第8話 7、外務省での研修
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医学部の講義は川本五郎に合っていた。
医学部の講義では大量の情報を記憶しなければならない。
多くの単語を記憶し症状を条件に合わせて理解し記憶しなければならない。
それは写真で撮るように記憶理解できる川本五郎の得意とすることであった。
そんな特技があったからこそ川本五郎は高校生時代に司法試験や公認会計士の試験に合格したのだった。
どちらの試験も知識の量と正確さを問う試験だったからだ。
外科的手技においても川本五郎は驚異的な速さと正確さを示した。
外科的な手技における重要な要素の一つは処置の速さと正確さだ。
川本五郎は教えてくれた教官の半分の時間で正確に処置した。
五郎の手の動きを真似ることができた教官はいなかったし、もちろん学生では誰もいなかった。
川本五郎のペーパーテストは相変わらずの満点近くの成績であったので6年次になるといくつかの外科系講座から配属勧誘の秋波が送られた。
教養から移行しての4年間、川本五郎は医学部に所属していたのだが、卒業間際になっても五郎は東京大学医学部に残る気持ちは出てこなかった。
その時でも川本五郎にとっての医学部卒業はあいかわらず医師国家試験の受験資格を得るためだけだった。
川本五郎は6年次の3月下旬、医師国家試験に合格し、医師になった。
川本五郎は医師国家試験に合格する1年前の6年次の春、国家公務員総合職の試験に合格していた。
試験の成績はわからなかったが、おそらくかなり良い成績だったのだろう。
試験に合格してから外務省を訪問し、夏には内定の報を受けた。
その当時、川本五郎は少し自信過剰だったのかもしれなかった。
身上調書の特技欄には司法試験合格、公認会計士試験合格、医師国家試験合格予定、多数の外国語(英語、スペイン語、中国語、ヒンディー語、アラビア語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、イタリア語、ロシア語、ケルト語、ウルドゥー語、ベトナム語、マレー語、ビルマ語、タイ語、タミル語、ノルウェー語、ハンガリー語、朝鮮語、他)、超人的運動能力と書かれていた。
そして希望する職種の欄には『秘密大使』と書かれてあった。
「この秘密大使というのは当省にはありませんがどんな職種なのですか。」
外務省の面接官が聞いた。
「秘密でも特別でもどんな名前でもいいのですが、私が考えているのは大使の身分で特殊工作を実行する職種です。」
「実際の大使の職務はどうするのですか。」
「もちろん私が行いますが、必要なら大使代理を置きます。」
「特殊工作とはどんなことを考えておりますか。」
「外交とは国と国との付き合いだと思います。将来はどうなるかわかりませんが、今のところ国は個人で構成されております。国を制御する個人を制御すれば国を制御できると思います。大使の身分はそんな要人に近づくことができる身分です。」
「人を制御するとは賄賂のことですか。」
「それも方法の一つでしょうが、人間にはお金よりも大事なものがあります。命と大義です。」
「命は分かりますが大義とはどんなものですか。」
「国によって事情が違うと思いますから大義の意味も変わって来ると思います。そうですね。例えばその国では麻薬が蔓延しており、国の状況を憂(うれ)う為政者は麻薬を自国から締め出すことが国の大義だと考えていたとします。日本の秘密大使がそうしてあげたら為政者は秘密大使に感謝し同時に恐怖を抱きます。秘密大使が麻薬組織を壊滅させることができたということは日本がその国の支配層を壊滅させることができると思うからです。その国は日本の望みを叶えるでしょう。」
「君は一国の麻薬組織を壊滅させることができると思っているのですか。」
「そんなに難しいことではないと思います。ボスになったら死ぬと信じさせれば組織は壊滅すると思います。100人ほどボスが死ねばだれもボスになろうとは思わないと思います。」
「そんなことが君にできるのかい。」
「私にはできません。いまの話はあくまでも例として出した私の空想ですから。」
「他にどんな大義が考えられるかな。」
