第21話 炎鱗襲撃

 光が丘公園では、あちらこちらで火の手が上がっていた。

 イチョウ並木も桜並木もあちこちの樹皮が焼かれ、茂っていた葉や咲き誇っていた花を舞い上げさせながら炎が燃えている。

 桜なんて今が見頃で、土日になったら花見客で賑わっていただろうに、魔物はそんなことなどお構いなしに炎を吐き出して焼き払っていた。

 現場には公園に遊びに来ていた親子連れや、近隣の保育園児と付き添いの先生、気の逸った花見客が逃げまどい、公園の外へと避難をしていた。この位置から考えると光が丘駅に避難してくるのだろう。


「センターへ。テスター1、テスター2、現着しました」

「アルテスタの符術士二名、緊急出動要請を受けて到着しました!」

「お待ちしておりました、お願いします! ふたごより各員、ふたごより各員、アルテスタ二名現着一〇二二、入ります!!」


 ふたご橋の入り口から駆け込んで、入り口の封鎖に当たっていた警察官に俺がライセンスカードを見せると、入り口の前に立っていた警察官がさっと道を空ける。

 標さんがモニタリングする間渕さんに現場到着を報告し、警察官がトランシーバーに向かって声を張る中、俺と標さんは公園の敷地内に駆け込んだ。

 途端に、木や草が焼けるパチパチという音が耳を突き、上がる煙が目を刺した。

 ざっと見る限り、見受けられるのは板橋区にある護符工房Dexcoの符術士が身に付ける、社名をかたどったロゴマークのみ。対応しているそれ以外の符術士は、フリーランスか、符術士派遣会社から派遣されている人員だろう。

 和光市にあるエストレージャアミュレッツと、俺達と同じく練馬区にあるビートダウン株式会社の符術士は、まだ到着していないようだ。


 悲鳴と爆発音が飛び交い、護符と武器が絶えず振るわれる中、俺と標さんも各々の武器を構えなおす。標さんはインカムで間渕さんと絶えず連絡を取り合っていて、しきりにインカムを押さえては「了解」と呟いていた。

 緊急出動の際のモニタリングとオペレーションは、試験課のフロアで残った誰かがやるのが通例だ。今回は間渕さんが担当だが、俺が残っている時に緊急出動が出たら、俺がやることになるのだろう。

 作戦時のコードネームは「テスター」。今回はテスター1が標さん、テスター2が俺、という具合で割り振られている。

 こういう緊迫した状況での連携を取っての作戦は、まさに職業符術士の本領発揮というところ。不謹慎だが、ちょっとわくわくする。

 俺が内心で心を湧き立たせていると、インカムから指を離した標さんが俺に視線を投げた。


「交野君、行くよ」

「標さん、間渕さんからなんかあったっすか?」

「ん、サラマンダーが芝生広場に多くいるそうだ。この辺のは既にいる人たちが抑えているし、避難の邪魔にもなる。道中のは蹴散らしつつ僕達は北側に行くよ」

「うっす!」


 そうして俺は駆けだし、懐から護符を取り出した。隣で標さんも片手に護符を握る。視界の先、広い通路にサラマンダーが四匹。俺達と逆の方向に駆けていく家族連れを追っていた。

 もう一切の容赦は必要ない、やらなければ誰かがやられる。威力の強さや引っ張られる感覚なんて気にもせず、俺は声高に黒波ブラックウェイブの発動詠唱を唱えた。


黒風白雨こくふうはくう波濤壊壊はとうかいかい!」

寸善尺魔すんぜんしゃくま氷牙裁裁ひょうがさいさい!」


 刹那、漆黒の波が立ち昇り、指向性を持ってサラマンダーへと向かっていく。その後を追うように標さんの発動した氷針アイスニードルが飛んだ。

 波にのまれてひっくり返ったサラマンダーの腹に、次々に突き刺さる氷のトゲ。濁流に溺れるサラマンダーは悲鳴を上げることも叶わない。


「標さんその氷針アイスニードル、自前っすか!」

「自前! 高かったんだよ!」


 軽口をたたきつつ、物言わぬ骸となって地面に転がったサラマンダー達を放置して俺達は駆けた。そうして芝生広場に飛び込むや、二人揃って絶句することになる。

 何しろ、芝生の上を埋め尽くさんばかりにサラマンダーの赤い鱗が犇めいているのだ。符術士がどんどん護符と武器を振るって数を減らしているものの、次々に周辺にいるサラマンダーが押し寄せて穴を埋めてしまう。

 思わず引いてしまう俺の隣で、標さんが乾いた笑いを零した。


「うっわ……」

「はは、こりゃー、凄いね。僕達と、今いる人たちだけじゃとてもじゃないけど手に余る。エストレージャの人とビートダウンの人が来たらこっちに回ってもらわないと」

「どのくらいか、モニタリングされてないんっすか?」

「あっ待って、通信来た……はいテスター1、うん今広場……えっマジ、百!? えーとこっちは、うんと、いて二十かなぁ……うん」


 インカムから通信を受けている標さんが不意に大きな声を上げた。上がった声に俺の目も見開かれる。

 百。百と言ったのか、標さんは今。


「百……って、百体!? ここにっすか!?」

「うん、広場だけで百を超えるって。順次倒されてはいるみたいだけど、増えるペースの方が早いらしい。人が増えれば抑え込めるだろうけど、こりゃ公園内にどっか出現ポイント出来てるなぁ」


