第37話 36、プロゴルファーのアン

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 その後、川本五郎は大臣の外遊がないときには定期的に大韓民国に出張した。

不定期でないことが重要だった。

日本国政府から遺憾を表明されたことがある国会議員8名は長い時間をかけて一人一人最終的にことごとく廃人になった。

 それは突発性の発病で、演壇で発言している時に起こることが多かった。

突然呼吸ができなくなって心臓が止まるのだ。

心臓を救うために時間を使い、結果として低酸素脳症になって廃人となる。

韓国国会の演壇は不吉な場所になった。

 国会議事堂の救急員は次第に対応が上手になっていった。

国会議員の過激な発言は少なくなっていった。

演壇で発言することを希望する国会議員は少なくなった。

それは大統領も同じだった。

日本国政府から発射される韓国国会議員への遺憾砲の数も少なくなった。

日本国政府は大韓民国に遺憾砲を撃てば要人一人が廃人になることを知っていた。

 大臣は法律を通す時は趣旨説明を国会本会議でしなければならない。

川本五郎の遺憾砲は大臣にも照準を定めていたが、五郎は標的を廃人にはしなかった。

教育部長官は演壇でしばらく息苦しくなって演説を数分止めた。

日本政府から反日教科書に関する「遺憾」が発表された後のことだった。

国防部長官も演壇で胸が苦しくなって水を飲んだ。

日本政府から軍事上のトラブルに関する「遺憾」が発表された後の事だった。

 外交部長官も演壇で息が吸えなくなったが10秒ほどで回復した。

日本政府から外交条約破棄に関する「遺憾」が発表された後の事だった。

それらの出来事は問題とされなかった。

演説で緊張すればよくあることだ。

だが、具合が悪くなった大臣達は突然の異変が「廃人にするぞ」と言う川本五郎の威嚇であることを身に沁(し)みて感じていた。

これまで演説で緊張した事などはなかったからだ。

 大韓民国の中枢や公安関係者は国会議員の廃人化事件が川本五郎外務審議官の仕業であることは分かっていた。

それらの事件は川本五郎が定期的に訪韓していた時に起こっていたのだ。

川本五郎が他人の呼吸を止めたり心臓を止めたりすることができることも多くの情報から分かっていた。

 もちろん公式に川本五郎外務審議官を告発することはできない。

それらの事件は川本五郎が遠く離れた日本大使館にいる間に起っていたのだ。

出張時には不逮捕特権がある外交官になっているのかもしれなかった。

 川本五郎の排除としては外部の者による遠くからの狙撃とか毒殺とか放射線殺人などが考えられたが、失敗した時の反撃が恐ろしかった。

ロシアのGRUの場合がある。

川本五郎なら狙撃犯や近接襲撃犯を容易に見つけ出すことができるだろう。

川本五郎には常人に無い能力があり、テロリストや内部スパイを見つけ出すことができるらしい。

 どの組織が川本五郎を殺そうとしたかが分かれば、反撃はその組織全体に対して行われる。

命令を下した者に対してではない。

国家情報院に公式に乗り込まれて建物内の全員が殺されるかもしれないし、外交部に殴り込みをかけられるかもしれないし、国会本会議場の全員を殺すかもしれない。

どの場合であっても裁判では川本五郎が殺人を行ったことを立証できない。

たとえ監視カメラに川本五郎が映っていたとしても、一瞬で部屋にいる全ての人間の心臓を止めることができる別の人間を見つけ出す以外には立証できない。

 どこの部署が川本五郎を殺そうとしたのかが分からなかった場合にはもっと悲惨な結果になる。

普通の人間ならだれが命を狙ったのかが分からなければ何もできない。

だが川本五郎なら「大韓民国が川本五郎を殺そうとした」と考えるであろうことは川本五郎の性格分析から明らかだった。

 そんな場合も川本五郎は躊躇(ためら)うことなく反撃するだろう。

青瓦台に乗り込んで全員を殺すことも意に介さないだろう。

もちろん川本五郎なら証拠無しでそれを実行できる。

日本と戦争をする覚悟がなければ、大韓民国は非合法に川本五郎に手を出すべきではない。

もともと廃人にされた国会議員には問題があったのだ。

 川本五郎は4月の人事異動ではどこの国にも派遣されなかった。

まだ1年しか経っていないし、どこかの大使にするより外務大臣の外遊に同行させる方が有用だと思ったのかもしれなかった。