「先ほどの例は相手国の大義について想像しました。次は日本の大義に関しての例です。独裁国家があったとして日本はその独裁者が病死でもしたら幸運だと思っていたとします。もしその国に日本の大使館があったなら日本には幸運が舞い込むかもしれません。」
「君がその国の秘密大使であった時ですね。」
「そうです。」
「君が暗殺するのか。」
「私にはそんなことはできません。あくまでも例として出した私の想像ですから。」
「他にどんな大義が考えられるかな。」
「想像するのが難しいですね。世界の国々は法律のない土地に住んでいる個人のようなものです。強いものは強く弱いものは弱いのです。弱い者も安心して生活できる国という体制を採っていませんから。そんな場合、一国の大義が普遍的な正義になるのは難しいと思います。それぞれの国にはそれぞれの正義がありますから。」
「要するに、秘密大使は秘密大使の正義感に基づいて行動するということですね。」
「そうなると思います。」
「君が考えている秘密大使は大国の為政者をも動かすことができると考えているのですか。」
「国は個人で構成されていると先ほど言いました。個人を動かすことは容易だと思います。アメリカ合衆国の大統領だって中華人民共和国の首席だって個人です。個人は死なないように努力すると思います。そうすれば大国は動くかもしれません。もちろんその国に日本の秘密大使がいればです。」
「君の考えている秘密大使は怪物のようですね。」
「私は怪物かもしれません。」
そんな不遜でふざけた対応をしても川本五郎は外務省の内定を得た。
国家試験の成績がよほど良かったのにちがいなかった。
川本五郎の東京での宿舎は慣例から見れば破格の扱いだった。
要注意人物としてブラックリストに載ったらしい。
宿舎は小ぎれいな5階建てのビルで、建物の入り口は施錠できるようになっていた。
日常の行動が詳細にチェックされる宿舎だ。
その宿舎は単身者専用で、省庁の地位の高い者とか裁判官のような外部の者との接触をさせたくない者達が多かった。
そんな快適な宿舎が在ったにもかかわらず、川本五郎は外務省に入省しての2年間をほとんど職場で過ごし、宿舎に帰るのは着替えと洗濯のためだけだった。
川本五郎は外務省で食事を取りシャワーを取って眠った。
外務省のシャワー室は東大病院のような大きな浴槽はない。
外務省の職員は病院のように手術をしない。
病原菌や返り血を受けないのだからそれは当然かもしれなかった。
そんな生活を続ける川本五郎に関するどんな素行調査も、川本五郎を判定不能と評価した。
外務省に篭っている五郎の素行は調べることができなかった。
川本五郎からは埃(ほこり)も出なかったのだ。
川本五郎の実力はすぐに省内に知れ渡った。
特技に書かれていた外国語の能力は全て本物だった。
英語でしか対応できない国の要人が来省した場合、川本五郎は参加させられた。
川本五郎は相手の国の言葉で対応し、話題も豊富でどれも奥深く完璧だった。
要人が女性であった場合、川本五郎はすぐに気に入られた。
要人が男性であった場合、相手は五郎の博識多能に驚くのだが気に入られるとは限らなかった。
女性もそうなのであろうが、男の場合には同性に妬(ねた)みの感情を持つ場合がある。
多くの男性の要人は自信家だからだ。
外交官は血筋が重んじられる。
まだ名もなかった赤ん坊だった五郎は施設の赤ちゃんポストに置かれていた。
出生日のメモはあったが、だれの子供かは分からなかった。
生後1ヶ月で施設から川本家の養子になった、どこの馬の骨かわからない一般人の川本五郎には徹底的な身上調査がなされ、心情調査も加わった。
生まれから小学校、中学校、高校、大学の期間について徹底的に調査された。
調査資料の総合評価欄の特記欄には『怪物』と記されてあった。
川本五郎への評価欄は「特A以上。(評価不能)」であった。
外交官の教育の中には銃器の扱いがあり、川本五郎は自衛隊の射撃場に連れて行かれた。
そこでも川本五郎は非凡な才能を示した。
もちろん川本五郎はこれまで鉄砲を撃ったことはなかった。
説明を受けた後の拳銃の実射で川本五郎は25m先の的の中心に弾を集中できた。
指導教官は驚き、「君は拳銃を撃ったことがあるのかね」と訊いた。
「いえ、今日が初めてです。今ので少し慣れましたから、もう一度撃たせてくれませんか。今度は実際に使う状態で撃ってみようと思います。」
「やってみたいか。俺も見たい。」
