第37話 炎虎遭遇

 赤川さんと別れてから、俺はB棟の中を通り、C棟につながる渡り廊下の所まで来ていた。


「……ここから先か、C棟」


 俺が立ち止まった先には、厳重に閉じられた鉄製の柵と、ガラス製の扉がある。この扉の向こうが、C棟。魔物専用病棟だ。

 どちらもカードキー式になっていて、病院の一部のスタッフだけしか入れない。俺みたいな一般の入院患者は、当然無理だ。こうして柵の外から見ることしか出来ない。


「はぁ……なんで来ちまったんだろう、俺。来たところで入れるわけ、ないのに」


 そう一人でぼやきながら、俺は柵の固定された壁にもたれかかった。この柵を超えられるとは思えないし、その向こうにいる鷹嘴さんに会えるとも思えない。というか、ここにいることが病院のスタッフに知られたら、間違いなく引き離されるだろう。

 だが、それでも。俺はこの場所でこの柵の向こうのことを思わずにはいられない。


「鷹嘴さん……無事だといいけどなぁ」


 もし、鷹嘴さんが心臓を取り出されて、その生命を終えることになっていたとしたら。俺は後悔せずにはいられないだろう。

 もっと色んな話を聞きたいし、もっと色々と相談に乗ってもらいたい。符術士としても、人間としても。そう思わずにはいられないから、俺はこうしてここにいるのだ。

 だが、ここにいても無駄に時間を過ごすだけだ。ようやく、俺は壁から身を起こす。


「ま、気にしてもしょうがないか。戻って夕飯まで昼寝でも――」


 昼寝でもしようか、と口にして柵に背を向けた時だ。

 柵の向こうにあるガラス製の扉の向こうで、何かが動いたように見えた。


「ん?」


 それを認めて足を止め、俺が振り返った時。

 ガラス扉の向こうで病院のスタッフが慌ただしく動いているのが見えた。同時に柵のこちら側、何人もの人間が口々に言葉を発しながらこちらに向かってくる。


「C棟前の隔壁を封鎖しろ!」

「駄目です、間に合いません! B棟手前の隔壁を降ろすので限界です!」


 緊迫した様子で声を発しながらこちらに駆けてくる病院のスタッフ。術衣こそ着ているが、その手には護符が握られ、対魔物用の武器が握られている。明らかに戦闘員だ。


「なんだ? 何の騒ぎが――」

「あっ、405の交野さんですね!? すみません、すぐにここから離れて下さい!」


 俺が戸惑っていると、俺に声をかけてくる白衣の人物がいた。魔素症に関わる疾病しっぺいを専門に診る、魔素症科の安来やすぎ先生だ。俺もここに入院してから、何度も顔を合わせている。

 慌てた様子でこちらに向かってくる安来先生に、俺は戸惑いながらも声を返す。


「どうしたんっすか!?」

「詳しい話は言えませんが緊急事態です! すぐに――」


 言葉を濁す安来先生だが、俺を退避させるよりも早く。C棟とB棟を隔てるガラス扉の向こうから、ものすごい熱波が襲いかかってきた。

 おかしい、ガラス扉で隔てられているのにこんな熱波を感じるだなんて。並大抵の力ではない。


「わっ!?」

「くっ、早い! これじゃここからの退避は間に合わないですか!」


 その場に立ちすくむ俺を庇うように、安来先生が俺の前に立つ。その彼の前に、護符を握ったスタッフの面々がずらりと展開した。


「制圧部隊展開! 交野さんは彼らの後ろに隠れてください!」


 俺をB棟の方に押しのけるようにしながら安来先生が叫んだ時だ。

 C棟とB棟の間に据えられたガラス扉が、大きな音を立てて砕け散った。

 熱量に耐えられなくなったのだ、と認識するより先に、その現象を引き起こした存在が姿を見せる。

 虎だ。大きな虎が、全身から炎を燃え上がらせてこちらを睨みつけている。ガラス扉のあったところを超えて、虎が金属製の柵に食らいついた。


「ガルァッ!!」

「ま……魔物!? あれってフレイムタイガーじゃ」


 その『魔物』の姿に、俺は目を見開いた。

 炎虎フレイムタイガー。高熱の炎を操る力を持つ虎の魔物で、精霊種せいれいしゅという、世界の根源に関わる力を操ることのできる魔物だ。脅威度はA。当然のごとく、俺みたいなぺーぺーの符術士がどうにか出来る魔物じゃない。

 その強大な力を持つ魔物に対し、病院のスタッフ達が次々に護符を掲げた。


「マニフェステーション、バインドロープ!」

「マニフェステーション、アイスジェイル!」


 エヌムクラウ製の捕縛系護符だ。それをいくつも重ねがけしている。

 無数の光の帯がフレイムタイガーに絡みつく。全身をぐるぐる巻きにされて動けなくなったフレイムタイガーの周囲に、氷でできた檻が何重にも組まれた。

 ここまで厳重に動きを封じれば、さしものフレイムタイガーといえど動けないだろう。対象が動きを止めたのを確認して、ようやく病院のスタッフが柵にカードキーをかざして扉を開く。


