フセンショウ
貴重な梅雨晴れの一日。
昨日までしとしとと降り続いていた雨はどこへ行ったのか。暑すぎず、カラッと晴れた青空は、嫌なことすべて許せるくらい気持ちがいい。木々の緑はいよいよ力強さを増していき、街ゆく人々の装いも軽やかで楽しげだ。全部がうまくいくような予感すらする。
俺の隣にいるのが昴なのを除けば。
どうせなら池ちゃんとデートがしたかった……。
運良く休日に晴間が重なったのに、なんでこんなガキンチョに付き合わなきゃいけないんだ。
****
「波南美先輩、こっちです!」
俺を見つけるなり、弾けるような笑顔で手を振ってくる。こいつ飼い主を見つけた犬かな?
若干待ち合わせに遅れてしまったことを詫びる。
「おはようじょ、遅くなってごめんごめん……」
遅刻しておいてなんだが、こいつの私服本気でダサいな。
「な、なかなか強烈だねえ……」
いや、ある意味おかしくはない。ある意味で健全な中学生男子だ。
本気でそれがカッコいいと思って着てるんだね。ちょっと気合い入っちゃってウォレットチェーンつけちゃったんだ、かわいいね。
通りすがりのお姉様方からも「かわいー」とか「いやないわー」などと大変好評いただいております。おかげで俺も鼻が高いよ。マジで。
というか、今の子ってもっとお洒落な子多くない? 今の小学生とか、俺がガキの頃よりずっとお洒落じゃん。なに、彼は突然変異か何かなの?
「きょ、今日はもう全身揃える感じでいいんだよな? いや全身揃えよう」
「大丈夫です! 使ってない分のお年玉持ってきてるので!」
おっ、お年玉! そりゃ、今年の三月まで小学生だったもんな。まあ、俺も似たようなもんか。バイトもできず、お小遣い制だと結構厳しい。普通このぐらいの歳の男子なんて、洋服に興味がなくてもおかしくない。普通お年玉はゲームや遊びに消えるはず。彼は自分から助言を求めてきた分有望かも知れない。
「で、できるだけ安く済まそう……」
「よくわかんないんでなんでもいいです!」
今日めっちゃ元気いいね……。早速だけど、俺なんか疲れてきちゃった。
目的地への道すがら、一応好みなどを聞いておく。
「んで、昴はどんなのが好きなの?」
俺が問いかけながら視線を上げると、なんとも歯切れの悪い困り顔をしている。
「ええと、正直どんなのが好きかもわからないんです。ごめんなさい……」
「ああーそんな感じ。了解」
そうだよねえ、自分の好みも分からないと、どんな服がいいかもわからんよねえ。
今日の服装も絶賛迷走中だ。ブランド不明のハイカットのごついスニーカーに、中途半端な丈の色あせたジーンズ。裾から覗くソックスは白ときた。上半身は上半身で、グラフィティっぽいプリントが派手なTシャツの上に半袖のチェックシャツを羽織っている。流石に顔でカバーしきれないなこれ。
「一応言っておくけど、俺、いや私はプロじゃないし、特別ファッションに詳しいわけでもないから、あんまり期待すんなよ?」
おっといけない、若干素が出すぎた。
「波南美先輩が選んでくれた服なら、僕は何でも喜んで着ますよ!」
こいつすげーよ。どんだけ素直に育ってきたんだ。普通そういうの言えるか? 俺は言えない自信がある。
「そ、そう……。まあシンプルに無難なやつでいいかな。ただ、腰のチェーンはどうにかなんねえ? なんかこっちが恥ずかしいんだけど」
「だ、ダメですか? かっこいいと思って買ってもらったんですけど……」
俺がずっと気になっていたチェーンを指摘すると、想像以上に気に入っていたらしく肩を落としている。
ウォレットチェーンを見ると、どうしても兄貴のことを思い出してしまうのだ。あの人、一時期何周遅れかの「お兄系ファッション」にどハマりしたことがあり、常に腰にチェーンをジャラジャラさせていた。ほんとに勘弁して欲しかった覚えがある。
