第3話 刀拳交差

 逃げたくなった俺へと、有無を言わさずに突っ込んでくる社長の黄金色をした肉体。

 その丸太のように太い右腕がぐっと引かれるのを俺は見た。このままだと確実に殴られる。

 ウェアタイガーは獣人種の中でも、パワーとスピードをバランスよく備えている魔物だ。体重の重さの割に早く動くせいで、その拳は想像以上に脅威である。

 バタつきながらも、俺は右手の剣を振るった。社長の腕を下からかち上げ、上方に跳ね上げるように。しかして弾かれた社長の剛腕が俺の頭上を掠めていく。


「わわっ!?」

「ほう……この一撃を剣で防ぐか。なかなかやるな……だが甘いっ!」

「ぐえっ……!」


 繰り出される腕を躱すのでもなく、風盾シールドで防ぐのでもなく、受け流すようにいなした俺の動きに、社長の真紅の瞳がサングラスの向こうで見開かれた。

 しかしいなしたところで突進の勢いは殺せない。そのまま左肩を入れてショルダーチャージ。俺の身体を吹き飛ばす。

 俺の身体が数メートル飛ばされ、再び足を床に付ける頃には、社長が追撃せんとその拳を再び握りしめている。


「まだまだっ!」

「ぐっ、く、火矢フレイムアロー!」


 俺へと急速に迫ってくる社長の顔面目掛けて、俺は一枚目のカードを切った。

 火矢フレイムアローの火球が俺の目の前に束の間に形成されて、社長の顔面目掛けて高速で飛んでいく。

 発射から着弾まで、1秒どころか0.5秒も無いはずだ。しかし社長は僅かに頭を傾けて、顔に飛来する火球を躱してみせた。社長の黄金色の毛皮の向こうで、壁にぶつかった火球が爆発音を立てる。

 俺の攻撃を難なく躱した社長の右手が首にかかった。そのまま握力で締めあげるようにして、俺の身体をグイと持ち上げる。食い込まないよう手の爪はしまってくれているようだが、気道と血管が圧迫されたせいで、視界がチカチカと明滅する。


「は……っ、っか、く……」

「迎撃するように顔面を狙ってきたか、あの場の選択肢としては悪くない。

 獣人種はその機動力と反応速度で攻め込んでくる連中が多いから、単発だと今の俺と同様に躱されるだろうがな」


 状況解説をしながらも、社長の太い指から力が抜ける様子はない。このままだと確実に落とされる。

 危機感を覚えた俺はばたばたともがく足を、不意に高く蹴り上げた。そのまま社長の下顎、短いながらも確かに存在する口吻にヒットさせる。

 急に顎を蹴られて頭を後方に振る社長。その手からふっと力が抜けた瞬間、俺は訓練場の床に片膝をついていた。


「っくぅ!」

「っち……やるな。だがまだ俺の手の内に」

閃光フラッシュ!」


 振られた頭を戻しつつ顔を押さえる社長が体勢を立て直す前に、俺は2枚目のカードを切る。

 刹那の間に、視界一面を強烈な光が覆った。社長が顔を押さえていた手を放し、自分の眼前に翳すのが見える。

 閃光フラッシュの護符は一瞬の間に強力な光を発生させる。光の持続時間こそ1秒や2秒と短いが、眩んだ視界はすぐには戻らない。その為、行動を阻害する護符としては非常に汎用性が高いのだ。

 俺は手に握った模造剣を、動けないでいる社長めがけて振るった。まず空いた右脇腹に一撃、次いで右の太股を一発叩く。そして横を駆け抜けざまに右の肩口を切りつけ、そのまま社長の後方へ。

