第8話 蓮見さんと買い物1
翌朝。
カーテンのわずかな隙間から差し込む優しい陽の光。
そして自然の目覚まし時計とも呼べる元気な小鳥の
その双方に包まれながら、俺、佐久間幸太郎は清々しい朝を迎える……。
のではなく——。
『カチカチカチカチ』
部屋の中に響くのは、耳を刺すような機械音。
そしてテレビから流れる大音量のゲーム音。
その二つのせいで目を覚ました俺は、眠いのを我慢して重いまぶたを上げる。
——うるせぇ……。
身体を起こした俺の視界に映るのは、ジャージ姿の見知らぬ美人。
少し乱れている黒髪を気にする様子もなく、ゲームに集中している。
「蓮見さん。何やってるんですか」
「見ればわかるでしょ。ゲーム」
「そうじゃなくて。電気つけてください電気」
「え、めんどくさい」
投げやりにそう呟いた彼女は、何も気にならないといったご様子。
今だって俺が寝ているのに、平気でゲームをやってやがる。
おかげで今日の目覚めは最悪だ。
「てか身体痛えぇ……」
布団がないため仕方なく床に寝た俺だったが、想像以上に身体のあちこちが悲鳴をあげている。
「これは早急に布団を買わねば……」
本来ならば昨日のうちに全ての買い物を終わらせるつもりだったが、知っての通り俺は昨日、見知らぬ同居人のために1日かけて部屋の掃除をした。
全て終わった頃には、すでにお外は真っ暗。
そこから買い物なんかに行けるわけもなく。
俺の上京初日は、めでたく灰となって消え去ったわけだ。
——今日こそは行くぞ。
そう心に誓った俺は、身体の痛みを我慢しておもむろに立ち上がる。
そして部屋の電気をつけ、シャワーを浴びるべく浴室へと向かった。
* * *
「どこか行くの」
俺がシャワーを浴び終え身支度を整えていると、今までずっとゲームに集中していたはずの蓮見さんに突然声をかけられた。
見ればわざわざゲーム画面を止めてまでこちらを見ているので、俺は少し拍子抜けしつつも、あくまで平静を装い返事を返す。
「買い物です。布団ないんで」
「なら私も行く」
「い、いや、別にいいですよ。今日日曜だし。蓮見さんはゆっくり休んでてください」
「嫌、行く」
そう呟いた蓮見さんは、あろうことかすぐさまゲーム画面をおとした。
そしておもむろにその場を立つと、着ていたジャージを躊躇なく脱ぎ始める。
「いやいやちょっと……何してるんですか」
「え、だって買い物行くんでしょ」
「そうですけど……だからってここで着替えるのは……」
一体この人の羞恥心は……ってのは前も言った気がするから省くとして。
相変わらずのマイペースさには、流石の俺でも手を焼かされる。
だから昨日も2時間もの間ゲームに付き合わされたわけで。
仮に一緒にプレイするのが蓮見さんじゃなかったら、絶対あんなやってない。
きっと上手く乗せられてしまったのだ。俺は。
「てか外出るならシャワー浴びてきてください」
「え、めんどくさい」
「いや、めんどくさいじゃなくて……。あなた昨日そのまま寝たでしょ」
「ええ」
露骨に嫌そうな表情を浮かべながらも、蓮見さんは脱いだジャージをその場に投げ捨てる。
と思ったら、今度は何やら俺に向かって手を伸ばしてきた。
「タオル取って」
「そのくらい自分で取ってくださいよ……」
とは言いつつも。
俺はクローゼットの中からバスタオルを取り出し、それを言われた通り蓮見さんに渡した。
「あれ、シャンプーってあったっけ」
「なかったんで昨日俺が買ってきましたよ」
「え、何、レノア?」
「CLEARです。それとレノアはシャンプーじゃなくて柔軟剤ですから」
「あ、そっか」
そう呟いた蓮見さんは、バスタオルを持って部屋を出た。
そのどこか抜けたような後ろ姿を見ると、なぜか自然とため息が溢れる。
——もう少ししっかりしてくれよ……。
そう心で願ったところで、彼女がどうにかなるわけもなく。
俺は蓮見さんが部屋に脱ぎ捨てたジャージを拾い、それを丁寧に畳んだ。
——ってかあの人、今下着の替え持ってったっけ……?
* * *
数分後。
蓮見さんは髪の毛びちゃびちゃのまま部屋に戻ってきた。
なんと、バスタオル一枚で——。
「下着忘れた。取って」
床を水浸しにしながら、平然とそう言ってのける蓮見さん。
そのあり得ない状況を前に、俺は人生最大の絶句をカマした。
——てか髪くらい乾かしてから来いよ……。
「ねえ、下着取って」
「いや……取ってじゃなくて……」
「いいから取って」
「んん……」
これは何から叱ってやるのが正解なんだろう。
事が渋滞しすぎて、正直わけがわからない。
「とりあえず髪乾かして来てくださいよ……」
「え、めんどくさい」
「めんどくさいじゃなくて……床濡れますから」
俺が水浸しの床を指差すと、蓮見さんはムスッと膨れ上がった。
そんな顔したところで、これを拭くのはどうせ俺なのだ。
「わかった。乾かす」
そう言うと蓮見さんは素直に洗面所に引き返した。
「あ、ああ。蓮見さん、下着下着」
「ん」
またもや下着を忘れていることに気づき、俺は慌てて部屋に干していた下着を回収した。
そしてそれを急いで蓮見さんに手渡す。
「次は忘れてないでくださいよ」
「うん」
素直に頷いた蓮見さんは、下着を持って洗面所に。
そして間も無くドライヤーの音が聞こえてきたので、どうやら今回は俺の言うことを聞いてくれているらしい。
——てか、ついでに服も渡せばよかったな。
結局下着を渡したところで、俺が目のやり場に困ることは変わらない。
ならばいっそのこと、適当に服もとって渡しておくのが最善だった。
——まあでも、俺服のセンスないしいいか。
いくら高スペックの俺とて、服選びのセンスまではない。
俺が慌てて選んだものを渡して何か言われるのもやだし。
ここは蓮見さんの下着姿に無心で晒されることにしよう。
「はぁ……とりあえず床拭くか……」
戻って来た蓮見さんが水溜まりを踏んで。
そのまま部屋中を無造作に歩き回って……。
なんてことをされては困るので、俺は仕方なく服同様干してあった雑巾で、びちゃびちゃに濡れた床を拭いたのだった。
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