第28話 老兵邂逅

 俺は母親が荷物を持って到着するのを待ち、病院で入院手続きを済ませてから、入院する病室まで案内されていた。

 符術士健康保険組合の健康保険証と、さっき作成したばかりの総合東京病院の診察券を提出し、入院補償金にゅういんほしょうきんを支払って。診察室で署名したから大丈夫だと思ったが、まさかそれとは別に入院にあたっての誓約書せいやくしょがあるとは思わなかった。

 ともあれ、それらの書類を何とか書いて、ハンコも押して、俺は看護師に連れられて病院の中を歩いているのだった。荷物を運ぶ必要があるから、当然母も一緒である。

 そして、入院病棟に入った看護師が、ある一室の前で足を止めた。


「こちらの病室が交野さんのお部屋になります。四人部屋ですので、あまり騒がしくしないようご注意ください」

「……了解っす」


 A棟405号室。ここが俺の、この先ほとんどの時間を過ごす場所になる。

 病状は骨折、病原菌感染などを心配する必要もないため、一番安い四人部屋である。こればかりは仕方が無いし、入院費が安く抑えられるから、むしろ助かる。

 入って右側、奥のベッドに通されて、看護師がベッドを指し示した。


「では、こちらにおかけください。お母様もこちらへ」

「はい……」


 言われるがままに、俺はベッドに腰を下ろす。母も持って来た荷物をベッド脇の椅子に置いた。それを確認した看護師が手元の資料をめくり、一枚の紙をファイルから取り出して、母に差し出す。


「入院中にご用意いただくもののリストです。一度ご自宅にお戻りいただいても、近隣のドラッグストア等でご購入いただくのでも構いませんので、本日の面会時間終了までにご用意ください」

「母ちゃん、下着と、パジャマと、スリッパは持って来たんだっけ?」

「ええと……あとタオルと、バスタオル、ティッシュの箱と歯磨きセット……それとスマホの充電器。残りは後で持ってくるわ」


 俺が母に声をかけると、紙を受け取ってそれらの内容を一つ一つ確認しながら、母は俺の座るベッドに持って来たものを置いていった。下着とタオルが数枚、新品のパジャマと屋内用スリッパ、バスタオル、ティッシュがひと箱、外出用の歯磨きセットと、俺のスマートフォンの充電器。

 足りなそうなのは洗面用具と電気カミソリ、それと食器類か。常から飲んでいる薬はないからいいが、こうして見ると抜けがあるものである。

 早速俺が持ち込まれたパジャマに着替え、スリッパをく横で、漏れがないかこまめにチェックする母に、看護師が小さく頭を下げる。


「よろしくお願いします。面会時間は午後一時から午後八時までとなっております。

 土日祝日もこの時間で面会を受け付けておりますので、スタッフステーションでお声かけください」

「はい……」


 看護師の言葉に、小さくうなずきながら答える母。その声色は少し、落ち込んでいるようにも聞こえる。

 母が顔を上げるのを待って、看護師が手元の書類を一枚めくった。そこに書かれているのは、入院中の俺の食事に関する内容だ。俺にも言い聞かせるように、俺と母との両方に目を向けながら、彼は表情を動かさずに話を続けた。


「食事については、朝八時、昼十二時、夜六時となっております。交野さんは四肢置換法を行うことになりますので、NME療養食りょうようしょくとなります。

 面会の方からの差し入れなど、病院が提供する食事以外はご遠慮ください。食物アレルギーは特になし、と伺っていますが、正しいですか?」

「はい、この子は何でもよく食べます」


 看護師の問いかけに、母はもう一度頷く。俺は好き嫌いもしない、食物アレルギーもない、母親が感心するくらいに何でも食べるやつだ。

 魔素非含有療養食まそひがんゆうりょうようしょく――Non Monster Elementsの頭文字を取ってNMEだ――は四肢置換法や内臓置換法など、魔物の組織を体内に取り入れる際に食べることになる、食品に含まれる魔素を極限まで排除した食材・・・・・・・・・・で作られる療養食だ。

 この地球上は空気中にも魔素が存在しているため、食品も大概のものが魔素を少量含んでいる。普通に生きている分には全く問題は無いのだが、今回みたいに魔物の組織と自身の身体を接続した直後で、魔物の組織が定着する前だと、食品を通して体内の血管に入った魔素が魔物の組織に入り込み活性化、急速に魔素症を引き起こすことがあるのだ。

 俺はグレード4キャリアだから、血管内に侵入した魔素は俺の血液が無効化してくれるからまだいいが、念には念を入れるのが病院という場所だ。

 俺と母が揃ってうなずいたのを確認すると、看護師はファイルの中から一本のプラスチックバンドを取り出した。


「了解しました。それでは、入院中装着していただきますネームバンドをお付けいたします。左腕をお出しください」

「こう、でいいっすか?」

「はい、失礼いたします」


 看護師に言われるがままに左腕を差し出すと、彼の手が俺の二の腕にバンドをパチンと留める。右腕が使えない今の俺では、簡単には外せなさそうな作りだ。


「こちらのネームバンドは、安全な医療を確保するために装着をお願いするものです。当院の医療情報システムと照合し、検査、手術、治療等を行いますので、外さないよう、お願いします」

