第25話 業務制限

 四月二日、午後八時。

 俺と間渕さんは吾妻先生に呼ばれて、牟礼さんが入院する成増病院に来ていた。

 病室に入った時、そこには真っ黒な毛皮で真っ赤な瞳の犬獣人な牟礼さんが、ベッドから身を起こしていて。

 そして牟礼さんの娘さんである淫魔の紗耶香さやかさんと、レイラさんが来ていて、二人揃って牟礼さんを呆れた目をして見下ろしていた。

 状況を見るに、既に人化処置は完了しているらしい。


「じゃあ、何? タカシは私が『気を付けないとダメよ』って言ったまさにその日に、閾値をバーンと超えちゃったってこと?」

「ハイ……」


 レイラさんが呆れ返った口調で話すのを、牟礼さんは耳をしゅんと垂らしながら聞いていて。


「しかもこれまで何度も閾値超えてて? まさに今回で戻れなくなったってこと??」

「ソウデス……」


 きつく問い詰められるたびに、力なく返事を返していて。


「バカなの???」

「ほんとバカよねー、パパってば」

「……返ス言葉モアリマセン」


 トドメとばかりにレイラさんと紗耶香さんが言い放った「バカ」の一言に、深く深く頭を下げていた。

 二人にぎったんぎったんに叩きのめされている牟礼さんのバイタルサインを確認している吾妻先生も、これには苦笑を禁じ得ない様子で。

 計測機器から視線を外して、レイラさんに視線を投げた。


「まあまあ、レイラ、紗耶香ちゃんも、そんなきつく言ってやんないでよ。逆に閾値を超えたからこそ、今回の『サラマンダー大量出現事件』は被害者を出さずに片付けられたんだしさ」


 吾妻先生の言葉に、レイラさんは腕を組みながら深くため息をついた。

 千代田区外神田に本社のあるシロクラボ株式会社で仕事があったために現場に駆け付けられなかっただけで、レイラさんにも今回のサラマンダー大量出現の一報は届いている。

 だから仕事を片付けて、すぐさま成増まで飛んできたのだ。獣人化した状態で駆け付けたものだから、「『人狼騎士』、都内を全力疾走!?」なんてニュースが配信されていたりする。

 宙に視線を投げながら、レイラさんがゆっくり口を開く。


「確かにそうね。単体で脅威度Bプラスのサラマンダーが、総数五百八十二匹・・・・・・。出現ポイントは都立公園内の休憩所の中。『ゲート』開通は午前十時から午後零時までの約二時間。

 ほーんと、よくそれだけの規模の案件を、一人の犠牲者も出さずに、一匹も外に漏らさずに収めたものだと思うわよ。

 一般人への人的被害が無いから『事件』止まりだろうけれど……いやまぁ、タカシの子供が一匹あっちに行っちゃったとは言えど。一人でも怪我人が出ていたら確実に『災害』クラスの案件よ、これ」


 レイラさんの零した発言に、異を唱える人は一人もいなかった。


 異世界から魔物が出現し、符術士によって対処される案件は、その被害規模に応じて四段階に分けられる。

 俺達の日常業務である実装試験のように、出現する魔物が少数で、一団体の符術士によって鎮圧されれば最低規模の『案件』。

 強力な魔物だったりある程度の数が一度に出現していたりして、警察による規制線を張らなくても複数団体の符術士が集まって鎮圧されるくらいなら、『事案』。

 一般人の命が弔われていたり、深度の深い魔素症患者が発生していたり、今回のように大規模な出現が確認されて警察が規制線を張った状況で一般人への被害が出ていない状況なら、『事件』。

 そして警察が規制線を張っても尚、一般人への被害が出るような酷いものは、最大規模である『災害』となるのだ。


 だから今回のサラマンダー大量出現は、事態の規模こそ大きいものの、『事件』として扱われる。だが、それは俺達現場の符術士が、規制線を張る警察の皆さんが、牟礼さんの一家が全力で事態に対処した結果だ。

 レイラさんも、そのことは重々に承知している、と言いたげで。だがそれでも、彼女は牟礼さんへの批判的な視線を隠さない。


「でもね、センナ。それとこれとは話が別なの。

 魔獣化ウェアビーストユーザーにとって、閾値を完全に突破して完全に魔物になることは、一番やっちゃいけないことなの……まぁ、正規のルートで護符を入手しなかったタカシに、やっちゃいけないなんて今更言うことでもないけれど」