「ごめんね、好みを否定するわけじゃないんだけどさ、ウォレットチェーンって厳ついんだよ。ハーレーに乗った筋肉モリモリマッチョマンがつけてるなら許せるけど。好みと似合うは別なのが悲しいところよね」
彼がそういうチャラめな格好をしたら、それはそれで様になりそうだけども、なんとなく嫌だ。なんか勿体無い。正統派なキレイ目を目指してもらいたい。
不意に、今の俺が大人っぽい女性の格好をした姿を想像してしまった。無理して大人ぶったガキにしか見えないだろうなあ、身長もミリ単位でしか伸びなかったし。でも、胸とかは成長してきてるんですよ。この一年でスポブラは卒業済み。うぇっへっへ。
俺が講釈を垂れている間に、目的のアパレルショップにたどり着く。若者向けのファストファッションだが、事実中学生なので何ら問題ないだろう。シャツとか俺もよく買ってたし。
店頭には一押し商品を着用したマネキンや、人気モデルが写ったポスターが貼り出され、流行のファッションをアピールしている。
俺はマネキンを指さし、昴に声をかける。
「わかんなかったら、マネキンのやつそのまま買っちゃえばいいのよ。ちょっと違うなーって思ったら、色とか形を変えたり、組み合わせをアレンジしてさ」
横目で見てみると、やっぱり難しい顔をしている。
「じゃ、じゃあとりあえずぐるっと見てみよう。これから夏だし、短パンでも履いたら?」
「半ズボンですか? ちょっと、子供っぽくないですか?」
「えー、いいじゃん、私短パン好きだよ。でも、女子受けは微妙かもな。君スネ毛ヤバいタイプ?」
紳士服コーナーをぐるりと一回りし、意見をすり合わせながら何点か選んでいく。とは言っても、彼は選び方がわからないので適当に似合いそうなもの見繕い、色や大きさを確認したくらいだ。一通り絞り込むと、奴は早速レジに向かおうとするので必死に引き止めた。この感じだと試着のこともよくわかってなさそうだ。無理やり連行してやろう。腕貸せやコラ。
「し、試着って必要なんですか!?」
「当たり前! サイズ感が最重要! そのデニムだってずっと履いてるからつんつるてんになってんでしょ?」
運良く、試着室は混雑していないようだ。試着室の並ぶエリアに近づくと、気配を察したのか女子大生っぽい店員が俺たちを出迎える。
「お客様ご試着でしょうか?」
「あ、はい、こいつ一人お願いします」
俺が昴の背中を押すと、店員のお姉さんが笑顔で試着室への案内を開始する。服屋のスタッフとしてはやりがいあるだろうなあ、素材は最強だもん。本人は店員さんが怖いそうだが、ここは頑張ってもらわなければ。一仕事終えた気持ちで後についていく。
簡単に説明を受けた昴が試着室のカーテンを閉める。なんだか恐る恐るといった感じに閉めていくので、途中で「はよ行けや」とツッコミを入れてしまった。すると、隣に立っていた店員が小さく笑う。
「お兄さん? かっこいいね」
あー違いますー違うんですよー。そもそも髪とか目とか色違うでしょー、俺おかっぱにしたら座敷わらし的ルックスの純和風ガールよ。
「あはは、そう見えます? 彼、部活の後輩なんですよ」
苦笑いしながら、昴との関係を説明する。
「あっそうなの、ごめんね! もしかして中学生?」
でもやっぱりバリバリ子供扱いなんだなあ。
「そうですね、私が二年であっちが一年です」
とても中学一年生には見えないだろ、あいつ。お姉さんも驚きを隠せないようだ。
「じゃあデートなんだぁ。ふふ、頑張ってね」
「そんなんじゃないっすよー」
腕を組んで、呆れた感じを出しつつ彼女を見上げる。優しげな視線には「恥ずかしがって可愛らしい」といった成分がたっぷり含まれていた。嫌ですわーこの感じ……。
まあ、しょうがないってことはわかっている。
どうしたって、今の俺は中学二年生なのだ。大人から見たら、義務教育も終えていない子供にすぎない。
