第六章 Wholesky

第六章 Wholesky (1)

 義肢義体フィギュアを変えたい。戦闘に適したやつに。

 ジョーがモニタ越しにそう伝えたとき、白髪の老婆のアバターを纏った木佐貫はたっぷり十秒は黙って、ちょっと待って、と言い置いて白衣の青年姿になった。


『昔の話だけど、ジョー、君はヒトとして生きるために……病気や障害や事故で肉体を欠いても、望めばヒトとしてヒトらしく生きられる、それを体現するために見た目も機能もとことん人間らしさにこだわった義肢義体を使うって言った。無線機能さえつけるのを嫌がった。それを覆すってことは、信条を捨てるの?』

「ちょっと違う。義肢義体は社会に浸透した。義肢義体を使ってるからって理由で差別を受けることもかなり減った。義肢義体も眼鏡やコンタクトレンズなんかと同じで、身体を拡張して日常生活の利便性を確保する道具だ。道具なんだよ、木佐貫。使えるものは使う。マリを死なせたくない」

『軍用の義肢義体は日本じゃ違法だ。SATなんかが使ってる強化スーツだって……』

「軍用の義肢義体が違法なのは武器を内蔵してるからだ。強化スーツは義肢義体とは規定の法律が違う」

『佃くんめ、余計な入れ知恵を!』


 木佐貫は地団駄を踏み、高価そうなチェアに勢いよく腰を下ろした。


『精神と肉体は強く影響しあう。君が実年齢とは関係なく、若々しいままでいられるのは肉体が老いないからだ。外見もね。昔、カーシーが研究してた多脚多腕の義体や車輪形式の義体……ヒトのかたちを外れるほど、慣れるのに時間がかかっただろ。肉体は精神を定義する。もちろんそれだけではないけど。だから、義肢義体を単なる道具だ、なんて甘く見ちゃいけない。君は道具でも武器でもない。ヒトを逸脱しちゃいけない。言うまでもないことだけど、格闘技にはルールがある。戦争にもだ。でも、ただの戦闘にそんなものはない。堕ちるのは一瞬だ。僕はね、ジョー、君にはヒトでいてほしい。ヒトとして幸せを求めてほしいんだ』

「おれの幸せはマリ抜きに成立しないよ」


 木佐貫は両手を挙げ、スケジュールを確認して施術日を告げた。

 クレジットカードでの決済を終えてすぐ、カード会社から高額決済の確認の連絡が入ったが、「義肢義体を交換するので」と応じると追求はなかった。


『ドクターもOKだってさ』


 主治医には木佐貫から連絡してもらった。機械の体を得て二十年が過ぎても、大がかりな修理やパーツ交換をせず同じ義肢義体を使い続けてきたし、それを不思議に思われてもいたから、主治医は何ら疑問を挟まなかったそうだ。戦闘向き、を伏せたのなら当然だろう。

 そうしてジョーは人間らしい見た目と機能の義肢義体を捨てた。新しい義肢義体は、冷たい金属光沢とむき出しの筋線維、関節や急所を守る無骨な装甲が見る者を威圧する。


『わかってるだろうけど、義肢義体のスペックが上がっただけだよ。これだけじゃアベンジャーズにもジェダイにもなれないからね』

「エムがいるだろ。あいつのことだから、いつぞや体を貸せって言われた時に、分身を置いてったと思うんだけど。今使わずにいつ使うんだ」

『……怖いから真顔で言うのやめてくれる? あっだめだ、笑って言う台詞じゃなかった。はいはいそうですよ、ある程度のことはエムに任せておけばいい』


 体が軽かった。この手は、少し気を抜くだけであらゆるものを破壊するだろう。そうならないよう手綱を握り、安全装置を確かめ続けるのは己の役目だ。


「ありがとう、木佐貫」

『やめてよ、水くさい。僕だって、ジョーとマリちゃんが何事もなく暮らしていけるのが一番だと思ってるけど……今の世相じゃそうもいかないってのもわかる。わかるけどさ、君には手を汚してほしくない』

「マリはたぶん、何度もクソみたいな未来を呼んだよ。他の魔女たちも。その結果がこれだ。誰も魔女を助けないならおれがする。自分だけきれいなままでいようなんて、虫のいい話だろ。それにさ、世の中がどうなろうとも、マリがいれば再生の余地はある。そうなればまた、ふつうのやつに載せ替えてくれ」

『わかった。早まったことはするなよ。君は大事なお客様だし……友だちだもの』

「……そうだな。ありがとう。あんたは命の恩人だよ」


 じゃあ、また。そう言ったものの、ジョーは別れ際の木佐貫の表情をどうしても思い出せない。珍しく、オリジナルの彼女が見送ってくれたのに。

 ほとんどの記憶を、星降る夜の煌めきが上書きしてしまったからだ。




 浅い眠りから覚め、ジョーはエムに周囲の索敵を命じた。箸ほどのサイズのドローンが肩部ユニットから分離、回転して上空五十メートルまで上昇し、探知の目を開く。話し声はなく、足音もない。機影なし。摂氏三十六度プラスマイナス一度の範囲にある熱源はマリのみ、脅威レベルは低。

