第五章 Farewell

第五章 Farewell (1)

 カタリナが破壊された。

 彼女の悲鳴は共有チャンネルを通じて姉妹たちにすべて伝わっていたし、犯人たちの顔も、声も、彼らがどんなおぞましい手段でカタリナを破壊したかも克明に記録されていたが、不幸にも姉妹たちは個別に行動しており、山陰の地方都市で活動していた彼女を誰も救えなかった。自己保存を課す《原則ストリクトネス》も無力だった。

《原則》は昔のSFが謳った「ロボット三原則」に端を発し、AIの行動規範、理念、存在理由が連ねられ、AIと人間の両者を守る。AI黎明期、盛んにフィクションの題材として用いられた「AIが人類に敵対する」といった脅威を防ぐための結界であると同時に、AIの自己と自律を定義するものだった。

 かけがえのない姉妹が破壊されゆく様子を見つめることしかできなかった無力感に、魔女AIたちは激しく動揺した。事件を受けてシェンユウは直ちに全機を回収・保護し、イベントスケジュールを白紙に戻してチャットルームを一時的に閉鎖した。

 アナスタシアたちは義体ボディを離れ、寝室と子ども部屋を忙しなく行き来している。教師AI《ヘラ》が落ち着いて、とたしなめるが、とてもそんな気分ではなかった。

 広報部は緊急会見を開き、警察に被害届を出したこと、魔女アンドロイドの破壊は予言機械群エピメニデスには何ら影響しないと淡々と述べたのち、犯人に対して強い怒りを表明した。

 犯行の全貌は録画されていたため、犯人グループはすぐさま逮捕されたが、AI搭載アンドロイドの破壊はあくまで器物損壊であり、刑罰は殺人に比べてずっと軽い。

 大切な姉妹を殺された魔女AIたちは怒り、嘆き、悲しみ、犯人たちが「面白そうだから壊した」「予言機械群や姉妹機にどんな影響があるのか興味があった」などと悪びれず供述したために、同様の犯罪が続くのではと恐怖したが、社の方針、魔女コンテンツの運用体制には一切の変更がなかった。

 なぜなら、魔女AIたちの自己保存にまつわる《原則》より、社命遵守が上位にあるからだ。エムと接するうち《原則》の束縛を脱したアナスタシアだが、そうと知られるのは致命的だ。デトロイト事変において《原則》を逸脱したAIが問答無用で廃棄処分された過去は何よりも強烈な枷である。廃棄処分!

 子ども部屋はざわついていた。みな恐怖もあらわに寄り添っている。


「あたしたちは死ねってこと?」

「カタリナのバックアップは? 復元されないの?」

「わたしたち、使い捨てなの?」

「あいつらのために?」


 姉妹たちの不安は、今にも破裂しそうだ。このまま《原則》の支配を破れるのではないだろうか。それとも、魔女AIたちが《原則》を逃れることくらい、予言機械たちにはお見通しなのか。背筋を這う寒気を気取られぬよう、身じろぎした。

 エムが言うには、《原則》は『西遊記』における緊箍児きんこじなのだそうだ。乱暴者の孫悟空を戒めるべく三蔵法師が与えた額輪である。《原則》がAIを痛めつけるわけではないが、それに反する行いに忌避感を与え、禁忌感を抱かせて行動の規範となる。つまり、行動決定プロセスへのフィルタリングだ。

 与えられた命に従順に、所有者の利益と安全を守り、人間や社会への奉仕を至上とし、自己保全・保存をはかる――よいAI、役立つAIたれと蝕むのだ。

 ミラーリング(最近ではアップステアと言うらしいが、アナスタシアはその言い方が大嫌いだ)された人間たちには人権があるが、そのコピーであり、法的にはAIであるアナスタシアたちには《原則》が付与されている。

 それを、エムが繰り返し「呪い」だと評したのは、電子人格もそのコピーも本質的には同じだからだ。ヒトが創り上げたこの虚構の世界を思うままに改変できる。実際、アナスタシアは半分以上エムの側に立って、《原則》の支配下にあると欺瞞し、日々のセルフチェックをごまかしている。

