第27話 入院加療
総合東京病院に連れてきてもらった俺は、そのまま病院のスタッフに引き渡された。吾妻先生は「仕事があるから」とさっさと工房に引き返してしまったが、俺のことを総務部に報告しないとならないから、仕方がない。
レントゲン写真を撮影し、血液検査をして、俺は整形外科のフロアで初老の先生の前に座っていた。
「うーむ……」
俺のレントゲン写真を見ながら、先生は殊更に難しい表情をしていた。
だが、当然と言えば当然ではある。何せ竜種の魔物に腕を噛み砕かれたのだから、治療が一筋縄ではいかないのは、俺自身がよく分かっている。
そんな諦念を心のうちに押し留めながら、俺は先生に不安いっぱいの眼差しを投げた。
「あの、先生、俺の腕は……」
「いや、すまないね。予想以上にダメージが行ってるものだから」
俺の声に先生は困ったような笑みを浮かべながら、三角巾で右腕を吊った俺の方を見た。
動かせない俺の腕を見ながら、先生は静かな声で問いかけてきた。
「交野君、だったね。報告によれば、
「……そうっす」
先生の見つめる右腕に視線を落としながら俺が答えると、ふーっとため息をついた先生が丸椅子を回した。パソコンの画面に映したレントゲン写真に、再び視線を投げる。
「そうかー……それならこの状況も、納得できる話ではあるか」
そう零しながら、先生がマウスを動かす。俺の右腕全体を映した写真を拡大し、右前腕部を画面いっぱいに映る。
二本の骨が並行して並んでいるはずのそこには、細かく砕かれ散らばった骨の破片が映っているばかり。手首と肘の周辺の骨だけは何とか残っているが、腕の体を成していないのは一目でわかる。
「このレントゲン写真が、さっき撮影した君の右腕部。白く映っているのが君の骨なわけだけど……肘から先、手首の手前までが、粉々になっているのが分かるだろう?」
「……はい」
先生の言葉に、頷く俺だ。視線を降ろした右腕が、身体の揺れに合わせてぐらりと揺れる。俺の右腕は今、文字通りの骨抜きだ。筋肉が修復されているから、腕の形を保っているだけである。
粉々になった俺の骨を指し示しながら、先生が俺をまっすぐに見てくる。
「こういう骨折を
そう話しながら、俺の骨があった場所をぐるりと円で指し示す先生が、眉根を寄せた。
「しかもこれだけ広範囲で粉砕骨折しているとなると……どうしようかねぇ」
先生が困った表情をしながら、再びレントゲン写真とにらめっこを始めた。
曰く、粉砕骨折は骨の一部分が砕けていることが大半で、その場合は砕けた骨を寄せ集めて再形成を促すんだそうだが、俺のケースのように骨の大半が噛み砕かれている状態では、元の骨を使って骨形成を行うのは、ほぼ不可能に近いらしい。
自分の元の組織を失うことは、符術士にはつきものだ。だがそうだと言っても、やはりこうして実際に失うと、ショックが大きい。
沈痛な気持ちで俯いていると、写真から目を離してカタログの山に手を突っ込みながら、先生が声をかけてきた。
「交野君は、符術士だったね?」
「はい」
「前衛型? 後衛型?」
「前衛型っす……武器も片手剣で」
先生の話に、ゆっくりと答えていく俺。俺の答えに二度三度頷いた先生が、積み上げたカタログから二冊のカタログを引き抜いた。
それを開きながら、俺に視線を向けてくる。それまでの穏やかでにこやかな笑みを消して、真剣な表情をして俺の前に開いたカタログの一ページ目を見せてくる。
「……分かった。私から提示できる治療法は、二つだ」
そう言って先生がまず差し出したのは、人工骨のプロモーションをするためのカタログだ。最新式であるハイドロキシアパタイトとコラーゲンを複合させた人工骨や、獣人種や魔獣種の魔物から取り出した骨を使い、人間の骨格に合うように成型した人工骨がカタログの中で紹介されている。
「一つは、右前腕部の二本の骨を、人工骨に置換する方法。砕けた骨を取り除いて、ハイドロキシアパタイト製だったり魔物の骨製だったりする人工骨に置き換える治療法だ。
これは保険適用範囲内だし、君の腕をそのまま残せるから、負担は安く済むけれど、治療には時間がかかる」
そう話す先生はそっと目を伏せながら、カタログの中で取り上げられている人工骨の画像と、その上にある俺の腕を見た。
曰く、骨をただ入れ込んで俺の骨と接続して固定する、というだけでは終わらないそうで、筋肉に取り込まれたり食い込んだりした元の骨の除去、神経の修復、そしてリハビリが必要となるとのこと。
期間としては、だいたい一ヶ月。筋力と握力の回復も必要なため、戦場に出られるようになるには、もう少しかかるらしい。
眉間にしわを寄せる俺の前に、先生はもう一冊のカタログを開いて出してきた。
それは最近、最新技術として話題に上るようになった、義手や義足の代わりとして魔物の手足を接続して新たな手足とする技術のカタログだ。
「もう一つは、君の前腕部を切り取って、
既に出来上がっている組織と置き換えるから、回復までの時間は短く出来る。ただし、保険適用外だからお金はかかるし、腕の見た目がそれまでと変わってしまう……外皮形成手術をすれば、魔物の皮膚を剥がして人間の皮膚に置き換えることも出来るけどね」
近年になって判明した事実だが、魔物の組織を人間の身体にくっつけても、人間同士ですら起こるような拒絶反応が起こらず、元の身体と遜色のない精度で動かせるのだという。魔素を含む血液を抜いて適切に保存した組織なら、それが原因で魔素症にかかる心配もないらしい。
