第54話 53、北京の警備騒動

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 「ロシアはGRU壊滅を許したようだな。」

阿多首相は帰国の機内で指圧を受けながら川本五郎に言った。

「さあ、どうでしょうか。許してはいないと思います。ただ、どうしてそんなことが可能だったのかは理解したと思います。」

「だが、大統領は君の能力を知ってもなお自信を持っていたな。」

「所詮、個人の力には限界があります。私の力は平和な世界でのみ威力を発揮できます。戦争になったら何の役にも立ちません。核爆弾を落とされたら簡単に消えてしまいますから。」

「そうだな。それゆえの核兵器だ。」

 川本五郎は今や阿多新太郎総理大臣のマッサージ師となったようだった。

帰国後、川本五郎は総理大臣官邸にしばしば呼ばれて指圧を頼まれた。

川本五郎は大腸の潰瘍も急速に治癒していると主治医から伝えられた。

もちろん痛みは無くなっていた。

阿多総理大臣としては青年の時からの持病が川本五郎の指圧で急速に快癒していることを実感していたので川本五郎への信頼は絶大なものとなっていた。

どんな高名な医者にかかってもこれまで治らなかった病気が薬も使わず指先だけで治ったのだ。

 総理大臣の主治医も川本五郎の医学の実力は知っていた。

東大の医学部を首席で卒業し、奇跡的な素早さで難しい手術を次々に成功させていく。

医学の知識では最近の知識を除いてはほとんどを知っているし、今でも川本五郎の意見を聞くために東大医学部に招かれている。

 「総理、もう総理の体は私の治療を必要とはしておりません。追加の指圧無しでも回復すると思います。」

川本五郎は総理官邸で背中に指圧を加えながら言った。

「そうか。治ってしまったか。君に背中を押してもらうと実に気持ちがいいのだ。もう無しか、残念だな。」

「人間の体は自律するように出来ております。マッサージは心地よいものですが体をそれに甘えさせてはいけません。指圧は今日で終わりです。」

 「残念だが仕方がないか。だがそろそろ老人性の病気も出てくるだろう。僕を見捨てないでくれないか。」

「ご心配なく、総理。死ぬまで付き合ってあげます。総理が老衰で死ぬまでです。病気は直してあげますが老衰は私には手が出ません。それでよろしいですか。」

「それで十分だ。」

 阿多新太郎総理大臣は意欲的に外遊する。

光野光志郎外務大臣と競っているようだった。

首相はロシア連邦国が終わると中華人民共和国へ出発した。

ロシア同様、今回も夫人は連れて行かなかった。

川本五郎は業務として首相の外遊に随行した。

川本五郎にとって中華人民共和国は五年ぶりだった。

 「君と一緒に行くと心強いな。今度の中国はどうだ。」

機内で阿多総理大臣は川本五郎に言った。

「私が外交官として派遣された最初の国です。5年前のことです。ロシアとは違って中華人民共和国ではそれほど殺しませんでした。」

「普通に聞くと恐ろしい会話をしているな。何をしたんだ。」

 「確か1+10+2+1+6+1でしたね。順番に言えば公安の1人を廃人にし、10人の暴漢を失明させ、2人の公安を失明させ、1人の少林寺拳法家の腰を砕き、1人の公安の首を折り、6人の公安を失明させました。ですから死んだのは公安の1人だけです。」

「全て君一人でやったのか。」

「はい、敵対行為をしましたから反撃しました。」

 「外交特権があったろう。」

「外交官と知っていて敵対してきました。そのため中華人民共和国からは何も言って来ませんでした。取り上げた身分証明書も拳銃の弾倉も公安は大使館に取りに来ませんでした。」

