第21話 20、日本での仕事

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 春になると川本五郎は課長待遇の参事官になり、1年前と同じように外務省国際情報統括組織と警察庁警備局公安課とに併任した。

参事官は組織のラインから外れた者がなる職で、地位は比較的高いがはっきりと決まった仕事がなく、自由がきく地位であった。

川本五郎にとってはありがたい地位だった。

 配属先が決まると、川本五郎は外務省の方に最初に行った。

部屋とデスクとパソコン端末が与えられ、五郎は一日中パソコンの前に座って情報を頭から順に記憶していった。

一昨年の公安課でブラックリストを頭から記憶していった方法と同じだった。

 川本五郎は世界各国の関係を知りたかった。

パソコン末端から得られる情報は日本語に翻訳されていない情報の方が多い。

ヘッドラインは日本語に翻訳されていたが、ささいな内容の場合はその国の言語で記載されている新聞記事がそのまま写し取られて載っている。

外国から発信される情報についても英語で発信される情報にはその国独自のフィルターがかかっている。

その国の言葉で発せられる情報がその国の現状を表している。

二十数カ国を自由に話す川本五郎は文字を読むだけならさらに多くの言語を読むことができた。

川本五郎は生の情報を記憶していった。

 ある時、川本五郎の仕事ぶりを見に来た上司はディスプレイに写っていた自分が知らない文字の新聞記事を見て驚いた。

「君はこんな新聞記事を読めるのか。」

「はい、何とか。自由には話せませんが文字を読むだけならできます。」

「君が二十数カ国語を自由に話せると言うことは知っているが、こんな言葉も読めるのか。ヘッドラインを見ればイヌイットの関連記事だろう。」

「はい、イヌクティトゥット語(Inuktitut, ᐃᓄᒃᑎᑐᑦ)で書かれております。でもこの言葉は読めますが自由に話せるというわけではありません。」

 「君は何ヶ国語が読めるのかね。」

「数えたことはありませんが、80カ国くらいだと思います。」

「驚いたな。この新聞記事を翻訳するとしたら数日はかかる。現地に頼んで英語に翻訳してもらってから読まなければならない。」

「問題はその翻訳なのです。意訳や誤訳がけっこう多いんです。やはり原文を読まなければ正確な情報は得られません。それに原文には書いた者の気持ちが入っておりますから。」

「凄いな、君は。今度何かあったら協力してくれ。」

「了解。」

 そんな中で警備局公安課の課長から電話があった。

「たまには来ないか」という催促の電話だった。

電話を受けた川本五郎はすぐさま警察庁に出向いた。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。今回、ここに配属された川本五郎です。」

川本五郎は公安課長に会って最初に言った。

「また、よろしく頼むよ。部屋とデスクは用意した。外務省では毎日何をしているんだ。」

公安課長の言葉には不満が含まれていた。

「世界の情報収集です。ここでブラックリストを記憶したのと同じことをしております。記憶し関連を構築してゆくのです。」

 「そうか。また凄いことをしようとしているようだな。こちらの仕事も少し頼んでもいいかな。」

「何でしょうか。」

「あれから内部スパイの関係を洗っている。中間層に数人の容疑者が浮かんできた。それをチェックして欲しいのだ。」

「了解。行動パターンが書かれたリストをいただければ人数分の日にちがあれば調べることができると思います。行動パターンには退出時刻が書かれているとありがたいですね。」

