第34話 異人隔離

 鮫島さんが話したその言葉に、俺は目を見開いた。

 本来なら日本人しか、そうでなくても地球の人でないと入院できない病院に、異世界の魔物が入院しているなんて。

 普通ならあり得ない。病院に立ち入ることすら許可されないはずだ。亡命やらなんやらで地球に保護を求めてきたとしても、その申請が承認されるまでは立ち入れないはずなのに。


「……入院できるもんでしたっけ?」


 だから俺がそんな質問をしたことは、誰に責められることも無いであろう。

 事実、鮫島さんも赤川さんも、したり顔で大きく頷いている。


「ま、出来ねぇわな、本来だったら」

「当然、そういう反応になるよね。健康保険証どころか有効な身分証明書すら無いわけだから」


 そう話しながら、弓田さんが困ったように眉尻を下げた。

 この日本において、普遍的に使える身分証明書はいくつかあるが、それを異世界出身の人物や魔物に要求するのは酷と言うものだ。日本国外の人だったら取得したビザとかパスポートとかが使えるが、それも無い。身分を明らかにしろ、と言われてもどうしようもない。

 赤川さんが神妙な面持ちで頷きながら言う。


「その通りです。本来であれば、入院を許可されることはありません……ただ、一つだけ例外がございます」


 一度、そこで言葉を区切って。彼はきっぱりと発した。


捕獲、または保護・・・・・・・・に伴う隔離・・・・・の場合です」

「あ……」


 その言葉に、ハッとして声を漏らす俺だ。

 異世界から転移してきた魔物を、殺さずに捕獲するという依頼は、稀にだが、ある。異世界で何らかの問題があって、地球に亡命を申請してきた魔物とか、予告通知なしで転移してきたけど人間に友好的な魔物とか。

 そういう、殺さなくてもいい・・・・・・・・魔物について、符術士が出動して捕獲や保護を行うのだ。鮫島さんが腕を組みつつ口を開く。


「異世界からやって来た魔物の中にゃ、こっちの人間に敵対的でないやつらもいる。はたまた、いろんな事情が絡んで殺せない場合もある。そういう奴らを符術士が保護やら捕獲やらした時、置いておく場所と言ったら、こういう大病院になるわけだ」


 彼の言葉に頷いて、赤川さんが説明を引き継いだ。


「『エシュラ』や『ニコデマス』など、地球と交流のある異世界から、うっかり迷い込んでくる場合もありますね。ああしたところから不意に転移が発生しますと、大概そちらの世界から地球側に保護申請が飛んできますので、その場合も保護に当たることになります」


 その説明に、俺は口をきゅっと結ぶ。

 「エシュラ」「ニコデマス」「ヤンヌ」……地球と人的・物的に相互交流のある異世界はいくつか存在する。そうした交流のある異世界からもたらされた技術が、今日の地球での魔物退治に一役買っているのだ。

 で、そうした世界から『ゲート』が開かれる時は、原則として接続の予告通知がある。弓田さんが腕の羽を組みながら、眉間にしわを寄せた。


「本来、異世界から地球に転移する際には、厳重な情報管理が必要となる。誰が、どこから、どこに、いつ転移したか。その情報がやり取りされない中で転移が発生すると、混乱の元になるからね。だから、情報共有が成されるまで、病院に入院、隔離と言う形をとるんだ」

「隔離、っすか……」


 「隔離」の言葉に、俺は細くため息をついた。

 異世界からやって来て、追いかけ回されて、捕まって病院に閉じ込められて。触れ合える他人は病院のスタッフだけ。その当事者はどれだけ心細いことだろう。

 悲しい表情を見せた俺に、鮫島さんもため息をついた。


「仕方ねぇんだよ。これも必要なことだし、双方の世界にとって大事なことなんだ」

「下手に接触が行われて、外交問題に発展したケースは過去にいくつもありますから。交流のある世界なら、なおさらそこには気を付けないといけないんですよ」


 赤川さんの言葉に、俺は小さく目を開いた。

 そういえば、日本でも異世界からの魔物の対応がちゃんと整備されたのはここ最近のことだ。それまではちらほらと、不用意な接触が元での混乱も起きたと聞く。学校で何度も習ったことだ。


「あー……1998年でしたっけ、『ジャン・ラクロワ事件』。あの時もすごく混乱した、って聞くっすけど」

「そうです」

「酷かったよなぁ、あん時もよ」


 俺の発した事件の名前に、赤川さんも鮫島さんも頷いた。

 1998年6月10日に発生し、日本全国を巻き込んでの大騒動になった「ジャン・ラクロワ事件」も、不用意な転移が元で起きた事件の一つだ。

 異世界「ヤンヌ」から無許可で『ゲート』を開いて転移してきた、死刑囚ジャン・ラクロワ。彼が大阪に逃げ込んでから、名古屋、横浜、東京、と新幹線と在来線を駆使して逃走を重ね、「ヤンヌ」から捜索隊が大挙して派遣されるわ、日本全国の警察が大慌てで検問を敷くわ、大変なことになったのである。

 結果的にジャンは1998年8月18日、埼玉県北部で捜索隊と埼玉県警の連携により捕獲、その場で斬首。「ヤンヌ」には彼の首と胴体が別々に持ち帰られたのだとか。

 ああした事件があってから、異世界からの転移は警察庁がつぶさにチェックして、符術士派遣会社や護符工房との連携を密に取るようになったのだ。


「そういうわけさ。だから結構、国も病院もピリピリしてる。『ゲート』開いて出てきた魔物は基本退治の方向で、っていうのも、そのせいだ」


 弓田さんが首を傾けながら、話をいったん区切る。それに頷きながら、俺は三人の顔を順に見ながら口を開いた。


「ってことは、病院内にいるってことは分かっても、顔を見たり話したりは、無いってことっすよね」


 気になっていたのだ。三人とも、異世界からの魔物が入院していることは、公然の事実のように話しているけれど、その割にはその当人について話さない。名前も出ない。

 ということはつまり、入院している事実は知っていても、その先のことは知らないか、隠しているかなのだろう。

 果たして俺の問いかけに、弓田さんと赤川さん、鮫島さんの三人ともが頷いた。


「うん、無いね」

「病棟がそもそも違いますからね。ですが、病院の設備を共有し、スタッフを共有する以上、どうしても存在は知られてしまうわけです」


 赤川さんがそう零しながら、談話室の外に目を向ける。

 ちょうど一台のストレッチャーが、談話室の外を通り過ぎていく。その異世界からの魔物の人も、ああいう風にストレッチャーで運ばれていったりするのだろうか。

 そんなことを考えながら、俺は先輩方三人の話に、もう一度耳を傾けるのだった。

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