 ドローンが収納されるのを待って、目を開いた。ぼろぼろの毛布にくるまったマリが憔悴した様子で膝を抱えている。眠れないようだった。


「まだ夜だよ」


 青ざめた唇は乾いてひび割れている。着たきりのワンピースも裾や袖がほつれ、擦り切れ、ひどい有様だった。蛋白石オパールの眼だけが変わらず爛々と輝いている。


「……夢を見てた」


 人工の流星オリオンが雨となって降り注いだ夜を、繰り返し夢に見る。

 美しい夜空だった。ただただ空を見上げ、尽きぬ願いを唱えた。あの日、空に放たれた無垢な願いと清廉な祈りは天地あめつちを満たしたことだろう。だが、満ち満ちたヒトの想いを支えるには、世界は少々脆く、弱かった。

 ガイウスやシェンユウの自社発電所、サーバーセンターに星が落ちた。文字通り、人工衛星が。国会議事堂、警察署、消防署、裁判所、自衛隊基地や駐屯地。銀行、ごみ焼却炉、浄水場などにも。

 人工流星はショーではなかったのか? 人々の疑問がフォーラムに溢れたが、各社が調査を終える頃には、電力不足と通信障害は決定的なものになっていた。流星ショーの夜、人工衛星だけでなく中・大型のドローンや無人機が管制も制御も無視して飛び立ち生活基盤インフラを破壊すべく各地へ墜ちたのだ。その後も断続的に、無人機が飛び立ち、そして尾を引いて墜ちている。

 混乱のさなか、予言機械群エピメニデスが告げた言葉が終焉への引き金となった――『魔女を畏れよ。欲望を畏れよ。百万の欲望が今日を招いた』『濁る未来を見通すのは魔女らのみ』『我々は役目を終えた』

 魔女への降伏宣言だったのかもしれない。が、多くはそうは捉えなかったし、電力供給が不安定になっては、届けられるべきメッセージは多くのもとへは届かなかった。

 さまざまに解釈された言葉が口伝えに広まり、口を経るごとに言葉は変質した。コピーペーストに頼りきりの人々は伝言ゲームに不慣れで、おまけに不安と疑心暗鬼、猜疑心に満ちていたからだ。

 こんなことになったのは魔女のせいだ、災害を看過した魔女が悪いのだと話が捻れるまではすぐだった。魔女連盟ウィッチクラフト・オフィスの支部が暴徒に襲われ燃やされ、フリーの魔女が炙り出され、連盟に所属する魔女たちも一人、また一人と捕まり、往来で殺された。

 電力不足が確定的となった時点で、政治も司法も警察組織も命令系統が意味をなさず機動力を失っており、無人機の墜落により崩壊した建物は徹底的に略奪された。

 地方に残された自然エネルギー発電所だけでは電力の需要を賄いきれず、サーバーがダウンした。電子人格やAIたちが沈黙し、病院や福祉施設でも多数の死者が出た。

 ……らしい。何もかもすべて、伝聞である。真相を知るすべはない。

 だからこそ魔女への憎悪は執拗だった。不安は暴力の奔流と化し、唯一のはけ口へ押し寄せた。次々に魔女が殺され、アナスタシアたち、魔女AIたちのチャットルームは荒らされたのち、電力の供給が絶たれてうやむやのまま実質の閉鎖となった。

 魔女と科学が共存して久しい、今は何世紀だ? 正義を掲げて反論した者もまた血溜まりに横たわり、あるいは空の底を破って降る無人機が万人を分け隔てなくった。

 たちまちのうちに、価値観が一変した。電気、電力に人々は殺到し、形あるものが次に尊ばれ、力と炎が崇拝の対象となった。いつの間にか、出所の知れぬ銃器が流通し、火事で、暴力で、建築物の倒壊に巻き込まれて、不衛生と疫病で、自ら選んで――ばたばたと人が死んだ。

 国外の様相を知る手段はなかった。通信基地局もまた早期に破壊されていたからだ。皮肉にも、通信事業各社が飛ばした空中基地局の墜落によって。

 誰もが隣人に照準したまま廃墟に潜み、予言機械は未来を唄うことなく沈黙している。電力不足だとも、故障だとも囁かれているが真相はわからない。地下のサーバールームに降りる手段がないのだ。シェンユウ本社ビルの残骸は遠吠えする狼の格好で、声なき咆哮をあげている。

