第四章 ミラーリングミライ (4)

 規制撤廃から一年が過ぎ、パンクしていたミラーリングの予約待ちがひと月未満となった。VRシティは次々に増設され、拡張され、電子人格が好みの街を選んで暮らしている。コピー元の人間とともに動画配信を行い、音楽を、絵画を、小説をつくるケースも増え、専門チャンネルが創設された。

 街全体がざわついている。人々に混じって電子人格が駆動する義体が行き交う。義体が同じでも、知性部分が電子人格か一般のAIかでは適用される法が異なる。そのため、AIを搭載したアンドロイド用義体には専用のマーキングが施されるようになった。

 虹彩に十字模様が入るのがAI搭載アンドロイドで、そうでないものが電子人格の義体いれもの。勿論のこと、偽装は犯罪である。魔女アンドロイドたちの眼球ユニットも交換された。

 魔女AIたちは変わらずアイドルの格好で街を闊歩し、VRチャットに現れる。今や彼女たちの先見性を疑う者はなく、ご贔屓がいかに可愛く、ユーモアセンスがあって知的かと自慢し、少しでも未来視の確度を上げるためにと情報を貢ぐのが流行していた。

 あの後、アナスタシアには会っていない。彼女はどうしているだろう。魔女アンドロイド二十六機は個別に行動しており、狙って会えるものではない。SNSを検索すれば目撃情報はわんさとヒットするし、固有のファンがカテゴリ分けのタグを付与して無限とも思える愛情を発信しているから、動向を追うのは難しくないのだが、エムに対するのと同じく、こちらから会いに行く気にはなれなかった。別世界のできごとのようだ、とタグ検索結果を眺めて息をつく。

 一方で、マリはやはり忙しくしていた。三日ないし四日の缶詰のあと一日休み、そしてまたホテルで缶詰といったシフトで、目が死んでいる。休日も横になって過ごしているようで、ジョーが仕事を終えて帰宅したら、暗い部屋に壁面スクリーンの明かりだけがぼんやりと点っていた。

 かといって何を見ているわけではなく、配信リストの頭から順に再生しているだけだ。ローテーブルにはポテトチップスの食べさしと、空のペットボトルが転がっている。


「なんでそんなに忙しいんだ。大口の依頼が増えたのか?」

「うーん、一言で言えば『知らんがな』って依頼が増えた」

「知らんがな?」

「何とかすれば何とかなりそうなことを、あたしたちに頼るようになったの。あんまり好きな言葉じゃないけど、努力せずにお金で未来を買うってわけ」

「テストで満点取りたいとかモテたいとか?」


 そゆ感じ。マリはジョーの腿を枕にしたまま、起き上がろうともしない。相当参っているようだ。

 死にゆく自分に付き添い、笑いかけてくれた彼女はとても心の強い人なのだと思っていた。そうでなければ、どこの誰のものとも知れぬ欲望にまみれながら、誘起の祈りを捧げるなどできはすまい。

 若気の至りと悲劇の主人公めいた焦りが為したこととはいえ、あの状況で入籍を迫り、精子バンクの暗証キーを押しつけたのは度が過ぎていたと思う。重いにもほどがある。よく受け止めてくれたものだと思うし、その後の過酷な十年は、彼女がいてくれたからこそ乗り越えられたのは間違いない。

 魔女を伴侶に望む者はさほど多くないそうだが、マリは可愛いし、素直で明るくて隣にいることが苦にならない。頭が良いし美味しそうにご飯を食べる。治療法の確立されていない死病を抱えた自分などより、もっと相応しいひとが現れたに違いないのだ。

 縛ってしまった、と何度後悔したか知れない。未来視の魔女をホスピスに通わせるなど、危険に放り込んではならなかった。結果として何事もなかったし、みな驚くほど真っ直ぐに受け入れてくれたけれども。

 彼女は、ジョーが謝罪するたびに怒った。あたしは望んでここにいるのだと。あたしの意思に介入するな、大人しく寝ていろと。

 生き延びたからこそ全身義体の開発が間に合ったし、おまけとはいえBMTも受けられた。すべてマリのお陰だ。文字通り命の恩人で、彼女が望むこと、彼女のためにできることは何でも叶えたい。別れを告げられるまでは。

 結局、重くなってしまう。もっとカジュアルに、細切れに、たくさんの言葉をかけるべきなのだろう。彼女はことあるごとに、赤面するほどストレートな愛情を言葉にしてくれる。それをそのままお返しすればいい。たったそれだけじゃないか。


「マリ」


 力なく瞼が持ち上がり、虹色の眼と視線が絡む。子どもの頃から心を捕らえて放さない、魔女のまなざしに言葉が凍りつく。何もかもを見通し叶える七色の前に、ジョーが持つ言葉など、何の意味もない気がした。


「どしたの」

「いや、何でもない」


 こうした積み重ねが愛想を尽かされる原因になるのだろう。わかっていても、動いたのは腕だけだった。手のひらをマリの小さな額に添える。冷たい手が重なり、やがて身を起こしたマリが深々とため息をついた。


「明日からも頑張るかー」

「倒れない程度にな」

「ジョーになでなでしてもらうからだいじょぶだよ」


 本当に? 問い返す前に唇が塞がれた。膝の上のマリはずいぶん軽くなっていないだろうか。考えを巡らせていたら案の定、真面目にやれと可愛い雷が落ちてきた。




 マリが忙しくしていた原因はほどなく知れた。シェンユウがガイウスから魔女アンドロイドの事業を丸々買い上げ、情報系、理工学系大学や技術系企業と提携して機械に未来予測をさせる研究部署をぶち上げたのである。

 魔女アンドロイド周りの個人情報の取り扱いに関する規約も大幅に見直され、一部では大きな反発があったものの、過去のエピメニデスの騒動を経験して眉をひそめる者を頭の固い「老害」扱いするコメントが各所で公開され、今をときめくスポーツ選手や音楽家が「コンピュータの視る未来も楽しみ」「人間の可能性を拡張するのでは」などと好意的に反応したのをきっかけに、歓迎派の意見が大半を占めるようになった。

 これまでにもマリは、企業買収・売却、役員の大規模な入れ替わりなどの際は難しい顔をしてホテルに泊まり込んで仕事をしていた。もちろん、そのために祈っていたなどとは決して口にしなかったけれども。

 今回も彼女は沈黙を貫いていた。ニュースは決して見ようとせず、話題にすることもなく、昏々と眠り、宅配ピザを貪り、ネイルサロンに通った。

 もしも、こうなる未来を招いてくれと魔女に依頼したやつがいるなら、そいつは頭がおかしいに決まっている。ジョーは戦慄する。

 祈りを捧げる魔女への負担を減らすため、魔女連盟は依頼を受けるかどうか厳しくチェックするらしいが、今回の一件が、本当に魔女が誘起した未来なのだとすれば、連盟の考えにも立場にも理解が及ばない。

 連盟にとって、予言機械が存在する未来は是なのか。それとも是非や善悪の概念を超えたところで、判断は下されるのだろうか。マリが言っていたように、魔女以外の存在が未来視と誘起を分担してくれるならばそれで構わないのだろうか。

 世の中を見回してみれば、電子人格は増加の一途を辿っている。コピー元の人間が命を落とすわけではないので、人口には目立った変化はない。が、街には電子人格を載せた義体がぐっと増えた。単独で行動していることもあれば、義体同士のグループのことも、人間と腕を組んでいることもある。人間と見分けがつかない義体もあれば、いかにも機械然とした、シャープで鋭角的なシルエットの義体もある。

 フリルとレースで飾られた義体、ファンタジックなアバターめいた、角や翼、長い尾を持つ義体。BMTが解禁されれば義体が売れるとの木佐貫の読みは正鵠を得ていた。レディメイドのガイウス、スポーツ用など特殊用途パーツのカーシー、スマートライフと銘打って、家電類の扱いと連動させた老舗メーカー、次いでシェンユウが動物の耳や翼といったファンタジックな付属パーツの売り上げで大成功を収めた。

 木佐貫ら個人の義体デザイナーも、注文が途切れずに悲鳴を上げている。

 電子人格となった木佐貫は義体を持たず、ARを利用したり大型スクリーンにアバターを投影したりで事務所の運営を続けている。オリジナルの木佐貫がその補助についているが、かつての快活さはなりを潜め、ジョーが訪ねても一通りの挨拶を交わした後はすぐに引っ込んでしまう。白髪も増えた。

 一方の電子人格は中性的なアバターを用い、口調も性格も以前の木佐貫そのままだった。ずいぶん極端だなと思うが、もちろん本人には言えない。

 メンテナンスのロボットアームは電子人格が操作するが、雑談の時間にお茶を出してくれるのはオリジナルか、スタッフだ。


「お茶を運ぶのは実体がないとできないものな。コーヒーサーバーでも置けばいいのに」

「お客さまに出すお茶がセルフサービスってのはね、さすがの僕でもちょっと抵抗がねえ……。かといって、せっかくアップステアしたってのに、お茶程度で義体を使うのもどうかと思うし。わりとデリケートな問題なんだよ、ジョー」

「アップステア?」


 耳慣れない言葉を繰り返すと、スクリーン上の木佐貫はひょいと肩をすくめた。


「ミラーリングのこと。電子人格になること、って言った方が近いかな」

「今はそんなふうに言うのか……」

「今は、なんてお爺ちゃんみたいに言わないでよ。日々更新だよ」


 アップステア。語感に含まれる「上」のニュアンスが、どこがどうと明言できないまでも、無性に気持ち悪かった。木佐貫の言うように、考え方が古いのだろうか。外見こそ変わらないが、実年齢で言えばそろそろ五十歳、頭も固くなろう。