 呆れたような表情で背負った武器を手に取る標さんが鋭い視線を俺の方へと投げかけた。出現ポイントを探るわけではない、こちらに向かってくるサラマンダーが一体いるのだ。

 すぐさまに俺も剣を抜いた。抜き打ち気味にサラマンダーの頭部を斬りつける。


「っと、うりゃっ!」

「グギャッ!」

「いいね交野君、下がって! どりゃーっ!」


 目を斬られて怯んだサラマンダーの隙を突いて、標さんの振るう戦鎚が大上段から振り下ろされた。巨大な質量を持ったそれが、サラマンダーの頭部を叩き潰す。

 と、気配を感じた俺が視線を後方に向ける。標さんの背中に飛びかかるように距離を詰めてくるサラマンダーが二体。俺はぐっと身体をねじ込み、標さんと背中合わせになりながら剣を振るった。


「標さん後ろから二匹いるっす!」

「サンキュ! 玉石同砕ぎょくせきどうさい弾岩雷雷だんがんらいらい!」

「ギーッ!」

「ギギャッ!」

「ぐーっ、いくらなんでも、多すぎやしません!? おかしいっすよ!!」


 俺の背後から石雨ストーンショットの護符を発動させて、標さんがサラマンダーめがけて石礫をばら撒く。高速で飛翔した石が次々にサラマンダーの身体を打ち、その赤い身体を地面へと横たえさせた。

 倒れたその二体の首を斬りながら、俺が呻く。後方で標さんが戦鎚を振り回しながら冷や汗を流した。


「うん、ちょっとまずい。とにかく数を減らすことを念頭に動こう。間渕さんの指示によると北口側が人員少ないから、そっちに行くよ」

「了解っす!」

「センターへ。テスター1、テスター2、指示通り公園北口側に向かいます!」


 そうして再び駆け出した俺達だ。野球場の隣を通り、公園北口の自然観察ゾーンへ。木が茂って土がむき出しになった場所に囲まれたこのエリアは、昼前だというのに少し薄暗い。

 このエリアでも、符術士が戦闘を行っていた。制服のロゴマークを見るに練馬区の符術士派遣会社、エーエムビー株式会社の社員が対応に当たっているらしい。


「こっちの辺は、木が鬱蒼としていて見通し悪いっすね……」

「うん、頭上から襲われるかもしれない。気を付けて」

「了解……って言ってる傍からっすね! おりゃー!」


 戦闘が行われる中で、俺も剣を振るう。ちょうど頭上の木から飛びかかって来たサラマンダーが、腹を裂かれて運動エネルギーが保存されるままに、地面へと頭から突っ込んで絶命した。

 このエリアは広場ほどサラマンダーがいるわけではないようで、俺と標さんが加わったことでかなり押し返せるようになった。次々に倒されては数を減らしていくサラマンダー。

 そして残りの五体ほどを地面に叩き落とし、囲んだところで。標さんが「とっておきの一枚」と話す護符を取り出して掲げる。


一暴十寒いちばくじっかん水竜来来すいりゅうらいらい!」

「オォォォォン!!」


 途端に、護符から大量の水が溢れ出した。流れることなく形を成した水が生み出すのは、水の龍。

 水龍召喚ウォータードラゴン。アルテスタの護符の中でも「召喚系」と呼ばれる、存在を召喚して攻撃させるタイプの護符だ。威力が高く広範囲を攻撃できる反面、制御が難しいことでよく知られている。

 しかして一吠えした水龍が、自身の口を大きく開けてサラマンダーの群れに突撃した。その身体を構成する水が大質量を伴って、サラマンダーを押し潰す。


「ギャァァァァァ……!!」


 押し潰され、身体を冷やされ、一挙に絶命するサラマンダーの断末魔が、水の音に溶けていく。そうしてずぶ濡れの蜥蜴が五匹横たわって動かないのを見て、ようやく標さんも、エーエムビーの符術士五人も肩の力を抜いた。


「……よし、視界内クリア。エーエムビー、そっちどうですか?」


 戦鎚を背に負った標さんが、付近に立っていたエーエムビーの人たちに声をかける。そちらから返ってくるのは、首肯と安堵の声だ。


「ああ、こちらも視界クリア。この近辺は大丈夫だ」

「こちらもクリア。流石はアルテスタだ」


 口々にアルテスタの護符の威力と、その護符を作る工房の社員を褒めるエーエムビーの符術士たち。彼等もこの護符の世話に日頃からなっているのだから、作り手に敬意を表するのは自然な流れだろう。

