第4章 黄金コンビの光と闇

第41話 金毛九尾

 退院してからは、またいつものように魔物を倒し、護符をテストする日々が始まった。元々人員のそんなに多くないアルテスタの試験課、病み上がりだからといって容赦はしてくれない。

 俺が退院する頃には課長、すなわち『白面金毛はくめんきんもうこん路夫みちおも職場に復帰して、試験課課長としての職務を行いつつ魔物退治に精を出していた。既に60歳を越えようかという高齢なのに、前線で刀を振るうその腕に衰えはない。

 今日も俺は課長とコンビを組んで、豊島園周辺に出現したポイズンリザードの討伐を行っていた。


「おらぁっ!」

「ギ――!」


 愛用の俺の長剣がポイズンリザードの表皮を切り裂く。こちらに突っ込んできた一体の足を止めたところで、後続がつっかえた。その隙きに俺は今回、試験用に持ち込んだ護符を掲げる。


燦燦日天さんさんにってん破魔光来来はまこうらいらい!」


 開発課の猪爪いのづめさんが満を持して投入した「破魔光ホーリーライト」の護符だ。聖なる光を発生させ、その光によって魔素の働きを弱める効果を持つ。小型の魔物であればまとめて無力化出来る、との触れ込みだ。


「ギャ――!」

「ガァァ!」


 事実、光の効果範囲内に集まっていたポイズンリザードは、まとめてその動きを止めていた。体内の魔素が完全に働きを止め、傷を負うこと無く死んでいったわけだ。大型の魔物相手だったら多少動きを鈍らせる程度になるだろうが、小型の魔物を一掃するのにこれほど便利な護符も無い。

 俺の後ろで様子をうかがっていた課長が、満足した様子でこくりと頷く。


「いいね、元規君」

「あざまっす」


 課長の言葉に俺も小さく頷き、護符をしまって長剣を腰に戻した。

 課長はいつでも柔和な笑みを浮かべ、言葉遣いも優しく気安いものだが、その腕前は推して知るべし。何しろ社長が現役時代にコンビを組んでいた、世界でも指折りの剣士であり、強力な力を有する魔物なのだ。

 今も腰に愛刀を挿した課長が、スマートフォンを片手に俺に声をかける。


破魔光ホーリーライト、使ってみた感触はどうかな」


 課長の言葉に、俺は小さく首を傾けながら息を吐いた。

 強力な護符だ。世に出ればいろんな符術士の助けになるだろう。しかし、そのためには世間一般で問題なく使えるように、試験と調整が必要だ。

 だから俺は、素直な所感を課長に告げる。


「ちょっと効果範囲が広すぎて扱いづらいっすかね。もうあと……半径2メートルか3メートルか狭くなれば、使い勝手も良くなるんだと思うっすけど」

「ふむふむ、なるほど」


 スマートフォンに俺の意見を入力していきながら、課長はこくこくと頷いた。

 正直、便利な護符ではあるのだが効果範囲が広すぎてちょっと対応が面倒だ。余計な魔物を巻き込んでしまう危険がある。

 スマートフォンに視線を落としながら、課長がぺろりと舌を出しながら言う。


「威力の方は申し分ない?」

「そっすね。もうちょい強くてもいいかなとは」


 課長の言葉にもう一つ頷く俺だ。今回の試験品は効果範囲が広いが故に、威力が拡散している感がある。もう少々絞ってもいいだろうし、その方が大型の魔物相手でも使いやすくなるに違いない。

 俺の言葉を聞いてスマートフォンを操作した課長が、ちらと視線を俺の方に向けて言った。


「分かった。さて、魔物は問題なく片付いたかな」

「うっす。回収しときま――」


 魔物は全部倒した。後は回収して本社に持ち帰って素材回収だ。俺が倒れ伏したポイズンリザードの身体を持ち上げて、魔物回収用の袋に入れようとしたところで、俺と課長のスマートフォンが鳴る。

