第31話 人魔有権
翌日の朝、朝食を食べてしばらくした頃。
俺のベッドの前には、昨日に俺を診てくれた初老の先生と、今朝に朝食を運んでくれた女性看護師がいた。
「交野さん、移植する腕が用意できましたよ」
女性看護師がにっこり笑いながら俺に声をかけてくる。それに対し、驚きに目を見張る俺だ。
昨日の今日だ。そんなにすぐに、俺に移植する腕の用意が出来るとは、ちょっと思っていなくて。虚を突かれた格好だ。
「早いっすね」
「幸い、君の体格にちょうどいい右腕の用意があってね。すぐに用意することが出来た」
素直に述べれば、初老の先生がこくりと頷きながら言葉を返す。そのまま手元から一枚の書類を取り出し、俺に差し出した。
「腕の情報がこれだ。ウェアウルフ種男性、組織年齢二十代後半、取得年月日2019年3月28日。筋力レベルも骨密度も、前衛型符術士に移植するのに申し分ない」
「ウェアウルフ……」
書類は、俺に移植する魔物の腕の詳細情報を書いたものだった。それを受け取りながら、俺の視線はちらちら、隣のベッドに向かう。
ウェアウルフ種の男性の腕。どうしたって、昨日にさんざん話をした、隣の鷹嘴さんが気にかかる。今日は朝食も取らずに、組織取得のためにと別室に運ばれて行っていた。
どうなんだろう、俺の腕には、彼の腕がくっつくのだろうか。
俺の想いを読み取ったか、初老の先生が微笑ましく笑う。
「期待したかい?」
「いえ、そんな……いやまぁ、その、全く期待しなかったかって言うと、嘘になるっすけど」
鷹嘴さんと親しそうな声色で話す先生に、俺も苦笑を向けた。俺自身、鷹嘴さんの腕が自分にくっついたらいいな、とか、思わなかったわけではないのだ。父の恩師の腕なのだから。
俺の返事に、首元に手をやりながら先生が話し始める。
「その様子だと、鷹嘴さんとは、もう話をしたかな」
「はい……いろいろと」
先生の言葉に、俺は何となく恥ずかしくなった。軽く視線を逸らしながら返事を返すと、苦笑しながら先生が頭を小さく左右に振る。
「まぁ、残念ながらという話になるが、鷹嘴さんから取得した腕ではないよ。さすがの彼も、三十歳より若い腕は生やせない」
その言葉に、俺はきっと口をぽかんと開いて、驚きに目を見張っていたことだろう。
鷹嘴さんなら、自分の年齢よりも若い組織を復元することなど、訳もないはずだ。あの能力は文字通り『肉体を復元する』能力。だからこそ彼も、あれだけ若々しい身体でいられるわけで。
俺は首を傾げながら、手元の資料に目を落としつつ口を開いた。
「復元能持ちなら、組織年齢を若く保つなんてこと、平気で出来るんじゃないんっすか?」
鷹嘴さんがこの場にいないのに話に出すことを申し訳なく思いながら、俺は問いかける。それに対して、先生はまたも頭を振った。
「復元した結果、肉体年齢が若くなっているということはその通りなんだ。でも、あくまである特定の時期の肉体を、失った後に生やしているだけに過ぎない。
鷹嘴さんが復元能を獲得したのは三十九歳の頃。生えてくる組織も三十九歳の頃のものだ。だから彼の肉体年齢は、だいたい四十歳前半が保たれているというわけ」
「はあ……」
先生の話す内容に、俺はため息をつく他なかった。
若くいられる年齢には限度があるとはいえ、よくよく、チートな能力である。七十過ぎでも四十手前の肉体でいられるとか。衰え知らずだ。そりゃ、頻繁にドナーになりに来るわけである。
と、さすがに他の患者さんのプライベートな話。看護師がムッとした表情で釘を刺す。
「先生、患者さんのプライベートな情報ですよ、それ」
「おっと、いかんいかん。こことの付き合いが長いから、ついね」
そう話して、小さく笑う先生だ。付き合いが長いということは、鷹嘴さんはよくこの病院に入院しているのだろうか。
それに問いかけをしようかと思案したが、きっとそれはすべきではない。彼のプライベートな部分だ。
俺が口を噤んだのを見て、先生がぽんと両手を打った。
「ま、ともかくだ。あんまり待たせても君の生活に支障があるから、早いところ移植と神経接続をしよう。移植と同時に人工皮膚に置き換えていくが、一度にいっぺんに、とはいかない。一日か二日は魔物の腕のままで生活してもらうことになるが、我慢してほしい」
「はい……分かりました」
先生の発した言葉に、俺は神妙な面持ちで頷く。
人工皮膚を貼り付けるのも、一度にまとめて、とはいかないのが外皮形成手術だ。慎重に剥がして、慎重に貼り付けて、定着するまで待って、としないとならないから、時間がどうしてもかかる。
さらには、爪の整形も必要だ。獣のような丸爪ではないけれど先が尖っているし、材質も硬い。人間として生活を送るには、そのままでは少々不便だ。
「それと移植と同時に神経を接続するけど、しばらく……一週間くらいかな、動かしにくかったりすることがあると思う。移植に当たってどうしても起こってしまうことだから、これも我慢してくれ」
「……はい」
続けての言葉にも、俺は静かに頷く。
これもまた、仕方ないことだ。いくら魔物の組織が人体との親和性があるにしたって、接続が繋いですぐに起こるわけはないし、スムーズに動かせるようになるはずがない。魔素の力を借りずに一週間で動かせるようになるだけでも、凄いことだ。
これで、手術前の説明は以上のはずだ。看護師が、病室の外から運んできたストレッチャーの床面を、そっと叩く。
「それでは、交野さん、手術室に向かいます。こちらのストレッチャーに乗ってください」
「お願いします」
「心配しなくていいよ、すぐに終わる」
身体を動かし、ストレッチャーの上に乗って、横たわると。そのまま、看護師がストレッチャーを押して移動を始めた。
外科手術室はB棟の3階だったはずだ。A棟の中を通り、渡り廊下を通り、エレベーターで下に降りる必要がある。
そして渡り廊下の手前には患者同士が交流に使う談話室があるのだ。朝食後のタイミングということもあり、ベッドに縛られていない患者たちで、談話室はなかなか賑やかだ。
そしてチラと見るだけでも、人間の姿をしていない『ヒト』が、結構いる。動物の特徴を持つ獣人種は勿論のこと、獣人種よりは人間寄りな見た目をした賢獣種の魔物や、機械やら鉱石やらで構成された身体を持つ機人種の魔物も見えた。
「こうして見てると、病院の中、魔物の患者さんも結構、いるんっすね」
「不思議かい?」
談話室を通り過ぎながら先生に声をかけると、ストレッチャーの隣を歩く先生が、俺を見下ろした。
その言葉に、俺は素直に頷く。横たわったままなのでほんの小さくだけれど。
「人間の病院と、魔物の病院と、分かれているもんだと思ってました。動物病院みたいに」
「はは、なるほど」
俺の発言に、先生はからからと笑った。
実際、魔物を専門に診るという医者はいるし、逆に俺は人間しか診れないぞと公言する医者もいる。それだけ、魔物の肉体は人間とは大きく異なるのだ。
肉体を構成する大きな要素である魔素は無論。毒になる血液、驚異的な運動能力、人間と会話出来る言語能力。
そんな魔物たちとたくさん触れ合ってきたであろう先生が、ストレッチャーに手を添えながら口を開く。
「あれらの魔物の中には、深度三や深度四の魔素症患者もいれば、地球生まれの魔物もいる。魔物と一口に言っても、異世界からやってくる魔物ばかりが魔物じゃない。日本国民として認められる魔物には、日本で医者にかかる権利があるわけだ」
先生の言葉に、俺はハッとした。
そう、魔物も全てが、異世界からやって来て、人間に敵対的なわけではないのだ。
牟礼さんや今課長、鷹嘴さんのように深度四の魔素症患者もいる。そんな魔素症患者や、魔物に襲われた人間が、地球で生み落とした魔物だっている。
彼らも、全てではないが日本国民として政府に存在を認められ、人間社会に生きることを認められているのだ。権利上は、『ヒト』であるはずだ。
エレベーターに乗り込みながら、俺はそっと目を伏せる。
「……そうっすよね」
「我々医者も、魔物の身体のことはまだまだ分からないことがたくさんあって、手探りな部分もある。その謎を解明するために、交野君のような魔物を倒す符術士がいて、魔物の身体を調べる研究機関がある。だから、我々も彼らのような魔物を、患者として治療できるんだ」
下の階に降りて、外科手術室に向かって進みながら、先生は話を続けた。
そう、俺達符術士が魔物を倒すのは、何も魔物の驚異から人類を守ることだけが理由ではない。
まだまだ不明点の多い魔物のサンプルを手に入れ、その身体や能力の謎を解明すること。それがあるから魔物の素材の回収も、重要な仕事なのだ。
徐々に近付いてくる外科手術室。除菌とホコリ除去のエアシャワーを潜る。
「……そっすか」
「そういうこと。さあ、手術室に到着だ。麻酔をかけるから大人しくしていてね」
そう話しながら、初老の先生はにこやかに俺に笑いかける。
右肩に局部麻酔の注射を打つべく、準備が進められる俺の視界には、これから俺に移植される赤茶色の毛皮を持った、ウェアウルフの右腕が封をされて置かれていた。
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