第5話 社内見学
地下二階に戻り、ロッカーにしまっていたスーツに着替えて鞄を手に取り、借りていたツナギを使用済みのカゴに入れた俺は、吾妻先生の待つ一階に上がっていった。
建物の中央に伸びる螺旋階段前で俺を待っていた吾妻先生が、パーテーションの奥に広がる居室に視線を向ける。
そこでは島型に並べられたオフィスデスクで、制服を着た女性社員がパソコンと向かい合っているのが見えた。
「ここがアルテスタの心臓部である総務課。財務経理の仕事や来客応対、採用、社内広報なんかをやっている。
交野少年も入社までの間に色々と世話になるだろうから、怒らせるようなことはしない方がいい」
「う……うっす」
吾妻先生の言葉に、ごくりと生唾を飲み込んだ俺だ。
確かに、会社の金銭やら情報やらを全部掴んでいる総務の人達とひと悶着あったら、社内での立場が悪くなることは想像に難くない。
なるべく誠意を持って付き合いをしよう、これから社会人になるのだから。
そう内心で決意した俺に苦笑するような笑みを向けた吾妻先生が、総務課の反対側、階段の方に視線を向ける。
「螺旋階段の周りを囲むようにしてトイレがある。左が男性用、右が女性用……地下二階を除いて、全ての階が同じ形式だ。
で、階段から出て右手側、ここの扉の奥が開発課と、開発課用の会議室だ。入室にはカードリーダーにICカード兼用の社員証を通す必要がある」
そう話しながら、首から下げた社員証をカードリーダーにシュッと通す吾妻先生。カチリ、と鍵が動いた音がした。
やはり護符の開発やデザインを行うエリア、セキュリティは高めておかないと問題に発展しかねないのだろう。
ドアを開いた吾妻先生の後について居室内に入ると、そこはまさしく護符開発の最先端。最新型のパソコンを使って作業している社員が、デスクにずらりと並んで座っている。
勿論、総務課の居室より何倍も広い。人数もなかなか多いようだ。出来て五年の小規模な工房と言いながら、人員は潤沢である。
「開発課は文字通り、新しい護符の開発・デザインが主な仕事。ここで開発された
あとは外向けの営業も開発課の仕事だね。
「なるほどー……開発だけやってりゃいいってわけじゃないんっすね」
緊張感のある仕事場の空気を崩さないよう、小声で説明する吾妻先生に小声で返しながら、居室内を見回した俺はあるものに目を停めた。
それは古ぼけた製図台だった。護符作製に特化した、今では見かけることの少なくなった専用の品だ。
すっかりデジタル化された職場の中で、それが置かれたテーブルだけが異彩を放っている。よくよく見ればその製図台が置かれたテーブル自体が、開発課の社員が仕事をしている島とは少しばかり離れているような。
俺は吾妻先生の肩をちょんちょんと突くと、何事かと首を小さく傾げる吾妻先生に件の品を指さしながら問いを投げた。
「先生、あの製図台は……? なんか年季入ってますけど」
「ああ、あれ? あれは竜三が使うんだよ。あいつが現役の頃から使い続けている年代物さ。
工房を立ち上げてからはあいつもパソコンでデザインするようになったけど、草案は筆で描かないとダメだって言ってね」
懐かしいものを見るかのような口ぶりで話す吾妻先生の言葉に、俺は思わず目を見開いた。
これだけ開発の人員が潤沢にいる状況でも、社長自ら護符をデザインすることがまだあるとは。
「社長が自分で? デザインもやってるんっすか?」
「MTOの依頼はまだまだ多いからね。黄金竜ブランドは健在って訳だ。
一般物流に乗せる商品の開発は一般の開発課社員が主に、MTOで製作する一点ものの商品は社長と大田原君が。こんな感じで分業されている」
「はー……」
俺の口から感嘆の声が漏れる。
確かに、社長が現役で符術士をやっていた頃から、彼の作る護符は
それはアルテスタが護符工房として立ち上がり、社長が現役時代に考案して作成した数々の護符をAF法の範囲内で正規品として売れるようになってからも変わらず、「四十万竜三が自ら手掛ける護符」というもののネームバリューは未だ健在である。
勿論これらのMTO品についてもAF法の認証を通過しないと販売が許可されないため、ある程度の制限は働くのであるが、一般流通品のそれに比べると幾分か
さすが、広範囲、高威力を謳うアルテスタの護符を愛する者たち。護符において重視するポイントが分かっている。
「さて、次は地下一階だ」
くるりと踵を返して居室の扉に手をかける吾妻先生の後に、俺は慌ててついていった。
地下一階へと螺旋階段を下りていくと、目の前に広がるのは広々としたリフレッシュルームだ。カフェテーブルにチェア、鮮やかな色合いのラグに人をダメにする某クッション。自動販売機も設置されている様子だ。
階段を下りて右手側には、先程まで俺がいた吾妻先生の領域である医務室。そしてリフレッシュルームとは階段を挟んで反対側、左手側に身体を向けて振り向いたその先に。
「で、ここが試験課の居室ってわけだ」
「おー……って、あれ?」
試験課の居室を一目見た俺は目を見張った。
