第15話 14、アン・シャーリー

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 川本五郎はワシントンでも暇があれば夕方の定時にジョギングをした。

白の長ズボンと白の丸首シャツを着て白のスニーカーを履き、薄茶色の野球帽を冠って大使館巡りをするようにジョギングした。

ワシントンDCは犯罪の多い街ではあったが、大使館が点在する辺りは比較的安全だった。

それに、ジョギングしている若者を襲っても得るものがない。

川本五郎を見る者にとっても、白の薄いトレーニングウエア姿には危険な武器を隠す場所もないので安心できた。

 川本五郎はホワイトハウスを見ることが好きだった。

日本大使館とホワイトハウスは直線距離で3㎞ほどだ。

川本五郎は大使館通りを通ってホワイトハウスの前までジョギングの足を伸ばしている。

「継続は力だ」という言葉はあるが「継続は興味だ」と言う言葉もあるのかもしれない。

ある時、ホワイトハウスの柵の外を回っていた時、黒服の男二人に止められた。

川本五郎はジョギングを止めて強そうな相手を見つめた。

いつでも相手の懐に入るか呼吸を止めれるようにしたのだ。

 「私はホワイトハウス警護担当のスミスと言う者です。日本国大使館の川本五郎一等秘書官でしょうか。」

黒服の一人が丁寧に言った。

「そうですが、何かご用ですか。」

「大統領がお目にかかりたいとのことです。しばらくお時間をいただけますか。」

「長くは差し上げることができません。それでいいですか。」

「そんな受け答えは初めてです。長くはないと思います。」

「OK。お会いしましょう。案内してください。」

 川本五郎は黒服に導かれて門の中に入り、道路からすぐ近くの入り口を通って木立に面した狭い部屋に案内された。

外からは見えない部屋だった。

部屋の奥には窓を横にしてまぎれもなき大統領が椅子に座っており、部屋の右横には一人の女性が椅子に腰掛けていた。

大統領と女性に斜めに対面するように空の椅子が置いてあった。

 川本五郎が部屋に入ってドアが閉じられると大統領は椅子から立ち上がり入り口に立った五郎に近づき握手を求めた。

「大統領のチャンプベルトです。ドクター川本ですな。」

「日本大使館の川本五郎です、大統領閣下。お初にお目にかかります。」

二人は握手をし、大統領は五郎に椅子を進めて自分は元の椅子に腰掛けた。

「ジョギング中に呼んで申し訳なかった。どうしても君に会いたいと思ってな。君を最初に発見したのは横にいるミス、アンだ。アンは僕の警護の最終兵器だ。特殊な能力を持っている。アンはホワイトハウスの見物人の中から君を見つけた。君は周りの人と違って異常だと言ったんだ。早速調べてみたら驚くことだらけだった。確かに君は周りとは違って異常だったよ。28歳の若さで一等秘書官で、医師で、弁護士で、20数カ国語を話し、中国公安の猛者を数秒で倒し、恐ろしい気迫を持っているとなっていた。君は中国のパーティーでイスラエルのレベッカを特殊な指圧で助けたそうだな。しかもその時の君の一声で会場の全員が恐怖で動かなくなったとうちの大使が報告していた。大使は恐怖で膝が震えだし、持っていたグラスも掴んでいられなかったそうだ。最近では超人的な射撃が報告されていた。コインをトスしてからそれを受け取る間に17人の眉間に正確に銃弾を打ち込んだとなっていた。僕はコインをトスしてコインを掴む時間を測って見た。2秒だ。2秒で銃を抜いて17人の眉間に銃弾を打ち込み、銃を戻してコインを受け取ったことになる。信じられない速さだ。銃を持った君の前では僕の護衛なんて役に立たんな。まあ、君とは今後何度か会うことになるだろうが、僕は待ちきれなくなってな。呼び止めてしまった。君はどうみても普通の若者のように見える。」

 「私もチャンプベルト大統領にお会いできて名誉に思います。私を見つけ出したアンさんにお聞きしてもよろしいでしょうか。」

「聞いてもいい。だが若い女性だ。いじめないでくれよ。」

「了解。アンさん川本五郎です。どのようにして私を発見したのですか。」

「アン・シャーリーです。私には人のオーラが見えます。貴方のオーラはとてつもなく大きなオーラでした。」

 「何色でした。」

「オーラをご存知なのですか。透明な金色でした。」

「そうでしたか。アンさん。eが付いたアン(Anne)さんですね。まさかアボンリー出身ではないですよね。いや冗談。・・・アン・シャーリーさん。貴方の黒髪の上のオーラは何色ですか。」