「ソウダナ……横流シサレタ非合法品ニ手ヲ染メタ時点デ、俺ハゆーざーノ道カラ外レテイルニ等シイ」


 レイラさんの言葉に、牟礼さんは下げっぱなしの頭をますます下げた。もう掛布団に黒い鼻がくっついて、押し込まれている。

 そんな牟礼さんの姿にもう一つため息をつくと、レイラさんのサファイア色の瞳が俺に向いた。口元にうっすら笑みを浮かべながら、その色の白い指をぴんと立てる。


「ゲンキは、聞いたことがあるかしら? 魔獣化ウェアビーストのキャッチコピー」

「えーと確か……『魔物になって戦え、しかし魔物になり切るな』っすよね」

「そう、それそれ」


 こくりと頷いたレイラさんが、立てた指を自分の胸に置いた。その指先で胸元を撫でるようにしながら、改めて口を開く。


「このキャッチコピー、私とリューゾーが一緒になって考えたものなんだけど……ま、今更説明する必要もないわよね。そのまんまだから。

 私の願いも多分に籠められているのよ……これが非合法ノンライセンスだった頃、たくさんの符術士がもっと力を、もっと速さを、と追い求めていった末に、完全な魔物に堕ちていったから」


 そんな過去を話す彼女の目が、悲しそうに細められた。

 『魔物になって戦え、しかし魔物になり切るな』は、護符工房アルテスタのホームページにある「魔獣化ウェアビースト」の商品紹介ページにも掲載されているキャッチコピーだ。

 魔物の力を手にして、しかしその力に飲み込まれ、本当の魔物になってしまうことの無いように。そんな想いがひしひしと伝わってくるこのキャッチコピーに、惹かれる符術士は後を絶たない。だからこそ、MTO品でありながらアルテスタの代名詞の一つになっているのだ。

 だが、その護符の開発過程で、そんなことが起こっていたなんて。マニアのように符術士の情報を集めていた俺でも、知らなかった。


魔獣化ウェアビーストの護符に……そんな過去があったなんて」

「交野少年が知らなくても無理はないさ。世に出ないように厳重に管理されていた情報だからね」


 俺の零した言葉に返答を返しながら、吾妻先生がゆっくり立ち上がった。

 計測機器から手を放し、未だ伏せられたままの牟礼さんのもふもふした頭に片手を乗せた。撫でるような優しい手つきではない、明らかに頭を掴みにいっている。

 そのままぐい、と牟礼さんの頭を引っ張り上げながら、先生は表情を消しつつ口を開いた。


「ただまぁ、私としても牟礼君に言いたいことの一つや二つ、無いわけじゃない。

 魔物の人化処置は、申請の書類がやたら多くて面倒だから、私も出来るならやりたくない。今回は牟礼君が深度四の魔素症患者で、その証明書類があったからいくらか簡単に揃えられたけど、そうポンポンと堕ちられたらこっちが困る。

 今までは牟礼君もギリギリ人間のカテゴリにいたからよかったけど、今回人間のカテゴリから外れちゃったから、紗耶香ちゃんにかかる負担も大きくなる」

「ハイ……スミマセン」


 鼻先を牟礼さんの鼻にくっつけるようにしながら、厳しい口調で先生が詰め寄った。牟礼さんの耳がますますしゅんと垂れさがる。

 彼がその獣の口から、謝る言葉を零すのを確認すると、頭を掴んでいた吾妻先生の手がゆっくり離された。その手をそのまま、牟礼さんの頬へと持っていく。


「あとね……もう既に直接謝っているからあれだけど、竜三の気持ちも考えとくれ。

 折角堕ちる寸前だったところから救い出したのに、結局堕ちられたんじゃ、何のためにこの六年間、力を尽くしてきたんだってなるじゃないか」

「……ハイ」


 悲しそうに告げる吾妻先生の右手に頬を預けるようにしながら、牟礼さんが絞り出すように、そう答えた。

 レイラさんも、紗耶香さんも、ただ黙って二人を見ている。ただの医者と患者というだけの関係性ではないのだ、過去の色々を全部知っているからこそ、吾妻先生としてもやりきれない思いはあるのだろう。

