第7話 蓮見さんと夕食2

 現時刻は21時前。

 俺が東京に着いてから8時間ほどは経過しただろうか。

 逆に言えば、まだ上京してから8時間しか経っていないということになる。


 それにもかかわらず俺は——。


「あの、蓮見さん」

「ん」

「先食べてていいですか」

「え、ダメ」


 みたいな感じで、もうすでに俺の自由は存在していなかった。


 果たして、一人暮らしとは——。


「すぐ見つけるから、ちょっと待って」


 二度目のコンビニから帰宅したかと思えば、なぜか俺は待たされている。

 買って来た弁当をテーブルに置いて、もらった割り箸を二つに割って、「さあ食べるぞ!」って状態からもう数分は経過しただろう。


 ——もう食ってい? 腹減ったの俺。


 昼間はバタバタしていたせいで、ほとんど何も食べていない。

 おまけに部屋の掃除やらゲームやらで、俺の身体はクタクタだ。

 なのにこうして意味もなく待たされている。


 全ては蓮見さんのせい。


 あの人がどうしてもお酒が飲みたいとか言い出して、「あ、そういえばこの前買ったやつどっかにしまっといたっけ」なんて余計なことを思い出したがゆえに、俺はこんな『飼い犬の待て』みたいな状態になっているわけだ。


「おかしい。ここにしまったはずなんだけど」


 なんて言いながら探しているが、一向にお酒が出てくる気配はない。

 てかそもそも今あなたが探している床下は、ゴミの山に埋もれていて全くもって機能していなかったはずだ。

 もし仮にお酒が出て来たとしても、それはいつの物やら……。


「あ、あった」


 お酒出て来ちゃったよ。

 大丈夫かよ。本当に飲めるのかそれ。


「私お腹空いた。早く食べよ」

「いや、あなた待ちだったんですけど」

「あ、そっか」

「はぁ……」


 色々物申したいことはあるが、今は腹ごしらえが先だ。

 そもそもこの人相手に何を言ったって無駄だろうし、俺は自ら余計な体力を使うような馬鹿な真似はしない。

 そう思った俺は、コンビニで買ったチキン竜田弁当を開けようと手を触れた。


「うわ、弁当冷めてるし」


 すると弁当は、あろうことか冷たくなっていた。

 まああれだけ待たされればそうなるのも当然か。


「え、私のまだあったかいけど」

「そりゃそうですよ。蓮見さんのは今買って来たやつだし」

「お、ならラッキーだ」

「いや、ラッキーとかじゃないですから」


 ため息をつく俺に見せつけるように、蓮見さんは一口で唐揚げを頬張る。

 そして追い打ちをかけるように白米をすくい、旨味が溢れる口の中へと迷うことなく放り込む。


「うん、これ美味しい」


 そう一言呟いたかと思えば、今度は瓶に入った透明なお酒をグラスに注ぐ。

 コクコクコクという軽快な響きと共に、たちまちグラスは満タンに。

 すると蓮見さんは間をおくことなく、それを勢いよく喉に流し込んだ。


「ふはぁぁぁ」


 これぞ幸せ! と言わんばかりの吐息。

 未成年の俺からしても、これは絶対美味いと確信できた。

 ちなみに酒は飲んだことない。これ当たり前。


「ん、食べないの?」

「あ、ああ」


 ぽかんとしていた俺は、慌てて意識を自分の弁当に戻す。

 付属のマヨネーズをチキン竜田にかけ、少しだけご飯にもかけ。

 すっかり冷えきったそれらをガッツクように口へと運ぶ。


「美味いな」


 冷えていてもなお、バッチリと感じることができる旨味。

 竜田から溢れる肉汁だとか、ご飯の甘味だとか。

 その全ての要素が俺の疲れた身体に染み渡って行く。


「あ、サラダサラダ」


 そういえばサラダを買ったのを忘れていた。

 てかこいつがいなかったら俺がコンビニ行く要素ゼロだったからな。

 栄養バランスも大事だから、サラダも食わなくては。


「そうだ。蓮見さんも食べます? サラダ」

「え、いらない」

「野菜もちゃんと食べないと体壊しますよ」

「お酒でいい」

「いや、対等じゃないですからそれ」


 呆れる俺を尻目に、蓮見さんは唐揚げを食べ、お酒を飲み、の繰り返し。

 こんな食事を続けていては、すぐに体を壊してしまいそうな気もするが、今の本人がめちゃくちゃ幸せそうなのでまあ良しとしよう。


 それにしても蓮見さん、結構お酒飲むんだな。

 あんまり俺も詳しくないのでわからないが、今彼女が飲んでいるお酒は結構アルコールが強いお酒だったはず。


 ラベルには14%とか書いてあるし。

 しかも何かで割るとかせず、そのまま飲んでるからすごい。

 てか、飲むペース早すぎね——?


