第五章 Farewell (2)
『うわ、これすげえいいな』
『いや、最高でしょ。最高に最高だよ。さすが僕』
スクリーンにはエムともう一人、男性とも女性ともつかないアバターが並んでいる。話の流れから察するに、義体デザイナーの木佐貫レオンティーナのようだった。
アナスタシアに向かって、その場で回って、腕を組んで、片足に体重かけて、などモデルのまねごとを要求しては、ふふんと満足げに頷いている。何をしに来たのだかわからない。
『今日、ジョーはジムに行く日で、その帰りにマリをピックアップする。おれが連絡して予定をキャンセルさせるから、待ち合わせてマリと合流してくれ。えーと、いま十四時だから、待ち時間は適当にお茶するとか、飯行くとかで』
いつも通り、エムの口調に迷いはなかった。新城にもアナスタシアにも断られるとは思っていないのだろう。妹たちのモジュールは、偉そうだ、でももっともだ、この格好はなかなか素敵、などと賑やかである。反対意見は出なかった。事態を俯瞰できているのはエムだけなのだ。
新城は突然のコールに驚いたようだったがすぐに了承し、カーシー支社ビルの正面にあるコーヒーショップで待つよう、あの時と同じ、低く柔らかな声で言った。
『場所はわかる?』
「もちろんです。では、お待ちしています」
お待ちしている、は変だったかもしれない。無理を言ったのはこちらなのに、ちょっと感じが悪かったのでは? では何と言うべきだったか、と悶々と考えているうちに、あー、とエムが声を上げた。
『シェンユウとガイウスがちょっとざわついてる。偽装に気づかれたかな』
「……なかなかうまくいかないものですね」
『みんないるしどうとでもなる。アナスタシア、ジョーん家に着いた頃合いにまた連絡するから。……気をつけて』
「わかりました。……ありがとう、エム。木佐貫さんも」
レディメイドの義体とはいえ、デザイナーズブランドのものが気軽な価格であるは
ずがない。下手をすれば一軒家が買えるだろう。それをプレゼントと嘯くエムも、にこにこと見守るばかりの木佐貫も、常軌を逸しているというほかない。
星図をあしらった日傘とスポーティなポシェット(よく見るとカーシーのウェアだ)が用意されていたので、ありがたく頂戴する。この夏の日、手ぶらでいるだけで人目を引く。暑さ寒さを感じるわけではないが、義体にも相応の装いをさせるのはもはや特殊な趣味ではなくなった。
『ICチップはおれの適当な口座に紐付いてるやつだから、好きに使ってよ。お小遣いだと思って。何だっけ、フラペチーノ? 魔法みたいな名前のやつ買ってさ』
ふたりに見送られて駅に向かった。初めて義体を纏って街に出たあの日から、もうずいぶん経った。義体が単独で歩いていても目立たないし、左手に搭載したICチップによる決済も一般化された。魔女アンドロイドのお仕着せを脱いだアナスタシアに目を留める者はない。
歩きながら、ざっと義体をスキャンする。制御用のファームウェアはシンプルで、しかしCPUもメモリも良いものを積んでいる。まさに、内部からのアクセスとカスタマイズを前提とした設計と言える。
メンテナンスが行き届いているのか、それともデザイナーズのためか、ガイウス時代から使っている義体より体が軽い気がする。木佐貫の評判は風の噂で知っていたが、そこそこの変わり者であっても注文が引きも切らないのは頷ける気がした。新城が他のブランドには見向きもせず通い続けているのも。
妹たちもそれぞれに開放感に浸り、満足げだった。車通りはあるが、道ゆく人は少ない。八月の最高気温が四十度を超えて久しく、喫緊の用事でもなければこの時間の外出は避けるだろう。
ビルの窓からの反射、アスファルトの輻射熱、揺らぎ立ち上る熱気を浴びつつも、足は軽快に動く。ARレイヤーのサイネージがこんなに賑やかで楽しいものだなんて!
