第20話 アルバイターと社会人2

 バイトを終えたのは午後9時過ぎ。

 初日ということもあり、少しだけ早めの退勤時間だった。


「本当にお疲れ様! さっ、これ持ち帰って家で食べて!」

「は、はあ」


 俺が着替えて帰ろうとすると、店長がそう言って何かを渡してきた。

 食べてというくらいだから、中身はこの店の賄いか何かだろうか。


「いやー、しかし驚いたよ! 佐久間くんがあそこまで料理できるなんて!」

「あ、ありがとうございます。それで店長、これは……」

「これでうちの店も安泰安泰! 心置きなく厨房を君に任せられるよ!」

「いや、だから店長……これは……」

「次のバイトでもよろしくね!」


 そう言って俺の肩をポンッと叩くと、店長はご機嫌で店内へと戻っていった。

 謎の袋と共に店の前へと取り残された俺は、わけがわからず立ち尽くすばかり。


「だからこの袋なんだって……」


 ボソッと呟いた言葉も、活気溢れる夜の街の中に消えていく。

 ただ一つわかるのは、店長がめちゃくちゃ嬉しそうだったということだけ。


 ——何かしたか? 俺。


 今日のバイトを振り返ってみたが、特段変わったことは何もしていない。

 ごくごく普通に刺身を捌いたり、ごくごく普通に注文された料理を作った。

 果たしてそれの何がそこまで喜ばしい要素なのだろうか。


 ——んん……わからん。


 でもまあとりあえず、初日のバイトは何とか乗り切ることができた。

 賄いらしき何かも貰えたことだし、これは後で蓮見さんと一緒に食べることにしよう。


「蓮見さん、もう帰ってきたよな」


 時間的にはとっくに家にいる頃だろう。

 おそらくはお腹を空かせて、テレビゲームでもしてるんじゃないだろうか。

 一応バイトのことを事前に伝えてはあるが、それでも先日の一件があるので少しばかり心配だ。


 あれだけのことがあったから、流石に懲りているとは思うけど。

 それでもあの人は普通じゃないので油断はできない。


 ——早めに食材買って帰るか。


 そう思った俺は止めていた足を進めた。

 手に持っている袋からは、ほのかに香ばしい香りが漂う。

 その香りを嗅ぐ感じ、どうやら中身は焼き鳥のようだ。


『グゥゥ』


 無意識に俺のお腹が汽笛を鳴らす。

 そういえば昼から何も食べていないんだった。

 これからはもっと遅い時間まで働くだろうし。

 バイトが始まる前に、軽く何か食べた方が良さそうだ。



 * * *



「えっ……」


 家の玄関を開けると、そこには見知らぬ靴があった。

 もちろんそれは蓮見さんの物とは別の靴。

 あの人と同じくらいの大きさの黒いバンプスだった。


「誰か来てるのか?」


 そう思って部屋の方を見てみたが、扉が閉まっていてよくわからない。

 しかし珍しく電気がついているので、そこだけはちょっと疑問だった。


「ま、まあ、とりあえず中入るか」


 このままここにいるのもアホらしいので、俺は一度うちに上がる。

 そしてゆっくりと部屋に近づいては、手に持っていた賄いや食材を慎重に台所のそばに置いた。


 ——てかなんで俺はコソコソしてるんだ……。


 冷静になって考えてみれば、間違いなくここは俺の家。

 家賃も払っているし、俺の私物だってたくさん置いてある。


 ならばなぜ俺はこんな泥棒みたいなことをしてるんだ。

 普通に堂々と「たっだいまー!」くらい言ったっていいんじゃないか?

 まあ恥ずかしいからそんな真似はしないけど——。


「にしても……何か聞こえるような……」


 扉を目前に耳をすませると、何やら音が聞こえてくる。

 その音はいつも蓮見さんがゲームをやっている時の音に近く、『カチカチ』だったりとか『ドドーン』だったりとか様々なレパートリーがあるようだ。


 ——ゲームしてるのか?


 聞こえてくる音的にそれは間違いない。

 しかし今問題にするべきはそこじゃない。


「なんか喋ってる……」


 明らかにこの部屋には、蓮見さん以外の誰かがいる。

 しかも話し声を聞く限り、どうやらいるのは女性のようだ。


「ああもう、桃子ももこつよーい」

「え、今のは夏美なつみが弱いだけでしょ」

「それでも私頑張ったし。もうちょっとで桃子抜かせたし」

「抜かせないから。クリアタイム13秒も差あるし」

「ええー? そんなにあったかなー?」

「あった。だから私を抜かすのは無理」


 ——って誰!!!!


 よーく耳をすませても、状況が全く掴めない。

 話している感じからして、おそらく蓮見さんの友達か何かなのだろうが。


 ——というか蓮見さんて、下の名前桃子ももこだったんだな。


 今までずっと苗字で呼んでいたから全く知らなかった。

 あの人に会ったばかりの時だって"蓮見"としか言っていなかったし。

 これはちょっとレアな現場に立ち会えたのかもしれない。


「ねえ、私そろそろお腹限界。桃子何か作ってよー」

「いや。そもそも私料理とかできないし」

「ええー、なら何か食べ物ちょうだい」

「めんどくさい。自分で取って」

「もー、じゃあ勝手に冷蔵庫開けるからねー」


 と、そう聞こえた直後。

 部屋の中では誰かが立ち上がり、まっすぐこちらに向かってくるではないか。


 ——って待って待って! これやばくない!


 扉のすぐそばにいた俺は絶体絶命。

 このままだと間違いなくその人と鉢合わせする。


 どうするどうするどうするどうする。


 とりあえずトイレの中に隠れるか?

 いや、それだとドアを閉めた時の音でバレるな。


 だったら洗面所に逃げ込んで……。

 いや、それだとここから丸見えだから絶対見つかるし——。


 なんて考えていたところで時すでに遅し。

 開かれたドアの先には、全く見覚えのない女性が立っていた。


「あれ? もしかして君……」

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