「ん、何。キミも飲みたいの?」

「え、あ、いや、俺は別に……」

「ええ、何その反応。いいから飲みなよほら」


 すると蓮見さんは、お酒の入ったグラスを俺の方に差し向けてくる。

 この人俺が未成年だってこと本当に理解しているのだろうか。

 にしてもなんだか、蓮見さんの顔が心なしか赤いような……。


「せっかく注いだんだから飲んでよ」

「いや、だから俺はまだ未成年——」

「そんなのいいから。早く」

「ちょ、酒臭っ……。蓮見さん酔っ払ってるんですか?」

「酔っ払ってない。私、酔っ払ってないから」

「完全に酔ってるじゃないですか……。ほら、口元ご飯粒ついてますよ」


 そして俺が蓮見さんの口元を指差すと——。


「取って」

「はい?」

「取って」


 蓮見さんは強引に、顔を俺の方へと近づけてくる。

 その距離、測定不能。とにかく近い。てか酒臭い。


「……はい、取りました。これでいいでしょ」


 仕方なく俺は、彼女の口元についていたご飯粒をつまんだ。

 なぜこんなことをしているんだ、と一瞬考えそうになったがそれはダメ。


 この人相手に物事考え始めたらきりがない。

 おまけに酔っ払っているから尚更だ。


「取ったんで離れてください」

「いや」

「へ?」


 これ以上この距離を保つのも厳しいので、離れてもらおうかと思ったら。

 今この人「いや」って言わなかったか?

 だとしたらその意図が全くもってわからないんだが。


「あの……取ったんで離れてもらってもいいですかね」

「食べて」

「は、はい?」

「食べて」


 何を言ってるんだこの人は。

「食べて」というのはつまり……この取った米粒をということだよな。

 だとしたら余計にわからなくなってきたんですけど。

 

「は、蓮見さん、とりあえず離れてください」

「いや、食べるまでこのまま」

「食べるまでって……冗談キツイですよ……」

「冗談じゃない。食べないなら私、服脱ぐから」

「い、意味がわからないです」

「下着も脱ぐから」

「はっ?」


 すると蓮見さんは突然ジャージのファスナーを下げ始めた。

 対し身動きの取れない俺は、絶賛パニック状態。


 ——おいおいおいおい。


 徐々に見え始める黒のレース。

 そして大きく膨らんだ2つの山。

 その間には胸をくすぐるような立派な谷が。


 ねえこれどうなっちゃうの?

 まさかマジで下着まで抜いだりしないよね?

 だとしたら俺……俺っ……!

 ねえねえねえねえねえ——!


