第16話 15、宝石強盗

<< 15、宝石強盗 >>

 川本五郎はジョギングのコースに中国大使館経由を含める場合があった。

大使館通りを通ってホワイトハウスに達し、公園を回ってまっすぐ北上し、中国大使館の近くを通ってから日本大使館に戻る。

このコースは途中で賑やかな街中を通る。

街中では多くの人間に出会うことができ、いろいろな人間のオーラを観察できる。

当然、犯罪も多い。

 ある日、川本五郎が左側の歩道を歩くようなジョギンをして進んでいると前方に一台のパトカーが歩道に接するように止まった。

川本五郎がパトカーに近づくとパトカーの助手席のドアが開いて中から制服姿のアニー・ストライクが出てきた。

アニー・ストライクは川本五郎に微笑んで声をかけた。

 「ドクター、ジョギングですか。」

「おや、アニーさん。久しぶりです。お仕事中ですね。」

川本五郎はジョギングを止めてアニー・ストライクの前に立った。

「はい、ドクター。ドクターの姿が見えたのでお待ちしておりました。報告したいことがあったのです。」

「何でしょうか、アニーさん。」

「はい、腰だめで撃つことでビー玉のスキートでも当てることができるようになりました。今では教則に反して全て腰だめで撃つことにしております。」

「それは良かったですね。実戦的です。ホルスターから取り出して狙うまでの時間をずっと少なくすることができます。」

「はい、ドクター。その通りです。」

 「あの、アニーさん。その『ドクター』って言うのを止めてくれませんか。『五郎』と呼んでください。私は貴方を『アニー』って言っているわけですから。」

「よろしいのですか。」

「その方が気楽です。もう知り合いですから、アニー。」

「了解しました、五郎。ありがとうございます。私の名誉です。」

「ところでアニー。お仕事は巡回ですか。街のトラブルを警戒しているのですね。」

「はいそうです、五郎。」

 「そうですか。・・・体を動かさないで聞いてくださいね。通りの反対側の貴方の左後ろに宝石店があります。遠くから見たので確かではありませんが、そこで強盗事件が起こっているかもしれません。アニーさんのパトカーが来たので注意しているのでしょう。パトカーが通り過ぎてここに止まったので困惑しているのでしょう。アニーさんが出てきて私と話しているので、見つかったのかそうでないのか判断できない状態なのかもしれません。」

