第3章 日本の魔物と符術士の権利

第26話 撤退指令

 2019年4月23日、火曜日、午後二時十八分。

 練馬区豊玉南三丁目の学田公園がくでんこうえん近隣に『ゲート』が開き、中から竜種の魔物が数体出現、封鎖が間に合わず街中に溢れ出す事件が発生した。

 『ゲート』は早期に破壊されたものの、出現した魔物の討伐のため練馬区、杉並区、中野区、豊島区に緊急出動要請が発令。

 近隣の学校や保育園が門をぴたりと閉ざし、住民が急いで家の中に飛び込む中、俺は間渕さん、標さんと一緒に、一体の岩竜ロックドラゴンと交戦していた。


「GAOOOOOOO!!」


 岩竜ロックドラゴンのごつごつとした太い尾が、前衛に立っていた俺の身体をしたたかに打ち据える。

 剣で受け止めて威力を減じようにも、その巨大な質量はどうしようもない。加えて体表に生えた岩が硬く尖って、皮膚を傷つけんと迫ってくる。

 岩竜ロックドラゴンは竜種の中では比較的与しやすく、脅威度もBプラスと中堅程度の位置だが、それは『与しやすい状況』で、かつ『整った戦場で』相対した場合の話だ。

 今俺達がこいつとぶつかっているのは、住宅街のど真ん中。周囲はブロック塀が立ち並び、車が一台ずつすれ違える程度の幅しかない。

 だから、岩竜ロックドラゴンの尻尾に薙ぎ払われた俺は、受け身を取る間もなくブロック塀に背中から激突した。


「ぐぁっ!」

「交野君!」


 肺から空気が吐き出され、苦悶の声を漏らす俺に、後衛に立って援護をしていた間渕さんが声を上げた。

 しかし俺に駆け寄るわけにはいかない。俺や標さんが前衛を張っているとはいえ、後衛に危険がないとは言えないからだ。隙を作ってはならない。


「大丈夫、立てますか!?」

「っく、大丈夫っす!」


 不安げに呼びかける間渕さんに声だけで返事をしながら、俺はしっかと立ち上がって剣を握る。

 前方で戦鎚を振るって岩竜ロックドラゴンの表皮の岩を砕いていく標さんが、苦々しく言葉を漏らした。


「脅威度Bプラスとはいえ竜種、流石の破壊力だね。場所もあんまりよろしくないし……まずいな」


 冷や汗が、標さんの頬を伝うのが見える。

 俺もすぐに前衛に戻らなければ。アスファルトの地面を蹴ったところで、右耳に装着したインカムからオペレーターを務める牟礼さんの声が聞こえてくる。

 4月初旬に完全に魔物化し、人化措置を施された牟礼さんは、専任オペレーターとして勤務していた。最初の頃こそ戦闘できないことにくさっていたが、今は全くそんな素振りを見せていない。しゃがれた声は人化措置を経てもそのままだが。


『てすたー1カラてすたー3ヘ。南蔵院ナンゾウインカラびーとあっぷノ符術士ガ三名、救援ニ向カウ。ソノ場所デ抑エコメ』

「了解です」


 牟礼さんからの救援の知らせと指示に、後方で間渕さんが応答したのが聞こえる。

 ビートアップ株式会社はアルテスタと同じく、練馬区内に本社を置く護符工房だ。回復、治療系の護符を専門で作っており、世界中の病院と治癒術師に様々な護符を提供している。所属する符術士も回復を得意とする人が多いため、護符戦闘における重要な後衛役だ。

 後衛が手厚くなるなら安心して戦える。前線に戻りながら愛用のブロードソードを握りしめる俺に、標さんから声がかかった。


「交野君、剣だと弾かれるから光剣ライトブレードで攻めて! あとは今日持って来た風籠ウインドジェイルも有効に使っていこう!」

「了解っす!」


 指示を受けて、すぐさまブロードソードをしまって護符に手を伸ばす俺だ。

 実際、岩竜ロックドラゴンの硬い鱗や岩に、剣は相性が良くない。いくら拾参工業じゅうさんこうぎょうのステンレス製ブロードソードが、竜種の鱗も斬り裂けると言うキャッチコピーに偽りなしと言っても、岩は無理だ。

