第29話 仕事と変化1

 私は昨日、熱を出して会社を休んだ。

 小さい頃はよく風邪をひいていたりしたけど、大人になってからこうして熱を出して寝込むのは初めてだった。

 朝起きた時はすごく辛かったけど、同居人の彼のおかげでなんとか1日で復活することができた。


 わざわざ私を看病するために学校を休んで。

 冷たいタオルとかご飯とかも作ってくれて。

 彼は私のために、一生懸命にお世話してくれていた。


 ううん。


 今考えると、それは昨日だけの話じゃない。

 今までだってそう。


 彼は何もできない私のためにいろんなことをやってくれて。

 それでも何か文句を言うことなく、ずっとそばにいてくれる。


 ——彼ってホント不思議。


 不思議で優しくて真っ直ぐで。

 私のことをいつも考えてくれている。

 心配してくれている。


 そんな彼だからこそ、私は変わらなきゃと思った。

 私にとって大切な存在である彼に、私と同じ気持ちになってもらいたい。

 私と一緒に居たいと思ってもらいたい。


 男の人はうまく利用するべきだって夏美は言ってたけど。

 それは違うって今ならわかる。


 今までは彼に負担ばかりかけてきたけど、これからは私も頑張ろう。

 頑張って、一緒に居たいって思ってもらえるような同居人になろう。


「よしっ」


 両手で頬を軽く叩き、私はPCの電源をつけた。

 そして手早くIDとパスワードを入力して、早速今日の仕事に取り掛かることにする。


 ——昨日休んじゃったから、その分も頑張らないと。


 そう思った私が、早速表計算ソフトを立ち上げたその時。


「蓮見さん、ちょっといいかな」


 机に向かってパソコンと向き合っている私に、部長が声をかけてきた。

 手にはたくさんの資料を持っているので、おそらくはいつものやつだと思う。


「出社したてで悪いんだけど、これお昼までにまとめて置いてもらえるかな?」


 そう言って差し出されたのは、もう見慣れたあの資料。

 たくさんの文字か書かれたA4用紙が、何十枚も重ねられている。


 ——断っても怒られないけど……。


 部長がいつもの調子なら、きっと断っても怒らないと思う。

 そしてどうせまた向こうの彼に、その仕事が回るんだと思う。

 なら別に私がやる必要もないし、多分部長も私にあまり期待してない。


 ——でも……。


「わかりました。まとめておきます」


 そう言って私が資料を受け取ると、部長は心底意外そうな顔をしていた。

 やっぱり断られるのを覚悟で、これをお願いしに来てたんだ。


「え、あ、ああ……じゃあ、よろしく頼むね」


 ぶきっちょな笑顔を浮かべたかと思うと、部長はおもむろに歩き去っていく。

 その背中を横目で見ていると、戻る途中で何回かこちらを振り返っていたので、多分私が仕事を受けたことを不思議に思っているんだと思う。


 ——やっぱりそうだったんだ。


 きっと部長は諦めてたんだ。

 部長だけじゃない。課長も、他のみんなも。

 私を諦めていたからこそ、今まで何も言ってこなかったんだ。

 どうせ無駄だとわかっていたから、怒られなかったんだ。


 ——ちょっと、ズルしちゃってたな。


 きっと私は無意識にそうしてたんだと思う。

 みんなから期待されない方が楽だし、そっちの方が私に特だったから。


 でもそれって、彼にしてたのと同じことだ。

 自分は何もしなくても誰かがやってくれる。

 そうやって自分を甘やかして、サボりたかっただけなんだきっと。


「ちゃんと、やらなきゃだよね……」


 この資料をまとめるのだって、本当はすごくめんどくさい。

 でもこれをやらないと、また同じことの繰り返しになっちゃう気がするから。


 だから私は嫌でもやる。

 ちゃんと昼休みまでにまとめて、少しは私を見直してもらえるように——。



 * * *



「桃子ー、ジュース買い行こー」


 出社して2時間くらいが経過した頃。

 いつもの調子で同僚の夏美は、私の机にやって来た。


「今忙しいから」

「ええー、行こうよー」


 私が空返事すると、夏美は両手で肩をポンポンしてくる。

「ねえねえー」と言っているその様は、まるでわがままな子供みたいだ。


「部長に頼まれた資料まとめてるの。今は邪魔しないで」

「頼まれた資料って。そんなの誰かに任せちゃえばいいじゃん」

「そんなことしない。てか夏美は自分の仕事いいの?」


 そう尋ねると、夏美はわざとらしく舌をぺろっと出し、


「隣の鈴木さんに全部任せて来たっ」

「え、それは酷い」

「酷くないよ! だって私が「お願いします!」って言ったら、「はいよー」って笑顔で言ってたもん!」


 やっぱり。

 夏美はいつも誰かに仕事を押し付けてここへ来てたんだ。

 その任せた鈴木さんていう人も、多分本心はめんどくさいって思ってる。


 夏美は見た目が可愛いから男の人は断らないかもしれないけど。

 それを理由にして誰かに仕事を任せちゃうのは、やっぱり間違ってると思う。


「ちゃんと自分でやらなきゃダメじゃん。そのうち怒られちゃうよ」

「怒られないよ。だってみんな快く仕事代わってくれてるもん」

「多分それ快くじゃないよ。夏美にお願いされるから仕方なくだよ」

「仕方なくじゃないもん!」


 怒った口調の夏美は、わざとらしく頬をぷくっとさせる。


「もう、それじゃ私1人でジュース買い行くからね?」

「うん、私もう少しで終わりそうだから行かない」


 私が断ると、夏美は不機嫌なまま休憩所の方へと去って行く。

 1人パソコンと向き合う私は、再び資料のまとめに取り掛かる。


 ——あと半分でお昼だし。それまではがんばろ。


 部長に言われた期限もあるし、今は頑張って資料をまとめよう。

 それでお昼になったら、夏美を誘って食堂にでも行こうかな。

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