第12話 人狼騎士

 入社式が無事に終わり、午後一時。

 昼食と昼休憩も済ませた俺達が午後の仕事にとりかかろう、というところで。フロアに置かれた内線電話が鳴り始めた。

 二コール目が鳴り始めたところで、間渕さんがぱっと受話器を取る。


「はい、試験課です……はい、はい。かしこまりました、少々お待ちください。

 牟礼さん、秋津さんからお電話です」

「なんだ……? 分かった、貸せ」


 訝しみながらも間渕さんから受話器を受け取る牟礼さんが、受話部を耳に当てる。


「お電話替わりました、牟礼です……あ、はい、もうそんな時期ですか。

 了解しました、すぐに伺います。はい、ありがとうございます」


 一瞬だけ驚いたように目を見開いた牟礼さんが短く応対して、受話器を電話機に戻すと、はーっと深い溜め息をついて肩を落とした。

 そして顔を上げると、不満そうな表情で俺をねめつける。


「小僧、早速仕事だ。俺と来い」

「えっ、は、はい」


 手をひらりと動かして試験課のフロアの外に向けるや、さっさとデスクに背を向けて歩き始める牟礼さん。その背中を、俺は慌てて追いかけた。

 デスクの横を通り過ぎる時、間渕さんが苦笑するような、困ったような表情を向けていた気がするけれど、一体何だったのだろうか。


「秋津さんからの電話ってことは、社長直々にってことっすか? なんで俺が……」

「詳しい説明は後でする、いいから来い」


 そうつっけんどんに言いながら、カンカンと階段を上っていく牟礼さん。そうして会話らしい会話も、説明らしい説明もないままに二階に到着すると、階段を上り切ったところにデスクを持つ秋津さんが、牟礼さんと俺に頭を下げた。


「お二人とも、ありがとうございます」

「秋津さん、なんで俺も一緒になんっすか?」


 階段を上り切った俺が、眉を寄せながら問いを投げるが、秋津さんは答えない。小さく首を振って社長室のドアへと向かった。


「私は何も……社長が直々に、交野さんをご指名されましたので。

 社長、失礼いたします。牟礼さんと交野さんがお見えになりました」

「入れ」


 ドアをノックして声をかけると、中から四十万社長の短い声が聞こえる。

 その声に一つ頷いて、秋津さんはドアを開けた。


「お待たせしました、社長とお客様・・・がお待ちです」

「……どうも」

「お客様……?」


 秋津さんに促され、俺と牟礼さんは社長室の中に足を踏み入れる。

 そこで俺達二人を待っていたのは、いつものように金髪を逆立ててサングラスをかけた四十万社長と、アッシュブロンドの髪を長く伸ばしたスーツ姿の美女だった。

 顔立ちは西洋系だ、全く日本人らしい顔つきではない。色白の肌によく映えるサファイア色の瞳を、まっすぐ俺達に向けてきている。

 その髪型、顔つき、瞳の色。俺は口があんぐりと開くのを抑えるので精いっぱいだった。この人物・・・・がお客様だというのなら、粗相をするわけにはいかない、社長の為にも。

 内心で必死に興奮と感動を押し留めている俺を差し置いて、牟礼さんが一歩前に進み出て件の美女に手を差し出した。


「お久しぶりです、ミス・ルウェリン」

「また貴方と仕事が出来て嬉しいわ、タカシ」


 ミス・ルウェリンと呼ばれた美女は、その眉目秀麗な顔を柔らかく緩めて、牟礼さんが差し出した手を握り返した。

 いよいよもって間違いない。俺は目を大きく見開きながら、美女の傍らに立つ社長へと視線を向けた。


「社長、お客さんって……あのレイラ・ガヴリーロヴナ・ルウェリンが、アルテスタの顧客だってことっすか!?」

「そうだ、今回お前たち二人を呼んだのは、彼女……レイラの護符に関わる仕事のためだ」


 全く何でもないことのように答える社長が、腕を組む。

 そして美女――レイラさんは牟礼さんの手から手を離すと、俺に向かってにこりと微笑みながら静かに近づいてきた。そのまま、俺へと手を差し出してくる。


「貴方がゲンキね、リューゾーから話は聞いているわ。期待しているわね」

「は……はいっ! 『人狼騎士じんろうきし』の扱う護符の仕事が出来るなんて光栄です! よろしくお願いしますっ!」


 もう興奮が抑えられそうにない。俺は差し出されたレイラさんの手を、がばっと両手で包むように握った。レイラさんが目を小さく見開くと同時に、俺の頭を牟礼さんがばしっとはたいた。


