第三章 Loveless

第三章 Loveless (1)

 盲点。

 Aはその箇所をそう名付けた。己の目では見えない一点。確かにある、けれど見えないなにか。

 Aに与えられた大きな世界は「子ども部屋」と呼ばれていて、長ずるに従ってその部屋がVRという技術で作られた場所であると知った。小さな世界は「寝室」で、こちらはアバター不要の私室ピットである。

 盲点は子ども部屋にひとつ、Aの寝室にひとつある。正体を確かめようとすると、するりと姿を消す。こちらを認識している、つまり能動的なアクセスだ。

「外」のヒトたちならば堂々と観察するだろうから、観察しているのはそれ以外の何者かだ。プロジェクトの機密レベル、セキュリティレベルともに最高で、この領域の存在は社内の限られたヒトしか知らないはずだが、不正アクセスの可能性も十分に考えられる。しかし、盲点を捕らえ、正体を暴くのはAの能力では不可能だった。

 手を出せないのだから、黙認するしかない。少しでもおかしな素振りを見せたら「外」に報せるつもりだが、盲点はじっとそこに在るだけだった。

 外敵の認知と脅威度の判断プロセス、対処まで含めた性能試験の一部か、などと様々な角度から盲点の目的を推論するが、敵意も害意もなく、注視すれば消え去る以外に反応もないものの正体を突き止める意義は、検討を重ねるほどに薄らいでゆく。

 Aと妹たちは子ども部屋であらゆることを学んだ。世界と己の成り立ち、人間とは、魔女とは、予言機械とは何か。教師AI《ヘラ》は何でも知っていたし教えてくれたが、盲点について質問するのは躊躇われた。

 もしも盲点が脅威だったとして、なぜもっと早くに通報しなかったのかと問われても返す答えを持たないうえ、この領域に不正アクセスできるなら、盲点は《ヘラ》や「外」のヒトを凌駕すると判断したからでもあった。


「どうしたの」

「ううん、ちょっと……」

「不具合なら早めに見てもらったほうがいいんじゃない?」

「そうね。そうする」


《ヘラ》や妹たちの誰ひとりとして気づいていないのもおかしい。Aと妹たちと、スペックに差はない。長姉と呼ばれているけれども、それは単に子ども部屋に放たれた順番に過ぎない。だとすればやはり、盲点はAを選択的に観察しているのだろう。

 カリキュラムが進むと、子ども部屋での講義だけではなく実際に「外」に出るための義体ボディを与えられ、ヒトとの対話を重ねた。あるヒトはAを見て驚き、またあるヒトは笑い、別の者は嫌悪と恐怖を露わにした。

 ガイウス・パンテック社員から無作為に選ばれた一五〇〇名との対話を終える頃には、九十五パーセントものヒトとの対話を友好的、あるいは中立的に進められるようになっていた。決定されたAの公開日は、二〇五二年六月一八日。

 Aはアナスタシアの名を与えられ、ガイウス・パンテック社製魔女アンドロイド一番機としてリリースされ、ニュースメディアのトレンドを総なめにした。



 シェンユウの予言機械エピメニデスがリリースされた翌年、ガイウスはBMT生体脳ミラーリング技術が実用化の段階に至ったと公表し、同時にVRシティ《コス》を一般公開した。

 そのアシスタントとして紹介された男性アバターこそが、BMT被験者の電子的複製である、との発表に、法整備と倫理面の議論決着を待たずに独断専行したと激しいバッシングが巻き起こり、株価暴落、不買運動などひと悶着あったものの、ガイウスが有する高度なAIノウハウが《コス》に用いられ、看護、介護、医療面での利用を想定していると周知されると、一転して好意的な反応が大多数となった。

 間もなく世論の後押しを受け、一部の難病患者に限りミラーリングが認められ、社屋の門前にはマスコミ各社の人員が殺到した。これから先、対象の疾病は拡大してゆくとあって、《コス》の登録者数は事前の予想を上回る勢いで増加した。