新城に会えると思うだけで計算速度が鈍る。浮ついている場合ではないし社の動向も気になるが、エムを信じて、せめて
電車を乗り継ぎ、指定されたコーヒーショップに向かう。車内で検索した今シーズンのおすすめメニューはまさに魔法の呪文めいた名称で、「お待たせいたしました」と差し出されたものを見ても、注文通りの品なのか判断がつかない。曖昧に微笑んで、狭苦しい席に落ち着いた。
こういう食品が存在するとは知っていた。過去に類似商品と共同キャンペーンを張ったし、宣伝キャラクターとしてカメラに向けて微笑んだ。が、魔女アンドロイドではないひとりの客として口にし、味わうのは初めてだった。
カラースプレーの散らされたホイップクリームを掬って、そっと口へ運ぶ。柑橘のソースがほろりとほどけた。あまい、つめたい、最高、と妹たちが揃って歓声をあげるのに百パーセント同意しつつ、店内で騒ぐわけにもいかずに黙々と手と口を動かしていると、ほどなく新城が姿を現した。
小さなサイズのアイスコーヒーと新城本人が目の前にやってきて初めて、どうしてわかったのだろう、と疑問に思う。この姿のアナスタシアは知らないはず。先ほども映話モードではなかったから、エムが義体の外見を知らせておいてくれたのか。
「お仕事お疲れさまです。……あの、どうして私だってわかったんですか」
「どうしてって、何が……ああ、そうか、そうだな。なんでだろ。いつもと違うのに。雰囲気、かな? その義体、すごく似合ってるよ」
新城は首を傾げている。迷いも見せず、カウンターからこの席まで一直線に歩いてきた彼が。アンドロイド用義体のしるしである眼の十字が判別できたのだろうか? もしかして、もしかする? 似合ってるって! 妹たちがうるさい。もしかするわけない。
「それ、おいしい?」
「おいしいです、すごく。こんなの初めてで。あ、よろしければ一口どうぞ」
ありがと、と彼は目を細め、ホイップとフラッペを均等に掬って口に運んだ。かと思えば、甘いね、と何の付加情報もない感想が転がり出てくる。
「そうですね」
ばか正直に相槌を打つしかない己の低能ぶりにも呆れるが、新城を前に浮き足立つ妹たちがかしましく、やたらとメモリを食うので、思い通りにいかないことはすべて彼女らのせいにしようと決めた。
「……マリもね、そういうがっつりしたの、好きだから」
すかさず放たれた破壊力抜群の一言に、内側のお喋りはぴたりと止んだ。意図しての発言だとは思いたくないが、まさに痛恨かつ会心の一撃だった。惨めさを噛みしめる。《原則》に従っていたならばおよそ知り得なかっただろう情動を。しかし、後悔は誰ひとりとして抱いていなかった。
新城はちらりと店内の様子を窺って、丸いテーブルに肘をついた。ただでさえ小さなカフェテーブルがよけいに小さく見える。
「カタリナの件、大丈夫じゃなかったんだね。それでここに来たの? エムを頼って?」
「はい……」
新城の半袖シャツは薄いグレーと水色のストライプ、オーソドックスな形だが、彼によく似合っていて、けれども下手に褒めればまた藪をつつくことになりかねない。
今日も暑いですねなどと切り出すのもとってつけた感じだし、カタリナの死にざまは重すぎて、何を話せば良いのかちっともわからなかった。対話型魔女AIとして数百万、数千万もの人間とコミュニケーション経験のあるこの私が!
急に味を失ったフラッペとホイップをざくざく崩して泥水に変わるさまを見つめる。全部何もかもこんなものか、と投げやりに思った。いま口にすべきたった一言が出ないなら、これまでの経験や武勇伝に何の意味があるだろう。
「外部からの攻撃は大丈夫? ええと、外部っていうか内部っていうか……きみを書き換えてしまうような」
「それは、大丈夫です。わたしたちのほうが慣れていますから」
「そっか。物理的な心配だけなら、おれの担当かな……あ、嫌々とかそういうのじゃなくて、心の準備って話だからね。それ、木佐貫のとこの義体だろ。エムと木佐貫は元気だった?」
たぶん、と言葉が落ちる。元気も何も、電子人格だ。ガイウスとシェンユウの技術者が束になってもエムをどうにかできるとは思えないし、木佐貫は部外者だ。何をするにも大義名分が必要で、その捏造を許すエムではない。
そもそもAI本体への攻撃も「物理的」なのだが、揚げ足を取るのも気恥ずかしく、濁った甘い水を口へ運ぶだけの機械になる。
これはデートか? 新城にとっては浮気か? どう考えても否だ。けれど、デートだったり浮気だったりする未来が欲しいかと問われても否なのだった。
でも好きな顔だし、素敵だし、声を聴くだけでサイコーだし、じゃあ好きなアイドル同士がくっついたことにしてありがたく奉ろう。崇拝! 信者! 末永くお幸せに!
妹たちの重すぎる信仰心は、新城に届くだろうか。届かない方が良いかもしれない。
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