第22話 21、GRU壊滅
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川本五郎はロシアに派遣された。
身分は参事官(Councilor)のままだった。
モスクワはクレムリンを中心にした2重の円形の道路があり、日本大使館は内側と外側の環状道路に挟まれた北北東の方向にある。
多くの国の大使館は日本大使館と同様に内側と外側の輪の間にあったがワシントンDCのように密集して大使館通りを作っているわけではなかった。
川本五郎は就任の挨拶を終えて一段落すると恒例のジョギングを開始した。
ジョギングは街の様子が詳しく分かるし、道端で話している人のロシア語を聞くのが楽しかった。
それはジョギングを初めてわずか2日目の事だった。
川本五郎が二人の男の間を駆け抜けようとすると一人が五郎の前に出て来たので走るのを止めた途端に五郎は後ろから脇腹に電撃をくらった。
不意のことだったので五郎は何もできず、道路に崩れ落ちた。
自慢の筋肉は何も動かなかった。
後ろの男は崩れ落ちる五郎を抱き寄せながらスタンガンを押し続けた。
前の男も五郎を前から抱いて立たせたままにした。
五郎は気を失ってしまった。
黒のワゴン車が近づいてサイドのドアが開き、二人の男は五郎とともにワゴン車に乗り、大通りに出て、車の流れに乗ってどこかに走り去った。
川本五郎が気がついたのは窓がなく、人工リノリウムシートが貼られた床の小さな部屋だった。
頭から水をかけられたのかもしれない。
顔が濡れている。
そのためのリノリウム床なのかもしれない。
五郎は後ろ手錠をかけられ背の高い椅子に腰掛けさせられていた。
前には木製の机があり、一人の背広姿の男が机の向こうに座っていた。
もう一人の男は机の横に座っていた。
五郎が首を左右に回すと視界の端にドアがあり、一人の衛兵がドアの前に立っていた。
「ようやく気がついたか。弱い男だな。普通なら気が失わないのに。目星は着いているが一応聞いておこう。お前はだれだ。」
ロシア語だった。
「僕は日本大使館の外交官だ。日本大使館に紹介すればすぐに分かる。」
「外交官だと。外交官と言えば逃げられると思っているのだろが、お前の正体は分かっている。」
「誤解だ。本当に外交官だ。腰のポケットに身分証が入っている。確かめてみろ。」
「おいっ。」
正面の男が横の男に顎で命令した。
横の大柄の男は立ち上がり、五郎の側頭部をしたたか殴ってから腰のポケットから身分証の入った財布を抜き取って前の男に渡した。
「・・・間違えたかな。こいつは日本大使館のカウンシラーらしい。上から2番目か3番目だ。まずったな。」
「どうする。失敗だぞ。」
「・・・ふうむ。我々の推測は間違っていない。こいつはテロリストの一味だ。身分証を持っていないことが証拠だ。このモスクワで身分証なしで出歩くのはテロリストしかいない。」
そう言って前の男は五郎の財布から紙幣を抜き取ってから財布を横のゴミ箱の中に捨てた。
「かわいそうにな。お前は人知れず死んでどこかに埋められることになる。若い外交官が街でロシアマフィアに捕まって殺されたってことだな。お前の死体は知り合いのマフィアに渡してやるよ。大事にどこかにしまってくれるだろう。」
「どうやって僕を殺すつもりだ。死ぬ前に聞いておきたい。」
「度胸があるな。観念したか。まあハラキリができる人種だからな。お前はこれからこの部屋で殴り殺されるのさ。」
「ふざけるなーっ。」
五郎は怒りを込めて大声をあげた。
正面の男は目をまるく広げて五郎を見つめ机に頭を落とした。
横の男は立っていたので両手で胸を押さえて後ろにひっくり返った。
五郎が後ろを振り向くと銃を持った衛兵は銃をにぎったままうつ伏せになっていた。
3人の心臓は止まっていた。
川口五郎は椅子から立ち上がって椅子を後ろに押し、椅子の背から腕を外した。
それから五郎はしゃがみ、体を前屈させて手錠のかかった両手を腰に回し通してから両脚を通して前手錠の状態にした。
衛兵を仰向けにして手錠の鍵を見つけ、手錠を外した。
川本五郎は衛兵のカラシニコフと弾倉を取り上げて弾倉をズボンに挟んだ。
男たちの体を調べ、拳銃と弾倉を取ってズボンに挿した。
