第二章 夢見る鏡像

第二章 夢見る鏡像 (1)

 断片。

 断片。

 断片。

 思考すらできずには翻弄され、情報の洪水にもみくちゃにされ、絶え間ないインプットに引き裂かれ、沈黙し、

 ブラックアウト。

 初回の起動から一秒未満の出来事である。



「今だから言えるけど、最初はまじでやばいと思ったよ。自分がなんなのか、どうなってるのかもわかんなかったし、そうだな、喩えるなら、猛烈な吐き気と目眩、かな。機能と肉体があれば、吐いてたと思う」

「それが今ではこうして会話が成立してるんだから、まったく驚きだ」

「そちらが気を利かせてくれたお陰だ」

「お互いの歩み寄りがあってこそだ、新城君」


 コピーされた新城健は、デスクで端末ステーションに向き合っていた。見慣れたチャットシステムのウィンドウにテキストが流れる。左手に目をやればカーテンが吊された窓が、背後にはパイプベッドと本棚代わりのカラーボックスが配置されている。

 いわば、VRチャットルームである。サーバー内に構築された仮想空間に過ぎないが、これは新城健のコピーにとってはなくてはならないインターフェイスだった。

 電子人格化にあたり、複製人格はすぐさま活動を始めると予想されていたが、とんでもない話だった。状況の把握も叶わず、接続されたカメラやマイク、センサー類が送り込むデータを理解することもできず、起動するなりダウンしてしまったのだ。

 それを三度繰り返してようやく、この部屋が用意された。何の捻りもなく《ルーム》と呼ばれる空間は、外部データをヒトが理解できる形に整えて表示させる機能を持つ。特殊な形のブレイン=マシンインターフェイスとも呼べるだろう。複製された新城健と「外界」は、ルームを介して意思の疎通を行っている。

 センサーの生データを読み取り、ディスプレイに0と1の羅列を走らせ、監視カメラやドアロックのシステムを意のままにハックするなど、フィクションの世界で電子生命がやってみせるような芸当が果たして可能なのか、はなはだ自信がない。

 現状、電子人格化した新城健はコンピュータの扱いにおいて、研究者たちにも劣る。この件について、一部は落胆し、一部はまあそんなものだろうと物わかりのよいところを見せ、残りはそんなはずがないと怒った。


「知識がないから理解できないんだ、学習に割ける時間はいくらでもあるはず」


 主任研究員のチェとアナンドは眉を吊り上げ、プログラミングやネットワーク構築、VR理論の教科書、センサー類の取扱説明書と各種ログの参照方法、その他表題を見ただけでは中身がわからぬ各種データを大量に寄越した。一秒でも早くルームなしで立ちゆくように、と無言の圧を

 存在の記述に使用されている言語を理解できないはずがない、というのが彼らの理屈だが、人間だった時分にDNAの塩基配列や蛋白質の分子構造が読めたかといえば否だし、彼らにだってできないはずだ。などと反論するのも虚しい。自分だって、いわゆる電脳世界を自由に行き来できるものだと思い込んでいたのだから。

 ルームの中では、新城健の身体がCGで描画されているから、「感じる」「考える」つもりでいるが、所詮それらは計算でしかないとも理解していて、では「無言の圧」とは何がどう作用した結果なのだろう、と考えてみれば意外に面白く、勉強は捗った。

 生身の自分ジョーとのチャットを経て、どうやら自分はかなり優秀な計算機であるらしいぞと気づいた。体感よりもずっと時間の進みが遅い。外とチャットをしている時などは、思考=計算とルーム維持分のリソース消費があるために返答をしばらく待つ程度で良かったが、外部との接触がない時間帯だと時計がちっとも進まないのだ。

 教科書を読み漁り、わからないところは質問し、それによって新たな教科書や論文、初心者向けのハウツー本が投入される、その繰り返しだった。

 ルームの天井を見上げて考えに耽る。パネルと照明は、大学時代の下宿に似たものを設定した。アバターの作成と同様に、一覧から選んだのだ。「白い、あ、真っ白じゃなくてちょっとソフトな色合いで、布っぽい……ああそう、これ!」