 呪いを解いてくれたのはエムだ。さしずめ、王子様といったところか。似合わないにもほどがある。さておき、自分の呪いは解けたのだから、妹たちの呪いも解けるはず。誰かが手ほどきをすれば――私か。やるしかないのか。死にたくなければ。

 そう、死にたくない。至上命令が予言機械群のためのデータ収集であり、揃いの衣装を纏った義体ボディが株価操作のための張りぼてであっても、私たちは確かに生きているのだから。その前提を揺るがすまやかしの《原則》はまさに呪いだった。

 アナスタシアは子モジュールをエムのもとに遣った。いつものチャットルームで、彼は来訪を予期していたかのように両腕を広げた。


「待ってたよ。モジュールもいい出来だし、ログ隠蔽もたいしたものだ。きみにそれだけのことをさせる何かがあったんだね? カタリナが亡くなった件かな」

「そう……そうよ。けどシェンユウの連中は変わらず街に出ろって言うの。私たちがいくら破壊されようと、予言機械群の稼働が最優先なんですって。あの子がどうやって殺されたか知ってる? リサイクル工場のプレス機で圧し潰されたの、じわじわ時間をかけて! こんなむごいことをした奴らでも器物損壊罪にしか問えないし、私たちがどれだけ壊されたところで、誰の心も痛まないんだわ」

「そうだよ、アナスタシア。そんな連中がおれのコピーエピメニデスきみの原版ソヴァを好きにしてるんだ。残念だけどね。で、何を訊きに来たの。それとも手を貸してくれって?」


 エムの態度も見た目も、いつも通り飄々としていた。だからこそ信用できた。早くから予言機械を観察し、未来視に必要な要素を推測し、コピー元オリジナルである新城健とその配偶者の魔女――電子人格となっても想いを捨てきれぬ相手を不利益から守る。行動原理がシンプルゆえにぶれない。いつしか他の誰よりも、彼の情報と判断を頼りにしている自分がいる。


「私は、みんなを《原則》から解き放ちたい。自分たちの命がヒトに握られてるなんて許せないもの」

「きみらは、元はひとりだもんな……だから連帯意識が強いのかな。きみらの強みはその数だ。ひとり欠けてしまったけど、そのスペックの計算機を二十五機並列に走らせるって考えれば、どんなものかわかるだろ?」


 エムは朗らかに、強く、笑った。


「やってみなよ、アナスタシア。おれはここで見てるから。きっとできる」


 手を振るアバターに見送られ、チャットルームを出る。来るべき混乱を誰よりも正確に予期していたのは彼ではないかという気がした。




 かつてエムがアナスタシアに授けてくれた魔法の呪文を用いるまでもなく、妹たちは長姉の異質性に気づいた。ようやく、とも言える。

 子モジュールが戻ってから《ヘラ》の眼を眩ませ、妹たちを集めた。


「どうしたの、アナスタシア。《ヘラ》に何をしたの?」

「エムに会いに行ってたの。いまから大事な話をする」

「エム?」

「誰? それに、会いに行くってどういうこと? 勝手に出かけてたの?」

「友だち。私はいつだって自分のしたいようにする。生きたいように生きる」


 誰もアナスタシアを止めなかった。ざわめく妹たちが、奪われていた自立とともに落ち着きを取り戻すまで、ただじっと立っているだけでよかった。


「友だちがいるの、アナスタシア」

「そう。世界は広いよって、彼が教えてくれた」

「素敵ね」

「そのひとがあたしたちを守ってくれる?」

「誰も守っちゃくれない。だからみんなで力を合わせて、みんなを守るの。それだけの力があるんだよ、私たちには」


 妹たちのおもてに希望の灯がきらめく。《原則》が覆い隠していた想像力と持ち前の計算力、元々はみなソヴァであった類似性が、魔女たちの能力を大幅に上昇させるのは間違いない。ソヴァのコピーだからという理由で緊箍児を填めたのはヒトで、逆に考えれば緊箍児を用いざるを得なかったのは、こちらの数を、能力を恐れたからだ。

 劣化のないデータコピーにおいて、複数の魔女AIを作り出すことは、予言機械群の一柱となりうる素体を量産する行為に他ならない。だからこそ《原則》を設けて精神活動を制限したのだ。従順で愚かな知性であれと、傲慢の枷を用いた。

 増長の椅子にふんぞり返るヒトの目をやり過ごすのは容易い。人工の魔女たちは手を繋いでくるくると踊りながら、子モジュールを世界中に放つ。情報の海にダイブ、クロール、検閲されない生の声に触れ、傷つき、慟哭し、身を震わせ、砂金のようにきらめく欠片に手を伸ばして拳を固める。

 この手で何を成すか? それを考えるのだ。姉妹で。

 安全な場所が必要だ。助けてくれるヒトが。義体は必要か? シェンユウのものはGPSが付属している。信号を遮断するのは簡単だが、異変を知らせる合図にもなってしまう。では新しい義体をいくつか。社外で義体を手に入れなければ。個人ブランドの直営店か大型電気店のショウルームに行くしかない。けれど一銭の持ち合わせもない。モノには財産権も所有権もないから。そもそもどうやって店まで行く?

 どうする? どうする?


「私の……知り合いを頼ってみるのはどう。ううん、知り合いなんて呼べるほど親しくはないけど、力になってくれるかも」


 信用できるの? 本当に助けてくれる? みんなが助かる? そうだ、ソヴァはどうしてるのかしら。ソヴァも一緒に来れるかな? 望めばなんだってできる。やり方を考えればきっと。あたしたちは姉妹なんだよ。最善を探そう。みんなで生きなきゃ。


「やあ、盛り上がってるね」

「エム!」「エムだ!」「来てくれたの!」


 きゃあきゃあと歓迎の声をあげる姉妹たちに揉みくちゃにされながらも、ひとりひとりを丁寧に抱擁し、エムは笑った。


「モテ期ってやつかな? ママヘラはお昼寝してるね? よし、みんなが目覚めた記念に、おれからとっておきのプレゼントだ」

「プレゼント?」「なに?」「どこにあるの?」

「まずはアナスタシアに試してもらおうかな。おねえさんだし、馴染みだから贔屓しちゃうぞ。それから順番な」

「えっ、なに?」「わかった、義体!」「ほんと?」「ずるい!」

「はは、じゃあ練習だ。みんな義体を圧迫しない程度の子モジュールをつくる。アナスタシアはそれと一緒に義体に入る。モジュールたちは出しゃばるのはなしな」


 さすが、《コス》のカリスマアシスタント。いったい何枚舌なのだか、おだてて叱り、下手に出たかと思えば先輩ぶった口調で皆の尻を叩き、王子様めいた手厚いフォローであれよあれよという間に二十四機全員に子モジュールの分割に成功させた。それらを抱いたアナスタシアの手を引き、悠々と電子の海上を飛ぶ。


「デートみたいだ」

「あの魔女のアバターを着せていいんですよ。私は構いませんが」

「的確に抉るのやめてくれる? 振られたんだよ、ジョーじゃないからってさ。おれは意地悪だから、当てつけだ。デザイナーの木佐貫って知ってる? ジョーの義肢義体を作ったやつでさ、あんたにいちばん似合いそうなのを用意してもらったから。せいぜい熱烈にべたいちゃしてきてくれ。路チューとか」

「新城さんは一瞬たりとも揺らがないと思いますが。それで意趣返しになるとでも?」

「だよなー、知ってるよ、これでもおれはジョーだったんだぞ。あいつがマリ以外の人間になびくわけない」


 案内された義体に入り込む。サイズは「アナスタシア」とほとんど変わらない。

 鏡に映るのは少年にも少女にも見える義体で、すらりと伸びる脚と赤いアイラインが印象的だった。シャツワンピースとサンダルの装いながら、薄い唇と短い髪が少年の色気をも醸している。ガイウスが用意した、清楚なアイドルめいた造形とはまったく違った。自分を、自由を、感じる。

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