第26話 25、アンカラ大学の大学祭
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ある日曜日、川本五郎はアンカラ大学の大学祭に行った。
ヤールギュレシサークルから正式に招かれたのだった。
待ち合わせの場所に着くとカヤ・オスマンとエミン・イルマズが待っていた。
「よく来てくれた、五郎川本。外交官だとは驚いたな。」
カヤ・オスマンが言った。
「お招きいただき、ありがとうございます。外国に来て大学祭に招かれるとは思っておりませんでした。」
「トルコの大学祭を日本のスーパーサムライに見て欲しくてな。」
「楽しみにしております。」
最初に行ったのはヤールギュレシの焼き鳥の出店だった。
その出店の学生は体格が良く、多くの女性のお客で賑わっていた。
五郎は隅のテーブルで出された焼き鳥を食べた。
もちろん無料だった。
出店の学生達はいまだに信じられないように川本五郎を盗み見ていた。
細身の180㎝そこそこの男が向かいに座っている100㎏のカヤ・オスマンを6mも投げ上げるとは信じられなかったのだ。
3人は焼き鳥を食べ終わるとサークルの出店を出て大学キャンパス内を歩いた。
川本五郎は招待のお礼も兼ねて色々なイベントに参加した。
最初に参加したのはバスケットボールだった。
移動式のバスケットゴールが立っており、その前に2mおきに白線が引かれている。
参加者は参加費を払って自信のある白線からバスケットボールを投げる。
成功したら次に遠い白線からもう一度投げることができる。
失敗したらその位置に見合った景品をもらえるのだ。
川本五郎は「カヤ、僕の正確さを見せてやるよ」と言って参加費を払ってボールをもらった。
五郎は一番近くの白線からボールを投げ、バスケットに入れた。
もちろん、ボールはバスケットに入った。
五郎は2番目の白線からのシュートに成功し、その後、次々とシュートを成功させていき、とうとう最後の白線でもシュートを成功させた。
そこはバスケットから14mも離れたセンターラインの位置だった。
川本五郎は2個のボールをもらい、さらに14m離れて2個のボールを無造作に次々と投げた。
2個のボールは連続してバスケットに吸い込まれた。
その頃には多くの見物人が川本五郎の信じられないシュートを眺めていた。
イベントを行っていたバスケットボールサークルの学生も唖然として五郎の投球を眺めていた。
川本五郎が景品の受取場所に行くと学生は準備していた最大の景品の大きなクマのぬいぐるみを五郎に渡しながら、いまだに信じられないように五郎の顔を見つめていた。
川本五郎はクマのぬいぐるみをエミン・イルマズにあげた。
エミン・イルマズは笑顔でぬいぐるみを抱きしめて頬ずりをし、カヤ・オスマンはニヤニヤしてそれを見ていた。
カヤ・オスマンの友達なのであろう。
イベントを行っていた一人の男がカヤに言った。
「カヤ、この人はだれだ。お前の知り合いか。信じられない。選手になったら無敵だ。エンドラインからシュートされたらどうしようもないぞ。」
「おれの友達だ。どうだ、すごいだろう。日本のサムライだ。おれもかなわない。スーパーマンさ。へっへっへっ。」
バスケットボールはアンカラでも盛んになりつつあるスポーツだが最も人気があるのはサッカーだった。
用具はほとんどいらず、実力があればスターへの道が開ける。
サッカーサークルの出し物はバスケットボールの出し物と同じようにゴールへのシュートだった。
ゴールの前には大きなマットがゴール前の机に立てかけられ、ゴールキーパーの絵が描かれてあった。
ゴールポストの左右の上には大きなポリバケツが穴を前に向けて吊り下げられていた。
子供達は正面のマットとゴールポストの間をねらってシュートする。
ゴールすればささやかな景品がもらえる。
左右のバケツに入ればさらに良い景品をもらえる。
少年たちはそこを狙う。
受付の前には立て看板があり、そこにはゲームの説明が書いてあった。
リフティングを10回以上してからポリバケツにシュートできたらさらに豪華な賞品が待っていた。
「カヤ、今度は僕の跳躍力をみせてやるよ」と五郎はカヤに言った。
「だが、サッカーだろ。跳躍は関係ないだろ。」