「は、蓮見さん俺は——!」


 あまりにも刺激的な出来事を前に目をつぶっていた俺。

 そんな俺の膝の上に何やら重たい感覚が。


「えっ?」


 恐る恐る目を開いた俺は、つかさず目線を下へ。

 するとそこには、つい先ほどまで目の前にいた蓮見さんの姿があった。


「ね、寝てるのか?」


 よく耳をすませてみると、「スースー」という音が微かにだが聞こえてくる。

 なんだかよくわからないが、おそらくは酔っ払って寝てしまったのだろう。


「はぁ……びっくりしたぁぁ……」


 とりあえず、危機的状況は乗り切ったらしい。

 でもあの蓮見さんがあんな色目を見せてくるなんて……。


 ——すごかったな……蓮見さんのおっp……。


 いやいやいや、何を考えてるんだ俺は。

 今はそんなことよりも、この人を退かすのが先だ。


「蓮見さん。起きてください」

「スースースー……」

「ダメか……」


 呼びかけても、蓮見さんが起きる気配はない。

 ならば俺が抱えてベットに上げるしかないか。


「ちょっと失礼しますよ」


 俺は蓮見さんのできるだけセクハラっぽくならない場所を抱え、そのままベットの上へと移動させた。


 もちろんその間は無心。

 途中降りたファスナーから少し胸元がチラついていたが、気にしない。


「ふぅ……あとは……」


 どうやら残されているのは胸元まで開いたファスナーだけ。

 やっぱりこれ、上げたほうがいいですよね。

 上げないと風邪ひいちゃうかもしれないですしね。


 そう思った俺は、ひとまず深呼吸を。

 高鳴る胸の鼓動を抑え、ゆっくりとファスナーへと手を伸ばす。


「し、失礼します……」


 そして俺の手がファスナーに触れるか触れないかぐらいの時。


「キミ、エッチだね」

「うわっっ……!!」


 寝ていたはずの蓮見さんが突然目を開け、俺の肩は大きく跳ねた。


 しかも耳に残るような単語を吐くし。

 一体この人は何がしたいんだ……。

 

「蓮見さん……起きてるなら言ってくださいよ」

「え、私寝るなんて一言も言ってないし」

「それはそうですけど……。俺はてっきり寝たものだと」

「ふーん。で、この手何」

「この手……って……」


 ——あ。


 俺がそれに気づいた時。

 右手はすでに終わりを迎えていた。


 いや。

 正しくは『佐久間幸太郎』がだ。


「こ、これは……違う——」

「違うって何」


 まずい。これは非常にまずい。

 俺が善意でファスナーを上げようとした時の右手が、蓮見さんの胸元付近に残されたままだった。


 こんなの側から見たらセクハラ未遂じゃないか。

 蓮見さんもなんか冷たい視線送ってきてるし。

 普通に考えて今の俺結構やばくない?


「え、あ、え、っと……」

「ふっ、なに本気で困ってるの。馬鹿みたい」

「えっ?」


 驚く俺に対し、蓮見さんの顔は綻びをみせる。


「ファスナー、上げてくれようとしたんでしょ?」

「は、はぁ……」

「なら、別にいい」


 そう呟いた蓮見さんは、開いたファスナーを一気に閉めた。

 そして何事もなかったかのように、ベットへと横になる。


 ——えっと……ナニ……?


 ちょっと待ってちょっと待って。

 もしかして俺、この人にからかわれてただけ?

 なのに1人で「人生終わった……」とか思ってたの?

 だとしたらすごい恥ずかしいんですけど。


「あの……蓮見さん」

「んん」

「もしかして俺、からかわれてましたか?」

「うーん、ちょっと違う」

「えっ? それじゃあ……」


 それじゃあこの人は何の意図でこんなことを——。


 そう考えた刹那。

 俺が尋ねるよりも早く、蓮見さんはその答えを口にした。


「キミのことを知るため」

「俺のことを……ですか?」


 一瞬何のことかわからない返答に、俺の思考は迷走した。

 この俺ですらわからない言葉が、蓮見さんから出たのだ。

 そんなの戸惑うに決まっている。


 そもそも俺のことを知るためって。

 今のことで俺の何を知れるというんだ。

 俺はそんな簡単に理解されるような浅い人間じゃないぞ。


「蓮見さん。それはどういう——」


 どういうことかと聞こうとした俺は、途中で言葉を切った。

 よく見たらもう、蓮見さんには意識がなかった。


「はぁ……結局酔ってたのかよ」


 またふざけているのかとも思ったが、どうやら今回はマジらしい。

 聞こえてくる寝息が、さっきよりも自然だ。


「そうだ布団」


 何もかけず寝ていることに気がつき、俺は急いで布団をかける。

 その場にあったのは毛布で「少し暑いかな」とは思ったが、女性なので暑いくらいがちょうどいいだろう。多分。


「そしたら俺も寝るか」


 すっかり静かになった部屋の中。

 そこに俺用の布団などあるわけもなく。

 仕方なく地べたへと横になり、小さなクッションを枕にする。

 

「これは明日身体痛めそうだな」


 それでも普段からせんべいのような布団で寝ていたため、全然苦じゃなかった。

 むしろ疲れがいい具合に回って、すぐにでも寝てしまいそうだ。


「俺のことを知る……か……」


 先ほど蓮見さんが吐いた言葉の意味。

 それは全く理解できないままだけど。

 こうして彼女と出会った縁だ。

 答えを追ってみるのも悪くはない。


 ……気が……す……。

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