 そうして、牟礼さんの頬を優しく撫でた後。吾妻先生が身を起こした。


「ま、とにかくだ。牟礼君はしばらく……そうだね、最低三ヶ月間、試験業務禁止。書類管理業務とオペレーション業務のみに専念すること。七月になったら主治医の先生と相談して決めよう。

 折角交野少年が正社員で入社してきてくれたんだし、路夫も容体が安定してきたし、標君も契約更改したんだ。ちっとは他人に任せることを覚えな。なんならもう一人くらい雇うよう、竜三に言おうか?」

「……了解シマシタ。タダ、人ヲ増ヤス件ハ……考エサセテクダサイ」


 きっぱりと告げる吾妻先生に、牟礼さんはもう一度、ぺこりと頭を下げた。しかし先程までとは違い、両の耳がぴんと立っている。

 試験業務が禁止されても、工房を辞めさせられたわけではない。どの道社長は、こうなっても牟礼さんを辞めさせることはしないだろうけれど。だから、牟礼さんの仕事はまだまだこれからなのだ。

 その場にいる全員がほっと胸を撫でおろしたところで、今までずっと黙って話を聞いていた間渕さんが、心配そうな表情をしながら一歩前に進み出た。


「先生……牟礼さんの入院は、長引きそうなんですか?」


 その言葉に、全員の視線が間渕さんに集まった。

 確かに、人化処置を行ってすぐ、退院なんてことには普通はならない。何日かの入院は必須と言われるし、それが長引く可能性も十分にある。

 しかし、そんな心配を振り払うように、吾妻先生が首を振った。


「薬の処方も変えるからね、二、三日は入院して経過観察だ。来週には出て来れるよ」

「そうですか……よかった」


 来週、という明確な言葉に、間渕さんが安心した笑みを見せた。

 今日が火曜日、そこから二日か三日。今週末には退院できる見通し、ということだ。それなら大いに希望も持てる。

 と、そこではたとあることに気が付いた俺が、顎を触りながら首を傾げた。


「あれ、でもそうすると、牟礼さんちのブラッドドッグたちはどうなるんっすか? 親が入院って……」

「大丈夫です、アタシが何とかします。学校も新学期前だからちょうどいいし」


 自信満々に答えを返したのは紗耶香さんだ。

 聞けば学校が始まるのは来週からで、今週いっぱいはずっと家にいるとのこと。彼女にとっての娘や息子の世話も、普段から慣れているから心配要らないそうだ。


「スマナイ、サヤカ……オ前ニハ毎度、迷惑ヲカケル」

「いいのいいの、だってアタシにはパパしかいないんだもん」


 紗耶香さんに申し訳なさそうな目を向けながら、もう何度下げたか分からないであろう頭を、牟礼さんがまたも下げる。

 そんな父親の姿に、娘はからりと笑みを返して、優しくその背中を抱くのだった。

 そんな二人の姿を見て笑みを見せるレイラさんが、ふと思い出したように俺の肩を叩く。


「あ、そうそうゲンキ、私の新しい護符、実装試験に回ったってリューゾーから聞いたわよ。どうだった?」

「あ、そうっすね! 俺的にはだいぶいい感じだったと思うっす、閾値のサインも分かりやすかったですし、使い過ぎないようにやりやすいかなって」

「交野君、ここは一般の病院ですよ」

「全ク、コゾウハ工房ノ機密ヲ扱ッテイル自覚ガアルノカ」


 そして病院の一病室だというのに、あっけらかんと仕事の話をしてしまう俺に、間渕さんと牟礼さんから鋭い指摘が飛ばされて。

 笑い声と共に、夜は更けていくのだった。




 ちなみに後日談。

 大猫の魔獣化ウェアビーストの護符は無事にレイラさんに引き渡され、代わりに結構な金額が、メンテナンス費用も含めて工房へと支払われた。

 戦闘能力を極限まで抑え、制限時間を短く設定した魔獣化ウェアビーストはたちまち話題となり、オーダーが急増。

 工房内で協議した結果、「動物変身トランスファー」という新商品として、別個に売り出すことになった。

 幼稚園や保育園など、子供を相手にする現場で、随分人気だということである。

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