第30話 組織復元
「ドナー……」
鷹嘴さんの言葉に、俺はぼんやりと言葉を反芻した。
ドナー。すなわち、臓器提供や骨髄移植のドナーだ。
符術士が討伐して腑分けされた魔物の臓器や骨は、護符や武器作成の素材になるほか、人間に生体臓器として移植されたり、人工骨や人工臓器の材料にされることもある。俺が四肢置換法と一緒に提示された、人工骨の素材も、最近は魔物の骨製が多くなってきている。
それゆえ、肉体が魔物化している深度三や深度四の魔素症患者の生体組織も魔物のそれと扱われるため、移植用臓器としての需要があるのだ。
俺の言葉に頷いて、鷹嘴さんが笑う。
「定年退職してから、定期的に組織を提供するようにしているんだ。血液、筋肉、四肢、内臓……だからもしかしたら、君に新しくくっつく右腕は、私のものかもしれないね」
「え、でも鷹嘴さん、腕普通に……あ」
鷹嘴さんの言葉に、俺は目を大きく見開いた。
血液だけでなく、筋肉、四肢、内臓。そんなに提供していたら肉体が見るも無残な状況になっているだろうが、しかし彼の身体は五体満足、全くの健康体だ。
どういうことだろう、と思った矢先に、俺は魔物が稀に有する「ある才能」に思い至る。はっと声を上げた。
「鷹嘴さんって、ウェアウルフだと言ってましたけど、もしかして」
「うん、そういうこと。私は『
俺の問いかけに、鷹嘴さんがにっこり笑って頷いた。
『復元能』とは、肉体の損傷を急速に修復できる、特殊な才能のことだ。
筋肉痛に始まり、裂傷、熱変性、切断までもたちどころに修復し、元通りにすることが出来る。腕を飛ばしても首を刎ねても死なないのだから、いざ戦闘で相対したら恐ろしいなんてレベルではない。
肉体組織を失ってもすぐに修復して回復することが出来るのであれば、臓器提供のドナーとしてこれほど頼もしい存在はないだろう。
「はー……道理で。じゃあ、ドナーになるために入院するのも、これが初めてじゃないってことっすよね」
「そうだね、一年に数回、提供のために入院させてもらっている。入院に費用はかかるけれど、組織提供の謝礼金が国から出るから、結果的にトントンだね」
頷きながら鷹嘴さんが発した入院の頻度に、俺はまたも目を見開いた。
年に数回も自分の身体から組織を取り出し、提供しているというのか。七十二歳になる老人が。復元能持ちだから肉体は年齢よりも若いだろうと思うけれど。
復元能はただでさえレアな才能なのだ。俺のグレード4キャリアよりもレアじゃないだろうか。そうでなくても深度四の魔素症患者で人間らしい日常生活を送り、かつ復元能を持ってる人は、とてつもなくレアである。
「すごいっすね……魔素症患者の人で、復元能持ってる方、俺初めて会いました」
「珍しい能力なのは確かだね。私もこれまでの人生で、復元能を持つ魔物を見たのは片手で数えられるくらいしかない……元が人間で、復元能持ちの魔物は、関東地方では私だけだ」
感嘆の声を漏らせば、鷹嘴さんもこくこくと頷いた。
通常の魔物で復元能持ちとなれば、確実に全国紙の一面を飾る。魔素症患者で復元能持ちはそこまでにはならないが、それでも日本国内で確認されているのは、確か四人。そのうちの一人が、今目の前にいるという現実に驚くほかない。
「復元能持ちの魔物って、心臓すらも復元させられるって聞いたことあるっすけど、マジなんすか?」
「私も過去に二度、心臓移植のドナーになったことがあるよ。ただ魔物の心臓には
俺が問いかけると、鷹嘴さんはにっこり笑って自分の胸元をさすった。パジャマの胸元を開いて見せてもくれたが、そもそも獣毛に覆われているし、傷口は修復されて跡形もない。
鷹嘴さん曰く、内臓の復元は復元するものによってかかる時間が違うそうで、心臓は特に時間がかかるとのこと。魔素の蓄積分まで持っていかれてしまうから当然だ。
心臓の提供を行った際はいくら復元能持ちとは言えども安穏と日常生活には戻れず、人工心臓に繋がれて修復されるまでは病院で寝たきり、心臓が修復された後も魔素の蓄積分を回復してからようやく退院なので、都合八ヶ月か九ヶ月は入院生活を送ることになるのだそうだ。
すさまじい。滅私の精神があったとしても、とてもそれを何度もやろうとは思わない。
「すげー……なんか、尊敬するっす。いくら復元できるからと言っても、そんなにほいほいと、自分の体の組織を差し出せるって……」
俺は素直に感嘆した。称賛した。
そしてその俺の感情を、鷹嘴さんはふっと笑って受け止める。
「ありがとう。これが私が、今の若い人に出来る数少ないことだからね。恩返しみたいなものさ」
そう話しながら、鷹嘴さんは自分の胸元、腕、身体を優しく撫でた。
どれも灰色の体毛に覆われた、まごうこと無きウェアウルフの身体だ。しかしその腕も肩も、七十代の老人とは思えないほどに筋肉がついている。元々符術士だったからというだけでは、説明がつかない若々しい身体を、彼は慈しむように撫でる。
「この才能のおかげで、組織を若々しい状態で、何度も提供できる。それを将来のある若者や、符術士の未来を繋ぐために使ってもらえるなら、こんなに嬉しいことは無い。長いこと人間として扱ってくれた社会の、役に立てていると思えるんだ」
そう話しながら、嬉しそうに目を細める鷹嘴さん。その瞳には確かに、自分が社会の役に立っていることへの、喜びが見て取れた。
実際、貢献度合いは計り知れないだろう。この世の中で腕や足を失ったり、内臓を損傷したりする人のなんと多いことか。四肢欠損はともかくとして、内臓損傷は普通に生きていても起こりうるこの時分だ。
口をぽかんと開いて鷹嘴さんを見つめる俺に、彼は優しい微笑みを向けてくる。
「交野君は、復元能を有する魔物が、国にどう扱われているかは知っているかい?」
「えー……と。確か、あれっすよね、手厚く保護されて、国家機関のいろんな研究所で研究に使われたり、培養した組織から人工臓器を作ったり……」
その問いかけに、俺はしどろもどろになりながら言葉をひねり出した。
復元能を有する魔物が出現した場合、その対応は世界全体で一貫して「
だから捕獲して、国の研究機関に送り、自由と引き換えに至れり尽くせりの生活を保障する。それが基本だ。
魔素症患者で復元能を持つに至った者も、基本的には同じ。多大な生活資金も国から支給される。それで鷹嘴さんは定年退職してから、中野区に家を建てたらしい。
「国は復元能保持者を特に大事に扱う……反感を買ったらとても困るからね。おかげで私もこの上なく、安定した老後を過ごせているわけだ」
「じゃあ、鷹嘴さんもここでドナーになる以外にも、いろんな研究所に?」
恐る恐る俺が問いかけると、鷹嘴さんはにこやかに笑って頷いた。
国の機関に管理されている復元能持ちが、こんな一般の病院の一般病棟の多人数部屋に入居していていいのだろうか、とも思うが、一般の病院に直接組織を提供するのも、重要な意味があるのだそうだ。
「行っているよ。そこで自分の組織を提供しながら、魔素症や魔素アレルギーを緩和するための研究に関わっている」
「すごいっすね……七十二歳でしょう? 復元能があるから身体は若いままなんだろうけど、精力的っす」
その働きぶりに、俺はまたも感嘆の息を吐いた。
精力的に活動していてすごいなと、心底から思う。しかし俺の言葉に、鷹嘴さんの眉尻が僅かに下がった。
「そうだね……ただ、この才能はいいことばかりでもなくてね」
「えっ……」
その含みのある物言いに、俺が言葉に詰まる。呆気にとられる俺へと、鷹嘴さんは悲しげな眼をして、俺を見つめた。
「
だから次に心臓を提供したら可能な限り献体して、残りは火葬してもらうように手配している」
「あ……そう、っすよね」
悲しみを帯びた声で発せられたその言葉に、俺は項垂れた。
そう、復元能持ちはどれだけ身体を切り刻んでも、正確には死なない。身体を魔素が巡り、細胞が生存している限り、死なない。死ねない。
それゆえ、もう充分生きて社会に貢献したと思って、生を終わらせようと思っても、それが出来ないのだ。自殺しようとしても身体が修復されてしまうのだから。
その為、復元能持ちの魔物が死ぬときには肉体を損傷しない死に方――餓死、窒息死など――が取られており、国にはそれを行うための設備もあるが、せめて人らしく死にたい、火葬されて骨になって墓に入りたいと思うのは、日本人として自然な感情だ。
「うん、だから人間として扱われているうちに、人間の寿命の範疇で死にたい。そう思っているんだ」
「……そうっすね」
ゆるゆると頭を振りながら笑う鷹嘴さんに、俺は力なく返事を返すことしかできなかった。
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