第39話 終末指導
俺は早瀬先生と一緒に、C棟の鉄柵のロックが解除されるのを固唾をのんで見守っていた。ウェアハイエナの女性に同行していた阿部先生が扉を開くと、俺はフロアの中に足を踏み入れる。早瀬先生が信じられないといった表情で口を開いた。
「信じられないことだ……C棟に、一般の患者が立ち入るなんて」
「俺も信じられないっす……いいんっすかね、招かれたとはいえ」
早瀬先生に頷きながら、俺はC棟の中を進んでいく。魔物専用の病棟であるC棟、あちこちに爪で引っ掻いたような跡や、炎で焼け焦げたような跡が残っていた。見ただけでA棟B棟よりも堅牢に作られているのが分かる造りなのに、すごいことだ。
迷いなく進んでいくウェアハイエナについていきながら、阿部先生が困ったように眉尻を下げる。
「招かれたことは事実ですし、魔物の皆さんが交野さんを歓迎するつもりのようです……とはいえ、油断はしないように」
「うっす……」
声を潜めて話す彼女の言葉に、俺も小さな声で返事をする。
周りに何がいるか分からないのだ。C棟にいるのは異世界からやってきた、地球の常識が通用しない魔物ばかりなのだから。
そんな感じで恐る恐る進んでいくと、ウェアハイエナが一つの部屋の前で足を止めた。
「タカハシ、ココニイル」
「鷹嘴さんが……?」
「ここは……
部屋の看板を見上げて、早瀬先生が目を見開いた。
ここに鷹嘴さんが収容されて、臓器や四肢の提供をしていたことは想像に難くない。そんな部屋に、平然とウェアハイエナが入っていった。
「タカハシ、カタノ、来タ」
すたすたと中に踏み込む彼女の後を追って、俺や早瀬先生、阿部先生も中に入る。
そこには、たくさんの魔物が集結していた。大きな魔物も、小さな魔物も一緒になって、部屋の中に身を寄せ合いながら立っている。その視線が一斉に俺を射抜いて、さすがの俺も身を竦めた。
部屋は二つに区切られていて、ガラス窓の嵌められた壁の向こうにはベッドがある。そしてそこには。
「オォォォ……」
「鷹嘴さん!?」
獣のような唸り声を上げた鷹嘴さんが、全身を血で染めながらベッドに横たわっていた。
両腕はない。両脚もない。首から上と胴体しかない姿で、鷹嘴さんは眼球を摘出された真っ暗な眼窩を俺に向けていた。不気味すぎて逃げたくもなるが、俺はその姿が居ても立っても居られなかった。
思わずガラス窓に駆け寄る。だが、阿部先生が俺の腕を掴んで止めた。
「交野さん、だめです!」
「なんでっすか、あんな――!」
痛々しい姿をただ見ていろというのか。その言葉が飛び出すより先に、必死な形相で阿部先生が、俺の肩を両手で掴みながら強い口調で言う。
「今室内は無菌状態です、このまま近づいたら鷹嘴さんの命に関わります!」
「あ……」
そう言われ、すぐに勢いを弱めざるを得ない俺だ。
だから、魔物たちも大人しくこちら側で黙って見ているのだ。
「そうか……今、鷹嘴さんは身体を復元している、最中っすもんね」
「はい、両腕、両脚、胃、肝臓、腎臓、声帯、眼球……身体のあちこちを鷹嘴さんは提供されました。ですので、今は会話も出来ません」
そう話しながら、阿部先生が痛々しい表情をしながらガラス窓の向こうを見る。
今回鷹嘴さんがドナーとして提供した組織は、大きいものでも10を超えるらしい。心臓と肺こそ摘出していないからまだ生きるらしいが、復元能を駆使しても元通りになるには長い時間がかかるとのことだ。
だが、阿部先生の言葉はそこで終わらなかった。
「ただ、それだけではないんです、今回は」
「えっ?」
その言葉に、俺は目を見開いた。
これだけあちこち提供していて、まだ何かあるのか。そう思って身構えた俺の耳に入ってきたのは、予想だにしない言葉だった。
「……今回、鷹嘴さんは
「え……!?」
その信じがたい事実に、俺は言葉を失った。俺の隣で早瀬先生も絶句している。
脳。意識や思考、記憶を司る脳を、自分の身体から取り除いてしまうなどと。しかも阿部先生によれば、鷹嘴さんは脳幹を除いたすべての部位を、検体として病院に提供したらしい。
脳を、生存に必要な部位を除いてほぼ全て提供したようなものだ。それでも生きていられるなんて、復元能とはなんと恐ろしいものなのか。阿部先生が悲痛な表情をしながら言う。
「たとえ脳を失おうと、鷹嘴さんは復元能によってそれを再生できます。ですが、復元された脳はそれまでの鷹嘴さんの脳……人間だった頃から保持していた脳ではない。完全に、ウェアウルフとしての脳が復元されるんです」
悲しそうに言いながら、阿部先生が目の端をぬぐう。
泣きたくもなるだろう。如何に脳が復元されたところで、人間だった頃の鷹嘴徹治は戻ってこないのだ。阿部先生によると既に脳の復元は八割がた完了しているらしいが、記憶は大幅に欠落しているらしいという。
早瀬先生が顔面蒼白になりながら言葉を零す。
「そんな……鷹嘴さん、なんでそんなこと」