 それは俺もよく分かっているのだが、やはり直接称賛を浴びると、嬉しくなる。まだ入社して二日目だというのにだ。


「いやぁ、まぁ、それほどでもねっすけど」

「交野君、油断しない、慢心もしない。まだまだ戦闘は――」


 思わず後頭部に手をやって照れる俺に苦言を呈したところで、標さんが耳元に手をやった。間渕さんから通達が来たらしい。


「はい、テスター1……おっとマジか、了解。交野君、センターから連絡。ブラッドドッグが数体こっち来てる」

「げっ……マジっすか」

「サラマンダーほど脅威度は無いにせよ、集られると厄介ですね」

「応戦するぞ。城嶋じょうしま新井あらい油田あぶらだは芝生広場に応援に向かえ!」


 うっと呻いた俺の隣で、エーエムビーの社員が数名、芝生広場の方に駆けて行った。

 ブラッドドッグはサラマンダーより脅威度が低い。数体程度であれば、俺、標さん、エーエムビーの二人でも充分に倒せるはずだ。

 しかしてまだ成犬ではないのだろう、気持ち小柄なブラッドドッグが二体、俺達の前に姿を現した。


「来た、構えて!」

「うっす!」

「来いっ!」


 再び武器の柄に手をかけて、構えを取る俺達。

 だが、ブラッドドッグたちの反応は、全く持って予想外のものだった。


「ニンゲン!」

「ニンゲン、イタ!」

「「へ……!?」」


 子供のような高い声で、しかし歪でガラガラとした声で、明確にブラッドドッグが人間の言葉をしゃべった。

 一様に驚く俺達。そんな俺達がぽかんとしているのを放置して、ブラッドドッグ二体がこちらに背中を向けて元来た方へと駆けていく。


「パパー! コッチ、ニンゲン、イター!」


 まるで幼い子供が遠くにいる父親を呼ぶようなそんなことを言いながら、二体のブラッドドッグは俺達の前から去っていった。残されたのは揃って口をあんぐりと開けた、俺達だけだ。

 互いに顔を見合わせて、信じられないといわんばかりに言葉を零す。


「今……喋りました?」

「喋ったな……ブラッドドッグって喋れるほど知能高かったか?」

「しかも、襲わずに引き返した……?」

「ていうか今、あのワンコ、『パパ』って……」


 犬が喋った。「パパ」と喋った。

 それだけなら非常に愛らしい、可愛らしいものなのだが、相手はれっきとした魔物だ。そこらの愛玩犬とは訳が違う。

 途端に難しい表情になった標さんがしばし考え込むと、ハッと顔を上げた。急いで俺達三人へと言葉を投げる。


「だとすると……交野君まずい、すぐにここから離れるんだ! ここだと挟み撃ちにされる! 上田うえださんも松野まつのさんも、早く!」

「う、うっす!」

「はいっ!」

「応!」


 確かに、そうだ。いくら木の生えているところに踏み込めるとは言っても、こんな場所ではいつ囲まれるか知れない。

 すぐさまに芝生広場の北側、少し開けたところに出るも、そこで俺達を出迎えたのはまたしても予想外のものだった。


「これは……おいおい、どうなってるんだ!」

「明らかにあれ、こっち向かってますよね!?」


 エーエムビーの上田さんと松野さんが揃って困惑の声を漏らした。

 こちらに一直線に向かってくるサラマンダーが、十体以上。何かに追い立てられるようにしてまっすぐ、俺達の方に走って来るではないか。

 俺は歯噛みした。避けるにしても隣はフェンスだったり木だったり。護符で迎撃してもあれだけの数を一度に対処するのは難しい。武器での対応などもってのほかだ。何かに追われているのなら余計にである。


「くっ、退避が間に合わないか!」

黒波ブラックウェイブで押し返します! いいっすよね!?」

「交野君待って、今――」

黒風白雨こくふうはくう波濤壊壊はとうかいかい!!」


 標さんの制止の声より数瞬早く、俺は黒波ブラックウェイブの護符を発動させた。

 三度立ち上がる黒い波。それがサラマンダーに迫っていく、というところで。

 サラマンダー達の後方から、大きくジャンプして飛び込んでくる影があった。波に押し流されるサラマンダーが、本来到達したであろう場所。すなわち俺達の目の前に、黒い水しぶきを上げながら着地する。

 それは、ブラッドドッグだった。先程の子供とは違う、人間大のサイズを持つ成犬である。その赤い瞳を爛々と輝かせながら、後方に流されていったサラマンダーを見ている。


「いっ……!?」

「もーっ、だから待ってって言ったじゃないか、あれ、見えてなかった?」


 思わず身を引く俺に、苦言を呈する標さんだ。無理もない、ブラッドドッグが飛び込んでくることに気付くことなく、俺は黒波ブラックウェイブを発動させたのだから。

 本来ならば飛び込んでくるところにサラマンダーがいて、その身体を押さえつけるか、前に立ちはだかるかをするはずだったのが、俺のせいですっかり台無しである。

 後方でピクピクと痙攣するサラマンダーから、正面に立つ俺に視線を移して、ブラッドドッグがフンと鼻を鳴らす。


「……フン。浅慮ダナ」


 短く発せられたその声に、俺は目を見張った。

 昨日の夜に聞いた声だ。ともに話をした時に聞いた口調だ。その言い方、声色、間違いない。間違いようがない。


「……牟礼さん?」

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