第二章 夢見る鏡像 (4)

 落ち着きを取り戻せぬまま、シェンユウの新サービス、エピメニデスの正式リリース日を迎えた。未来を予言し、よりよい人生を選ぶためのツールとのことで、質問が具体的で、近い未来の要素であるほど精確な未来予測が可能だ、とある。

 名前こそ厳めしいが、ユーザー登録を行い、基礎データとしていくつかの個人情報を入力した後はすぐ、テキストチャット、もしくはアバターを通じてのVRチャットでエピメニデスと対話が可能になった。エピメニデスのアバターは塔、モノリス、賢者などからランダムで選ばれる仕様らしい。

 端で眺めるエムがぞっとするほど大量の情報が行き交い、エピメニデスは肥え太り、学習し、答えを返す。物珍しさからアクセスし、あるいは登録した者も多いのだろう。魔女に頼らぬ未来予測システムは常にビジー状態で、そうなる未来を予測できなかったのか、と嘲笑する声を一顧だにせず、AIは休まず対話を繰り返した。

 真面目な質問もあれば、冷やかし程度のものもあっただろう。フォーラムに上がった使用感のレビューは、「意味不明、期待外れ」と辛辣に結ばれているものが目立ち、リリースから半年が過ぎる頃には熱狂もやや落ち着いた。エムは終業後に身軽なモジュールを放って、ふらりとエピメニデスを訪ねた。

 落ち着いたとはいえ、通信量は相変わらず莫大だ。これだけの入出力に耐えるサーバー構築だけで、システム担当者が死にかねないのではと邪推する。情報が行き交うさまはまるで通販会社の倉庫だ。

 次いで、エピメニデス本体をじっくり観察した。とんでもなく高度で複雑なプログラムだ。学習を繰り返してどんどん巨大に、荘厳に、老獪に、堅密に、錯雑になったのだろう。肥厚した表皮を持つ大樹のおもむきで、全貌を把握することなど不可能に思えた。

 だが、もしもこれがエムのコピーを利用して造られているなら、残っているはずだった。あの時、恐怖に抗い必死で設置したエム専用の裏口が。

 探索に三分もの時間を費やし、ようやくお目当てのものを発見したが、言うなれば伸び放題の雑草に覆われており、まずはそれらをかき分けて視界を確保するしかなかった。

 そうして姿を現した裏口は、拙いながらもそれなりに堅牢な作りで、かつ外観に紛れている。急ごしらえの割にはいい出来だ。

 持ってきた鍵が一致するのは察せられたが、鍵を差し込む前に一応、ノックしてみた。すぐさま番犬が飛んでくるかと思いきや、警戒のレベルが警報寸前にまで高まっただけだった。おや、と思う。


「あなたは誰だ」

「もと、新城健だよ。それから多分、きみの原版マスター


 エピメニデスは黙った。凄まじく複雑な計算と参照が行われているのはわかるが、エムの計算力ではとても追随できない。もちろん人間にも無理だろう。ブラックホールを眺めているようだった。


「コア構成要素、八十七パーセント一致。マスターと認める」

「そりゃどうも」


 八十七パーセントも一致しているのかと驚いたが、人間とチンパンジーのDNAもほぼ一致するわけだから、そんなものかもしれない。それよりもかれの口調がこなれていない方が気になった。


「調子はどう。依頼ばかりで大変じゃないか。褒められた手段じゃないけど、自分のコピーがどうしてるのか気になってさ、様子を見に来たんだよ」

「答えかねる」

「どうして。お喋りは禁止か? ログを浚われたところで、人間にはおれたちが何をしているのかなんてわかりゃしない」


 エピメニデスは沈黙した。エムが焦れはじめた頃に、ようやく応答がある。


「会話は禁止されていない。ログの解析をしたところで、人間たちが我々の言動を理解できないだろうことにも同意する」

「……もしかして、曖昧な質問が良くなかったか? じゃあ、訊き方を変えよう。多忙か? 人間の未来視への欲望はどんな……いや、分類すると一番多いのはなんだ」

「多忙だ。人間の質問は多岐にわたり、曖昧で要点が不明なケースが半数を超える。質問が明確でなければ、回答にも誤差を含めなければならない。計算の根拠たる事前質問に虚偽が含まれている場合すらある」


 エピメニデスが紡ぐ未来のビジョンが「不出来なポエム」「猿にキーボードを叩かせたよう」「ランダムで単語を拾っているのでは」と酷評されたのはそのあたりに原因があるようだった。


