった。電子人格をAI化する件には何の言及もなかったと気づいたのは、しばらくしてからだった。
二人の後任は、義肢義体の研究室に配属が決まったばかりの新人で、その若々しい熱意とぎこちなさに、自身が就職したばかりの頃を懐かしく思い出した。あの頃はまだ病の影もなく、休日にはマリを誘って映画を見たり、郊外へ歩きに出かけたり、買い物をしたり、無邪気に過ごしていた。
ジョーは自問する。病気を事前に知りたかったか、と。
答えはやはり否だ。マリは魔女の力をただの一度も誇らず、振りかざさず、盾にしなかった。人生には正解も最適解もないと言って。その通りだと思う。
全身義体の調整とリハビリを終えたジョーはホスピスを出て、マリとの新生活を始めた。発症から十一年が経っていた。義体のメンテナンスと経過観察は欠かせないが、変わらず義肢義体やファームウェアの試験を生業にしている。カーシー・ジャパンがぜひにと迎え入れてくれたのだ。
格闘技の経験を活かして、スポーツ用義肢義体の開発、調整に携わり、アンセム・ハワード症候群の患者会に出席し、難病患者家族向けの講演会で体験談を語り、マリとともに出かけて彼女を暴力から遠ざける。未来を知ることができずとも幸せだった。
退院して二年が過ぎた頃、VRプラットフォームを手がけるシェンユウ社が
その開発運用者として紹介されたのが、崔とアナンドである。彼らは相変わらずの調子で未来予測の重要さと、それがいかに人々の幸福に寄与するかを滔々と述べたが、未来を問われ、「永遠なる林檎の海」「星が降る夜のささめき」「
不穏な予感に検索をかけるも、彼らが電子人格をもとに――複製したジョーを用いてサービスを構成したのか、まったく別のものなのかは機密の一言、あるいは下世話なゴシップ記事に阻まれて調べられなかった。データを所有しているのはガイウスだし、容易に持ち出せるはずがないから、かれはガイウスにいるはずだ。そう思いたいが、不安の火種は消えず、胸の奥でいやな臭いを発し続けている。崔たちの
「大丈夫だよ、ジョー」
ソファでごろごろしているマリは、こちらを振り返りもしない。
「二人ともガチの研究者だったけど、今は宗教者みたい。変わったね」
「……そうだな」
メッキが剥がれただけではないかと思ったが、無闇に不安を煽るつもりはなかった。
インターホンが鳴って、端末の前にいたジョーが受ける。
『アグリピザですー。ご注文の品をお持ちしましたー』
マリだろうか。幾らですかと尋ねると、お支払い済みですと若い声が答えた。
『えーっと、シンジョータケシさまからのご注文なんすけどー』
「えっ、なになに、ピザ?」
「……ちょっと食べたくなって」
「へええ、珍しい」
届いたピザはサラミとドライトマトとチーズがたくさんの、マリの好きなものだった。ご丁寧に、コーラとフライドポテトまでついている。玄関先で保温ケースを受け取り、その温かさに呆然と立ち尽くした。
呼びかけるすべを、ジョーは持たない。
マリは相変わらずピザが好物で、そのくせちっとも体型が変わらない。十五の少女の体躯に戦闘服のゴスロリを纏い、丹念にメイクを施して、厚底のストラップシューズで意気揚々と歩く。
そんなマリを毎日駅前まで送り、それから出勤する。たまに隣駅まで迎えに行くと、魔女たちが賑やかにひゅーひゅー、と冷やかしがてら手を振ってくれる。指輪の輝く手を振り返すマリはいつだって明るく、細い腕の中にはひとかけらの不安もない。
他愛ない、けれどもかけがえのない毎日だった。
病を得る未来を予言されていたら、果たして今日、この日に辿り着けただろうか。
わからないならわからないままでいい、とこのところ思う。すべてを明らかにしたいと知的好奇心を抱く崔とアナンドは科学者らしいと思うし、その一方でまだ見ぬ未来や未知のものごとを楽しみにする気持ちもまた、好奇心だと思う。
いつか見たい景色、食べてみたい料理、聴いてみたい音楽。生まれたばかりの子どもが見聞きし、体験し、経験するすべてを未知という箱にしまってリボンをかけるような、楽しみにすることそのものの楽しさを奪わないでほしいと思うのだ。
恐らくは、こうして未来に期待できるうちは、こころの容れ物が何であっても、ひとでいられるのではないか。
けれども、犯罪や災害の防止のための未来予測が害悪であるとも言い切れない。第六感を持つAIだ予言機械だと大袈裟なラベルが貼られていたところで、道具が使いようであるのは、太古の昔から不変かつ普遍であろう。
未来を生きてるって感じだな、とマリの言葉を呟く。
ここは現在にして光満ちる未来、そして取り返しのつかない過去。そのどれでもあって、どれでもない。重要なのは今がいつなのかではなく、今生きているということだ。
呼ばれた気がして、ジョーは肩越しに振り返る。
ピンクブラウンの髪を揺らして、マリが大きく手を振っていた。いつの日か、桜が舞い散るキャンパスでそうしたように。
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