 光の剣を何本も生み出して投擲するアルテスタ製の光剣ライトブレードを掲げると同時に、標さんが実装試験用の風籠ウインドジェイルを取り出す。


切歯扼腕せっしやくわん荒神戒戒こうじんかいかい!」

積羽沈舟せきうちんしゅう細風来来さいふうらいらい!」


 同時に放たれる、それぞれの発動詠唱。

 俺の手元から光の剣が出現して飛ぶと同時に、岩竜ロックドラゴンを取り囲むように突風が巻き起こった。

 俺の立つ位置から、竜の前脚に剣が突き刺さり、岩の破片が道に飛び散っているのが見える。相手は、刺さった剣を折ろうと必死にもがいていた。


「GOAAAAAAAAAAA!!」

「止まった!?」

「いや、待って!」


 明らかに足を止めている岩竜ロックドラゴン。追撃をかけようと再び護符を握る俺に、標さんから鋭い声が飛んだ。

 かと思った次の瞬間だ。


「GAAAAAAAAA!!」


 ひときわ大きく吼えた岩竜ロックドラゴンが、風籠ウインドジェイルの風を突き破ってこちらにとびかかってきた。

 俺と、標さんに狙いを定めて、というわけではない。軌道が上向きすぎる。はっと上を見れば、岩竜ロックドラゴンの瞳が、間渕さんに向いているのが分かった。

 そうだ、岩竜ロックドラゴンは空を飛べない代わりに後ろ足の脚力が強い。俺達を飛び越えて後衛を潰し、そのまま逃げるつもりか。


「な……っ」

「間渕さん!!」


 後方を振り返れば、跳び退く間渕さんが驚愕に目を見開いているのが見える。

 まずい、武器が腕部装着型クロスボウの間渕さんでは、岩竜ロックドラゴンの突進を防ぎきれない。風盾シールドなどの護符があれば何とかなるかもしれないが、取り出している間に飛びつかれないとも限らない。

 俺は一気に地を蹴った。ブロードソードを引き抜き、刀身を横に構えながら、間渕さんの身体を背中で押し出すように身体をねじ込む。


「危ない――!!」


 そのまま向かい来る岩竜ロックドラゴンに向かって剣を突き出し、それで受け止めるつもりだったのだが。

 俺の見通しは甘かった、というより予想以上に相手のスピードが速かった。

 間渕さんの前に割り込んだ俺の右側面。剣を握った腕に突っ込んできた岩竜ロックドラゴンの開いた口が、俺の腕をしかと捉える。

 勢いよく閉じられる大きな口。ジャケットの布地を突き破り、腕にめり込む竜の牙。

 バキバキ、と骨が砕ける音が、俺の腕から響き渡った。


「がぁぁぁぁ!!」

「交野君!!」


 俺が叫び声を上げると同時に、間渕さんの悲痛な声が耳に届く。反対側からは竜の生暖かい鼻息が吹きかかって、すごく鬱陶しい。

 それと同時に、痛い。とてつもなく痛い。右腕が千切れてバラバラになったかのようだ。

 岩竜ロックドラゴンの後方から標さんが戦鎚で強打し、俺から意識を逸らそうと奮闘する。すぐに相手は口を開いて後ろを向いた。その隙に腕を引き抜く俺だが、右腕はあらぬ方向に折れ曲がっている。

 痛みのあまり、俺はコンクリートの地面に倒れ込んだ。


「くそ、このっ!!」

『てすたー3、岩竜ろっくどらごんニ接触れべる3! ……クソッ、派手ニヤラレテヤガル。マブチ、排出でぃすちゃーじ止血へもてぃすとハ持ッテキテイルナ!?』

「は、はいっ!」

「あ、あ……!!」


 俺の耳に、牟礼さんの焦りを帯びた声が届いた。状況はリアルタイムにオペレーターにも届いている。きっと彼も、焦燥感に駆られているに違いない。こんな状況だ。

 痛みに呻き、鮮血を溢れさせる俺の傍に座り込んで、体内から魔素を排出する排出ディスチャージの護符と、血管を修復して止血を行う止血ヘモティストの護符を取り出す。

 応急処置に使われるこれらの護符は、今日どの家庭にも備わっている、ドラッグストアでも購入できるくらいの日用品だ。俺も持ってはいるのだが、如何せん利き腕の右手が使えないから取り出せない。


『吾妻先生ヲ向カワセル。魔素排出モ止血モ早急ニ行エ』

「了解しました……!」


 牟礼さんの声に同意しながら、間渕さんはすぐさま排出ディスチャージの護符を俺の腕に当てた。傷口から魔素が吸い上げられ、護符を通じて浄化されて大気中に放出していく。暖色系の色をした光の粒が、俺の腕から溢れていた。

