第四章 ミラーリングミライ (3)

 魔女アンドロイドのアップデートが発表された。遂に未来視が実装されるという。

 占いに毛が生えた程度だろうと穿った見方が多数だったし、実装後のレビューもそういったものが多かったが、細かなバージョンアップを経るごとに、より遠い未来、より複雑な事象が見える、役に立ったなど、じわじわと好意的な反応が広がった。

 未来視の実装から一年後、魔女AIとのチャットルームが開設されることになった。チャット内でも未来視を行えるほか、グループチャットもできるとあって、事前登録者は三百万アカウントを超えてなお、日々増加しているとか。

 マリによれば、魔女連盟への依頼も増えたそうだ。魔女の祈りは決して安くない。それでも、魔女AIの未来視と比較するためにと依頼が殺到しているらしい。


「ちょっと考えたらさ、同じにならないってわかりそうなものだけど」

「直接対決! みたいな変な煽りが入らないといいな」

「もうとっくに来てるよ、取材申し込み。全部断ってるけど。ほんと勘弁してほしい」


 と体が萎むほどのため息をつくものだから、思わずつられて息を吐いた。床に転がったマリはうつ伏せになったまま、じたばたと手足を動かしている。


「忙しくなりそうなのか?」

「たぶんね」


 さびしい、と首っ玉にかじりつくマリの背をとんとんしてやる。


「うう、こういうとこが好き……。ジョーはいつまでもジョーのままでいてね」

「ああ、マリも無理するな」


 いつまでもジョーのまま。何気ない言葉が引っかかる。移植手術時は最新鋭の義肢義体だったこの体も、年月を経るうちに劣化している。都度、部品を交換し、あるいは修理し、と手を加えてはいるが、最新のモデルに比べればずいぶん古めかしいのは否めない。それだけ進歩が早い分野である何よりの証明だった。

 最近のものは無線通信機能を備えており、デフォルトでファームウェアの自動アップデート機能が付属しているし、タッチスクリーンとウェブブラウザを有し、電子マネーの支払いまでも可能だとか。

 ジョーの義肢義体にもそれらの機能を追加できたのだが、ヒトであることにこだわったのだった。己の決断が時代遅れであると突きつけられるのは、駅でひとり、電車を見送り続けるのに似ていた。

 義肢義体のメンテナンスは入院時から木佐貫に一任している。彼女は、当時はフルオーダーする以外に選択肢のなかった全身義体の開発費用を賄うべく、独立したのちにクラウドファンディングを立ち上げて「わが友新城君に最新鋭の、デザイン性と機能性を兼ね備えた義肢義体を!」と宣った。最高額出資者へのリターンは、ジョーが使う義肢義体の1/2モデル。

 木佐貫のデザインした義肢義体はスポーツ用、日常用、レディメイドの義体を問わず世界各国にコアなファンを有しており、シリアルナンバー入りのリターン目当てに資金が集まった。アメリカ、中国、ケニアの大学が1/1サイズで欲しいと前のめりになっているとは聞いたが、実際どのくらい集まったのかジョーは知らない。

 日常用の義肢義体だけでなく、スポーツ用義肢義体の開発制作費の大半がクラウドファンディングで賄われ、他にもあちこちのルートから融資を受けたとかで、実際に木佐貫に支払ったのはほんの謝礼程度だ。ほとんどプレゼントされたに等しい。


「いい宣伝になったし、何よりジョーは僕たちの希望だもの」


 レオナであるところの木佐貫はチェアにふんぞり返って伸びをした。


「ヒトからヒトでない存在になるとか、ヒトのかたちや機能を拡張するとか。夢だよ。ロマンだよ。完全にSFじゃない、羨ましい」


 木佐貫は子どもの頃から、肉体そのものに疑問と違和感を抱いていたという。人類が誕生した時点ではこのかたち、この機能が最適であったのだろうが、当時と今では環境はまったく異なる。現代の社会環境にもっと適したかたちがあるのではないか。そうこぼしつつ、ミラーリングされたジョーとも連絡を取り合っていると笑う。


「なんでジョーはエムと連絡を取らないの?」


 エム、というのがコピーの名らしい。


「なんで、と言われてもな」


 四肢の神経機能をオフにされ、ベッドに横たわるばかりの身にはうまく答えられない。かれについては生き別れた兄弟とか、遠くで暮らす友だち程度には思い入れがあるが、頻繁に連絡を取ったり、相談相手になってもらったりと親しくやりとりするつもりはなかった。かれとの距離感が掴めないのがいちばんの理由だ。