「恐れ入ったね。君はこれまで何人殺したり廃人にしたりしたんだ。」

「千人以下だと思います。中国21人、アメリカ4人、南コリア50人以上、ロシア853人、トルコ20人、インドネシア20人、カイロ19人だと思います。」

「君は事件誘発物質を出していると言った次官の気持ちもわかるよ。」

 日本を朝に主発した政府専用機は短い飛行を終えて北京に到着した。

川本五郎に割り当てられた北京でのホテルはロシアと違ってウォッシュレットが備わっていた。

日本に近いためかもしれない。

川本五郎はホスト国のレセプションには全く通訳の必要がなかったのでグロッグ18Cを懐に忍ばせて総理大臣のボディーガードの一人として首相の周辺を警備した。

 ホスト国には当然のように警護員がおり、ゲスト国の警備員とは時折摩擦が生ずる。

どちらが警備の主導権を握るのかで争うのだ。

結局、主導権は力の強い方が持つことになる。

中華人民共和国の警備員は英語は話せるが日本語を話せる者は少ない。

日本国の警備員も英語は話せるが中国語を話せる者は少ない。

必然的に共通語である英語が諍(いさか)いの際に使われる。

 そんな時、川本五郎は諍いには中国語で話し日本のために力を発揮する。

川本五郎は警備員の群れから前に出て中国の警備隊長に中国語で静かに言った。

「君たちはここは中国だから中国の言うことを聞けと言っていおりますが中国の警備員は要人を守ることができるのですか。後ろを見てください。皆さん具合が悪そうですよ。」

隊長が後ろを振り向くと警備員の全員が地面に仰向けに倒れて踠(もが)いていた。

 「おい、お前たち、どうしたんだ。・・・お前、何かしたんだろう。」

「はい、皆さんが警備には不向きだとお知らせしました。貴方の警備隊はこのようなテロリストの攻撃を防ぐことができますか。体が動かなければ警備はできませんね。我々なら対処できます。」

「いったい何をしたんだ。」

 「敵が何をしたのか分からないようでは警備はできませんね。そう思いませんか。」

「おい、早くなんとかしろ。」

「貴方はテロリストになんとかしろって言うのですか。」

「くそっ。」

「じゃあ、そのままでいなさい。無力な警備隊のまま地面に寝ていなさい。我々は我々で警備をいたします。貴方は責任を取らなければならないでしょうね。任務放棄ですから。お大事に。」

 川本五郎が日本国の警備員を連れてその場を去ろうとすると隊長が言った。

「待ってくれ。まいった、お前たちの言うように動く。部下を助けてくれ。」

「私以外は中国語は分かりませんが、貴方の言葉は人に頼む言葉ではありませんね。」

「すみませんでした。貴方たちに従って警護をいたします。どうか部下を助けてください。」

「いいですよ。」

そう言って川本五郎は倒れている警備隊員に向かって手を叩いた。

倒れていた警備員達は苦しむのを止めて立ち上がり始めた。

 「貴方はいったいどなたでしょうか。」

中華人民共和国の警備隊長が川本五郎に言った。

「人に名前を聞くときは先に名乗るべきだと学びませんでしたか。私は日本国のスーパーガードマンです。名前は秘密です。」

そう言って川本五郎は日本の警備員の中に入って行き、後を日本の警備隊長に任せた。

その日の夕方の中華人民共和国総理主催の少人数夕食会では川本五郎は阿多首相の隣に座った。

中華人民共和国の警備隊長は川本五郎の名前を恐ろしい力を持つ者として知ることになった。

 警備上でのトラブルは上司に報告されていたらしい。

翌日の昼の中華人民共和国総理主催の昼食会で中国総理は川本五郎の隣に座っていた日本国の総理大臣に言った。

「昨日警備上の問題で貴国と我が国の間でトラブルがあったようです。」

「そうですか。昨日は川本君が警備に入っていたので問題は既に解決されているのだと思います。」

 「お隣の川本五郎外務審議官が我が国の警備隊の隊員に不思議な術をかけたそうです。」

「そうでしたか。川本五郎外務審議官は数々の武勇伝を持っております。ピョートル大統領も涙を流して感動しておりました。李強国首相は川本審議官と話をしたいのではないですか。」

「よろしいですか。」

「どうぞ。・・・川本君、李強国首相と話をしてくれんか。」

 「了解しました、首相。・・・日本国の外務審議官の川本五郎です。貴国には5年前に3等秘書官として半年間ほど日本大使館に駐在しております。合意、アグレマンは書類でなされましたから李強国首相閣下とはまだお会いしたことはありません。」

