エコー
給食が終わると、春陽が女子更衣室を案内してくれた。最初は、体育などで着替えが必要な場合、トイレの個室や保健室を利用しようかと考えていたが、親切なお友達が案内してくれるとなると、更衣室からは逃げられない。これからのことに若干胸を痛めながら、体操着のジャージが入った袋を持ち、教室から連れ出される。すこし覚悟を決める時間があるといいけど……。
「ふーん、はす向かいが更衣室なのね」
我らが1年1組から、最寄りの更衣室は目と鼻の先だった。うーんこれはいけない。予想以上に不安だ。
「近いから移動が楽でいいんだけどさー」
そういうと春陽は年相応に無垢な笑顔で更衣室の扉を開けた。扉の奥には目隠しの厚いカーテン。その向こうには、俺が今まで一度も入ることのなかった空間があるはずだ。高校時代、吹奏楽部の友人が、パート練習の場所がなさ過ぎて更衣室で練習したと興奮気味に語っていたのを思い出す。まさかな、俺もここを使うようになるとは思わなかったよ。
「し、失礼しまーす……」
後がつかえると悪いので、意を決してカーテンをくぐった。
果たして、そこには制服からジャージに着替える少女達がいた。とはいいつつも、特に刺激的な風景が広がっているわけではなかった。季節柄、インナーは着ていることが多いし、ズボンはスカートをはいたまま着脱できる。ただ、中にはインナーも脱ぎ去り、ブラ一丁になっている子もいる。
まあ中学一年生だし、まだまだガキンチョだなあ、ピクリともこないぜ。この空間でもっとも小さく、あわよくば小学生でも十分通用する見た目の自分を棚に上げてそう思った。
「波南美ちゃん、ロッカー隣同士使おう」
「んー、さんきゅー」
「波南美ちゃんは運動得意?」
「そう見える? 見た目通り全然よ全然。春陽はなんでもできそうだね」
「まあねえ、でも走るのは嫌いかなぁ」
「ソフテニめっちゃフットワーク使うじゃん。大丈夫なん?」
「めーっちゃキツイよ!」
「あっはは、がんばれ」
無事着替えを終えた俺は、クラスメイトと共に体育館へ向かう。
「橘さん、吹奏楽クラブやってたの?」
今隣を歩いている子は、確か猿渡さんといったか。春陽と友達のようで、休み時間中によく話しかけてくれていた。
「え? あぁうん。春陽から聞いたの?」
「そうそう。私さ、クラリネットやってるんだけど、パーカッションで吹奏楽部入らない?」
まさかの勧誘だ。
「いやあ、指とかボロボロになるし、今の体力じゃちょっと厳しいかなぁ。ごめんね」
そう伝えると、彼女は一瞬しゅんとなったが、すぐ持ち直して言った。
「パーカッションのひと見てると大変そうだもんねぇ。うーん残念!」
正直、吹奏楽は好きだが、吹奏楽部をもう一度やるのはあまり乗り気でない。楽しかったが、それなりにしんどいことも沢山あった。それに、波南美の体でスティックやマレットを握ることを考えると、どうしても気が引ける。手が豆だらけになったり、皮が破けたりするためだ。
そうして、体育館に到着すると、俺は早速体育の先生に呼び止められた。
「橘さん、ちょっといい?」
はあいと答え、小走りで先生の元へ向かう。
「始めまして、体育の山田です。今日の授業だけど、橘さんには体力テストをやってもらうわ。今日で全部やってしまうから、それが終わったら皆と合流ね。大丈夫?」
背が高く、白いジャージを着たアクティブそうな女性だ。きっとバレーかバスケの顧問だな、と当たりをつけた。
「了解です」
「あら、聞いてた通りドライな子」
「んんー、そうっすかね」
「まあいいわ。準備運動まではみんなと一緒でいいから、あんまり無理しないでね」
「うぅぅうううんんん」
俺は思いっきり握力計を握りこむ。自然に足は開き、全身で踏ん張った。結果は残念、両手ともに15キログラムに届かない。予想以上にショボい値でショックを受けた。
「そいっ!」
俺は思いっきりハンドボールを投げた。10メートルも飛ばなかった。とても辛い。
「橘さん、力の込め方とか動かし方が男の子みたいね。でも体を動かすの恥ずかしがる子も多いから見てて気持ちいいわ。値はどれも平均以下だけど」
「い、いやあ、入院生活が長かったもので……アハハ」
「そうねえ、まあいいわ。次はシャトルランだけど、できる?」
「うえっ、あれかー!」
最初の方こそ、昔を思い出して懐かしさにテンションも上がっていたが、長座体前屈以外散々な結果に終わり、意気消沈しつつあった。そこで、トドメのシャトルランだ。もうすでに数往復しかできない未来が見える。
「はい、じゃあここからスタートして——」
先生が説明をしている横に並び、これからの地獄を想像した。
「はい失格ー」
「うあぁあんもうムリ死ぬ!」
ヘロヘロになり、往復に追いつけなくなると先生が終了の合図を出した。思わず俺は床にへたり込んだ。息が上がり心臓が痛い……。
「はい、橘さん記録20回。バリバリ平均以下ね」
「知ってたぁ!」
そうこうしている間に、記念すべき初登校の授業は全て終わった。授業内容については事前に予習していたし、それこそまだ小学校の延長線といった感じで、特に問題なかった。
「私たちの班は、視聴覚室の掃除ね。案内するからついてきて」
「いくいくついてく」
今日1日の締めくくりのように張り切って春陽が言う。中学生は元気でいいなあ。君たちから大学生はどう見えるんだろうか。大人に見えるだろうか。それともオッサン?
「おまえチビで全然体力ねえのな」
移動中、同じ班の男子が絡んできた。わかりやすい雑なイジリ。確か、若山君といったか。中一男子にしては割と高身長で、声変わりも終わっているようだ。眠たげな目元の右目側に泣き黒子があって、このまま成長したらいい感じの雰囲気イケメンになりそう。
「ほんとさー身長も伸びないし体力無いしでヤバイわー。若山君だっけ、ガタイいいねー。なんかやってんの?」
彼の二の腕あたりに拳を当てて言う。軽い肩パンのイメージだったが、全然俺の身長が足りない。
「えっ、俺? い、一応アイスホッケーのチーム入ってっけど……」
「ホッケーやってんの? あれキーパーの防具超ゴツいよねぇ」
「ゴールテンダーな。お、俺それやってんだよ」
「へぇーホッケーだとそう言うんだ、勉強になった! テレビとかで見るとすげえスピード感あってかっこいいよなー」
「おぉ、おう。面白えよな……」
なんだか照れくさそうにしている。ウブだなあ。
「おーい若山ァー、早く来いよー」班の男子が彼を呼ぶ。
「あっ今行くー」
「チビ美と何話してんだよー、ボッキした?」
「うっせえ!」
チビ美って呼ばれてんのか俺……。まあ、このクラスだと一番俺が小さいようだし、しょうがないか。中学校なんて、自分のクラスと部活ぐらいが世界のほとんどな時期だ。多分、俺より背が低い子も学校にはいるだろうが、関わりがなければいないのと一緒だろう。
「ほんっと男子サイテーマジキモい。波南美ちゃん、アイツすぐちょっかい出してくるから気をつけてね」
「あぁーなるほどなるほどぉ」
健康優良健全な男子中学生のようで、実に微笑ましい。
こうして、俺の女子中学生生活はスタートした。
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