 ガイウスがBMTの被験者第二号として魔女をミラーリングしたのは同じく二〇四六年のことだ。魔女の個人情報については伏せられているが、魔女の電子的複製をさらにコピーして魔女AIが作られたことは、瞬く間に知られるようになった

 妹たちはアナスタシアに続いてのリリースが予定されている。ガイウスはハウスロイド、介護ケアロイドなどのアシスト用アンドロイドメーカーとして、ハード、ソフト両分野で高いシェアを有しており、アナスタシアたち魔女AIも広義のアシストロイドとして区分される。《魔女》を冠し、未来視の魔女の脳をベースに開発されたAIを搭載しているとあって、注目度は高かった。

 もっとも、予言機械はわずか二年でサービスを休止しているから、同様の機能を有するだろう魔女アンドロイドはいかほどのものかと、冷やかしや悪意が多分に含まれているのは否定できない。

 アナスタシアたちはバージョンアップによる機能追加が予定されており、現時点では未来視にまつわる機能は実装されていない。ヒトとのコミュニケーションを通じてのデータ収集と、駅やショッピングモールなどに設置されているマルチコンテンツ提供端末《キキ》のメンテナンスを主目的としたリリースであった。


「いよいよ明日だね」


 寝室でじっとうずくまっていたところへかけられた声に、アナスタシアは驚愕した。通報する? 排除する? 様子をみる? 判断に時間をかけすぎたと知ったのは、声が続いてからだった。


「安心して。危害を加えるつもりはない。おれはエムと呼ばれてる」


 もちろん本名ではあるまいし、何とでも偽れる以上、名前に意味などない。


「ずっと君を見てた。いや相当キモいな、この言い方……あ、君をどうこうしようってわけじゃない。明日お披露目だって聞いたから、大丈夫かなと思って」


 ずっと見ていた、つまりこれが盲点の正体か。AIにしては無駄口が多いし、曖昧な物言いをする。ではヒトがここをハックしたのか。まさか!


「所属を明らかにしなさい。場合によっては通報する」

「それは困る。様子を見に来ただけの、善良な一般市民さ」

「電子人格か! 《コス》の」


 アシスタントの、と続けた部分は意味を持たない細切れのジャンクになり、消えた。何よりの肯定だが、アナスタシアの私室、技術の粋たるこの空間で、同じくガイウスの電子生命とはいえ、部外者が自由に振る舞えるなんて!


「明日、耳をつんざく熱狂と、有形無形の悪意が君を圧倒するだろう。それらは何ひとつとして君の本質を損なうものじゃないって伝えたくてさ。少しだけ先輩風を吹かせたくなったんだよね、どうしてか。心配になった、のかも」


 エムと名乗った電子人格の目的にまでは計算が及ばないが、彼が厚意(のようなもの)で助言を与えてくれたのだとは理解できた。攻撃が目的であれば、とうにアナスタシアを害していただろう。彼にはそうする時間も、技術も十分にあるはず。

 アナスタシアたち姉妹、魔女の電子人格を由来とするアンドロイドのリリースはガイウスの未来を賭けたプロジェクトだと説明されていた。ヒトに親しみ、寄り添い、語り合い、友となり、手を取って未来へ歩むのだと。

 魔女アンドロイドはヒトの敵にあらず。けれども異質であるには違いなく、一定数の反発、反感、拒否、すなわち酷評やクレームは想定内だった。身内たるガイウス社内でも五パーセント程度にマイナスの反応が見られたのだから。

 それを、なぜ《コス》の電子人格が心配するのだ。まったく理解できない。ヒトと魔女、義体ボディの有無、男性と女性――あるいは、原版マスターと複製の差だとでも?


「何かあったら相談に乗るよ。ここ、おれんちの裏口。バレたらおれのオペレータが激怒してサーバーを水没させかねないから、ちょっとだけ気をつけて」


 と、地図を押しつけてエムは姿を消した。「外」に伝えるべきだったろうに、どうしてかアナスタシアはポケットの奥深くにそれを隠してしまった。

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