川本五郎が外務審議官として十二分にその職責を果たしていることは明らかだった。

外務大臣は川本五郎を買っているし、事務次官もベタ褒めだった。

だが川本五郎にはもはや昇進できるポストが無いのだ。

外務省の本省においての次のポストは事務次官だが、そこに行ったら今の地位に後戻りはできない。

どこかの国の全権大使として行くとしても、その間、外務審議官のポストを空席にしておくわけにはいかない。

それに、川本五郎全権大使を特に必要とする国も見当たらない。

 夏に近いある日、川本五郎にゴルフ大会の招待状が届いた。

差出人は「アボンリーの護衛官」となっていた。

川本五郎は直ぐにアン・シャーリーだと分かったが、同封されていた招待状のゴルフ大会は男子のみの大会だったので訝(いぶか)しく思った。

ゴルフは腕力の競技でもある。

筋力的に非力な女性が男性と対等に戦うことは難しい競技だ。

特にその大会は最長の距離を持つプロゴルフトーナメントで、女性が男性と対等に戦うことは難しい大会だった。

 暫くスポーツ欄に注意しているとアンが招待状を送ってきた理由が分かった。

特別枠としてアン・シャーリーが出場するらしかった。

アン・シャーリーは色々な大会で次々とコースレコードを出し続けている。

その成績を見れば男子トーナメントでも十分に戦えることが分かった。

テレビ局の意向も尊重されたのであろう。

美人のアン・シャーリーが男性に挑戦するのだ。

大会は盛り上がるはずだ。

 おそらくアン・シャーリーは川本五郎のゴルフのニュースを見たのだ。

イン9ホールを10打で終えたと言うニュースは普通のプロゴルフ選手は信じない。

絶対に不可能だと思っているからだ。

アン・シャーリーは川本五郎ならそれができると言うことを知っていた。

アン・シャーリーは川本五郎に挑戦するつもりでこの大会に無理やり出場しようとしたのかもしれない。

その大会は五郎のいる東京の近郊の茨城県で開催される。

五郎は大会を見にくることができる。

 川本五郎は休暇を取ってそのゴルフ大会を見に行った。

大会は予選ラウンドが2日間、決勝ラウンドが2日間の4日間で争われる。

予選ラウンドの初日、アン・シャーリーは特別枠と言うことで最初の組に加えられた。

そしてレディーファーストということで最初のティーショットをして大会競技は始まった。

予選ラウンドではあったが注目のアン・シャーリーが出場するということでテレビ中継が入っていた。

テレビの解説者は「注目のアン・シャーリー選手ですがこの長距離のコースでどこまで戦えるのかが注目ですね」と言っていた。

 第1ホールは422ヤード、パー4の直線ミドルホールだった。

アン・シャーリーの打ったボールはピンフラッグにまっすぐ飛んでグリーンにワンバウンドしてからフラッグの柄に当たってカップに入った。

それはテレビカメラでも確認できた。

周りを囲んでいた観衆はどよめいた。

大会初日の第一打がアルバトロスになったのだ。

 テレビではアン・シャーリーの顔が大写しになった。

アンは観客の一方向を見て親指を立てて微笑んだ。

素敵な笑顔であった。

その方向は川本五郎が居る方向だった。

アン・シャーリーは観客の中でとりわけ大きな黄金のオーラを出している川本五郎をみつけたようだった。

 第2ホールは532ヤード、パー4のわずかに右に曲がったホールだった。

532ヤードもあるのにパー4だ。

非力な女性には難しいホールだ。

アン・シャーリーはボールをティーアップしてから観客の方に美しい顔をむけウインクをしてから慎重にスタンスを取ってボールを打ち放った。

アン・シャーリーはホールを研究していたのに違いない。

ボールは右の林を越えてグリーンに達しカップに吸い込まれた。

 周りを囲んでいた観衆は興奮した。

アン・シャーリーは530ヤードを飛ばし、再びアルバトロスとしたのだ。

アン・シャーリーは観客の方を見て再び親指を立てて微笑んだ。

「私、ここまで腕を上げたのよ」と言っているような微笑みだった。

テレビの解説者も興奮していた。

「信じられない」を連発している。

 第3ホールは570ヤード、パー5の直線ロングホールだ。

今やテレビはアン・シャーリーの一挙一動をずっと写し続けていた。

アン・シャーリーはボールをティーアップしてから観客の方に美しい顔をむけ再び微笑んでウインクした。

テレビはその視線の方向を写した。

そこにはサングラスに野球帽姿の川本五郎が写っていた。