 程なくして光が消え、社長が視野を取り戻すころには俺の姿は社長の正面には無く、後方10メートル離れたところで剣を正眼に構えている。


「肩、足、腹に一発ずつ……と。いい調子だ、そのままどんどん攻めてこい!」

「うぉぉぉぉっ!!」


 模造剣に強かに打ち据えられた肩を押さえてごきりと鳴らしながら、俺に鋭い視線を向けてくる社長。

 言われるまでもない。折角再び開けた間合いだ。

 真正面から飛び込む、と見せかけて社長の左側面に90度回り込む。そこでフェイントに数歩出て振りかぶるや、再び正面に位置を戻す。

 そして社長のがら空きの頭部に一撃、と思っていたのだが。剣を振り下ろした直後、社長の姿が俺の前から掻き消える。

 次の瞬間、背中がぐいと押された。いや、押されたなどという生易しいものではない。ハンマーを叩きつけるかのような衝撃が走った。

 そのまま床の上を滑るようにして吹き飛んだ俺の身体が、壁の緩衝材に顔面からぶち当たる。


「ぐぁっ……!」

「動きが短絡的だ。もうちょいフェイントや陽動を活用し、相手の裏をかけ。特にこういう相手の場合はな」


 緩衝材に受け止められた反動で吹き飛ばされてきた方を向き、床の上に這いつくばる俺を見ながら、俺を蹴り飛ばしたであろう足を戻して社長が口を開いた。

 多分、俺の右方に体を入れて俺の上段切りを躱し、その勢いを殺さずに回し蹴りを叩き込んだのだろう。

 なんとも無駄のない、なんとも隙のない立ち回りに、思わず涙が零れそうになる。

 しかしまだまだ社長は模擬戦を終わらせてくれそうにはない。半身に構えて、両腕を身体の前に出して手をゆるく開いている。

 何度か間近で見たことがあるから分かる。獣人種の魔物が得意とする爪牙拳そうがけんの基本の構えだ。


「さて、これで終わりか、ニンゲン・・・・? お前の実力はこんなもんか?」


 感情の篭もらない声で、殊更に『ニンゲン』を強調しながら、社長が未だ床に伏したままの俺に声を投げた。

 ニンゲン。

 日本語を理解する魔物が、俺達地球人を指す際によく用いる呼び方だ。社長が、わざわざそれを用いたということは、つまり。

 ぐ、と俺の手が床のコンクリートを掴んだ。腕に力を籠め、足裏を地面につけて、ゆるりと立ち上がる。

 目の前で構えを作る虎獣人を見据えて、手の中の模造剣の柄を、強く握りしめた俺は。


「まだ……まだ、いけるっす!!」


 力強く言葉を返して鋭く床を蹴った。

 剣を正眼に構えたままで、真っすぐ社長めがけて突っ込んでいく。先程のようにフェイントを加えることなく、前へ。前へ。

 接近する俺を正面に見据えた社長の鼻が、すんと鳴る音が聞こえた。


「また正面からか? そんな馬鹿の一つ覚えみたいに……」

風盾シールド!」


 ゆるく開いた右手の指に力を籠め、俺の顔をめがけて鋭く突きだそうとする社長の間合いに入った直後。俺は温存していた三枚目を発動させた。

 途端に、俺の目の前に障壁が出現する。社長の繰り出す右手の爪は、これで防ぐことが出来るだろう。

 だが俺の真の狙いはそこではない。俺は障壁を張ったまま、肩から社長へと体当たりした・・・・・・


「なっ!? ぐ……!」


 繰り出した腕を折るように引き戻し、顔の防御に回した社長の身体が障壁に押されて弾き飛ばされていく。

 風盾シールドの障壁は不可視だが、物理的に存在する盾だ。大きさも人間はおろか、大型の猛獣ですらも余裕でカバーできるサイズがある。

 そしてこの障壁の最大の特徴は、自分の目の前に・・・・・・・展開する・・・・ということだ。

 俺はその特性を利用して、障壁で社長の攻撃を防御しつつシールドチャージを繰り出したというわけだ。

 5メートルほど身体を押されて後退した社長の腕が、ゆったりと身体の両脇に降ろされる。


「なるほど……やるな、さっきのは虚を突かれた」

「へへ……どんなもんっすか」

「直情的で直線的すぎる部分はあるが、護符使用のセンスはいい……まぁ、及第点はくれてやる」


 サングラスを直しながら構えを解いた社長の言葉に、俺は嬉しさのあまり表情を緩めた。

 何しろ、一線を退いたとはいえ伝説的な戦士からの褒め言葉だ。嬉しくならないわけがない。

 太い首をごきりと鳴らすと、社長は視線を緩めて笑う俺に向けて言葉を放った。


「ご褒美だ、俺の本気をちょっとだけ見せてやろう」

「へ……」


 社長の声を認識し、俺が声を漏らした瞬間。

 目の前に立っていた、構えも取っていなかった社長の姿が消えた・・・


「っっ!?」

「ここだ」


 息を呑んだ瞬間、社長の声が背後からかかる。

 背後に回ったらしい社長の姿を捉える間もなく、背中に強烈な衝撃が走った。

 激痛が背骨を伝って脳天まで駆け巡る。大きく開かれた口から、唾と混じって血飛沫が飛んだ。


「かっ、は……!」

「模擬戦はこれで終わりだ、精進しろよ、交野元規……痛むぞ、少し我慢しろ」


 身体をのけぞらせた俺の肩に頭を置くようにした社長の口が、俺の肩を挟む。鋭い牙が肌に当たる感触を感じた。

 噛まれるのだろうか。

 ウェアタイガーに噛まれたら痛いだろうか。

 そんなことを考えながらも、先程の衝撃のせいで徐々に遠のいていく俺の意識。

 社長の大きな犬歯が俺の肌をぷつりと貫く、存外に小さな痛みを最後に、俺の意識は闇に堕ちていった。

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