「グッ……!」

「捕縛完了。C棟への輸送を開始する!」


 そして先程まで戦闘を行っていたスタッフ達が、氷の檻ごとフレイムタイガーを持ち上げた。檻の中で、身体も口も封じられたフレイムタイガーは為すすべがない。

 と。


「ウ、ウ……」

「えっ?」


 うなだれたフレイムタイガーが、ぽつりと涙をこぼすのが俺には見えた。

 そのまま、割れたガラス扉を超えて病院のスタッフ達がC棟へとフレイムタイガーを運んでいく。それを見送った安来先生が、ようやく肩の力を抜いた。


「ふー……なんとかここで食い止められましたか。とはいえドアが破られちゃったから、早急に修理しないとなりませんね」


 肩をぐるぐると回しながらため息をつく安来先生。彼の背中を見ながら、ぽかんとしていた俺はやっと我に返った。慌ててその背中に声をかける。


「先生、今のフレイムタイガー、あれって」


 俺としても、ここまで見てしまったら問わずにはいられなかった。

 先に述べた通り、フレイムタイガーは脅威度Aの危険な魔物だ。こんな病院の中で飼っていていい魔物ではない。

 俺の言葉の先を察してか、安来先生がこちらを振り返ってゆるゆると頭を振った。


「……やれやれ、ここまで見られてしまっては、しょうがありませんね。まぁ交野さんは符術士ライセンスをお持ちの方ですし、いいでしょう」


 そう話しながら、安来先生が柵にもたれかかる。そして彼は、ゆっくり口を開いた。


「当院は東京都の指定医療機関なので、符術士の皆さんが捕獲された魔物の一時保護を行っています。そうして保護された魔物は、魔物について調べる研究の被検体になったり、地球で暮らしていけるように常識を教えたりするのですが……たまにああして、脱走しようと暴れるものがいるんです」


 その言葉を聞いて、大きく目を見開く俺だ。確かに符術士が捕らえた魔物はこういう病院に送られて、そこで色々と対処をされる。

 その対処とはすなわち、異世界からやってきた魔物についてや、魔素症について調べること。今先生が話したように、地球で生きていけるようにこちら側の常識を教えたり、日本語を教えたりすることもあるが、フレイムタイガーにそういう教育をすることはないだろう。

 つまりあのフレイムタイガーは、研究の被検体になっていたところから逃げ出してきたのだ。


「そうっすよね……見知らぬ世界にやってきて、捕まえられて、好き勝手にあれこれやられるんですし」

「はい。とはいえ捕獲対象になるのはそもそも知能が高いとか、希少であるとか、そういう理由のある魔物ばかりなので、聞き分けのいいものがほとんどなんですけれど」


 そう話しながら、安来先生はもう一度ため息をついた。彼としても、病院の中で魔物に暴れられるのは心外なのだろう。それはそうだ。

 運ばれていったフレイムタイガーのその後を思いながら、俺は先生に問いを投げる。


「あのフレイムタイガーも、そういう、実験動物みたいな感じに扱われていたんっすか?」

「精霊種は希少ですからね、非人道的な実験は行いませんよ。せいぜい、身体能力を測定したり炎を操る能力を測定したり、くらいです」


 俺の問いかけに、先生は小さく首を振って笑った。確かに精霊種は数が多くない。実験動物としても希少だろうから、大事に扱われるのだろう。

 わずかに目を細める俺に、安来先生は口角を下げながら言った。


「ただし、精霊種は人間社会の常識が通じませんから。ですからC棟に隔離しているんです」


 その言葉に、俺は視線を足元に落とした。そういう話を聞いてしまうと、やはり先程の反応が気にかかる。


「だから、泣いてたんっすかね、さっき……」

「えっ? なんですって」


 俺がそう言葉をこぼすと、安来先生はハッとした表情を見せた。あのフレイムタイガーが泣いていることを、彼は気が付かなかったらしい。

 柵から身を起こした彼に、俺は素直に自分の見たものを伝える。


「さっき、あのフレイムタイガーが泣いている声が聞こえたんっすけど……」

「なるほど……」


 俺の言葉を聞いた安来先生は、真剣な表情になって口元に手をやった。しばし考え込んだ後、彼は小さく頷きながらこちらに歩み寄ってくる。

 そして俺の肩をぽんと叩くと、静かに笑いながら口を開いた。


「C棟の管理者に申し伝えます、ありがとうございます。さあ、ガラスが飛び散って危ないですから、交野さんは病室へ」

「……はい」


 そう言われて、俺も素直に返事を返した。正直、こんな状況になってまでここに留まっている理由はない。

 安来先生に背中を押されながら、俺はC棟の柵に背を向ける。去り際にちら、と柵の方に視線を向けても、そこには安来先生の背中と割れたガラス扉があるだけだった。

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