「分かった。一週間待ってくれ。リストができたら電話する。内部調査だからな。迂闊な人間には調査を頼めない。」

「了解。電話をお待ちします。」

 「それにしても君の昇進は早いな。30歳前でもう僕と同じ身分だ。アメリカと韓国では何をしたのだ。最近、君に関する情報が入りにくくなっている。」

「アメリカではグロッグ18Cをゴルフバックにぶら下げて大統領とゴルフをしました。韓国では一日中音楽を聞いて外を眺めておりました。」

「なるほど。それじゃあ情報も入らんな。だが外務省の君への評価は抜群だ。外務次官もベタ褒めだった。君の成果を泣いて喜んでいるって感じだった。」

「そうですか。でもアメリカのCIAは凄いですよ。僕のことを何でも知っているようでした。もう怖くてアメリカには当分行きたくないですね。」

川本五郎は公安課で与えられた小部屋を一瞥しただけですぐさま外務省の自分の部屋に戻った。

 公安課長からは正確に一週間後に電話がかかり、五郎は課長に会いに行った。

「これが例のリストだ。」

そう言って公安課長は胸ポケットから定型の封筒を取り出して五郎に手渡した。

川本五郎は封筒から4枚の紙を取り出し、1分ほど見てから書類を畳んで封筒に戻し、公安課長に封筒を返した。

「全て記憶しましたからリストをお返しいたします。」

 公安課長は驚いて封筒を受け取りながら言った。

「もう記憶したのか。1分も経っていないぞ。けっこう細かく書いてあったし顔写真もあったろう。」

「私の記憶は写真のような記憶です。そうでなければブラックリストの詳細を全て記憶することはできません。」

「驚いたな。だが、そういう人間が居ることは知っている。気を悪くしないでほしいが精神病院ではよく見つかるそうだ。」

「知っております。こんな能力があるので司法試験も公認会計士の試験も国家公務員の試験も通ったのだと思います。この能力は便利なのですよ。」

「そうだろうな。羨(うらや)ましい限りだ。」

 その日の午後、川本五郎は経済産業省に行った。

件(くだん)の人物は毎日午後3時頃、本館地下の食堂でコーヒーを飲む習慣があるらしい。

川本五郎は食堂隅からコーヒーを飲みながらその男を眺めた。

男のオーラは斑らだった。

その男はコーヒーを飲み終えるとエレベーターに乗って消えた。

 川本五郎は経済産業省を出て、隣の農林水産省に行った。

農林水産省のビルに入ると受付に行かないで入り口付近にいた警備員の方に行った。

「あの、いいですか。」

「何でしょうか。」

「警備局公安課の者です。受付カードに記入しないでこのロビーに暫く居たいと思います。上司の方に連絡を取ってくれませんか。身分を明らかにして許可を得たいと思います。」

「分かりました。壁の隅のドアを入ってください。上司がおります。」

川本五郎は「了解」と行ってドアに入って行った。

 「私はこういうものです」と言って川本五郎は警察庁警備局公安課の身分証を名前を指で隠して見せた。」

「何のご用でしょうか。」

「秘密調査をしております。夕方までホールをブラブラしようと思います。騒動は一切起こしません。警備員の方も私を無視するようにしてください。お願いできますか。」

「分かりました。もちろん理由は聞けないですね。」

「建物のホールを見たいだけです。」

「了解しました。」

 退省時刻になると多数の人々が川本五郎の前を通ったが五郎はすぐさま目的の男を見つけ出した。

男のオーラは斑(まだ)らではなかった。

そのかわりにその男と一緒に歩いていた男のオーラは斑らだった。

二人は親しそうに話をしながら五郎の前を通って行った。

 川本五郎は直ちに公安の自室に戻り、農林水産省の人事ファイルを閲覧した。

斑らのオーラを持つ男は五郎が調べようとした男の同僚で同期に入った者だった。

斑らのオーラを持つ男が同僚を隠れ蓑にしていたのか、公安の調査が不十分であったのかは不明だった。

どこからかのコンタクトが公安が狙ったターゲットをワンクッションにしてなされていた可能性もある。

とにかく五郎の調査は慎重になった。

 翌日の他の二人の調査結果では一人は斑らのオーラを持っていたが、もう一人は普通のオーラを出していた。

3日目、川本五郎は普通のオーラを持っていた男の職場に行って見た。

外部からの受付を業務とする部署だった。

川口五郎が長いカウンターの中の職員を見回すと斑らのオーラを発するものが奥のデスクに座っているのが見えた。

どうやら件(くだん)の男の上司らしかった。

 一週間後、川本五郎は調査結果のファイルを公安課長に渡して言った。

「今回は幸運でした。もし幸運がなかったら課長がプラセボを入れたと疑う所でした。公安課長は信用しなければなりませんね。とにかく、敵は巧妙です。隠れ蓑を使って疑いを逸(そ)らそうとしております。今回はたまたま件の男とその同僚が一緒に帰ろうとしたので隠れ蓑に入っている虫を見つけ出すことができました。そんな疑いを持った調査になったからこそ、無罪の男の調査を職場にまで広げ、上司虫を見つけ出すことができました。おそらく火のない所に煙は出ないでしょうから疑うに足る何かがあったわけです。問題は火元が内部スパイかどうかは分からないということです。無罪の男をワンクッションにして火元になることを避けておりました。」