正面の男の財布から奪われた紙幣を取り返し、ゴミ箱から財布を拾って腰のポケットに入れた。
カラシニコフは目立つので弾倉とともに衛兵の横に置いた。
拳銃があればなんとかなる。
「こんな腐った組織は潰してやる。」
五郎は心を怒りで満たして呟(つぶや)いた。
川本五郎は背丈が合っていた正面の男のズボンを脱がして履き、上着を脱がせてそれを着て腰の拳銃を隠した。
ドアを開けて廊下を見回すと廊下の向こうの方に向かって歩いている二人の男がいた。
川本五郎は二人の心臓を止めた。
廊下に面した扉を次々と調べ、開くドアがあると中に入って電気器具のコードをちぎってショートさせた。
廊下を回ると多数の男女が働いている大部屋があった。
電源が落ちて大騒ぎをしている最中だった。
川本五郎はゆっくりと部屋に入ると怒りの大音声で『死ねっ』と叫んだ。
部屋にいた男女はすぐにひっくり返った。
五郎は倒れた人間をゆっくりと跨ぎながら部屋を調べた。
部屋の奥には間仕切りがした小部屋があり、おおきなデスクに一人の男が机に突っ伏して死んでいた。
机の横には綺麗な秘書も恐怖に顔を歪めて仰向けに死んでいた。
川本五郎は大部屋の奥に床に腰掛け、入り口を見張った。
大部屋は人の出入りが激しはずだ。
待っていれば人が入ってくる。
しばらくするとドアが開いて一人の女性が入ってきたが、部屋の異常を見て叫ぼうとした。
女性は叫び声を出さずに心臓が止まった。
川口五郎はこれでは効率が悪いと考え、廊下の端の階段を上階に上がった。
最初にいた階は4階だった。
5階では川口五郎はゆっくり廊下を歩き、4階と同じような大部屋を見つけ中の全員を殺した。
6階でも同じような大部屋の全員を殺した。
7階には大部屋はなかった。中程度の部屋が並んでいた。
川本五郎は扉の前にだれもいなければ部屋を開けて中の人間を殺した。
扉の前に衛士がいる場合は衛士を殺してから中に入り、秘書を瞬時に殺してからその向こうの扉の中の人物を殺した。
8階は銃を構えた数人の兵士が扉の前を守っている部屋があった。
川口五郎は遠くから兵士の心臓を止め、その部屋に入り中の3人を殺してから、その奥の部屋の住人を殺した。
9階は広い展望台のような佇(たたず)まいで、カウンターと軽食の食堂になっていた。
川口五郎は9階の全員を殺してから食堂に入り、強力な着火ライターを使ってあたりの可燃物に点火してからコンロのゴム管を外し、ガス栓をゆっくり開いてから着火ライターを腰に挟んで8階に戻った。
死人の転がる部屋に入ると燃えそうな紙書類に火をつけてから、給湯設備のあるところでコンロのガス管を外し、ガス栓をゆっくり開いた。
川口五郎はこうして9階から順番に素早く放火しガス栓を開いていった。
火事が起こっても上の階で起こる分には危険はない。
4階に放火した辺りで非常ベルが鳴りスプリンクラーから水が噴き出した
まだ殺し損ねた人間が居たようだった。
非常階段を上階から駆け下りてくる人がいた。
川本五郎はそれらの人間の心臓を止めて階段を塞いだ。
3階の廊下は人で溢れていた。
川本五郎は怒りを込めて『死ねっ』と叫び、廊下の全員の心臓を止めた。
川本五郎は3階の大部屋に入り再び死の雄叫びをあげて全員を殺し、給湯設備のガス管を外して火を着けた。
2階はほとんどの人は逃げており誰もいなかった。
それでも非常階段から降りてくる10人ほどの人がいたので川本五郎は着火ライターを踏みつけて粉々してから非常階段の人達に混ざってビルの外に逃れた。
道路には消防車が近づきつつあった。
サイレンの音が聞こえる。
川本五郎は人ごみを離れ、平穏な街の歩道をゆっくり歩いて現場から離れていった。
角を曲がった時、さっきまでいたビルに爆発が起こった。
ガス爆発であろう。
川本五郎が今いる場所がクレムリン宮殿の南側であることはすぐに分かった。
日本大使館から離れている。
川本五郎はその夜、遅くなって日本大使館にたどり着いた。
明るいうちは監視カメラの目から逃れることはできない。
夜になれば追跡はできなくなる。
翌日の新聞の一面は爆発火事事件の記事で埋まっていた。
ロシア連邦軍参謀本部情報総局のビルで火災が発生し853人の職員が死亡したとなっていた。
火災そのものはボヤ程度であったが、火災は9階から順番に下がって3階まで達し、各階では何百人の人間が死んでいたと書かれてあった。