俺が波南美になって一年以上経ったが、日常に潜む不快感や違和感は枚挙に暇がない。どんなに必死こいて波南美として過ごしていても、中身は『俺』なんだ。こういうとき、叶わないとは知りながらも無性に元に戻りたくなる。気が置けない友人たちと安い居酒屋で馬鹿騒ぎしていたのが、遠い別世界の出来事のように思えた。
「あ、あの、波南美先輩。サイズ感って、こんな感じでいいんですか?」
いつのまにか、一式着替え終わった昴がこちらを窺っていた。
「ん、いいじゃん。良い感じ。やっぱ足長いからジョガーが似合うね、羨ましい」
俺が感想を述べていくと、緑の瞳を輝かせて心底嬉しそうにしている。こいつほんとに犬っぽいな。今度フリスビー投げてやろう。
昴の買い物を終えた俺たちは、画材屋で部活の消耗品を買ったり、家電店を冷やかしたり、ゲームセンターで遊んだりして過ごした。
ブラブラしている間も、昴は視線を集めまくっている。さっき買った服を早速着た彼は、アパレルのカタログやWebサイトに載っていてもおかしくないルックスだ。道ゆく人々の視線が少し鬱陶しく感じた俺は、キャスケットを深めにかぶり直す。いやあほんとコイツと俺の組み合わせ目立つわ。ジャンパースカートが子供っぽすぎたかもしれない。でも、千鳥格子にダブルボタンって可愛くない? 俺は好き。
何にせよ、一日かけて遊びまわると相応に疲れる。もう帰りの電車の中だけど、眠くてしょうがない。うたた寝してしまうのも癪なので、かなり頑張って起きてます。
体の前に回したリュックを抱えて座っていると、対面に座る人の足先が視界に入る。大人に比べると、ほんと、小さい身体。手も足も小さくて、貧弱。真っ黒のオールスターに包まれた足なんて、昔見た球体関節人形みたいなサイズ感だ。病院じゃ身体感覚がわからなくて、よく転んだっけ。今は慣れてきたと思うけど、ふと前の自分とのギャップを感じる。
眠いせいか、電車の規則的な振動のせいか、頭のなかの時系列がおかしくなる。あー卒業制作やんなきゃ、あれ、もういいのか……。ん、社会の小テストいつだっけ。月曜だっけ……。
彩は、大人になったらどんな風になるんだろ。美人さんになるだろうなあ。わたしは、どうなるのかな……。
「……先輩、先輩! 駅つきますよ」
「んん、……やっべ寝てた?」
「ばっちり」
どうやら奮闘もむなしく撃沈して、昴にがっつりもたれかかって爆睡していたようだ。普通に人として恥ずかしい。彼に謝りながら居住まいを正す。幸い、涎を垂らすような失態はしていなかったが、電車内からの優しい眼差しが追い打ちかけてきやがる。ぐぬぬ、SNSとかであることないこと付け足して拡散なんかするなよ。
「んへええー、やっば、クソネミ」
電車から吐き出された俺は、思いっきり伸びをするがなかなか眠気が取れない。一度寝に入ると、たっぷり寝ないと気が済まないのだ。一度映画の序盤で寝てしまい、次に目が覚めたらエンドロールだったことがある。その時は、池ちゃんに散々呆れられてしまった。
どうにも、隣に親しい人がいると、安心して寝てしまう。今日はそれが昴だったのが心惜しい。池ちゃんの隣なら十二時間安眠できる自信があるぜ。——遥なら、もっと安心できるだろうな。
俺は、『波南美』が無意識にそういう温もりだったりを求めているのかと想像した。
「さてさてさて、今日はもう帰るかー。ハラヘリー」
そろそろいい子はお家に帰る時間だ。
とはいっても、まだ日も高いし、門限に間に合わなくなるような時間でもない。単純に俺が疲れただけだ。大学生だった頃は講義の取り方次第で休みが多かったけどさ、中学生は毎日学校あるじゃん。休日の重みが違うのよ。家でゴロゴロさせろ。
「そ、それじゃあ、家まで送って行きます! 荷物もありますし!」
「えーいいよいいよ。途中で別方向になるんだし、荷物つってもリュックに収まってるしさ」