 レイラ・ガヴリーロヴナ・ルウェリン。

 アメリカ系ロシア人で、三十七歳の女性。ユーラシア大陸でも有数の符術士であり、優れた技量を持つ戦士だ。

 二つ名は『人狼騎士』。これは彼女が、四十万竜三の開発した「魔獣化ウェアビースト」の護符を使用して戦うことに由来する。

 白銀の毛並みを持つウェアウルフに変身し、銀製の両手剣を振るって魔物を屠るその姿を、畏敬の念を籠めて人々はそう呼ぶのだ。

 二つ名がそう付けられるほどに「魔獣化ウェアビースト」を愛用していることから分かるように、彼女が持つ「魔獣化ウェアビースト」はアルテスタが興る前、竜三が個人的に護符を開発していた頃からそれを使っている。いわゆる、非合法ノンライセンス品だ。

 こうして彼女がここに来ているということは、つまり今回の仕事内容は。

 牟礼さんに頭をはたかれた俺へと、社長の視線が向けられる。その瞳の色は、サングラスに隠れて杳として知れない。


「レイラの使う『魔獣化ウェアビースト』は俺がまだアルテスタをつくる前から使われ続けている護符だ。効果が強力だから、使用者に合わせたチューニングが定期的に必要なんだよ。

 現在のレイラの身体に合わせたチューニングと、その結果のテスト。これが今回の仕事だ」

「チューニング自体は毎回社長が手ずからやっているから気にしないでいい。

 俺達の仕事はそのチューニングが終わった後、護符の効果に不具合が無いか、使用者に負担がかからないかをテストすることだ」


 牟礼さんが腕を組みながら俺に視線を向けてくる。レイラさんの手から自分の手を離した俺が、そこで首を傾げた。


「その護符ってレイラさんの為に作ったMTO品ってことっすよね?

 テストをするにしても、レイラさん以外の人間がテストする必要性ってどこにあるんっすか?」

「馬鹿野郎、いくらMTO品だからって社内テストもなしに引き渡しが出来るか。

 彼女がこの『魔獣化ウェアビースト』を使い続けるためには、AD法の基準に則った試験プロセスを踏まないとならない。いくら非合法ノンライセンス時代に作られたものだからといって、その辺りを疎かには出来ないからな」


 傾げた俺の頭が、またも牟礼さんの手によってはたかれる。

 しかし、考えてみれば確かにそうだ。社内テストも済ませないで引き渡しをして、それで事故が起こったとなれば工房の責任問題に発展する。

 レイラさんが小さく肩を竦めつつ口を開いた。


「護符自体はもうかれこれ十五年は使っているから、勝手なんて私が一番分かっているけれど、それでも使い続けていれば今の身体に合わない部分も出てくるわ。

 その調整は、貴方たちにお願いするしかないというわけ。

 また今年もリューゾーに調整してもらって、タカシにチェックしてもらおうと思っていたけれど、今年はグレード4のキャリアが入社したってリューゾーから聞いたのよ。それでその子にもお願いしようってなったの」


 レイラさんの言葉に、俺ははたかれた頭を抑えながら目を見開いた。

 やはり、グレード4のキャリアという肩書は非常に大きいのだ。「魔獣化ウェアビースト」の護符のように、疑似的に身体に魔素を満たすような護符であればなおさら、その特異体質は有効に作用する。

 何しろ魔素の影響を受けない身体なのだ。実際に魔素を発生させるわけではないにしろ、より安全に試験が行える。

 俺はレイラさんに向かって、深く深く頭を下げた。その状態でしっかと声を張る。


「うっす、頑張ります! よろしくお願いします!!」

「よろしく頼むわね、ゲンキ。期待しているわ」


 俺の肩にぽんと手を置いて、レイラさんは笑った。

 その様子を社長と牟礼さんは、なんとも言い難い表情をして、無言のままに見つめていた。

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