「私は自分のオーラを見ることができません、サー。」

「シャーリーさんのオーラは明るい藤色です。オーラは自分では見えないと思います。写真でも鏡でもダメでした。私も今日初めて自分のオーラの色を知ることができました。ありがとうございます。」

 「ちょっと待ってくれ。」

大統領が口を挟んだ。

「アン、君は人のオーラを見ることができるのか。わしのオーラは何色なんだ。」

「誰も信じないと思ってこれまで言いませんでした。閣下のオーラの色は澄んだ青色に見えます。ドクター五郎は何色に見えますか。」

「僕にも澄んだ青色に見えます。この色は国のいく末を心配している方の多くが持っているオーラです。」

「そうか。わしは青か。ドクター川本、オーラの色で何が分かるのだろうか。」

 「大統領、オーラで何が分かるかは日本国の機密事項です。残念ながらお教えすることはできません。アン・シャーリーさんを使って研究なされたらよろしいと思います。」

「そうか。大使館の一等秘書官だからな。しかたがないか。とにかく君は普通に見えるがとんでもない能力を持っていることが分かった。日本の秘密兵器だな。君と知り合いになれて良かった。今後お手柔らかにな。」

「私も大統領閣下にお目にかかれて名誉に思います。今後もよろしくお願いいたします。」

 川本五郎はホワイトハウスを後にした。

川本五郎は自分の同類を見つけたような気がした。

五郎と同じように人間のオーラを見ることができる人間を見つけた。

川本五郎はアン・シャーリーに興味を持った。

是非ともアン・シャーリーの染色体数を知りたかった。

 五郎は自分が5倍体人間であることを知っていた。

医学部の時にしばらく実験室を使わせてもらい、自分の血を取って調べた。

RPMI1640培地で白血球を刺激してから培養し、72時間あたりで細胞質分裂を止め、膨潤させてからガラススライドに滴下して白血球の染色体を円形に広げ、写真に撮って染色体数を数えた。

