第一章 Stargazer (2)

 魔女の仕事とは、未来を招くために祈ることである。魔女の祈りは望む未来を誘起し、癒やしを、調和を、さいわいをもたらす。

 マリとのつきあいは長い。ジュニアスクール四年生の時に同じクラスになって以来だ。ふとしたきっかけで家が近いとわかり、実地リアルで遊んだら、妙に馬が合った。

 七年生の時にジョーが隣県に引っ越してやりとりは途絶えたが、大学で再会を果たし、親密になった。知り合ってもうすぐ十五年、そのうち後ろの五、六年間はお互いの家を行ったり来たりする仲だ。

 だから、ジョーも幼い頃から魔女の神秘を、奇跡を目の当たりにしてきた。

 ふたりだけの秘密ね、と前置きをして朝顔の蕾を綻ばせた夏の朝、車に轢かれて血溜まりの中でもがく猫の目を閉じた冬の日、フリルとレースのゴスロリファッションでキャンパスを闊歩し、目が合うなり「ジョーだ」と朗らかに笑って手を振った、桜吹雪が舞う春の昼下がり。どれも、忘れられない鮮明な思い出だ。

 魔女が誘起する未来は、因果に基づいている。咲くはずの花を導き、尽きかけた命の灯火を吹き消し、甘く蕩ける寸前の男の心を撃ち抜く。かくあれかしと祈り願い、事象を変化させるのが魔女の力だ。


「たとえばさ、朝顔は明日にでも咲くじゃない。誘起って、その咲いた状態を前借りするわけ。だから、花が枯れない未来は視えないし招けない」


 未来を引き寄せる力であって、不可能を可能にはできない、と何度も繰り返す。


「この世には願いの力がたくさんあってね。みんな思うじゃない、明日晴れますようにとか、テストでいい点が取れますようにとか。そういう目に見えない力を集めてきて、使わせてもらうイメージ」


 それゆえに、魔女はその事象が実現可能であるかどうか、本能的にわかるのだそうだ。アンセム・ハワード症候群が癒えないと察したように。

 それは絶望的なことか。ジョーは何度も自分に問いかける。もしも病が癒えるものだったなら、魔女連盟に未来誘起を依頼しただろうか。たぶんしない。できない。仕事に忙殺され、消耗するマリを見てきたからこそ、強い抵抗と恐怖がある。

 古来より、魔女は身に宿す神秘の力をもって社会に受け入れられてきた。病や傷を癒やし、世継ぎの誕生を祈り、そのすこやかな成長を祈り、戦の勝利を祈り、国の繁栄を祈る。そうして初めて、異分子ではなく社会の構成員として認められた。

 魔女たちのコミュニティは国境を越えて広がっている。かつて国際連盟が発足した際には真っ先に下部組織化を申し出、国際連合、新国際連合と名を変えても、魔女連盟は大きな組織の改編もせず、ネットワークを維持し続けている。

 未来を誘起する祈りには極度の集中を要し、大規模な祈りは魔女たちをひどく消耗させる。魔女の私物化や過度の消費を防ぐべく、連盟は細やかに規則を定め、魔女を守ってきた。対価として魔女は未来誘起の祈りを捧げる。一日で終わるものから、缶詰生活を強いられる国際規模のものまで、依頼は様々だ。マリも連盟に名を連ねて保護を受ける代わりに、どこかの誰かの願望を実現させるために祈っている。

 十五歳で成長を止める魔女は、そこから長くて三百年ほども生きるという。長命種の宿命として、生殖は稀だった。魔女の子は必ず魔女だが、多くは受精せず、受精したとしても早い段階で流れてしまう。古くは種の保存のためにあらゆる手段を用いていたが、現在は卵の凍結保存と顕微授精により、魔女の数が保たれているのだそうだ。

 ジョーがホスピス入所までに行ったもっとも重要なことが、生殖バンクへの登録と、精子の凍結保存だった。


「保証人になってほしいんだ。おれが死んだとき、権利者はマリになる。好きにしてくれていい。できれば、その……状況が許すなら、受精を考えてほしいけど」


 転送した契約書を黙って読んでいたマリは、やがて虹色の眼を細めて頷いた。


「いいよ、引き受ける。それじゃさ」


 署名サイン済みの文書を送り返すなり、勢いよく立ち上がる。パニエ入りの膨らんだスカートも、風に揺れるフリルとレースも、厚底のサンダルも、彼女の動きを妨げはしない。


「指輪、買いに行こうよ。お揃いのやつ」




 ホスピス入所から半月後、ジョーは左脚を切断する手術を受けた。切断の事実よりも、体重が十五キロほども落ちたことに衝撃を受けた。失った左脚の重さをまざまざと見せつけられ、泣かずにはいられなかった。これからも減り続けるのだ。命尽きるまで。