別に殊更に豪奢だったとか、パソコンがめっちゃいいものでモニターもでかいのだったとか、そういうわけではない。
居室に、誰もいないのだ。
島型のオフィスデスクには四名が座れるサイズで、パソコンと24型モニターが三台ずつ置かれている。それに面する形で課長用の大きなデスクが一つ、ここにもパソコンと、21型のモニターが二台。
視線を移して右手側の壁沿い、ロッカーが五台置かれている。服も中にかける形なのだろう、細長いタイプだ。
あるのはそれらと、鉢に入った観葉植物くらい。手前側で画面が見えるモニターとパソコンに電源が入っているのは見えるのだが、居室に人の姿は無い。
何を言うでもなく吾妻先生に視線を向けると、先生は眉尻を下げつつ肩をすくめた。
「試験課は外に出て魔物相手にテストするか、地下二階のシミュレーターでトークン相手にテストするか、その二つが主な仕事だからね。
自分の座席に座っているのは、試験報告書を作成している時か、魔物の出現報告に目を光らせている時……あとは緊急出動時のオペレーション時ぐらいなもんさ。
そうでなくても今は人員が多くない。課長の
今残っている社員は工房スタートメンバーの
だから試験課として、新たな人材は喉から手が出るほど欲しいってわけ。交野少年は即戦力として期待をかけられているわけだ」
「うわー……ハードじゃないっすか……」
思っていたよりも厳しい試験課の現実を突きつけられた俺は肩を落とすしかなかった。
それは、社長だって面接結果を即出しして、学校が暇な時間に工房に来い、というはずだ。課長が魔素症でダウンしていることも鑑みると、新人研修など悠長にやっている場合ではない。
しかし。吾妻先生の話に俺はふと疑問を覚えて口を開いた。
「課長の路夫って……
「なんだ、『白面金毛』のことも知っているのか。君は本当に専門学校から新卒で入ってくる年齢なのかい、交野少年」
「まぁ、俺平成初期から活躍してた符術士のこと、マニアみたいに調べてたことがあったんで……」
驚きに目を見開く吾妻先生に、俺は照れながら後頭部を掻いていた。
『白面金毛』今路夫。『黄金竜』四十万竜三と並び立つと称されるほどの、伝説的な経歴を持つ符術士だ。
引退した『黄金竜』とは異なり、彼は六十近い年齢になった今も、現役符術士として活動している。幻惑系の護符を使わせたら世界最高で、いかなる魔物も手玉に取って翻弄するその技術は、誰にも真似のできないものとして称賛を浴びている。
それがまさか、アルテスタの一職員であったとは。四十万竜三とコンビになって活動することもあったため、「
顔を背ける俺にふっと笑みを零しながらも、すぐに吾妻先生は表情を引き締めた。
「路夫も耐性は若干あると言っても人間だからね、強烈な魔素を操る魔物にやられちまったら、どうしたって魔素症をくらっちまう。
加えてあちらさんと路夫の
「身体の相性?」
「そうさ、なんてったって――」
「吾妻先生? 試験課にご用事でしたか?」
話が盛り上がろうかというタイミングで、俺達の後ろから声がかかった。
口をつぐんでそちらを振り向くと、試験課の制服らしいハイネックのジャケットとスラックスに身を包んだ女性が怪訝そうな表情で立っていた。
首元から下げられている社員証は、彼女がこの工房の社員であることを如実に物語っている。
「あ、あー、間渕君か。なんだ、社内にいたのかい」
「はい、シミュレーターで先日開発された
そちらの方は? 就活生ですか?」
誤魔化そうと言葉を濁した吾妻先生に、淡々と言葉を返す女性こと間渕さん。先程ちらと、吾妻先生が名前を挙げていたような。
そして彼女の怪訝そうなままの瞳が俺へと向けられる。びくっと俺の身体が強張った。
「あっ、はいっ、来年四月に入社予定の、東京符術士専門学校戦士コース二年、交野元規っす!
先程内定をいただき、吾妻先生に社内を案内してもらっていました!」
「戦士コース? ということは試験課志望ですか?」
戦士コース、という言葉に、間渕さんの瞳が大きく見開かれる。思わずいつもの砕けた口調が出てしまったが、気に留められてはいないようだ。
吾妻先生が口元に笑みを浮かべながら、ぽんと俺の肩を抱く。
「そうとも、待望の試験課の新入社員だよ、間渕君。それもグレード4キャリアという一級品だ」
「そういえば社内でも話題になっていましたね……彼がその。合格されて何よりです」
そこでようやく、僅かにだがふっと目元をほころばせた間渕さんが、姿勢を正して俺へと正面を向ける。
そのまま深くお辞儀をしながら、彼女は口を開いた。
「護符工房アルテスタ試験課所属、
来年度の始まりに、健康な姿で試験課にいらっしゃることを、心よりお待ちしております。一緒に頑張りましょう」
懇切丁寧な自己紹介に、俺もつられて頭を深く下げる。
その様子を傍らで、吾妻先生が微笑まし気に眺めているのだった。
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