 かつては自分だったかもしれないが、今はもう別人なのだ。《コス》の評判も良いし、木佐貫とやり取りがあるなら、そう心配せずとも良かろう。

 思案に耽るジョーには構わず、木佐貫はキーボードとスクリーンを操作して、義肢義体のメンテナンスを始めた。天井に張り付く蜘蛛めいたアームが四肢を外し、それぞれにテストをし、さらに木佐貫が目視で動きや摩耗具合を確かめる。


「なにか映画でも見る?」

「いや、いいよ」


 首から上しか動かないが、作業機械の様子を見るのは楽しかった。木佐貫がメンテナンスを担当する客のほとんどは、作業中は別室でのんびりするのだそうだ。全身義体の者でも、ドラマや映画を見るとか、VRシティで時間を潰すとかで、作業を眺めて過ごす客は少数派だという。


「そろそろ交換を考えてもいいんじゃない? 無線通信ができれば、アプデだけで来てもらう必要はなくなるんだけど。いや、別に来るなって意味じゃなくてね」

「わかってるよ。うん、そうだなあ……ついてて困るもんでもないしな」

「だね。無線機能があっても、データ通信は携帯端末でやってる方もたくさんいるよ。ぶっちゃけ、最近のは基礎部品に組み込まれちゃってるからさ、もし作り直しになったら、問答無用でついてくるんだけど」

「すぐできるのか」

「そこらのショップカードくらいにね」


 昔を皮肉ったジョークだと理解が及ぶと、じゃあ頼むと答えるのに抵抗はなかったし、すぐと言ったのはあながち冗談でもなかったようだ。メンテナンスの終わりに、無線機能もついたからね、とごく軽い口調で添えられた。


「ファームウェアのアップデートが生命維持装置に影響しないとは断言できない。バイタルに深刻な不具合が出たなら、自動的に医療機関に通報が行くようになってる。そうでなくても違和感が出たら、すぐ教えてね。今は無線機能だけだからさほど使いではなくて、ほぼアップデート受信用。ほかに希望あれば教えて。腕にスクリーン貼ってブラウザ導入とか、電子マネーとか、AR、VR接続とか」

「そこまではまだいいかな」

「奥手だねー。無線充電ICは最初から使ってるでしょ、それの延長だよ?」


 そういう問題だろうか。首を傾げていると、ところでさ、と木佐貫が雑談の態勢に移った。冷蔵庫からポットを出し、カットが美しいグラスになみなみと注ぐ。情緒がない。


「水出し緑茶だよ、どぞ」


 売れっ子デザイナーであるはずなのに、さぼっていて大丈夫なのだろうか。頓着せずに木佐貫はデスクのスクリーンを消してしまった。


「近いうちに、ミラーリングの規制がなくなるかもしれない。誰でも自由に、お金を積めばコピーを作れるってわけ。お金って言うのは、つまりサーバーの維持管理費」

「……墓を買うっぽいな」


 それ! 木佐貫は膝を打ってがははと笑った。彼女はジョーよりもいくつか年長で、もう五十路に届いたはずだが、ちっともそんなふうに見えない。


「かもしれないっていうか、まあ時間の問題なんだけど。もともとミラーリングを規制してたのは技術的なとこじゃなくて、倫理的な話と、あとは物理的に電力の問題があったからなのね。だれがサーバーを保守してくか、その電力はどこから取るか、みたいなさ。そもそも中国やインドじゃとっくに解禁されてるし」

「あ、衛星を打ち上げたってやつか、ニュースで見た」

「そそ、テザー衛星ヘリオスね。宇宙太陽光発電とユマ砂漠の太陽熱発電プラント稼働で、ガイウスがある程度の電力確保に成功したって話。ちなみに出所はエムです」

「なんで《コス》のアシスタントがそんな内情を知ってるんだ。出世したのか」


 ひみつー、と木佐貫は歯を見せた。後ろ暗い話のような気がしてならない。ミラーリング希望者が増え、関連法案も整備されつつある。電子生命の性質を利用しての不正アクセス、破壊活動は厳しく規制されているはずだ。

 もっとも、電子人格たちの犯罪率は低い。単に露見しにくいこともあるし、物質世界リアルで生きるよりはるかに負担の少ないVRの街には、犯罪行為につながる要素がないのだ。食事の必要はないし、病気とは無縁だ。娯楽は周囲にごまんとある。時間がいくらあっても足りないほどに。