 竜種が体内に保有する魔素は、他の種族と比して格段に多い。その蓄積量の多さが戦闘力の高さに繋がっているとも、一説には言われている。

 魔素の量が多いということは、それだけ噛まれたり血を浴びたりしたら魔素症にかかりやすいということ。神話や物語にある、竜の血を浴びたら特別な力を授かるという逸話も、これに付随するものではないかという話だ。

 俺はグレード4キャリアだからいいが、だからと言って魔素を排出せずに止血していいはずもない。

 光の粒が出なくなったのを確認して、間渕さんが止血ヘモティストの護符を取り出した。それを傷口に当てると同時に、交差点の向こうから人が駆けてくる足音が聞こえる。


「ビート4、ビート5、ビート6、目標地点到着です!」

「アルテスタの皆さん、お待たせしました! 大丈夫ですか!?」

「一人負傷しているぞ!」


 やって来たのは、胸元に赤いハートマークのロゴを付けた符術士の一団だ。そのマークは間違いない。ビートアップの符術士である。

 俺の腕に護符を当てたまま、間渕さんが悲痛な声を上げた。


「助かりました、ありがとうございます! 今し方、うちのメンバーが一人岩竜ロックドラゴンに噛まれまして……!」


 早口でまくし立てる間渕さん。その傍に、ビートダウンの男性符術士が一人屈みこんだ。彼に目配せをして、リーダーらしき中年男性が声を張る。


「了解です、こちらで治療します! 矢田やださん、よろしく!」

「分かりました!」


 屈みこんだ男性符術士が矢田さんなのだろう。すぐに間渕さんの反対側に回り込んで護符を取り出す。ほっと安堵の息を吐く間渕さんに、前衛で一人奮闘する標さんの声が飛んだ。


「よし、間渕さん、交野君の治療はお任せして、攻撃に戻って!」

『アア、びーとあっぷノ方ガ医療系護符ニハ一日ノ長ガアル。一任シロ』

「は、はい!」


 標さんの言葉に同調して、牟礼さんも間渕さんに戦闘復帰を促した。それに反論を返すような間渕さんではない。すぐに立ち上がって岩竜ロックドラゴンに立ち向かっていく。

 筋組織修復マッスル・リペアの護符を俺にかざし、ズタズタに千切れた骨の周囲の筋肉を修復していく矢田さん。筋肉が繋ぎ合わさることで痛みが増すが、それも一瞬だ。徐々に苦痛が和らいでいくのを感じる。


「く、あ……」

『てすたー3、聞コエルカ』

「う、うっす……」


 牟礼さんの呼びかけに、返答できるくらいに持ち直した俺が、次に聞いたのは無情な宣告だった。


『ヨシ、意識ハアルナ。吾妻先生ガ到着サレタラ、オ前ハ即座ニ撤退シロ』

「なっ、牟礼さんそんな、俺まだ戦えるっす! 剣は使えなくても、護符なら――」


 思わず声を張って言い返す俺だが、すぐに腕にびりっと痛みが走って顔をしかめる。自分で言うのもなんだが、これで戦えるなんて、よく言ったものである。

 矢田さんもゆるゆると首を振りながら、そっと俺が身体を動かすのを押し留めた。


「駄目ですよ。右前腕部の骨が折れています。おそらく、粉砕骨折している……それと、左足の大腿骨にもヒビが入っています」

「あ……」


 そう告げながら、矢田さんはもう片方の手に持っていた護符を、俺の前に差し出した。診査スキャンの護符だ。

 簡易的に人体の内部をスキャンできるその護符には、簡略化された俺の骨格が描かれている。右腕は最早映し出されておらず、左足にもバッテンマークが見えた。

 護符をしまい、今度は左足に筋組織修復マッスル・リペアの護符をかざしながら、矢田さんが言う。


「護符で外傷は治療でき、止血まで行え、侵入した魔素を排出することは出来ても、骨折と内臓損傷だけはどうにもなりません。医療従事者の方が到着されたら、すぐに退いて、病院にかかってください」