 アンセムウイルスの感染経路や発症機序はまだ明らかにされていないが、人から人への感染は見られず、致死率百パーセントとあって、ウイルスに関しては謎だらけというのが本当のところらしかった。海外渡航歴のないジョーの発症は医療者たちに少なからず動揺を与えたらしい。

 ウイルス感染による細胞変性が各部の機能不全を招き、壊死に至るが、多発的な発症は稀で部位ごとに変性が進行する。指なら指、甲状腺なら甲状腺。ウイルスに人体の部位の概念などあるはずがないのに、である。どこも悪くない部位が壊死する、助かる手段は現状では皆無、とくれば恐怖しないほうがどうかしている。発症するまでどこがターゲットなのかわからないのも、ホラーとしてはなかなか気が利いている。

 代替手段がなく、発症すれば致命的な部位はいくつもある。心臓、脳、脊髄、神経系、骨。闘病はフォールドできない一方的なロシアンルーレットに等しく、しかしゲームに飛び込んでみれば、未知の世界が広がっていた。

 ホスピスでの緩和ケアにより痛みはコントロールされている。壊死が認められた部位は義肢や人工臓器で代替された。人工パーツ、すなわち義肢義体フィギュアのリハビリは大の男をして涙を流させるほど過酷で、免疫抑制剤の副作用もこたえたが、慣れてみれば生身の頃とさして変わらず、もう発症しないと保証がつくのは安心できた。

 ジョーが提供した生理学的データは世界中の臨床医や病理医、薬剤師にシェアされた。論文が執筆され、臨床の分野では温存療法をはじめ疼痛コントロールなど、患者のQOLを向上させるためのあらゆる手段が模索された。

 事故や病気で、あるいは先天的に肉体を欠いた者は、その機能を義肢義体で補う。ARM代替置換医療と呼ばれるそれがもっと、煩雑な申請や難解な書式との格闘なしに、平易に、安価にできるようになればいいとジョーは思う。必要な誰かのところに最適のものが届くことを願って、試験や治験に協力しているつもりだった。

 ジョーだけではない、日本中に、世界中に同じような境遇の人がいて、メーカーのリリースとユーザーのフィードバックを繰り返し、義肢義体技術はどんどん進んでいる。家電や自動車と何も変わらない。

 義肢義体メーカー、アンドロイドやロボットの開発メーカーの研究者、デザイナーがこぞってやって来て、製品改良のためにと意見を求められた。目の前で業務提携や異業種間での技術提供が成立するのも稀ではない。

 とりわけ、狭義の義肢義体――人工臓器を除いた代替パーツの分野に、ジョーは心惹かれた。ファームウェア次第で、車輪や三脚など、ヒトのかたちを広げてゆけるのだ。フィクションで描かれてきた多肢多脚、あるいは機械と半融合した人間が生まれるかもしれない。その最前線にジョーはいる。死の淵に立つ恐怖に変わりはないが、技術が未来を、可能性を拓いてゆくさまは静かな興奮をもたらした。

 難しいのは知覚、つまりは脳を慣らすことだったが、特殊義肢は工事現場や宇宙開発、医療や介護の現場で必ず役立つだろうと思えた。機械制御では不可能であっても、ヒトならば可能な分野はきっとある。

 会社勤めの頃よりも充実した日々は死の恐怖を和らげる何よりの薬だったし、三日と空けず見舞ってくれるマリの存在も、ごわついた心を和らげた。

 ホスピスと魔女の組み合わせは最悪なのではと思われたが、意外にも彼女は患者やスタッフたちに温かく迎えられた。魔女が万能ではないと誰もが知っているからこそ、ジョーを見舞う彼女に優しい目を向けたのだろう。

 彼女は気丈に振る舞っていたが、時折、堪えかねたように涙を見せた。義肢義体や人工臓器への置換術後、ICUを出たばかりでほとんど寝たきりの時だとか、他愛ない世間話に興じる時だとか。病がなくともジョーの方が短命だが、逆の立場を想像すれば泣くなとは言えない。

 だから、黙ってマリを抱き寄せて涙を拭う。機械の手であっても、彼女の柔らかさやぬくもりはきちんと伝わった。


「昔と違って、義肢義体がだいぶ普及しただろ。パラスポーツも盛んだし、道具の延長みたいな感じで。健康な部位を機械化するのは違法な国がほとんどだけど、軍隊や民間の軍事組織じゃ強化スーツを着たり、武器内蔵の義肢義体を使ったりすることもあるんだってさ。世界的に、人間を代替するものの開発は競争が激しいみたいだ。ハード、ソフト両面で。医療用でも、そうでなくても」

「SFだ。未来に生きるって、こういうことかもね」


 マリがようやっと笑った。他愛ない話をしながら、ジョーは頭の片隅で思索に耽る。

 ――これまでは、「いつまで」おれでいられるかが不安だった。でも今は違う。おれは「どこまで」おれなんだろうか。おれがおれでなくなる一線は、どこにある?

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