「……了解っす」


 そこに、念を押してくるこの言葉。これを聞いたらわざわざ外そうとは、なかなか思わない。

 まだまだ看護師の説明は続く。


「貴重品、多額の現金はお持ちにならないようお願いいたします。スマートフォンはお持ちいただいても構いませんが、こちらの指定した場所でご利用ください。

 特に交野さんは四人部屋ですので、病室でのご利用はなるべくお控えください」

「うっ、分かりました……」


 スマートフォンは病室では使うな。その言葉に、それを片時も離さない生活をしていた今時の若者な俺が、眉尻まゆじりを下げる。

 確かに他の患者も入院して休んでいる中で、スマートフォンを使って五月蠅うるさくしては迷惑だ。病院の中だし、電波が飛ぶのがよろしくない場合もないとは言えない。

 しかしテレビを見るにはテレビカードを買わないとならないし、どうやって暇をつぶそうか。今から心配だ。

 と、これで説明は終わったらしい。看護師が書類をファイルに戻して口を開く。


「以上となります。何か分からないことはありますか?」

「いえ……」

「大丈夫っす……」


 母も俺も、沈鬱ちんうつな表情のままで返事を返した。

 それを受け、看護師がこくりと頷くと柔らかく笑みを浮かべて、俺と母の座るベッドから離れていく。


「了解しました。それでは、何かあったらナースコールでお呼びください」


 そう言い残して立ち去る看護師。彼の姿が405号室から出ていき、見えなくなったところで。俺と母は顔を見合わせた。

 母が、深くため息をつく。


「……はぁー」

「母ちゃん、その……ごめん」


 思わず、あやまる俺だ。符術士のライセンスを取る前も取ってからも、怪我なんてあちこちにしてきたし、骨折も二度ほどしてきた。それでも、自分の腕を失うような大怪我は、これが初めてだ。

 申し訳ない表情をする俺に、あきらめを含んだ顔をして母は言う。


「まぁ、あの人の背中を追って『符術士になる!』って言いだした時点で、遅かれ早かれこういう日は来ると思っていたけどねぇ。まさか就職して早々、こんなバカなことをやる息子だとは」

「だって……それは、その」


 先輩が攻撃されそうだったから。その言葉を言うより先に、母の手が俺の頭をぽんと叩いた。

 俺の父も、符術士だ。国際A級ライセンスを持っていて、よく海外に出張しては魔物と渡り合っている。勤め先は確か、ルーガルーコーポレーションだったっけ。

 そんな父の背中を見て、俺は符術士に憧れを抱いてきた。魔物をその手の武器と護符だけで退け、退治する戦士たち。その一員である父を今でも誇りに思っているし、並び立ちたいとも思う。

 だから、今更怪我なんて気にしないけれど。自分を生んでくれた母には、ちょっと申し訳ないとも思って。

 項垂れる俺に、頭の上に置かれた手がそのまま、俺の頭を撫でた。


「いいよ。その先輩は無事守れたんだろう? 新しい腕生やして、しゃんとして帰ってきな」

「……うん」


 母の優しい言葉に、俺は小さく頷く。

 そう、今回のことで、腕を失うわけではない。新しい腕を手に入れて戦場に戻ることが出来る。だから、しっかり新しい腕を自分のものにして、日常生活に帰るのが、今の俺のすべきことだ。

 俺の言葉ににこりと笑った母が、椅子の上のかばんを取って立ち上がる。その中に俺の制服、社員証、財布をしまうと、ひらりと手を振った。


「それじゃ、アタシは他に必要なものを買ってくるから。仕事の道具と財布は預かっとくよ」

「うん、よろしくな」


 短く言葉を返すと、そのまま母は病室の外に出ていく。その背中を見送った俺は、唯一手元に残されたと言っても過言ではないスマートフォンを手に、ベッドに横たわった。

 と言っても、これは俺の個人の持ち物じゃない。アルテスタの社有スマートフォンだ。暇を潰せるアプリなど、何一つ入っていない。そもそも俺の手元にずっと置いていていいものでもない。


「……あー、そうだ。スマホ、これ会社に返さねーと……」


 どうしたものか。会社の誰かに電話して、俺のロッカーの中にしまったままの私物スマートフォンを持って来てもらい、その時に返そうか。

 そんなことを俺が考えていると、左隣のカーテンが音を立てて開いた。


「ちょっと、いいかな」

「っ!?」


 そのカーテンの向こうから顔を出しつつ俺に声をかけてきたのは、年のころ七十かと思われる、老年のウェアウルフだった。灰色の被毛、それより色の白い短髪、ふさっとした耳毛と、長い口吻の先に生えた口ひげ。

 相手が魔物の姿をしていることより、突然声をかけられたことに、俺は狼狽ろうばいした。がばっと身を起こして、隣の先客に頭を下げる。


「す、すんませんっ、五月蠅うるさかったっすか」

「いや、そうじゃない……カタノくん、と、言ったかね」


 慌てて頭を下げる俺に、老人はゆるゆると頭を振る。そうして目元を細めながら、俺に問いを投げてきた。

 キョトンとしながらも、俺は頷く。


「え……はい、そうっすけど」

「カタ、はどういう字を書いてそう読ませる?」

「えーと、交わる、っすね……」


 交わるに野原の野、で、交野。そう説明すると、今度は老人が目を見開く番だった。深く息を吐きながら、その茶色の瞳を嬉しそうに細める。


「そうか……踏み込んだことを聞くようで、済まないとは思うけれど、もしかして君のお父さんは、A級符術士じゃないかな?」

「た、確かにそうっす……あの、父ちゃんの、いや、父の、知り合いですか?」


 老人の問いかけに、俺は思わず立ち上がりそうになった。同意しながらも老人に聞き返すと、彼は確かに、こくりとうなずいた。


「そうだね……そう言うことになるかな」


 そう話しながら、ふっと笑みを零すウェアウルフの老人。

 彼の右上腕部につけられたネームバンドには、「タカハシ テツジ」の名前が記されていた。

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