死因の詳細はまだ調査中であるが、焼死したものは一人もいなかったとも書かれていた。
記事はガス爆発はカモフラージュで、火事に見せかけた毒ガス攻撃だったかもしれないと結んでいた。
川本五郎は大使と面会した。
「大使、今朝の一面のニュースをご覧になりましたか。」
「うむ。あの有名なGRUが実質壊滅したな。職員の大部分が死んだ。」
「あれは僕がやったのです。腹が立って潰しました。」
「君が。まさか。本当か。」
「着任早々、大事件を起こしてしまって申し訳ありませんでした。」
「どうしてそうなった。君は夕方前にジョギングをしに出かけたろう。」
「はい、走っていたら突然襲われました。本当に突然だったので抵抗できませんでした。」
「それからどうなった。」
「スタンガンをしこたま当てられ気を失って、気がついたら後ろ手錠をかけられて尋問室でした。僕をテロリストと勘違いしたみたいです。」
「それで、身分を明かさなかったのか。外交官ならすぐに解放されるはずだ。」
「僕もそう思って身分証を示したのですが、尋問者は身分証をゴミ箱に捨てて、無視しました。身元不明の男として殺してからロシアマフィアに僕の死体の始末を依頼すると言いました。自分達の失敗が公になるより日本の外交官の失踪の方がいいと思ったようですね。」
「何ということだ。それで君はどうしたのかね。」
「部屋にいた3人の心臓を止め、手錠を外しました。」
「そうしたら、そのまま逃げ出したら良かっただろうが、どうしたんだね。」
「当時の僕は怒り心頭で、腐った組織を潰してしまおうと考えてしまいました。尋問室は4階にあったのですが、順番に上階に登って人を殺していきました。最上階の9階に着くと今度は順番に放火して下の階に行き、避難の人に混ざって逃れました。この話の核心部分は外交官と知っても外交官を殺そうとしたことです。その部分の会話は録音してあります。これがそのコピーです。外交官と知っても殺そうとした組織は日本国に宣戦布告をしたのと同じです。滅ぼされても文句は言えないはずです。」
そう言って川本五郎は録音チップを大使に渡した。
「理屈では君のいう通りだ。国際法を破れば宣戦布告に等しい。報復されても文句は言えない。だが、君は凄すぎるな。恐ろしいくらいだ。たった一人で警戒厳重な諜報機関の総本山の853人を殺した。信じられないよ。」
「一人の人間がクレムリンに行ってそこの住民を殺すことがいつでもできるということが分かったと思います。」
「そうだな。」
「アメリカ大統領もそう思っております。僕が1秒以内で遠くから大統領を殺すことができるということを知っております。だから拳銃をゴルフバッグに吊り下げて大統領とゴルフをすることができたのだと思います。信頼しなければそうはできません。」
「まだ判らないだろうが、調べが進めばそう思うようになるかもしれんな。それで監視カメラはどうなった。君の姿が残っているだろう。」
「はい、残っていると思います。最初は監視カメラを壊そうと思って拳銃を奪ったのですが、音が出るし、警戒がかえって高くなるだろうと思って監視カメラを壊すことはしませんでした。でも、一人の男が武器を使わないで一瞬で部屋にいた数百人を殺したという事実をどのように立証するのでしょうか。そんなことは普通の人間では不可能です。」
「そうだな。だが君に似た男がそうしたということは信じるだろうな。」
「そう思います。それで着任早々の左遷をお願いできますか。私はモスクワから離れた方がいいと思います。次に同じような事件が起きても、私が外国に居れば疑いをかけられる心配はありません。」
「僕もそう思う。君はあの日はジョギングをしに出かけて、途中で休んで夜遅くに大使館に戻ってきただけだ。監視カメラの男は単に君に似た別人にすぎない。それにあのビルはここから離れている。とても事件が起こった時刻に間に合うわけがない。不法に誘拐される以外はな。」
「了解。あとはよろしくお願いします。」
「分かった。任せておけ。それにしても君は凄いな。大国の情報部の一つを潰してしまった。」
「相手がゲスだったからです。」
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