 アン・シャーリーは慎重にスタンスを取ってボールを打ち放った。

ボールは高い弾道をとってグリーンに達し、ワンバウンドしてカップに吸い込まれた。

テレビのアナウンサーは「コンドル、コンドルです、見ました、570ヤードのコンドルです」と何度も興奮して叫んでいた。

アン・シャーリーは再び川口五郎の方を見て親指を立てて微笑んだ。

 テレビでは何度もアン・シャーリーのスイングをスロー再生していた。

アン・シャーリーはクラブの柄が大きくしなるほどのスピードでクラブを振り抜いていた。

「これが570ヤードを飛ばせるスイングなんですね。クラブがしなって、ヘッドがスローでも見えないほどのスピードです。すごいスイングだ。見たことがない。腕だけではなく体の捻りも使っているのですね。スタイル抜群のシャーリー選手ですが、不謹慎かもしれませんが、水着姿を一度見たいものですね。このスピードは普通のプロゴルファーのスイングの倍近くの速さですよ、小西さん。」

アナウンサーは幾分落ち着きを取り戻してアン・シャーリーのスイングを説明していた。

解説者は「すごい」としか言わなかった。

 第4ホールは287ヤード、パー3のショートホールだ。

普通ならパー4の長さだがパー3になっている。

アン・シャーリーは一打でボールをカップに入れてホールインワンとなった。

アンは特に喜ぶ仕草はせずに再び観客の方に向かって親指を立てて微笑んだ。

観客の拍手と歓声は怒号のようになって鳴り止まなかった。

アン・シャーリーは3人の男性と組みを作っている。

係員は周囲の観客を鎮めるのに何度も看板を立てなければならなかったし、「お静かにお願いします」というアナウンスまで入った。

 第5ホールは408ヤード、パー4のミドルホールだったが途中に大きな木が2本立っていた。

アン・シャーリーは木越しに見えるグリーンをじっと見てから納得したようにボールをティーアップした。

アンのボールは高い弾道で木を飛び越しグリーンのカップに入った。

アルバトロスだった。

 もともとゴルフの各ホールは「ボールはそれほど飛ばない」という前提で作られている。

池があったり、木立があったり、バンカーがあってショットを難しくしている。

ティーグランドからグリーンを直接狙う力があれば途中の障害は無意味になる。

570ヤードを正確に飛ばす力があれば途中の障害は苦にならない。

 アン・シャーリーは続く第6ホール(432ヤード、パー4のミドルホール)と第7ホール(272ヤード、パー3のショートホール)を一打でカップに入れた。

観衆は次の第8ホールに注目した。

アウトのコースで最大の距離があるホール(613ヤード、パー5)だったからだ。

胸は大きいが華奢なアン・シャーリーが600ヤード越えのショットが打てるかどうかが興味の中心だった。

 アン・シャーリーはティーグランドに立つと観衆の中に立っていた川本五郎の方を向き、人差し指と小指を立てて顔の横に挙げて首を腕の方に傾けて微笑んだ。

「2打にするわよ」という意思表示だった。

「あのサインは何のサインでしょうか。Vサインでもないから2打と言うことでしょうか。」

テレビ中継のアナウンサーは興奮してそう説明した。

 アン・シャーリーはボールをティーアップしてスタンスを取り、体を捻るようにしてクラブを振り切った。

ボールは613ヤードの距離を飛んでグリーンに乗り、カップの20㎝前で止まった。

観客の怒号にはため息が混ざっていた。

テレビ中継のアナウンサーは自分の予想が当たったことで興奮して叫んだ。

「やはりあのサインは2打だったんです。ボールはカップの20㎝手前で止まっております。アン・シャーリーは完全にボールをコントロールしているのです。2打を宣言して2打で終わることができる位置でボールを止めました。」

 このホールはそれでは終わらなかった。

後続のゴルファーがグリーンに乗せたボールがアン・シャーリーのボールに当たり、アンのボールがカップに入ってしまったのだった。

「おお、なんと言うことでしょう。シャーリー選手のボールがカップに入ってしまいました。小西さん、これはコンドルと言ってもいいのでしょうか。」

解説者は呆れて「良くわからない」と答えた。

アン・シャーリーは次の第9ホール(493ヤード、パー4)も高い弾道軌道を持った一打でボールをカップに沈めた。

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