 同時に俺の胸ポケットに収まっていたインカムから通知音が鳴る。本社でモニター作業を行っている間渕さんからの通知だ。


「おっと。はい、テスター1。うん、今討伐して……へえ?」

「ん」


 既にインカムを装着した今課長が、間渕さんからの連絡に応対する。俺も急いでインカムを装着しながら、スマートフォンを取り出した。

 近隣の符術士への緊急出動要請だ。なにか大型の魔物が出てきたのだろう。どうやら課長に連絡が入った件もそれらしく、すぐに頷いた課長が俺に言ってきた。


「ん、分かった。すぐに向かうね。元規君、追加の仕事」

「何か出たんっすか?」


 スマートフォンの画面を操作しながら俺が言うと、課長がこくりと頷きながら言ってくる。


「脅威度Aプラス、ギガントタイガーが二体。スマホに緊急出動要請は来てるかな」

「え、あー……さっき来たやつっすね。豊島園通り、練馬春日町駅付近」


 課長の言葉に、スマートフォンの画面に視線を落としつつ俺は答えた。豊島園から北西、都営地下鉄大江戸線練馬春日町駅付近の道路に、脅威度Aプラスのギガントタイガーが二体出現、豊島区、練馬区、板橋区の符術士に緊急出動要請。

 これは早急に対応しないと危ないやつだ。既に他の会社の符術士も向かっているだろう。課長が俺の傍にあった袋に駆け寄りながら声を張る。


「住宅街が近いから走っていったほうが早いね。元規君、先に行って。僕は輸送手配済ませてから行く」

「う、うっす! センター、テスター2、現場に先行します!」


 俺はインカムから間渕さんに呼びかけつつ駆け出した。ここからなら地下鉄やバスで行くより直接現場に向かったほうがいい。そもそもこの状況で、地下鉄もバスもちゃんと動いているとは思えない。

 駆けて駆けて、おおよそ10分と少し。現場が見えてきたところで俺は目を見開いた。


「ここか! ……うっわ」


 俺がいる位置は規制線が張られた手前側だ。ギガントタイガーが暴れている位置とは、軽く見積もって30メートルは離れているだろう。それでも、俺の位置からギガントタイガーの姿がよく見えた。


「ガォォォォ!!」

「ルオォォ……!!」


 予想以上に大物だ。普通のギガントタイガーも大物だが、それよりも一回りは大きい。それが二頭。


「まじかよ……あんなん、AプラスどころかSマイナス行っててもおかしくねーんじゃねえの!?」


 既に色んな会社の符術士が現場に入って対応しているようだが、早急に加勢しないと死人が出るだろう。俺はすぐに規制線を張る警官に声をかけた。


「お疲れさまです、アルテスタから緊急出動要請受けて来ました!」

「来たか! 一人!?」


 警官も焦っているらしい、体裁など気にしない様子で俺に言ってきた。確かに折れみたいな若者の符術士一人、向かわせるなんて無茶をアルテスタがするとも思われないだろう。


「後からもう一人来ます! いいっすか!」

「分かった、気を付けて! 農協前より各員、アルテスタ一名現着一四五三、おあと一名! 入ります!」


 俺の言葉に、すぐさま警官が道を開けた。課長が後からどう来るかなんて予想はしていない。とにかく対応しないとあとが怖い。

 規制線から魔物の傍までの30メートルほどが、ひどく長く感じた。駆けながら俺は心情を吐露する。


「くっそ、こんな住宅街のまん真ん中でとかさぁ!」


 吐き出しながら、俺は後衛で護符を振るい続ける符術士に声をかけた。エーエムビー株式会社の上田うえださんだ。


「来ました! どうっすか!」

「アルテスタの新人くんか! こっちはだいぶギリギリだな!」


 俺とも何度か顔を合わせたことのある上田さんと新井あらいさんが、焦りを顕にしながら口を開いた。前を見れば、前線では松野まつのさんも戦っている。やはり練馬区の会社、この現場にはすぐに急行できるらしい。