 きっぱりと、俺に告げる矢田さんの表情は真剣そのものだ。俺も、もう反論する気力など欠片もない。

 ビートアップの符術士は治療、回復のエキスパートだ。治癒術による怪我の治療に関してはプロである。そのプロが言うのだから、間違いない。

 俺が項垂れたところに、また駆け寄ってくる足音が一つ。そちらを向くと、吾妻先生が息せき切ってこちらに走り寄ってきた。


「交野少年!」

「吾妻先生……」


 心配そうな表情で俺を見る先生。思わず言葉を返すと、俺と矢田さんの姿を見た先生がこくりと頷いた。


「よし、生きてるね。ここから先はあたしの仕事だ、そこの道に車を止めてるから、すぐ行くよ。立てるかい?」

「……うっす」


 返事を返して、俺はゆっくり起き上がる。矢田さんの手を借りはしたが、ちゃんと自分の両足で起き上がった。

 右腕をかばう俺の肩を抱いて、吾妻先生は広い通りに向かって歩き出した。その際、ついと後方を振り返って大声を張る。


「標君、間渕君、あとは任せた! よろしくやっとくれ!」

「了解です!」

「よろしくお願いいたします!」


 吾妻先生の声にこたえて、二人が岩竜ロックドラゴンに対峙しながら声を張る。

 その戦場に背中を向けて、吾妻先生に支えられながら、俺は撤退するべく足を踏み出した。

 ピリッと、骨がきしむような痛みが足に走り、顔をしかめる俺だった。




「よし、すぐに出発だ。シートベルトは締められるかい?」

「ちょっと待ってください……よし、大丈夫っす」


 吾妻先生の運転してきた軽自動車の助手席に乗り込んで、シートベルトを締める。左手だけで締めるのは少し難儀したが、しっかりはまってカチッと音が鳴った。やれば出来るものだ。

 それを確認して、吾妻先生が車に備え付けのナビを操作する。


「ここから直近の病院は、と……総合東京病院か。行くよ」

「え、撤退って、工房に戻るんじゃないんっすか?」


 告げられた行先に、目を見開く俺だ。てっきり、工房に戻って吾妻先生の手で治療されるかと思ったのに。

 しかし先生は、目を細めつつゆるゆると首を振った。


「工房に戻ってもどうしようもないからね。結局あたしも治癒術師だから、護符による治療しか出来ない。

 骨折を治せないわけじゃないが、出来るのは治りを早くするだけだ。粉砕骨折までされちゃ、ちゃんとした病院で骨形成をやってもらわないとね」

「……そうっすよね」


 先生の言葉に、またしても項垂れる俺だ。

 吾妻泉那は「死なずの泉」の二つ名も持つ優秀な治癒術士。ある意味、ビートアップの符術士以上のプロフェッショナルだ。

 その先生の手をもってしても、治せないものはある。その現実に、先生へのあこがれが大きい俺は、落胆を隠しきれない。

 自分の足元に視線を落とす俺の頭を、吾妻先生の皺の寄った手が不意に撫でた。


「ま、いい機会だしゆっくり休みな。労災は下りるし、符術士傷病保険の補償も出るだろ。交野少年の負担は軽く出来るから安心しな」

「……うっす」


 小さく返事を返す俺に笑いかけて、先生の足がアクセルを踏む。長く運転してきた車なのだろう、大きなエンジン音を立てて車は走り出した。

 そのまま、総合東京病院に向かって自動車は走る。流れゆく風景の中に、ちらちらと符術士の姿が、街中で暴れる竜種の姿が見える。

 それを遠巻きに見ることしかできない今の俺が、何だか歯がゆい。


「先生、俺……」

「悔しいかい?」


 ぽつりと言葉を漏らす俺の内面を見透かしたように、吾妻先生が言葉を返してくる。

 ちり、と胸の奥が痛んだ気がした。


「……まぁ、多分、そうっす」

「だろうね。先輩を残して一人だけ撤退なんて、悔しいだろう」


 そう言いながら、先生はただ前を見据えていた。

 きっと吾妻先生は、俺みたいな符術士を何人も、何十人も見てきたのだろう。四十万社長や今課長と同世代の符術士だ、キャリアの中で治療し、送り出した符術士なんて、数えきれないくらいいるに違いない。

 だからこそ、先生の言葉には重みと、情感が篭もっていた。生きて帰れること、その大切さを誰よりも知っている先生だから。


「だが、そう思えるからこそ生きて、ちゃんと治療して、また戦場に戻れるようにならないといけない。今の少年に出来ることは、怪我を治すこと、ただ一点だ。いいね?」

「……はい」


 先生の言葉に、俺の頭がますます落ちる。

 竜種の咆哮する声が遠くから聞こえる中、総合東京病院の看板はもう目の前まで迫っていた。

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