 「ううむ。単純ではないな。今回の調査でも通り一片の確認だったら2匹の虫を逃す所だった。これからは気をつけよう。」

公安課長が言った。

川本五郎の警備局公安課の仕事は一応の区切りがつき、公安課長は五郎の助力なしで内部スパイ候補をあぶり出すこれまでの方法が有力であることを知った。

川本五郎は再び外務省の仕事に戻った。

 そんな中で川本五郎はアン・シャーリーのニュースを見た。

新聞にはアン・シャーリーの美しい姿が印刷され、その下に「驚異の新星、ゴルフ界に現る」という太字の見出しが印刷されていた。

アン・シャーリーはアメリカ大統領の護衛の仕事を辞め、ゴルフ界に入ったらしい。

各地のゴルフ大会に出場し、次々にコースレコードを更新していると記事にはあった。

 川本五郎は喜んだ。

ゴルフは成績だけの世界だ。

スコアが誰よりも良ければ必ず優勝する。

アン・シャーリーの細腕の力と正確さが維持できれば誰も勝つことはできない。

アンは賞金だけで生活することができる。

しかも活躍できる期間は長い。

成績さえよければ壮年になろうが老人になろうがチャンピオンを続けることができる。

 まして、アン・シャーリーは若く美形だ。

世間は放ってはおかない。

記事を読むとアン・シャーリーは常に出場者達よりもほんの少し良い成績で優勝している。

アン・シャーリーはゴルフ界で生き残ることを学んでいるようだ。

だれもワンオンワンパットを続けるゴルファーを尊敬などしない。

驚くだけで同じ人間仲間だとは思わない。

接戦を制して勝つことが重要なのだ。

たまには失敗して2位になるのもいい。

 川本五郎は外務省での仕事で華々しい成果を上げることはなかった。

ある国の問題点を見つけると、川本五郎はその国の大使館が東京にあれば用事もないのに訪問した。

その国の言葉で話し、世間話の中で五郎が感じた問題点を五郎の意見を添えて伝えた。

その国の大使は日本国が自国の問題点にも注意を払っていることを知り感謝した。

中には五郎の提案を採用しようとした国もあった。

 川本五郎はそんな風な大使館巡りを続けた。

五郎の大使館訪問を受けた国は川本五郎が日本外務省のホープであることを知り、川本五郎と知り合ったことを名誉に思った。

米国大統領とゴルフをし、中国公安の猛者を素手で手玉に取り、たった一言でパーティー会場を凍りつかせた川本五郎と知り合いになることは名誉なことだった。

 50ヶ国ほどの大使館を訪問し終えた頃、川本五郎は外務次官に呼ばれた。

「君はどこにいても何かをする男だな。今度は大使館訪問か。訪ねてくる大使は一様に君のことを友達だと自慢していた。日本に感謝を込めてな。今度はいったい何をしたのだ。」

「別に何もしておりません。会話の練習を兼ねて大使館を訪問しておりました。もちろん世間話の中でその国の問題点を時々入れる場合があります。外務省国際情報統括組織では多くの情報を得ることができます。暇だったのでほとんど全ての情報を記憶することができました。そうすると自ずとある国の問題点と解決法が浮き上がってくるのです。そんなことを話しに行きました。」

 「君はイヌイットの新聞も読むことができるそうだな。統括官が驚いていた。80カ国の新聞を読めるそうじゃあないか。そんな者は外務省にはおらんよ。」

「でも会話はできません。」

「だが、自国の新聞記事を読んでそれについて話をされたらその国は喜ぶだろうな。小さい国は自国のアイデンティティーを重要視するから。」

「そうでしょうね。」

 「次はどこに行きたい。普通はそんなことは聞かないのだが、君にはそうしなければならないと思う。」

「アメリカ以外ならどこでもいいです。」

「普通はみんなアメリカ行きを望むのだがな。エリートコースだから。」

「アメリカのCIAは怖いですから。でも日本国のためならどこでもいいです。」

「君はおそらく僕より国際情報を知っている。君に『日本国のため』って言われると厳しいな。」

「よろしくお願いいたします。」

「分かった。なんとか考えるよ。」

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