「なんとか前衛陣で押し留めつつ住民の避難を進めているが、かなり厳しい。とにかく向こうの機動力が高すぎる」

「アルテスタの子が来てくれたってんなら、そっちの護符が力になるかもしれん。いいの、持ってるか?」


 新井さんが俺に目を向けながら、期待するように言った。

 ギガントタイガーは巨大な虎だが、ネコ科らしく俊敏だ。非常に機動力が高く、おまけにパワーもあるため非常に厄介な魔物として知られている。

 だが、俺の手元には折よく「破魔光ホーリーライト」がある。試験中の護符とはいえ、今回なら特に役に立つだろう。


「問題ないっす。それに後から今さんも来ます」


 俺が課長の名前を出すと、上田さんも新井さんも幾分かホッとした表情を見せた。世界でもその名を知られた『白面金毛』、その当人が来るのなら戦況を覆すには十分だろう。


「『白面金毛』か! これは心強い」

「よしお前ら、『白面金毛』の参戦まで堪えるぞ!」


 俺の言葉を聞いた上田さんと新井さんが、再び護符を振るって前衛陣の援護を始めた。俺も前へと飛び出していきながら、懐にしまっていた護符を取り出す。

 距離にして10メートル、この距離なら十分範囲に収められる。


燦燦日天さんさんにってん破魔光来来はまこうらいらい!」


 前に出つつ俺は護符を振り上げた。天から降り注いだまばゆい光が、ギガントタイガー二頭を包み込む。


「ゴォォォ!」

「グ、ルルル……!」


 光を浴びたギガントタイガーの脚が、明らかに止まった。魔素を不活性化する効果は明らかに働いている。この隙きを逃す手はない。前衛陣が一気に勢いを増した。


「上手い!」

「今だ、脚を狙え!」


 松野さんや、他の符術士たちが、手に手に武器を持ちながらギガントタイガーの脚へと攻撃を重ねていった。この隙きに脚を傷つけ、傷を負わせることが出来れば、その後の機動力を削ぐことが出来る。

 だが、向こうもただやられっぱなしではない。一頭が弾くように前脚を振るうと、ちょうど槍を突き出していた松野さんが弾かれて体勢を崩した。


「ガ――!」

「うわ――」


 転んだ松野さんに向かって、ギガントタイガーが前脚を振り落とそうとする。そのまま押しつぶされれば、重傷は免れないだろう。後方から上田さんの声がする。


松野まつの!」

「くそ、間に合うか――」


 新井さんも護符を振るってギガントタイガーの脚を狙う。俺もなんとか間に合えば、と、松野さんに向かって振り下ろされる脚へと突っ込むべく地面を蹴った。と、その時。


「センターよりテスター2。聞こえますか」

「間渕さん!?」


 インカムから間渕さんの声がした。淡々とした声に急速に意識が引き戻される。


「まもなくテスター1が現着します。備えて下さい」

「え、どういう――」


 そしてその直後に話される事実。テスター1ということは課長だ。課長がもうすぐ来る。だが、備えろとはどういうことだ。

 俺が聞き返そうとしたその瞬間、周囲の符術士が一気にざわめきながら空を指差した。


「おい、見ろ!」

「なんだ――」


 何事か、と空を見上げるより早く。まるで空間が鳴り響くように声がした。


轟々ごうごうたるはあけほむら


 課長の声だ。しかし口調が、随分と古めかしい。そこに疑問を感じると同時に、俺を、符術士たちを、ギガントタイガーを紅蓮の炎が包み込んだ。


「うわ――!」

「なんっ――」


 視界が赤い炎に包み込まれ、思わず身動きを止めて顔を覆う俺たちだ。突然炎に巻かれるなんて予想していない。

 だが、ふと気がついた。こんなに周りが炎で包まれているのに、ちっとも熱さを感じない。


「あれ……」

「熱くない……これは!?」


 周囲の符術士たちも何事か、と困惑している。炎に巻かれて苦しんでいるのはギガントタイガーだけのようだ。人間、俺たち符術士に、この炎は影響を及ぼしていない。

 どういうことだ、この炎は誰が。そしてその答えは、俺たちの頭上から降りてきた。


「人の子どもよ、けだものどもよ。九尾の狐がやりこしぞ」

「あ……」


 とん、とん、と空中を蹴るように降りてきたのは、狩衣に身を包んだ九尾の狐。腰には刀を挿し、狩衣の隙間からたくさんの、金色の毛並みの尻尾を出しているその九尾の狐を、俺はよく知っていた。