「復元能を、より詳細に研究するため……魔物の未知の能力を解き明かす手伝いになれば。そう話していらっしゃいました」
早瀬先生の誰にしたわけでもないだろう問いかけに、阿部先生は静かに答える。研究のために自らの身体を差し出す、鷹嘴さんの決意は相当なものだったろう。とはいえ阿部先生も、やりきれるものではないはずだ。
と、そこでガラス窓の向こうから唸り声が再び聞こえた。
「オ、オ、オオ……」
声帯を失った鷹嘴さんの喉から、意味を成さない音が漏れる。声帯が無ければ声を出すことも叶わないだろうに、しかし彼は声を発していた。もしかしたら失った声帯が、戻り始めているのかもしれない。
そしてガラス窓のこちら側にいる魔物たちには、どういうわけか鷹嘴さんの意図が伝わっているようだった。ここまで俺を案内してきたウェアハイエナが、もう一度こちらに手を伸ばす。
「タカハシ、カタノ、話ガシタイ、言ッテイル」
「えっ?」
その言葉に俺は驚き、目を見開いた。
何故、俺になのか。俺と鷹嘴さんが出会ったのはここ数日のことだ。鷹嘴さんの復元した脳が、俺を覚えているはずはない。
阿部先生が困ったような表情をしながら告げる。
「どうも、C棟の魔物たちに、何らかの方法で鷹嘴さんは意思を伝えているようでして……さきほどのフレイムタイガーの脱走も、鷹嘴さんの意思に呼応してのようなのです」
彼女はちょうど傍にいたシトリンカーバンクルを抱き上げ、撫でながら言った。阿部先生の腕の中でカーバンクルが大きな耳を揺らし、俺を見つめている。
脳を取り除き、新しい脳を復元するにあたって、もしかしたら鷹嘴さんに
早瀬先生が眉尻を下げながら、呟くように言った。
「でも、不思議だな。脳を復元している最中なら、交野さんの記憶は失われているはずなのに……」
「そ、そうっすよね、なんで」
俺も早瀬先生に同調しながら、鷹嘴さんに目を向ける。眼球の復元が終わっていない鷹嘴さんが俺を見つめ返すことは無いが、意識がこちらに向いているのは何となくわかった。
と、その鷹嘴さんがわずかに身を揺すって唸りだす。
「オォォォォ、オォォ」
「え、えぇっと……」
獣の唸り声。声色もあの優しげな鷹嘴さんの声ではない。俺が戸惑っていると、俺の隣に立っているウェアハイエナの女性が、目を細めながらたどたどしい日本語で言った。
「『久しぶりに会えて嬉しかった。でも無茶をしてはいけない、死んだら何も残らない』言ッテル」
鷹嘴さんの言葉を復唱する彼女の顔を、俺は思わず見つめる。
久しぶり。鷹嘴さんは俺に向かってそう言った。数日前に初めて顔を合わせた俺に、久しぶりなどと言うはずはない。
そこまで考えて、俺はハッと目を見開いた。
「あ……もしかして、鷹嘴さんは」
もしかして彼は、俺にではない、俺の父親を思い出しながら、俺の父親に向けて言葉をかけているのではないか。
今、鷹嘴さんは目が見えていないはずだ。眼球が無いのだから当然ではあるが、それなら「交野と話したい、交野を連れてきてくれ」というその交野が、俺ではなく俺の父親の可能性はある。
ふと、目元が熱くなるのを感じた。これはメッセージなのだ。鷹嘴さんの、最後の最後の瞬間に発せられた、自分の教え子に向けてのメッセージなのだ。
「『生きなさい。生きて、大切な人を守って、大切な人と一緒に人生を生きなさい。それが私からの、最後の教えです』トモ言ッテル」
微かに発せられた唸り声と共に思念が届いたのだろう、付け足すようにウェアハイエナの女性が話す。
その言葉を聞いた俺の目から、ぽろりと涙が溢れ出した。
この老人は駆け出しの符術士である俺にではなく、国際符術士として活躍する俺の父親に向けて話しているつもりかもしれない。
しかし俺に、そのメッセージは確かに響いていた。世代を超えて届けられた教えが、俺の胸にはしっかりと刻まれていた。
「鷹嘴さん……」
言葉が漏れる。涙も溢れる。そのまま、俺は深く深く頭を下げた。
「……ありがとうございますっ!」
その声が鷹嘴さんに届いたかは分からない。ウェアハイエナや周りの魔物が鷹嘴さんに意思を届けられるかも分からない。そもそも、完全に魔物になった鷹嘴さんが、それを認識できるかも分からない。
でも、俺は彼にお礼を言いたかった。僅かでも、俺に教えを授けてくれたことに。
俺は生きなくてはならないのだ。これからたくさんの人を守るためにも、たくさんの護符を作り出すためにも。
阿部先生が、俺の背中に手を置いて言う。
「どうしますか交野さん、まだ鷹嘴さんと話、しますか?」
「いえ……いいっす。お邪魔しました」
彼女の問いかけに、俺は顔を上げて首を振った。
もう十分だ。鷹嘴さんの言葉は、確かに受け取ることが出来た。
俺は涙を振り払うようにしながら、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます