第29話 老兵懐古
A棟405号室に先んじて入院していたウェアウルフの老人は、名を
年齢は七十二。栃木県出身の日本人。ウェアウルフなのは、深度四の魔素症患者だから。数年前まで符術士訓練学校の教師をしていたそうで、日本のいろんなところに教え子がいるらしい。
その話を聞いて、俺はようやく思い出した。
「鷹嘴先生……そういえば、年賀状がうちにも届いてたっす。父ちゃんが見せてくれたことがある」
「受け持った生徒で、ちゃんと卒業できた生徒とは、年賀状のやり取りをすることにしていてね。交野君もその一人だった。今年は随分遅れて寒中見舞いが届いたけれど、やっぱり忙しいようだね」
俺が頷けば、鷹嘴さんもにっこりと微笑みながらあごひげを撫でた。
鷹嘴さん曰く、俺の父こと
父は昨年末からトルコに出張していて、同地で多数発生する『ゲート』の破壊に
そんな父の、符術士キャリアの下地を作った名伯楽を前に、俺は自由になる左手で小さく頭を掻いた。
「そうっすね、このところ、海外に仕事に行ってばっかりで……国内にいることなんて、一年のうちに一月もあるかどうか」
「そうか……活躍しているなら、それはいいことだ」
俺の言葉に、鷹嘴さんが嬉しそうに笑う。
やはり、自分の教え子が符術士として活躍していることを知るのは嬉しいのだろう。教師とは得てしてそういうものだ。
すると、恐縮する俺の顔を眺めながら、鷹嘴さんが目を細めながら大きな口を開いた。
「それにしても、そうか。君が交野君の息子さんだというなら、勤め先は
「え、あ、はい、そうっす。ご存知でしたか」
鷹嘴さんの口から零された、四十万社長の名前。それに俺は目を見開くほかなかった。
教師としてキャリアの長い鷹嘴さんが、社長と交流があること自体は別に不思議でも何でもない。専門学校や訓練学校に護符工房から求人票なども行くだろうから、工房を開いた後の社長と顔を合わせていることも想像は出来る。
とはいえ、俺がアルテスタに入社したことは、社長の口ではなく別のところからの情報なようで。あごひげを撫でながら、鷹嘴さんが細めた目をますます細めた。
「交野君が、今年の年賀状に書いていてくれたんだ。息子がアルテスタに就職した、とね……その前にも電話で連絡を貰ったな、随分と嬉しそうだった」
「父ちゃん……」
鷹嘴さんの言葉を受けて、思わず俺は自分の胸元に手を当てた。
二月に帰ってきて食事を共にした時、父はそんなに喜ぶ素振りを見せていなかった、と思う。いつも通りに淡々と、「仕事中に死ぬなよ、頑張れ」と言ってくれたくらいだった。
そんなに、内心では喜んでくれていたのか。
身内や上司の知り合いということで、鷹嘴さんとの雑談は弾んでいった。学校はどこだったか、よく使う護符はどこのものか、などなど。
アルテスタの試験課に勤めていることを話したら、鷹嘴さんは驚きに目を大きく見開いた。前衛型符術士で、符術士派遣会社でなく護符工房に入社するパターンは珍しいと、鷹嘴さんが話してくれた。
「四十万君の工房だと、仕事が多くて大変だろう。辛さを感じてはいないかい?」
「いえ、大丈夫っす。毎日大変っすけど、それが楽しくて……開発したばかりの護符に触れられるのも、楽しいっすし」
しかし俺は至極元気に返すだけだ。実際、試験課の仕事はとても楽しい。他の会社に勤めていたら、きっと出来なかったであろう仕事に毎日触れられるのは大きい。
「いいことだ、存分に楽しむといいよ。護符の
俺の言葉にゆっくり頷いて、鷹嘴さんが黒々とした鼻先を掻いた。
その口ぶりに何となく思うところがあって、俺は笑顔を潜めて質問を投げる。