「的を変えてもいいですか。分かりやすいように10mの空気銃用の的にしてもいいですか。」
「確かにその方が分かりやすいな。いいだろう。的を変えさせよう。」
川本五郎は上着を脱いで拳銃のホルスターを脇につけ、グロッグ19を差し込み、上着を着てから25m先の小さな的に向かい合った。
「それでは撃ちます」と言って川本五郎はホルスターから拳銃を抜き出し、右脇に構えて12発を連射した。
テレビ画像を見て教官は驚いた。
「当たってる。練習用も含めて12発全てが黒点の真ん中に当っている。信じられない。しかも俺には君が拳銃を抜くのが見えなかった。見えたのは拳銃を撃っている時だけだ。しかもフルオートではないが速射だった。12発に5秒もかからなかった。小さなグロッグでな。君は天才だな。君が外務省のキャリアのエリートだって。本当に今日が銃を射つのに初めてだって。驚いたな。」
「はい、初めてです。僕は筋肉を制御できるので当たるのだと思います。」
「なぜ君は俺が教えたように腕を伸ばして的を狙わないで撃ったんだ。」
「実際に撃ってみて、拳銃は目で狙って撃つものではないと思いました。目で狙わないのなら腕を伸ばしても腰だめで撃っても同じです。それに、腕よりも手首の方が早く動きます。動く相手には腕を固定して手首で銃を制御した方が便利です。僕の場合、拳銃の銃口から真っ直ぐに伸びた釣竿を想像して的を狙っています。腕を伸ばす必要はないと思います。」
「まいったな。反論できんよ。確かに君の言うように拳銃は体の近くに置いておいた方がいいな。相手に奪われる心配もない。腕を伸ばして狙っている相手では横に跳んで逃げることも考えるが、腰だめに拳銃を構えた相手では横に跳んで逃げれるとは思わんよ。腕の動きは遅いが手首の動きは早いからな。・・・ふうむ。次は小銃の訓練だ。どうだ。通常は150mの的だが300mで撃って見ないか。」
「はい、お願いします。小銃は拳銃と違って遠くを狙うものですから。」
「だが300mは大変だぞ。弾は当たるまでに落ちるし風の影響をもろに受ける。」
「はい、そう思います。」
教官は川本五郎を小銃用の射場に連れて行った。
川本五郎は一通りの説明を受けてから実射することになった。
小銃は自衛隊で使われている銃だった。
的の大きさは遠くになるほど大きくなるが銃から的を見たときの大きさはどれも同じだ。
300mの的の黒点は40㎝になる。
人間の幅くらいだ。
講習用の銃はオープンサイトでスコープは着いていなかった。
初心者用だからだ。
「教官、この銃の初速はどれくらいですか。」
「うむ、正確な所はわからんが1秒で1000mくらいだ。サイト調整用に10発ほど撃ってみたらいい。」
「そうします。」
そう言って五郎は5発を連射した。
「驚いた。調整用の射撃でも左下の一点に集中している。しかも立射での連射だ。」
教官は監的スコープを覗きながら言った。
「もう大丈夫です、教官。本射に入ります。」
川本五郎はマガジンに弾を込めながら言った。
「照門を合わせなくてもいいのか。」
「大丈夫です。狙う位置は分かりましたから。」
そう言って川本五郎は5秒間で10発を連射した。
弾は全て黒点の中央に集中した。
教官は的の中央を狙わないで撃つことが如何に難しいかを知っていた。
通常では、照星に的の黒点が照星の所定の位置に来た時に射撃する。
それはそうするのが的を狙うのに楽だからだ。
黒点のない白地の部分を狙って撃って黒点の中央に集弾できるはずがない。
「凄いな。君は天才的なスナイパーだよ。300m先の心臓を正確に狙うことができる。全弾命中で、オープンサイトで、しかも的を外しての射撃だ。信じられない。この基地の誰も君には敵わないな。特殊訓練を受けた隊員でもこううまくはいかない。あの連中の銃は調整されたスコープを着けていてバイポッドも着けてある狙撃専用の銃だ。だからこれくらいの成績は取ることができる。だが、この銃を使っての立射では惨めな成績になる。」
「うまく狙えたのは僕の筋肉が強くて制御できたからだと思います。」
「そうだな。見ていたよ。初弾を発射する前の君の銃の銃口は全く動いていなかった。驚くべき筋力だ。」
自衛隊の教官は川本五郎の銃器の扱いの評価に「特A、怪物級」と記した。
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