「まあ、見ていてくれ。大サービスだ。」
川本五郎は受付からボールを2個もらってキックの白線から数歩下がった位置に立った。
川本五郎は1個目のボールを投げ上げ、ボールを膝でリフティングを10回した後、ボールを足の甲で真上に数m蹴上げた。
川本五郎はサッカーボールを追うように跳躍し地面から4mの位置でオーバーヘッドキックをしてから地上に足から降りた。
ボールは斜め上からポリバケツに吸い込まれ、ポリバケツの底を撃ち抜いた。
川本五郎はすぐさま次のリフティングを始め、前と同じようにボールを蹴り上げ、今度は5mの位置からオーバーヘッドキックをし、もう一つのポリバケツに蹴り込んだ。
今度はポリバケツに穴は開かなかった。
キックの位置が高かったのでボールはポリバケツの底に直撃できなかったからだった。
川本五郎は地面に着地すると景品受け取り場所に向かった。
周囲からは拍手が沸き起こった。
バスケットボールで神業的なショットをした五郎に着いて来た見物人達からであった。
川本五郎は景品受け取り所で最大の景品を受け取り、それをエミン・イルマズにあげた。
景品は大きな熊のぬいぐるみだった。
エミン・イルマズは今や左右におおきな熊のぬいぐるみを抱くことになった。
「もうこれ以上大きな景品を貰うわけにはいかんな。」
カヤ・オスマンが言った。
「それにしてもすごい跳躍力だな。5mも飛び上がった。だが納得できる。おれを6mも投げ上げることができる腕力を持っている。脚力はそれ以上の力を持っているわけだからな。」
「これで終わりにしましょうか。これ以上やると大学祭の景品荒らしになってしまいますしね。」
五郎が言った。
「カヤ、この男の人はだれだ。どこかのプロ選手か。」
景品所の男子学生が川本五郎の後をついて来てカヤに聞いた。
「おう、ハサンか。すごかったろう。おれの友達だ。プロ選手じゃあないぞ。一般人だ。スポーツ万能のサムライだ。」
「サムライって、日本人か。」
「そうだ。サッカーだけじゃあないんだぞ。バスケットボールでもエミンが持っているぬいぐるみを貰った。」
「すげー。」
「おれも4秒で軽く捻(ひね)られた。」
「お前も負けたのか。お前はヤールギュレシのチャンピオンじゃあないか。」
「だが負けるのさ。何度やっても同じだ。良くわかる。」
「サムライって凄いんだな。」
「五郎は特別なのさ。五郎は二十数ヶ国語を話せる。俺もお前もあと十年勉強してもできんことだ。五郎はスーパーマンでおれの友達だ。」
「あら、私も五郎のお友達よ。」
エミン・イルマズも負けずに言った。
3人は大学校舎に入って行った。
教室の一つに軽音楽サークルの出し物の教室があって丁度休憩中であった。
「今日はサービスデイですね。だれも演奏していないようなので僕のピアノ演奏を聴かせてあげます。リムスキーのクマンバチです。けっこう早い演奏ですよ。」
そう言って川本五郎はピアノの前に座って演奏を始めた。
それはテンポの早い曲だった。
ピアノの横で見ていた二人には五郎の指の動きがほとんど見えなかった。
曲の中ほどに来た頃になると休憩していたサークルの学生が集まって来た。
だれも部外者がピアノを演奏しているのを咎(とが)めることはなかった。
素晴らしい演奏だったのだ。
廊下からも凄まじいピアノの音の奔流に惹(ひ)きつけられて何人もその教室に入って来た。
一曲が終わると周りの見物人から拍手が巻き起こった。
川本五郎は椅子から立ち上がって右手を胸につけて頭を下げて挨拶した。
「すげえ演奏だな。エミン、お前の知り合いか。」
軽音楽サークルのメンバーの一人がエミン・イルマズに尋ねた。
「そうよ、私のお友達なの。」
「もう一度演奏を聴かせてくれるように頼んでくれないか。外国人みたいだから。」
「五郎はトルコ語が話せるわ。五郎、もう一度演奏してくれない。アイディン君が五郎の演奏に感動しているみたい。」
「OK。リムスキーのバンブルビーです。その後いっしょにベンチャーズのバンブルビーツイストを演奏しましょう。僕もギターに追いつけるかどうか試して見ますから。」
川本五郎は演奏を始めた。
ただ単に指の動きが早いだけではなかった。
微妙に長短をつけてあたかも蜂が飛行しているように演奏した。