 「アルマーニ宝石店に強盗ですか。」

「そうかもしれません。」

「ジム、510だ。ゆっくりバックミラーで見て。アルマーニだ。」

アニーは顔を動かさないで同僚のジムに言った。

「了解。汚い車が止まっているな。運転手も乗っている。確かに怪しいな。」

「アニーさん。お仕事を続けてください。私はジョギングを続けます。」

「了解。五郎。」

そう言ってアニー・ストライクは小さく片手を上げて手を振ってからパトカーに乗り込み、五郎はジョギングを始めた。

 川本五郎は数歩走ってから振り返ってパトカーを見つめていた。

パトカーは最初の交差点でUターンし、反対側の道路に入り、五郎のいる方に急ぐ様子もなくゆっくり近づいてきた。

件(くだん)の宝石店の前を通り過ぎ200m先の交差点の前の歩道わきに止まった。

あたかも五郎にもう一度話すために止まったようにも見える。

パトカーが宝石店の前を通過する時、宝石店前に止まっていた車の運転手は身を横に倒して見えないような体勢になっていた。

 ワシントンの道路は一方通行が多いが大通りはUターンできる。

中央分離帯がない場所も多い。

3人の男が早足で宝石店を出てきて目の前の車に乗り込んで急発進し、車の流れに乗ってから道路の中央線を越えてUターンした。

前にはアニー達のパトカーが止まっていたし、後ろの方から別のパトカーが近づいてきたからだった。

少し先の一方通行の道路に入れれば逃げおおせる可能性が高い。

 一方通行の道路に右折するために歩道側の車線に入ってきた車を見て、五郎は少しだけアニーの手伝いをしようと考えた。

川本五郎は歩道と車道の境にあった40㎝角ほどの格子状のグレーチングを引き上げ円盤投げのように回転をつけて向かってくる車に投げてから建物の陰に素早く隠れた。

五郎の投げた鉄製のグレーチングは相手の車のフロントガラスに当たってフロントガラスを破壊した。

 フロントガラスがなくなれば裸眼で自動車を高速で運転することはほとんどできない。

時速60㎞も出せば目から涙がとめどもなく流れ落ちる。

それに目立つ。

フロントガラスがなくなった車は歩道わきに止まり、4人の男達が車から出て五郎の方に向かって走ってきた。

男達は布の買い物袋と拳銃を手に持っていた。

どう見ても強盗犯だった。

歩道上の通行人は建物の壁に歩道に後ろ向きに立ち、五郎は建物の陰から男達を眺めた。

 突然、一番後の男がしゃがみ込んで「待ってくれ」と叫んだ。

前の3人は走るのを止め、しゃがんだ男に近寄って立たせようとしたが、しゃがんでいた男は立つことを拒否した。

3人は一瞬困惑したようだったが仲間をそこに残して走り始めた。

3人のうちのもう一人が突然歩道に倒れて仰向けになった。

自分の胸を押さえている。

その男は数秒で動きを止めた。

 残りの二人は再び止まったが、仲間の状態を見て逃げることを選択した。

走り出した二人が数歩も進まないうちに、一人が倒れて歩道にひっくり返ってひきつけを起こし始めた。

残る一人はもはやパニック状態だった。

走るのを止め拳銃を前に出して周囲を威嚇していた。

その一人も突然しゃがみ込んだ。

それまで走っていたのだから呼吸が止まればもう何もできない。

必死に体を動かさないで耐え忍んでいる。

 その頃になるとアニー達のパトカーが川本五郎のいる歩道の近くに止まって拳銃を構えたアニーとジムが飛び出してきてパトカーを盾にして拳銃を構えた。

そのうち、別のパトカーも賊の車の後ろに停車し、中から二人の警官が飛び出して来た。

警官達は銃を構えたまま「銃を捨てろ」と命じていた。

歩道に仰向けになっていた二人の男の手からは既に拳銃は道路に落ちていた。

最後の男は意識がはっきりしていたので銃を離した。

最初の男はまだ拳銃を持っていたが観念して銃を道路に落とした。

警官達は男達に近づき、拳銃を蹴飛ばし、男達を腹ばいにさせてから後ろ手錠をかけた。

 歩道に仰向けに倒れた男達は心臓が止まり死にかけていることがすぐにわかった。

「アニー。」

川本五郎は建物の陰からアニーに声をかけた。

アニーは声の方を向いて安心した顔をした。

「ドクター、ご無事でしたか。」

「無事です。動きを止めている賊は心臓発作です。このままでは死にます。除細動器を持っていますか。」

「はい、パトカーに積んであります。」

「そうですか。すぐに用意してください。僕はそれまでに心臓を動かすようにしようと思いますが、いいですか。」

「もちろんです。一刻も早く処置しなければなりません。」

 そう言ってアニーはパトカーに小走りに戻って行った。

川本五郎は「医者です」と言ってうつ伏せになっている男の背中の数カ所を左手で同時に指圧してから尾骶骨を右手の手刀で叩いた。

男の心臓は再び動き始めた。

川本五郎は素早くもう一人の男に近づき同じように指圧してから尾骶骨を叩いて心臓を復活させた。

 アニーが除細動器のケースを持って来た時には気を失っていた男達は正気を取り戻していた。

呼吸ができなくなっていた二人も五郎が心臓復活の処置をしている時に呼吸を取り戻した。

「ドクター、指圧で心臓を復活させたのですか。」

アニーが言った。

「できるのではないかと考えて実行したらうまくいきました。これでまた治療法を一つ確立しました。成功して良かったですね。」

「驚きました。指圧で鼓動を復活させるなんて。」

「今度は心臓の細動だけだったから指圧だけでうまくいったのです。心筋梗塞だったらいまの処置法では復活させることはできなかったと思います。」

 「それにしてもドクターは素晴らしいと思います。うずくまっていた男達は何があったのでしょう。」

「わかりません。状況から見ると喘息発作ですね。気管支が狭くなって空気を吸うことが難(むつか)しくなったのだと思います。少しは空気を吸えたようですから生きていられたのですね。完全に呼吸が出来なくなったら5分で廃人、10分で死にます。首を絞められたのと同じですから。」