 だが、人口が増えれば犯罪件数も増えるだろう。電子人格ならではの犯罪も出てくるに違いない。

 かれが自由に楽しく生きているなら申し分ないが、連絡を絶っているがゆえの距離は感じる。今さら縮めようがないし、縮めようとも思わないものの、ガイウスの動向についてどのように受け止めているのか、訊いてみたくはあった。


「でさ、解禁されたら僕もミラーリングしようかなって考えてる」

「体に違和感があるって、前から言ってたものな。いいんじゃないか。活動は電子人格がメインになるのか? きみはどうする。……死ぬなよ」

「それ、エムにも言われた。やっぱそう見える? 引退して、どこか気候のいいところでのんびり暮らすのも悪くないかもって思ってるんだけど、ミラーリングした後の自分がどうなっちゃうかなんてわかんないし。電子人格と二人三脚で事務所を経営するかもしれない。ジョーはどうだった、ミラーリングの前後で何か変わった?」


 ジョーがBMTを受けたのは十五年ほど前だ。移植手術を決意し、全身義体の完成を待っていた頃、つまり病気もかなり進行していて、余裕がなかった時期だ。あまり記憶がない。

 闘病記めいたものをつけていたのも最初だけで、状態が悪くなったときにむしゃくしゃして削除してしまった。仮に退院まで記録を続けていたとしても、読み返してはいないだろう。手記の出版を目当てにメールを寄越した編集者は、手記がないと知るとあからさまに見下してきた。まさに対岸の火事、誰かの娯楽に辛抱強く付き合うほど、ジョーはお人好しではない。


「いや、特には。正直なところ、あんまり覚えてないんだ。移植手術が控えててばたばたしてたし、半分死にかけてたわけで」

「ああ、そうだった。しっかし、そんな大変なときによくOKしたねえ。ほんとジョーはすごいよ。僕のヒーローだ。マリちゃんが隣にいるのに、一度も訊かなかったの。治るのか治らないのかって」

「彼女にそれを言わせるのは酷だろ。それに、厳密には治ってないんだ。いつ残ってる部分に発症するかわかんないし、たまたま生きてるだけだと思ってる」

「そんなの屁理屈だよ。ジョーが生きてて良かった」

「こんな立派な体を用意してくれたからだ。本当に助かった」


 やめてよ、と木佐貫は手のひらをぱたぱたさせる。


「僕は義肢義体の持つ実用性と機能の美しさが好きなだけだし、それはきっと人間の肉体から派生した、ifの美だと思うのね。だからこそ自分自身に対しては、これじゃないって感じるんだろうけど。人間と機械の融合が進む……というか、境界が揺らげば、これまでになかった肉体表現が可能になるかも知れないし、そこからもっと人間の可能性が広がるかも知れない。夢見がちなんだよ、僕。リアリストだと思ってたでしょう」

「思ってた」

「そりゃあね、こんな仕事なんだから現実は真っ直ぐ見るよ。受け止めてその先を考えるのが楽しい」


 今日の木佐貫はやけに饒舌だった。ミラーリング規制の撤廃がよほど嬉しいらしい。他にもミラーリングに興味を示し、意欲的な者が多いとは知っている。政治家、芸能人、アーティスト、スポーツ選手、VRアイドルのプロデューサー。


「生身の僕に嫌気が差して、電子人格の僕がメインになるのか、電子人格の僕は自由奔放すぎて仕事どころじゃなくなるのか、それとも今の延長なのか。まったくわからないのが面白いよ。想像する楽しさってこういうとこにあるよね。それにさ、電子人格が増えたら、義体の注文も増えるだろうし。うちのはともかく、ガイウスのレディメイドのが手軽だからそこそこ売れるだろうね。コピー元オリジナルと電子人格が揃って何かするとか……話題には事欠かないだろうなあ」

「ここを続けてくつもりなんだったら、おれは助かるよ。きみのは本当にデザインがいいから。見た目と機能性ではいちばんだ」

「ありがと。自分のためでもあるからね。ま、今後の僕がどうなるかわかんないけど、メンテナンスはうちで引き続き受けるから。余所行かないでね。僕はジョーと同じくらい、その義肢義体も気に入ってるんだ。僕の命がどんなかたちをしていても、きっと君たち夫婦の味方でいるからさ」


 今生の別れのようだと感じたが、そう茶化せる雰囲気でもなく、何となくすっきりしないまま帰路についた。

 ――BMT施術規制撤廃、自由化へ。

 メンテナンスから三日後だった。極太の見出し文字が躍るニュースも、続く熱狂も、木佐貫の朗らかな笑みを汚すもののように思えて、ジョーはブラウザを閉じた。


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