 ジョーもまた、暗闇を見通す機械の目で夜を睨み続けていた。

 木佐貫、エムの本体、アナスタシアとは連絡がつかない。航平は暴動に巻き込まれて亡くなり、勤務先カーシーも病院も、降り注ぐドローンによってずたずたに引き裂かれた。

 居候していた魔女AIたちの義体ボディは、ある日突然、「端末ステーションをお借りします」と宣言するなり大容量の記憶メディアを接続し、何やら時間をかけてコピーしたのち、保護ケースと走り書きのメモをマリに託した。


「もうひとつの世界の、再建の鍵です。持っていてください」


 気圧けおされたマリが頷いて受け取るのと、アナスタシアが悲しげに微笑んで

「サーバーが大破したようです」と告げるのが同時だった。貴重な電力を私が食うわけにはいきません、と彼女は蓄電池バッテリーをジョーに押しつけ、眠った。

 あまりにも多くがこの手からこぼれ落ちていった。拾い集めるのは至難の業で、たとえ集めきれたとしても復元は叶わないだろう。

 ジョーはマリの手を引き、家を出た。アナスタシアのメモにはそう遠くない街の住所と「Jan Hendrik Oort」と人名が記されており、訪ねてみようと意見が一致したのだ。

 そこにあったタワーマンション群は倒壊こそ免れていたが、住人はすでに去ったようで、略奪の痕跡が生々しい。ゴーストタウンと呼ぶに相応しい光景だった。

 C棟二十五階。マリを負ぶって向かった部屋も打ち捨てられていたが、東側の部屋のベッドに、一人きりで横たわる少女がいた。十四、五歳だろうか。介護用ベッドの脇には大仰なモニタつきの機械や点滴ハンガーが置かれていたが、当然ながらそこに薬品はなく、インジケータの点灯もなかった。

 少女の全身はむくみ、唇は紫色で、白目は濁っている。部屋中に排泄物の悪臭が漂っており、少女が虫の息であるのは素人目にも明らかだった。マリが涙目で足を止める。


「ま、じょ」


 掠れる吐息がこぼれた。マリがおずおずと頷くと、少女は目やにの浮いた眼を潤ませ、ごめんね、と最期の息をついた。


「知り合いか?」

「ううん、知らない子。なんで謝ったんだろ」

「アナスタシアがここの住所のメモを寄越した理由もわからないし」


 首を捻れども答えは出ない。ぐるりと部屋を見回したマリが、壁に貼られた太陽系の模式図を指さして呟いた。


「オールトの雲、か。そっか……」


 何のこと、と尋ねても返事はなく、検索しようにも電波がない。


「星図と天文年表だって。あ、あれ望遠鏡だ。好きだったのかもね……」

「自宅療養みたいだったけど……あと数年でアップステアできただろうに」


 そうすれば、義体を用いてどこにでも行けた。このような暮らしぶりであったのなら、それなりに裕福だったはず。ほかの家族の姿が見えないことに胸が痛んだ。

 それからあちこちを放浪した。目に映る人も義体もおしなべて敵だ。殴り、蹴り、銃が手に入れば専門のソフトウェア――エムに任せた。

 空は昏く、草木はうなだれ、街は凍えて灰が降る。

 ジョーは日々の戦闘で消費した電力を補い、損傷した部位を可能な限りに修復する。混乱の長期化に伴い、手に入る資源は乏しくなった。マリに迫る輩を片端から叩き伏せても、しかし平和は訪れない。

 長らく、ヒトと機械の汀に生きてきた。これまで、分水嶺は明らかだったけれども、ヒトのこころが徐々に渇き、形を失ってゆくのがわかる。会話が億劫になった。思考が面倒になった。動くものに対して反射的に拳と刃を振るい続ける日々に、これでいいのだ、と白い地平で囁く声がする。機械は道具。そう望んだではないか、と。

 考える必要がどこにある。思い、語り、省みる暇があるなら殴れ。潰せ。殺せ。一人でも多く。マリを生かすための道具だろう、おまえは? 甘美な囁きに身を委ねる。

 そう、彼女を守るためなら何でもすると誓った。

 胸部装甲に触れる。その下、心臓の位置にある大出力のレーザー砲の存在は、もうすっかり忘れてしまった鼓動や体温よりも安堵をもたらす。

 十分な出力を得るために、生命維持装置すら犠牲にするほどの電力が必要だと木佐貫は散々に渋った。自爆と何が違う、使いこなしてこその武器だと。そうだろうか。おれは武器、道具なのだから、使用されて疲弊し、やがて使い物にならなくなるのは当然ではないか?

 アナスタシアにもらった蓄電池はとうに破損し、今使っているものが最後のひとつだ。撃てば死ぬ。それでも、魔女がもたらす奇跡を目の当たりにしてきたジョーにとって、守るべきはマリなのだった。

 ――だからマリ、生きていてくれ。死んじゃいけないんだ。

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