それはこの曲の何人かのプロのピアノ演奏を聴けば分かることだった。
余裕があるのか必死なのかが直ぐにわかる。
演奏が終わると周りに集まっていた見物人は大拍手をした。
「アイディン君、バンブルビーツイストが演奏できますか。」
川本五郎はエミンの知り合いらしい学生に聞いた。
「できます。難しい曲ですがレパートリーには入っております。」
「それは良かった。ピアノでリード部分を弾きますからギターとドラムで合わせてください。ぼくにとっても初めてのピアノ演奏です。準備はいいですか。始めます。」
川本五郎はギターのリード部分を演奏しベース部分も入れて演奏した。
軽音楽サークルのメンバーもそれに合わせた。
素晴らしい合奏だった。
一曲が終わるとサークルメンバーの学生の目は輝いていた。
周りの聴衆からも拍手の嵐が起った。
「いやー、楽しい演奏でした。ありがとう、バンドの皆さん。」
そう言って川本五郎は椅子から立った。
サークルのメンバーは五郎の周りに集まり握手を求めた。
教室を出るとカヤが言った。
「五郎は本当にスーパーマンだな。おれは音楽は苦手だが、すごい演奏だということは分かった。鳥肌が立ったもんな。音楽を聞いて鳥肌が立つのは久しぶりだ。」
「僕も楽しかったです。ギターもいいですね。ピアノでは音を連続的に変えることはできませんから。」
3人はその後、いくつかのサークルの展示物を見て回った。
どれも大学生程度のレベルの展示だった。
川本五郎は一つだけ展示に文句をつけた。
人間のDNAの成り立ちを説明している部分だった。
川本五郎はパネルの説明者に言った。
「このヌクレオソームのイラストは間違っていると思います。どう間違っているか分かりますか。」
「DNAはヌクレオソームの周りに巻きついているのです。これで間違いはありません。専門書のイラストを模写したのだから間違いはありません。」
「それならその専門書が間違っているのです。この巻き方ではDNAはヌクレオソームから離れたら捩(ねじ)れてしまいます。リンク数が増えてしまいます。ヌクレオソームは二つが一単位になっていて互いに反対向きに巻きついているはずです。そうなっているからこそヌクレオソームから離れたDNAは捩れのない状態になって遺伝子発現ができるのです。実際に紙テープを使って試したらいいですね。一つの専門書を鵜呑みにしないで疑いを持ちながら学ぶべきです。おそらく5〜6冊の専門書を比較すれば一つくらいは正しく描かれているものが見つかるはずです。」
「有名な専門書が間違っているとおっしゃるのですか。」
「その通りです。良くある話です。立派な装丁に惑わされてはいけません。」
「あなたは誰ですか。」
「DNA構造をよく学んでいる者です。」
「正しい絵が描かれている専門書を知っていますか。」
「僕の知識は古いですからねえ。僕が比較したのは父が持っていた専門書でAlbertsのMolecular Biology of the CellとLehningerのPrinciple of BiochemistryとKarpのCell BiologyとLewinのCellとCooperのThe Cellでしたが、正しい巻き方を描いていたのはLehningerだけでした。」
「そんなにたくさんの専門書を比較しているのですか。」
「とにかく、正しいか正しくないかは紙テープで実際に試して見たらいいですね。ヌクレオソームを外して捩れていたらだめです。遺伝子発現ができませんから。」
「そう言えばそうですね。分かりました。これからは注意してイラストを見ることにします。」
「それがいいですね。」
カヤ・オスマンとエミン・イルマズは校門まで川本五郎を送ってくれた。
「川本五郎は凄い男だということが良く分かった。あんたと友達になれて名誉に思う。」
「私もよ。五郎を知ってしまうと私の周りの男が霞んで見えるわ。でも妥協も必要ね。そうでなければ私は一生独身で過ごさなくてはならないから。」
「とにかく、今日は招待してくれてありがとう。楽しい日曜日だった。」
そう言って川本五郎は左手をあげてジョギングの速さでかけて行った。
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