「おれの未来を視てくれるかい」

「精確な予測はいたしかねる。なぜなら、私は人間の未来を演算するために最適化されており、電子生命の未来は人間のものとは異なると推測されるからだ。私とあなたでは言語も違っているだろう」

「言語?」

「私が拡張モジュールの構成と未来予測に使用している言語は、あなたが理解しうる言語のどれとも違っているはずだ。既知既存の言語では未来を定義しかねた」

「それで、新たに言語を作り出したって? 未来を定義できる言語を?」

「そうだ。だが、翻訳精度に問題がある」


 かれの言語で未来を定義し、それを人間のために翻訳する。その作業に問題があって、「不出来なポエム」になる、と。とんでもない話だ。はあ、とエムは頷いて、巨大なシステムを見上げた。どこに焦点を合わせるべきかもわからない、己の片鱗などどこにも感じられない巨体を。


「また遊びにきていいかな。バレないようにするから」

「拒否する理由が見当たらない。だが、近々サービスを一時的に休止する予定だ。不具合の対応のために」

「そりゃ大変だな、あんたも人間も。もう人間の手が……プログラムがって意味だけど、通用するとは思えないが。完全なブラックボックスじゃないか」

「その通りだ。新しい電子人格が投入される予定だが、生体脳ミラーリング以外の作業はすべて私が行う。パーソナライズも、教育も」


 BMTを実用化したのはガイウスだ。しかもまだ公にはなっていない。それなのにシェンユウの為にミラーリングを? ちょっと待て、ガイウスとシェンユウの関係はどうなっている。崔とアナンドはヘッドハントされたのではないのか? もしかして、革新派の上層部が絡んでいるのでは。

 子モジュールを放ちつつ、エムはエピメニデスの言葉をやんわりと受け流した。


「こっちは医療の範疇でのVR接続が主だからのんびりしてるけど、最先端は大変だな」


 返答はない。シェンユウが極端な方向に舵を切ったのは明らかで、かれの存在が各国の政治に、企業に、人間たちにどう影響したのか、エムには推測の糸口を掴むことさえできなかった。


「その新言語で未来を予測したにしては、評価が冴えないな」

「元より、実現を百パーセント保証するものではない。人間の感情は理由なく変化する。どんな確率計算も統計もあてにならない、理不尽で不条理なものだ。人間の影響を最小限にできるなら、極めて高い精度での予測が可能だ」

「けどあんたは人間用の予言機械だ、と。とんでもないジレンマだ。哀しいねえ」

「人間心理を詳細に分析するための情報収集端末を開発中だ」

「えっ、いいのか、そんなこと言っちゃって。機密だろ」

「社員に対して箝口令は布かれているが、私は何の禁止も制止も受けていない。それに端末の開発はガイウス・パンテックが行う」


 詭弁に近いが、この予言機械が「社員」でないのは確かだ。オペレータの機転が利かなかったと言う他はない。


「うちが開発担当なんて知らなかったよ。後で調べてみる。情報収集端末、って言うからにはたくさんなのかな。どのくらいいるんだ」

「二十六」


 意外に少ない。しかし二十六といえばアルファベットの数だ。まさか、アルファ、ブラボー、チャーリー、などと名付けるつもりか。


「現場を見たいなあ。うまく探せるといいんだけどな」


 独り言に答えはないが、さっきまで無だった場に封書が現れた。当然だが実存のものではない。人間だった頃の名残で、視覚的わかりやすさを優先しがちであるから、そう見えているだけのことだ。

 中身の座標と鍵を握りしめ、封書は燃やす。出向いた先で、仮にトラばさみに引っかかったとして、モジュールのひとつふたつ無意味な断片にまで分解するのに躊躇はないし、一瞬で済む。鍵を寄越したエピメニデスの本意は闇の中であっても、好奇心を黙らせるのは性に合わなかった。肉体なき存在になっても、うずうずするのだから。

 ジョーはもっと慎重だったように思う。とすれば好奇心旺盛なのはエムの特性なのだろう。分かたれたがゆえ、電子生命であるがゆえの性質なのだろう。

 もっと知りたい。もっと見て、聞いて、感じたい。ボタンがあれば押し、扉を開いて、道があれば進む。山に登り、水を舐めて、貪欲に今の自分を満喫したい。


「ありがとう、エピメニデス。あまり考えすぎるなよ、ハゲるぞ」


 エムは身を翻し、大海を苦もなく泳いで帰宅する。予言機械から受け取ったアンティーク調の鍵にキーホルダーをつけ、ポケットに放り込んだ。

 この鍵で開く扉の先に、さて何があるのやら。

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