川本五郎のY染色体は1本ではなく3本あった。

X染色体は1本ではなく2本だった。

 そんなことを思いながら川本五郎は父の実験日誌を想い出した。

父は染色体の件で憤慨していた。

チャイニーズハムスターの3倍体細胞の論文を投稿した時、レフリーから「カルノア液にはクロロフォルムが含まれる」と指摘されたらしい。

父は染色体の固定液として使ったエタノール:氷酢酸(3:1)をカルノア液と書いていたのだった。

調べると確かにカルノア液にはクロロフォルムが含まれていた。

検査技師用の教科書にはエタノール:氷酢酸(3:1)をカルノア液と書かれてあったからそう書いたのだった。

 病院の検査技師に間違いを指摘しても検査技師は頑としてエタノール:氷酢酸(3:1)はカルノア液であると言い張った。

有名な薬品会社のカタログにもエタノール:氷酢酸(3:1)をカルノア液としているものもあった。

父はカルノア液をファーマー固定液として論文を通したらしいが、検査技師の頑なさが染色体が繋がっていることを否定している元凶だと憤慨していたのだった。

 川本五郎はしばらくホワイトハウス経由のジョギングを続けた。

ひょっとするとアン・シャーリーに再び会えるかもしれないと思ったからだった。

ある日、アン・シャーリーがジョギング姿でホワイトハウスに向う道で五郎を待っていた。

「おや、アン・シャーリーさん、僕を待っていたのですか。」

五郎はアンの前で止まって言った。

「はい、ドクター川本。今日はお休みです。話をしたいと思い待っておりました。」

「実は私もシャーリーさんにもう一度お会いできるかもしれないと思ってホワイトハウス経由のジョギングを続けておりました。少し先の公園で話をしませんか。」

「はい、喜んで。」

 「シャーリーさん、僕を五郎と呼んでください。僕もアンと言ってもいいですか。」

「eの付いたアンと呼んでください、五郎。」

「了解、アン。300mほどジョギングをしましょう。それから歩きましょう。できますか。」

「了解、五郎。」

そう言ってアンは先に走り始め、五郎はアンの2m後を追った。

300mほどジョギングしてからアンは走るのを止めて歩き始め、五郎はアンに並んで歩き始めた。

 「おもしろいですね、五郎。まるでストーカーみたいですね。」

「この方が絵になると思いました、アン。雄は雌を追いかけるものです。」

「ふふふっ。この雌は雄を気に入っておりますよ。」

「五郎狐はアン兎(うさぎ)に興味を持っております。もちろん餌にして食べようとしているわけではありません。」

「まあ、こんな可愛(かわい)いうさちゃんが美味しそうに見えないのですか。」

「可愛く美しく見える兎の大きさがまだ分からないからです。五郎狐の何倍も大きいのかもしれません。あそこのベンチに座って話しましょう。」

「了解。」

 川本五郎とアン・シャーリーはベンチに互いに向かい合うように半身で座った。

「アンがオーラに気がついたのはいつ頃でしたか。僕は高校生気の時から気づきました。」

「私もハイスクールに入ってから気がつきました。」

「驚いたでしょうね。」

「はい、他の人が見えない事を知って驚きました。五郎はどうでした。」

「僕は驚きませんでした。その頃には僕は自分の能力の異常に気がついておりましたから。」

 「異常と言うのはどんな事ですか。」

「写真のような記憶と理解、それと強い筋肉と制御の正確さです。アンもそうだったのですか。」

「はい、私の記憶力は人より優れていると感じておりましたし、筋肉も男子生徒よりも強いと思いました。でもそんな力を示すわけにはいきませんでした。かよわい女の子ですから。」

「それで若いのに大統領の女性ボディーガードになられたのですね。」

「そうです。」

 「でもどうしてアンさんが生まれたのでしょうかね。アンさんのご両親はご健在ですか。」

「はい、両親は元気で暮らしております。両親には私の能力はありません。普通の人間です。」

「そうですか。普通にはアンさんは死産になるはずなのですがね。」

「ドクター五郎は私の異常な能力の原因をご存知なのですか。」

「いや、まだ分かりません。推測はできますが確証はできていません。」

「推測でもいいからお聞かせくださいませんか。」

 「いや、今はだめです。アンさんの身に危険が生ずる可能性があります。この話はなかったことにしてください。誰にも話してはいけません。記録も完全に消してください。もしもアンさんが日本に来ることがあったら私が一人で調べて結果と推測をアンさんにお話しします。アンさんはこのアメリカで自分の異常な能力の原因を知ろうとしてはいけません。危険です。アンさんの今の立場では簡単にモルモットにされてしまいます。」

「分かりました。五郎を信じます。日本に行く機会があったら教えてくださいね。」

 「了解。別の話をしましょう。アンさんの好きなスポーツは何ですか。」

「スキーと登山です。」

「山が好きなのですね。もちろん単独スキーだし単独登山ですね。」

「そうです。でも山には蚊がいます。追い払うのは大変なのです。」

「美女の匂いに蚊は引き寄せられるものです。今度一緒に登山しましょう。私は効果的な蚊取り線香になれます。」

「喜んでお願いします。でも蚊取り線香って何ですか。」

「除虫菊の成分を練りこんだ煙を出す火縄みたいものです。」

「知っています。東洋のお寺で焚いている煙を出す細棒ですね。」

 「そうです。アンさんは雨の休みの日には何をしているのですか。」

「これまでは図書館で本を読んでいました。でもだんだん読む本がなくなって来ています。」

「アンさんの読む速さはどれくらいですか。」

「そうですね。1ページ5秒くらいです。」

「けっこう早いですね。でも物語を読むときはもっと遅くした方がいいと思います。その方が感情移入できますから。僕は1ページ1秒くらいです。全部内容を記憶して理解できるのですが、それでは物語の主人公になることができませんでした。次がどうなるかというワクワク感が生じないのです。速読は判例や法律や症例を記憶するのには便利でしたが物語はだめでしたね。」

 二人は辺りが暗くなりかけるまで話を続けた。

川本五郎はアン・シャーリーをホワイトハウスに送ってから日本大使館に戻った。

川本五郎はアン・シャーリーの携帯電話の番号を教えてもらったし、五郎は私用の携帯電話の番号を教えた。

二人は知り合いになったのだ。

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