俺がヘラヘラと申し出を断ると、彼は眉尻を大きく下げてしまった。なんだよ、急にしょぼくれた顔しやがって。そういや実家の死んだ犬も叱るとこんな顔してたな。
「なによ、急に可愛くなっちゃって。この世の終わりみたいな顔してさぁ、また月曜学校で会おうぜー」
ふと、見上げる先の緑の瞳と目があった。情けないくらい下がっていた眉も、力強さを感じる角度につり上がっていて、白い頬は赤みがさしている。
綺麗な形の下唇を噛んでいた彼が、おそるおそるといった、ワントーン以上低めの声色で言葉を絞り出した。
「なっ、波南美先輩は、いま好きな人とか、いるんですか……?」
おい、やめろ。
それを、俺に訊くってことは、そういうことなんだろうな。
軽い目眩がする。
「あーあー……それってさ。つまり私に気があるってことだよな……」
「あっ、あの……はい。ぼ、僕、小学校高学年くらいから、周囲から特別扱いされるようになっちゃったんです。ちやほやされるというか……。僕自身は普通にしてるつもりなのに、男子も、女子も距離を置くんです。で、でも先輩は、そういう感じがなくて、先輩と遊ぶようになってからすごく楽しくて……。漫画とか小説読んでても、イメージと違うとか、理想を押し付けてこないのも新鮮だったんです。だ、だから、波南美先輩のこと、好きになってました。もしよければ、ぼ、僕と付き合ってください!」
駅から離れたとはいえ、天下の往来であることを厭わないまっすぐすぎる告白。
本当に、勘弁してくれ。
「昴、ごめん。私には無理だ」
バカみたいに腰から直角に下げていた頭が跳ね上がる。ついさっきより、よほど情けない顔をしている。いや、俺がそうさせたんだ。
「私たち、まだ知り合って三ヶ月ちょっとじゃん、もっと焦らず考えた方がいいよ。きっと私なんかより素敵な人がいるだろうしさ」
クソ。お腹痛くなってきた。
元が男だからわかる。このぐらいの
でも、この体は、経験してきたことによってその可能性に過剰に反応してしまう。年甲斐もなく、そうなるのが怖かった。
犯されて、殴られた跡が不快に痛みだす……。
「それに、私みたいな奴とは冗談でも付き合わない方がいいって。きっと後悔するよ……」
当たり前だろ、俺は君が考えるほど綺麗な人間じゃないんだ。
心は別物で、身体は汚れている。
私がこんな
「そ、そんなのわからないですよ! ぼ、僕は、波南美先輩のこと全部……」
「もうやめてくれ、こっちにだって色々あんだよ。私は、昴と付き合えない。ごめんなさい」
形だけの謝罪と拒絶。投げやりに下げた頭を上げると、彼は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「おいおい、そんな顔すんなよ、男だろー。な、昴のこと、後輩として好きだからさ、これからも頼むよ。今度部活のみんなとも遊ぼうぜ」
素早く回り込んで、渾身の力を込めて奴の尻を叩く。真新しいジャージ生地のジョガーパンツは俺の手の勢いを殺さず、バシンと予想以上に心地よい音を鳴らした。
「いったい!! もう! 波南美先輩はすぐお尻叩いてくる!」
「あはは! イケメンの尻叩ける権利売ったら儲かるかな」
どうせ中学に上がったばかりで、浮ついてただけさ。こんな突発的な恋愛感情なんてすぐに忘れるだろう。甘酸っぱい思い出にでもしてくれ。
「まあ、ラインじゃなくて直接面と向かっての告白は褒めてつかわすわ。漢気あっていいじゃん。そのままの君でいてくれたまえ」
「綺麗に玉砕しましたけどね」
想定外のイベントが発生したが、俺たちは何事もなかったように解散した。
気持ちの良い梅雨晴れの空は、薄く夕暮れに染まり始めていた。
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