「先生だったってことは鷹嘴さんも、そういう無茶をする若者を、いっぱい見てきたってことっすかね?」
その言葉に、鷹嘴さんも笑顔を消し、悲しそうな目をしながら頷いた。
符術士に無茶はつきものだとはいえ、無茶をし過ぎたら死ぬし、魔素症によって人間ではなくなる。きっと、鷹嘴さんは長い教師生活の中で、数多くの無茶をする若者を見てきたんだろう。
長い獣毛に覆われる自分の腕を撫でながら、鷹嘴さんはしみじみと話し始めた。
「もちろんだ。私自身も、生徒たちも、たくさん無茶をしたね……昔は今ほど、魔素症の症状自体が知られていなかったし、魔素症患者への支援も手厚くなかったから、私の魔素症が深度三に達した時は、しばらく引き籠もったりもしたものさ」
その言葉に、俺は胸の奥がチクリと痛む思いがした。
今でこそ魔素症が「誰でも
俺が生まれる前後あたりまでは、深度三や深度四の魔素症患者は人間として扱ってもらえず、病院にもなかなかかかれずに引き籠もってしまったり、もっと酷ければ家族や友人から自死を強要されたケースが、かなり多かったらしい。
「昔は魔物差別や魔素症患者差別も、酷かったとか聞くっすけど……」
「そうとも。職を追われたことは何度もあるし、引っ越しも
鷹嘴さん曰く、深度三に罹ったのが三十五歳の時。ある日突然深度三の魔素症を発症したわけではなく、若い頃に深度二に罹り、以来そのままずっと深度二のまま推移してきたらしいのだが、ある朝起きたら獣化が始まっていて、そこから加速度的に病状が進行したのだそうだ。
十三年間勤め続けた大宮符術士訓練学校も、それが元で退職。魔物の姿になったショックでしばらく引き籠もり、ご家族に支えられてなんとか立ち直ったものの、世間からの風向きは非常に厳しくて。
新しい仕事を見つけようにも、当時は深度三や深度四の魔素症患者というだけで門前払いを食らったことも多く、日雇いの仕事や符術士としての仕事で食いつなぐほかなかったそうだ。
必死に働き、家族を養っていた鷹嘴さんだったが、病気はどんどん彼の身体と心を
「妻と娘に、私は泣いて頭を下げたよ。このままでは私はお前たちを食い殺してしまう、そうなる前に別れてくれ、と。それでも妻はうんとは言わないで、結果的に妻と子供とは別居することになった。四十万君とは、その最中に知り合ったんだ」
深度四に入り、精神も変質し、肉体が魔素を生産するようになって完全に魔物となった鷹嘴さんだが、幸いなことに人格や性格まで変わってしまうことにはならなかった。
これまで以上に仕事に打ち込み、打ちのめされ、符術士訓練学校に戻って生徒たちに指導をしようにも話の通じる魔物としか扱われず、いよいよ心が折れかけるか、というところで、勤め先の学校に公演に来た、当時A級符術士だった四十万竜三と出会ったのだという。
その頃、社長は三十になる手前。若くしてA級の座を得て、さらにA級昇格から一年の間に大物を何体も討伐した超新星、と符術士界隈では話題の絶頂にあった社長の公演を、鷹嘴さんはたまたま目にする機会があって、さらには公演後に社長と話すチャンスもあったのだそうだ。
「四十万君はハッキリとものを言う人でね、『人間社会の中で生きようとしているなら、精神が魔物だろうとあなたは人間です、先生』と、話してくれたことを覚えているよ。今から三十年は昔の話だ……その時には、既に彼はA級符術士として
「社長、昔っからそんなんだったんっすか……」
しみじみと話す鷹嘴さんに、ため息をつきながら返事を返す俺だ。