 「ドクターは喘息発作も指圧で治療できるのですか。」

「はい。以前、北京でイスラエル大使を指圧で治療しました。肺は心臓より少し難しいのですよ。」

「そうでしたか。ドクターは魔法の指を持っておられるのですね。」

「アニーさん。これは指の力ではありません。私が人間の神経網を詳しく知っており、どう組み合わせれば治療できるかを考えることができたからです。指は単なる道具です。」

「そうだとしても、とにかく素晴らしいと思います。」

「ありがとう、アニー。」

 「驚くことはまだまだあります、ドクター五郎。五郎は凄まじい筋力を持っておられるのですね。鉄のグレーチングを20mも飛ばしました。普通なら5mも飛ばせません。」

「アニー。僕はグロッグ18Cのフルオートで的に当てることができます。反動の激しいグロッグで当てることができるのです。そのためには人並み以上の筋力が必要です。北京で少林寺拳法の達人と野試合をしたことがあります。その時は右手一本で相手を6m真上に投げることができて勝つことができました。相手は60㎏程度でしたから十数㎏のグレーチングを投げるのはずっと楽です。円盤投げの要領ですね。」

 「拳法家との野試合ですか。片手で6mですか。私なら両手で10mも投げ上げることができますね。」

「アニーさんならもっと高くに投げ上げて、そっと抱っこして受け止めることができますよ。」

「まあ、五郎。想像しただけでドキドキします。でも、そんなことはしないでくださいね。」

「了解。しません。」

 4人の強盗は2台のパトカーに乗せられて行った。

川本五郎は日本大使館に帰り、強盗の逮捕に協力したことを報告した。

北京ほどではないだろうがワシントンにも監視カメラが網目ように設置されている。

強盗や川本五郎の行動は数台のカメラに写っていたはずだった。

それに警官の持つボディーカメラには川本五郎の言葉も記録されている。

日本大使館の一等秘書官の川本五郎のファイルにはさらなる情報が加わり、論評が付加された。

ー 付記 ー

1、川本五郎は街中をジョギング中に一般人の中から強盗犯を特定できた。

なぜ特定できたのかは不明。

2、川本五郎は道端の十数㎏のグレーチングを持ち上げ20m先の自動車のフロントガラスに当てることができた。

砲丸投げの世界記録は7260gの砲丸で23mである。

川本五郎は世界記録を凌駕している。

なぜグレーチングを正確に20m先に投げることができたのかは不明。

3、川本五郎は凄まじい筋力を持っている。

子供の時から兆候はあった。

川本五郎がなぜそのような超人的筋力を持つに至ったのかは不明。

4、元気だった強盗4人は川本五郎の近くで二人は心臓発作で心臓が止まり、二人は喘息発作で呼吸が止まった。

4人が同時にそのような症状になる確率は極めて低い。

川本五郎の関与している蓋然性は100%に近い。

なぜ川本五郎がそのようなことが可能であったのかは不明。

5、川本五郎は心臓停止している二人の心臓を指圧で回復させた。

警察官に説明している内容によれば、神経網の一部を論理的に閉鎖することによって心臓を復活させたり、呼吸を取り戻させたりできるようだ。

川本五郎の説明はもっともらしい。

北京でイスラエル大使の喘息発作を指圧で治癒させた。

イスラエル大使の喘息発作は以前からあった。

6、以上より、川本五郎は何らかの方法で近くの人間の心臓と呼吸を止めることができ、それを指圧で回復もできると結論できる。

結論:川本五郎は普通の人間ではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る