「李強国です。5年間で3等秘書官から審議官まで出世されたとは驚くべきことです。よほど大手柄をたて続けたのでしょうね。」

「日本国の温情の賜物です。私は各地で事件ばっかり起こしておりました。日本国はそんな私を可哀想に思ってやむなく私を昇進させたのだと思います。」

 「謙遜ですね。腕のいい医者で、弁護士で、数十カ国後を流暢に話し、常人を凌駕する運動能力を持ち、恐ろしいほどの気迫を持っておられる。日本国の宝です。」

「お褒めにいただいて恐縮です。世界には私と同じような力を持っている方がたくさんいると思います。当然テロリストの中にもいるかもしれません。今回は貴国の警備隊にそんなテロリストによる想定される攻撃を身を以てお教えしました。今後は警備体制が改善されると予想できます。」

 「それはそれはご親切に。ありがとうございます。全ての警備隊員は突然呼吸ができなくなったそうです。川本五郎審議官はロシアのGRUの建物で853人を一瞬で殺してしまったという噂があります。そんな力を持ったテロリストは防ぐことができませんな。」

「私にはそんな力はありませんが、そんな力を持ったテロリストの攻撃は阻止できると思います。」

「どのように阻止したら良いのでしょう。」

「一番いいのはテロリストを作らないことでしょうが、それは貴国の防衛の話ですから貴国で考える問題です。」

「分かりました。考えておきましょう。」

 「お役に立てれば幸いです。・・・総理、李強国首相閣下との話は終わりました。李強国首相閣下は中華人民共和国の警備体制を強化するおつもりのようです。」

「そうか、今のままでも日本と比べれば圧倒的に厳しい体制だがな。とにかくご苦労様でした。」

「どういたしまして。」

 その日の阿多総理の午後は北京大学への訪問と国家主席との首脳会談と首席主催の夕食会が予定されていた。

川本五郎の首相警護の役目は北京大学への訪問だけだった。

学生はとかく激しやすい。

北京大学は阿多首相の訪問に対して40名ほどの学生を用意していた。

4つの学部から選抜されたとりわけ優秀な学生達だったのであろう。

どの学生も元気そうなオーラを出しており、胡乱(うろん)な学生でないことはすぐに判った。

 川本五郎はライフサイエンス学部から来た小柄な女学生に興味を持った。

その女学生のオーラは赤色で燃え盛る炎のように見えた。

川本五郎はその娘を注視したが、その女学生も阿多首相ではなく川本五郎をじっと見つめていた。

川本五郎はパネル交換の合間を利用してまっすぐ女学生に近づき中国語で言った。

 「お嬢さん、日本国の川本五郎と申します。私は貴方に興味を持ちました。周囲の学生さん達よりも強い意志を持っておられるようです。どうして私を注視したのかをお聞きしてもいいですか。」

「失礼いたしました。川本五郎さん。あまりに貴方が輝いていたので思わず見つめてしまいました。」

「そうでしたか。貴女はオーラが見えるようですね。私は何色に見えましたか。」

 「オーラをご存知でしたか。私だけが見えるのかと思っておりました。川本五郎さんのオーラは透明な黄金色でとてつもなく大きく、頭だけではなく体全体で輝いております。」

「確かに見えるようですね。子供の時からですか。」

「そうです。質問してもよろしいでしょうか、川本五郎さん。」

「何ですか。」

 「私には自分のオーラを見ることができません。貴方はどうして貴方のオーラの色をご存知なのですか。」

「オーラを見ることができる人間から教えてもらいました。」

「まあ、何人も居るのですね。」

「それほど多くはおりません。」

 「私の色は何色でしょう。」

「あなたの色は赤色です。そうですね。今、我が国の総理と話している学生が見えますね。貴女ほどではないですがなかなか優秀な学生のようです。彼のオーラの色と似ております。でも貴女のオーラの方がずっと大きく透明感があります。」

「そうでしたか。ありがとうございます。仲間ができたような気がします。」

「中華人民共和国は人口が多く一つの共通語を話しますから貴女のような人間が生まれることができたのだと思います。」

「川本五郎さんは私が生まれた原因をご存知なのですか。」

「推測はできます。」

 突然、阿多総理から日本語で声がかかった。

「おーい、川本君。帰るぞ。急げ。」

「了解。・・・まだ名前も知りませんが、かわいいお嬢さん。これで失礼いたします。」

川本五郎は首相に大声で返事をし、女子学生にはそう言って踵を返し、阿多首相の方に向かった。

「私の名前は丁寧です。」

娘は川本五郎の後ろ姿に向かって大声で叫んだ。

川本五郎は了解のつもりで右手を挙げて去って行った。

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