「シェンユウの予言機械のサイト、見た? いいデザイナーがついたんだと思うけど、VRサイトはシンプルでかっこいいんだよ。三角形がモチーフで、その中央に魔女アンドロイドっぽいシルエットが表示されててさ」

「へえ……三角形か。何の意味があるんだろうな」


 言い終えた瞬間にシナプスが発火する音が聞こえた気がした。知っている。どうして三角形なのか。崔とアナンドがシェンユウに移る前に言っていたではないか。

 ヒトと、魔女と、魔女ハーフ。三基のAIに未来予知をさせる、と。エピメニデス、それから魔女AIの原版マスター。では魔女ハーフは?

 BMTは現在、十八歳以上であれば本人の意思のみで受けられるが、未成年は従来通り、難病や障害の認定が必要だ。シェンユウが法を逸脱したのでなければ、魔女の子がBMT適用を受けてミラーリング――アップステアを行ったのだろう。魔女の出産そのものが珍しいから、マリに訊けば真偽がわかるかもしれない。

 けれども、たびたび病室を訪れて野望を語り、生殖バンクにまで出向いた崔とアナンドの狂気めいた情熱を思えば、どんな事実が隠蔽されていてもおかしくなかった。


「もうすぐ本格的に機械の未来視が始まるんだねえ。未来視だけなのか、それとも誘起までできちゃうのか、気になるなあ」

「木佐貫は未来視には興味がないと思ってた」


 まあね。アバターの口調はあくまで軽い。あちらの木佐貫は幸福なのだなと見ているだけで伝わってくる。皆がこのようであればハッピーなのだが、現実はそう甘くはなかった。電子人格とオリジナルの間でのトラブルは後を絶たず、航平が頭を抱えている。何しろ前例がない案件ばかりなので。


「自分が視てもらおうとか、祈ってもらおうとかは思わないけどね。魔女の未来視と誘起の祈りの原理には興味があるよ。ずうっと神秘だ、って言われてきたことが別の手段で実現されるんだから。コンピュータにできるんなら再現性があるんだし、いつかは未来視と誘起が個人の単位で常時可能になる、かもしれない」

「それは……可能になったとして、何て言うのかな、誰かの……みんなの役に立つ、というか……公共の福祉、だっけ、ためになることなんだろうか」

「そんなの、後々にならないとわからないよ。今は今があるだけだ」


 今度は、頭が固いとは言われなかった。未知を恐れるのは当然だよ、と慰めてくれさえした。


「マリが心配だな……機械が仕事を肩代わりしてくれるなら助かるって言ってたけど、魔女の視る未来と予言機械が視る未来は一致しないだろうし」


 それに、望む未来が他の誰の望みとも交差せず、拮抗しないなんてことがあり得るだろうか。相反する未来を望まれた時、機械は何をもって実現の可不可を判断するのか。

 臆病と笑われようと、ジョーは予言機械が恐ろしいし、世話にはならないだろうと思う。何の憂いもなく歓迎と熱狂のムーブメントを生み出すインターネットもまた、得体の知れないものだった。全身義体への移植手術を受け、退院した時の粘着と匿名の悪意を思い出すと、いまだに背筋が冷える。


「大事にしなよ、マリちゃんのこと」

「うん……そうだな。そうする」


 電子人格の木佐貫は老いも衰えもせず、これから長く生きる。コピー元オリジナルの死亡届が受理され、活動停止、凍結処理されるまで。遺族、もしくは本人が規定の料金を支払っていれば電子人格はコピー元の死後も維持されるが、いつかはサーバー代を支払えずに凍結される。そうでなければ演算領域を維持できないためだ。

 全身義体のジョー、魔女のマリ、アップステアした木佐貫、ITやVRに強い弁護士と引っ張りだこの航平、AIのアナスタシア、そして自身のコピー・エム。今後は人付き合いのかたちも変わりゆくのだろうと遠い気分で思う。

 冷蔵庫の中身と夕飯の献立をあれこれ考えながら帰路を辿った。線路を隔てて山側には駅直結の大手スーパーや居酒屋、遅くまで開いているカフェなどがあるが、海側のこちらは住宅街で、駅前を離れるとすぐに人通りが疎らになる。

 コンビニとファストフードチェーン、向かい側に百円均一ショップとドラッグストア。眩いばかりの照明が遠ざかってほどなく、街灯から陰になっているところで人がもみ合っているのが見えた。

 怒鳴り声も悲鳴もないが、剣呑な雰囲気ではある。喧嘩か、痴漢か、それとも。右手を腰の後ろに回し、携帯端末の存在を確かめた。

 小柄な方がよろめいて尻餅をつき、両腕を上げて頭を庇う素振りを見せた。薄闇に翻るスカート、およそ歩行に適さない厚底のブーツ――


「マリ!」

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