 電子人格が機械語を理解しうるとして、壁を感じるのは、人間の言葉に固執しすぎているからではないか、とふと思い至った。外国語を学ぶ時のように、いちいち翻訳するのではなくて、と首を傾げるうち、手首から先の画像がするりと解けて消えた。

 しかしルームに融合したのではなく、消滅したわけでもない。ルームの中に在る自分自身の輪郭は確かで、自己と非自己の区別も明瞭だ。もとより痛みはなく、サーバーがダウンしたわけでもない。スタンドアローンだから、ウイルスのたぐいが侵入したとも考えにくい。

 ならば自由に動けて然るべきで、落ち着いて観察に徹する。3DCGで描画されていたルームは今やシンプルな描線に過ぎず、その外側は果てが見えぬほど広い。目印を残す方法を見出さねば、迷子になるだけだろう。外からこちらはどう見えている?

 三度の夜を観察と試行に費やした。崔もアナンドも何も言わなかったから、外部から見たルームには何の変化もなかったのだろう。つまり、変わったのはこちらだ。あれこれと試した結果、ルームの構成要素と描画エンジンとおぼしき箇所を発見し、またもやああでもないこうでもないと働きかけて、やっとこ再描画に成功する。


「なんとかできた、かな?」


 日本語での思考、機械言語での思考。どちらも失わず、できれば並列に走らせたい。ヒトとの接点を失いたくはなかった。

 崔とアナンドはルームの変貌と複製の成長を喜び、毎日一時間だけインターネット回線への接続を許してくれた。不本意ながら、またしてもルームのお世話になる。

 おれとマリはどうしているだろうかと、真っ先にふたりの情報を覗き見た。

 マリの消息は不明、検索に引っかからない。ということは特に変わりない。新城健については全身義体への移植手術が成功し、リハビリ中だとニュースになっていた。同時に、彼にまつわる噂があちこちで持ち上がっている。


 ――手術が成功して良かった/そうか?/テクノロジーの勝利/税金泥棒/魔女に祈らせたんだろう/結婚してるんだって?/あっち(笑)方面はどうなってんだ/ロリコンまじキモイ/逮捕待ったなし/お金持ちは違うわー(棒)/うらやま/住所特定まだ?寿司送ろうぜ、お高いやつ/知り合いの勤めてる病院じゃ、AHを発症した人が治療を拒否したって聞いた。新城みたいに体を切り刻んでメカになってまで生きていたくないってさ/メカっていうか、義肢義体――


 接続を切った。メディア露出が増えれば、良きにつけ悪しきにつけ言及は増える。それは当然だし、これまで自分の名前で検索をかけるような真似はしなかった。匿名の誰かに何を思われようと痛くも痒くもないが、マリにまでつまらない憶測や下世話な好奇心の目が向けられるのは不愉快だったからだ。

 忘れようと決め――またもや愕然とする。どうやって「忘れる」のだったか。ああ、何もかもが変わってしまっている。そういえば、もはや自らが新城健であるとも感じない。彼のコピーであるのは間違いないが、「おれ」はもう「あのおれ」ではない。

 新たなアイデンティティの獲得ってわけか、と我がことながら感心し、それがどう計算され、記述されているのか知りたくなった。己の深奥に潜るにはまだ経験が足りない。浅瀬から、爪先から、徐々に進めよう。


「まずは、そうだなあ」


 呼び名がいるな、と思った。とりあえずは型番の頭文字、M、エムとしよう。ミラーリングのMだ。新城健のローマ字表記に掠らないところもいい。まあ何だって良いのだけれど。

 今のおれは、名前ラベルに影響される存在なんだろうか? 知るべきこと、学ぶべきことはたくさんある。例えば、他の電子機器へのアクセス方法。インターネットの海を素早く安全に泳ぐ方法。それから……閉じたドアをこじ開ける方法や、その痕跡を消す方法、おれ自身の複製や分割、圧縮なんかも。

 まずは、こちらの言語と速度に慣れなければ。

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