話によると、魔物の身体を構成する細胞は異種の細胞との親和性が高く、人間の細胞と共存してそのまま身体にくっつくのだそうだ。魔素による細胞活性が無いので筋力も魔物相応になることは無いが、符術士の近接戦闘には十分な筋力・握力を二週間程度で取り戻せるという話だ。
ただやはり獣人種とはいえ魔物の腕や脚なので、そのままだと獣毛に覆われている。その「異物が自分の身体としてくっついている」感がクールだということで、一部の界隈では外皮形成手術をしないで獣人の手足のまま使っている符術士もいるにはいるが、基本的には毛皮を剥がして培養した人工皮膚に置き換えるのがメジャーだ。
「君の元の腕を残してゆっくり治療するか、君の腕を別の腕に置き換えて早く治すか。どっちがいい?」
先生が、二冊のカタログを見せながら俺に問いかけてくる。
自分の腕を残すか、別の腕をくっつけるか。だが、俺はさして悩まなかった。
左手で、四肢置換法のカタログを指さす。
「……早く治す方がいいっす。小さい工房に勤めてるから、あんまり長く入院しているわけには……」
「分かった。外皮形成手術もするかい?」
「お願いします……」
先生の問いかけに、頷きながら返す。さすがに魔物の腕をくっつけたまま、日常生活を送る覚悟は、俺にはない。
俺の言葉に納得した様子で、先生がタブレットPCを取り出した。画面に四肢置換法の手術の電子同意書を映して、署名欄をタップする。画面下部から大きな署名欄がせり上がってきた。
「分かった。それじゃあ、この同意書にサインを貰えるかな? この枠内に名前を書いて」
「は、はい……」
ほんのり冷汗をかきながら、左手を何とか動かして署名する俺だ。本当に、紙とペンで署名する形でなくてよかったと思う。文明の利器バンザイ。
そのまま、手術の同意書二枚、置換する魔物の腕に注文を付けない旨の同意書、入院の手続き書にサインをして、俺はタブレットPCを先生に差し出した。
「これで、いいっすか」
「……うん、ありがとう。それじゃ置換する腕の用意と手術の手配をしよう。それまでは病室で静かにしていてね」
こくりと頷いた先生が、視線を俺の後方に投げる。そこに立っていた病院の男性看護師が、俺の荷物を持って手を差し出した。
「交野さん、病室まで案内いたします。こちらへどうぞ」
「はい……えっと、ありがとうございます」
「はい、お大事に」
先生にお礼を言って、俺は診察室を後にする。
やはり、入院は免れないか。四肢置換法を選んで期間を短くしたとはいえ、二週間か、あるいは三週間。
まだアルテスタに入社して半年も経っていないのに、こんな長期離脱をする羽目になるとは。申し訳ないやら情けないやら。
と、一般病棟まで案内される途中、総合東京病院のロビーの辺りで。俺はふと足を止め、前を行く看護師を呼び止めた。
「……あ、あの」
「どうしましたか?」
看護師が何事か、と振り返ってくる。彼の目を見返しながら、俺はおずおずと言葉をかけた。
「その、家と工房に連絡、入れてもいいっすか。入院するって」
「そうですね、病室に行ったら電話はできませんから、今のうちにしましょうか」
頷いた看護師が、俺のジャケットに入っていた社有のスマートフォンを取り出して渡してくる。よかった、自分で取り出せない位置だったら少し恥ずかしかった。
息を吐きながら左手でスマートフォンを操作し、アルテスタの電話番号をタップする。そのまま電話をかければ、総務課の
『はい、お電話ありがとうございます。護符工房アルテスタです』
「あの、お疲れ様っす。試験課の交野っす」
『あぁ交野さん! ご無事でよかった。大丈夫ですか?』
電話の向こうで、柚木園さんのホッとした声が聞こえる。その声色に内心で安堵しながら、俺は小首を傾げつつ言った。
「大丈夫っすけど、あんまし無事じゃないっす……今、総合東京病院で、しばらく入院することが決まったんで、連絡しました」
『
そう、ハキハキと返してくる柚木園さんの言葉に、安堵の息を吐いた俺だ。
会社の方から、会社のことは心配しないでいい、と言ってもらえるのは安心する。早くちゃんと治して、また仕事を出来るようにしなくては。
頷きながら、言葉を返していく。
「了解っす……じゃ、よろしくお願いします」
『はーい、お大事にー』
柚木園さんの朗らかな声がして、そのまま電話が切れた。
画面を見つめながら、俺はほっと溜息をついた。
「……ふぅ」
「済みましたか?」
「あ、もうちょっと待っててくれますか」
呼びかけてくる男性看護師に言葉を返しながら、俺は母親の携帯電話の番号を記憶を頼りにプッシュした。こういう時、私有のスマートフォンが手元に無いのがつらい。
何とか思い出して通話ボタンを押せば、すぐに通話が開始される。電話の向こうから、聞きなれた母親の声がした。
「……もしもし」
『元規? どうしたの、今仕事じゃあ』
「あー……それがその、魔物にやられてさ……」
そこから俺は、魔物にやられて負傷したこと、総合東京病院にいること、二週間か三週間か、入院することが決まったことを話した。電話の向こうで、母親が息を呑んだ音が聞こえる。
頬をかきたいのを我慢しながら、申し訳なさを前面に出して、俺は母親に必要事項を告げた。
「……てことで、しばらく入院することが決まったから……その、下着とか、パジャマとか、持って来てくれる?」
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