 金毛九尾のその名の通り、黄金の毛並みを持つ世界でも有数の符術士である魔物。幻惑と陽動にかけては世界最高の腕前の持ち主。すなわち。


「課長!」

「『金毛九尾』だ!」

「遂に来たぞ、全員下がれ!」


 そう、アルテスタの試験課課長である今路夫だ。九尾の狐としての力を最大限に発揮し、服装も、口調も変えた課長が、鋭い眼差しで俺を見る。


「元規」

「っ、はいっ!?」


 呼びかけられて、ビクッとなりながら答える俺だ。返事を返すと、課長が俺の手に握られた護符を指差しながら言った。


破魔光ホーリーライトの光は我にもまばゆすぐ。消しつつ、あれなる獣の足を止めよ」

「げっ、マジっすか」


 そして言われた言葉に、俺はぎょっとしつつ言葉を漏らす。あれだけ効果を発揮した「破魔光ホーリーライト」を、使うなと言うのだ。しかし上田さんも松野さんも、すぐに納得した様子で口を開く。


「『金毛九尾』も全くの魔物だ、しょうがない!」

「行くぞ少年、合わせろ!」


 「破魔光ホーリーライト」は魔物を選択して魔素の働きを不活化する、ということは全くの魔物である課長にも効果を及ぼしてしまうということだ。それは、たしかによくない。

 言われるがままに、俺は長剣を手にして前に出た。ちょうどギガントタイガーたちは炎に巻かれて苦しみのたうっている。攻撃どころではないのならまだ与し易い。

 剣を、槍を、護符を振るって、俺たちはギガントタイガーを攻め立てた。幾本もの傷を負わされ、焼かれ貫かれ、ギガントタイガーの動きが徐々に鈍っていく。


「ガ……!!」

「ガォォ……!!」


 跳ね回り暴れまわる力をなくしたらしいギガントタイガーたちが、苦しみの声を上げるのを、課長は俺たちの後方から満足そうに見ていた。そしてこくりと、頷きつつ言う。


「やれめでたや」


 そう言うや、課長が腰に佩いた刀を抜いた。同時にその身体が分身し、課長が九人になってギガントタイガーを取り囲む。

 その分身たちが一斉に刀を構えた瞬間だ。


九太刀ここのたちの一――説破せっぱ


 小さく漏らされた言葉とともに、課長とその分身が一斉にギガントタイガーへと突っ込み、その刀を振るって切り裂いた。

 ただの分身ではない、九尾の狐の分身だ。実体があるが故に、刀の攻撃も9倍だ。九本の刀傷を負わされたギガントタイガーが、力を失って崩れ落ちる。


「オ……」

「オォォォ……」


 そのまま、大量の血を撒き散らしながら倒れていくギガントタイガー。その巨体はもう動かない。課長が分身を戻して刀を収めるのを、俺たち符術士は呆気にとられて見ていた。

 これが、今路夫の奥義。九尾の狐の力を最大限に発揮して繰り出される『九太刀ここのたち』だ。


「すげ……」

「あれが『金毛九尾』の奥義、『九太刀ここのたち』か……」


 課長が人間だった頃から、護符の力と血の力を使って繰り出されていた『九太刀』。全くの九尾の狐になったことでその威力は何倍にも増していると言われる、まさに最強の剣術だ。あまりの威力に誰もがぽかんとしている。

 そんな中、刀の血を拭った課長が、それまでの鋭い表情からふっと柔らかな顔つきになった。


「ふう……よし。よく頑張ったね、元規君」

「え、あ……」


 いつもの、優しく穏やかな課長だ。狐の顔のまま、こちらに微笑みかける課長に、僅かに戸惑う俺だったが。


「……あざまっす」


 すぐに、深く頭を下げて偉大な先達に敬意を示すのだった。

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