正直、俺の目から見ても社長は変わった人だと思う。見た目は派手だが実直な仕事人で、とにかく硬派。社長の立場でありながら、自分で護符を作ることは止めない。さらには符術士を引退して五年は経つはずなのに、相変わらず武器も持たないでバカみたいに強い。
本当に、
何やら含みのある笑顔を見せながら、鷹嘴さんがゆらりと指先を動かす。
「今も変わらずに、変わっているだろう? 昔から、そういう人だったよ、彼は」
「はー……やっぱそうだったんっすね。ちなみに鷹嘴さんから見て、父ちゃんは、どんな感じでしたか」
何か納得いくようなものを感じながら、俺は鷹嘴さんに質問を重ねていく。
社長の話を聞いた後に、父の話を聞くのもなんだか、やはり父の若い頃の姿を知る人だ。話を聞きたくもなる。
しかして、鷹嘴さんはふっと天井を見上げながらゆっくり口を開いた。
「交野君か。向こう見ずで、無鉄砲で……危なっかしいところもあるけれど、とにかく明るくて元気な子だったね。豪快で、細かいことを気にせず、猪突猛進に突っ走る……そんな生徒だった」
「あー……」
その話を聞いて、納得するやら、恥ずかしくなるやら。
分かる。超分かる。父は四十後半になったら多少落ち着いたとは思うが、俺が小さい頃の父はまさしく、鷹嘴さんが話してくれたそのままの父だ。そして俺の性格もまさしく、若い頃の父にそっくりだ。
俺の反応を見て、くつくつと喉を鳴らしながら鷹嘴さんが笑う。
「思い当たる節があるかな」
「めっちゃあるっす……俺が言うのもなんか、あれっすけど。そういう話聞いてると、やっぱり俺って父ちゃんの息子なんだな、って……」
彼へと俺も苦笑を返していく。
なんだろう、母はいつも「お前はお父さんにそっくりだ」と話すけれど、こんなところまでそっくりだとは。
「そうだろうね。話していると、昔を思い出すよ。交野君も君と同じように、砕けた敬語で話してきたなぁ」
そう言って、鷹嘴さんは視線を足元に落とした。彼の腰から生えた大きな尻尾が膝の上に置かれ、その上に黒く光る爪を持った手が置かれている。
その毛並みのパサついた尻尾を撫でながら、鷹嘴さんの視線が俺の身体へと向けられた。
「ところで、君はどうして入院したんだい? 符術士だと、四肢欠損とか、内臓損傷とか?」
「い、いや、そこまで大ごとじゃないっす……
言葉を返しながら、俺は三角巾に吊られたままの右腕をそっと持ち上げた。
四肢欠損、内臓損傷、どちらも符術士には起こりうる怪我ではあるが、そこまで行ったら、こう、こんな気軽に話をしたりは出来ないだろう。たぶん。
俺のぐにゃっと曲がった腕を見て、鷹嘴さんは
「あぁ、なるほど。それならそこまで心配は要らないね。今は四肢置換法も開発されたから、すぐに仕事に復帰できるだろう」
「は、はぁ……そっすか」
あまりにもあっさりと、あっけらかんと言われて、逆に戸惑う俺だ。これも、鷹嘴さんが符術士を育てる学校の先生として、長いこと仕事をしてきたからなのだろう。昔はもっと、今より魔物に殺される人が多かったらしいし。
そこまで話して、俺ははたと気が付いた。こうして俺の隣のベッドに入院しているが、鷹嘴さんは見た感じ、どこにも怪我や病気をしている様子がない。
それどころか、点滴スタンドの一つも傍には置かれていない。計器が繋がっている様子もない。
「というか、その……失礼かもしんないっすけど、鷹嘴さんはなんで入院してるんっすか? 見た感じ、お元気そうなんっすけど」
「ああ、私はね」
不審がって問いかける俺に、鷹嘴さんは目を細めながら答えた。
そして、入院するその理由を、何でもないことのように話すのだった。
「
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