第9話 蓮見さんと買い物2
蓮見さんのせいで随分と出発が遅くなってしまったが、それでもまだ昼前なのでとりあえずは良しとして。
俺たちが買い物先に選んだのは、アパートから電車で30分ほどの場所にある、割と有名なショッピングモールだった。
小さい子供からおじいちゃん世代まで、幅広い層の客で溢れているその場所は、家具や家電といった生活必需品に加え、一般のスーパーに売っているような日用品や食材なども販売されている。
いわば民衆に愛された民衆のためのモール。
都会にはこういうのがあるから本当に羨ましい。
一体これだけの広さを全て見て回ったら、どれだけの時間が必要なのだろうとは思ったが、今日俺がここへ来た目的はたった一つだけ。
このモールの中に入っている大手家具店で、自分用の布団を買うことだ。
もちろん他のお店を見て回りたい気持ちはある。
しかしその気持ち以上に、俺には自由に使えるお金がないのだ。
一人暮らしをすると決めた以上、親の仕送りに頼るわけにもいかない。
そのため俺は、高校生の時にアルバイトをしてお金を貯金していた。
もちろん使おうと思えばいつでも使える。
しかしこれからのことを考えるとあまり無駄遣いはできない。
だから今回は布団だけ買ってすぐ撤収。
参考書とか色々見たいけど、今日は我慢だ。
「えっと、ここがこうだから……あっちか」
休日ということもあり、モールの中はたくさんの人で溢れている。
店員さんのより気合の入った声が飛び交う中、俺は他のお店に目もくれることなく4階にある王手家具店へ。
その中でも奥の方にひっそりと設けられている布団売り場へと向かった。
「結構種類あるな……。この中で一番良さげなのは……」
今日の俺が何よりも気にしているのは、寝心地とか肌触りとかではなく値段。
安ければ安いほどその布団の評価は上がる。
そもそも実家の布団がせんべいだったので、よっぽどのことがない限り品質に文句は言わない。
あ、でもティッシュみたいな布団は流石の俺でも勘弁だ。
「これとか安いな。枕もついて5980円」
手で触ってみた感じ、その肌触りは余裕で許容範囲内。
これだけの質感でプラス枕もついてくるとか、ただのお得でしかない。
「お、こっちもいいな。触った感じも悪くない」
すぐ近くにあった布団も、枕付きで6200円。
しかもこっちは洗濯しても大丈夫なやつらしい。
「これは迷いどころだな……」
思っていたよりも全然品揃えが良くて困る。
本来なら一番安いやつを迷わず買う予定だったのだが——。
流石は王手家具店といったところか。
知名度が高い分、お客のニーズにもしっかりと答えているのだろう。
なかなかやるなニ○リ。
「こっちにするべきか……それともこっちか……」
布団の品質が高いゆえ、俺の心も揺れに揺れる。
洗わないのなら間違いなく5980円の方。
でも長く使う上で天日干しだけじゃ不安な気持ちも確かにある。
「ならば6200円の方も捨て難い……」
俺は「んんんー」と喉を鳴らし双方を見比べた。
果たしてどっちが俺にふさわしい布団なのか。
5980円の方か。
それとも6200円の方か。
——んんんんんん……。
と、俺が1人どっちを選ぶか決めかねていると。
「ねえ、私違うところみたい」
1人店内を歩き回っていたはずの蓮見さんに、突然肩を
その様子を見る限り、ちょっと不機嫌そうだし。
おそらくはこの店に飽きてしまったのだろう。
「もう少し待ってください。すぐ決めるんで」
「ええ。ここつまんないし、私飽きた」
「いや、まだ来て5分くらいしか経ってないですよ」
「そんなの知らない」
知らないって……はぁ、全くこの人は。
少しは我慢して待ってられないのだろうか。
まるで家族と一緒に買い物に来た小学生の息子みたいだよ。
本当に昔はよく母ちゃんに怒られたもんだな。
あの頃は純粋に買い物が楽しかっただけなのに——。
って……この話のソース俺自身だったわ。
「ねえ、早く決めて」
蓮見さんは容赦なく俺を急かしてくる。
これじゃ昔母ちゃんが俺にイラついてたのも納得だな。
こんなことなら連れてくるんじゃなかった。
あ、いや待てよ。
てか今思えば別に一緒にいる必要なくね。
それぞれ見たいものを見ればそれで解決だこれ。
そう思った俺は、すぐさま蓮見さんに提案を持ちかける。
「俺まだ見てるんで、蓮見さん行きたいとこ行って来ていいですよ」
「え、やだ。キミといないと絶対迷うし」
「じゃあ静かに待っててください」
「ええー」
俺が大きめの声でそう言うと、蓮見さんはムスッとして頬を膨らませる。
一体この人の精神年齢はいくつなのだろうか。
もしかしたら俺の小学生の時よりも酷いんじゃないかこれ。
——まあでも、付き合わせてる身だし早く済ますか。
そう思った俺は再び布団に目を向ける。
この二つでより俺にふさわしい布団はどっちなのか。
自分の感覚だけを頼りに見定めていく。
5980円の方か。
それとも6200円の方か。
最終的に俺が選んだのは——。
* * *
「お会計、6200円になります」
最終的に俺が選んだのは、最安値だった5980円の方ではなく。
気軽に洗濯することができる6200円の方だった。
そもそも冷静になって考えれば、あれほど迷う必要もなかったように思える。
最安値とはいえ、5980円なんてのは6000円も同然。
それにたった200円プラスするだけなのに、洗濯可のオプションがついてくる上、ホコリが出にくい布地なため、畳んだりする時なんかも安心だ。
——これはいい買い物をしたな。
そう自信を持って公言できるのも、全てはこの店が良い店だからこそ。
流石は王手家具店であるニ○リ。
これからも末長く宜しくお願いしたいところだ。
「7000円をお預かりいたしましたので、800円のお返しになります」
俺は店員さんからお釣りを受け取り、それをすかさず財布にしまった。
これで今日からこの布団は俺専用のマイ布団。
実家のと比べても間違いなくこっちの方が寝心地がいいだろうし、今晩寝るのが少し楽しみになってきた。
「ねえ、ちょっといい」
「ん、どうしたんですか」
俺が満足感に浸っていると、すぐ後ろから蓮見さんに声をかけられた。
もしかして、あんまりにも待たせたから怒っているのかも——。
「一つ言いたいんだけど」
「あ、ああ……その、待たせたことに関してならすみま——」
「それ、どうやって持ち帰るの」
——え。
それを聞いた瞬間、俺の頭の中に浮かんできたのはたった一文字だけ。
全身全霊を込めた、精一杯の『え』だった。
「もしかして何も考えてなかったの」
「え、ああいや……」
どうしよう。
この俺が蓮見さんに追い詰められている。
まさか電車で来たのを忘れ、持ち帰る手段を考えていなかったなんて。
俺としたことがアホすぎやしないか?
「どうしたの。すごい汗だけど」
すごい汗って……いや本当じゃん。
少し額を触っただけで、こんなに手がビショビショに。
まさか俺動揺して……いやいやそんなはずない。
この額から流れているのは嬉し涙であって、決して冷や汗なんかじゃない。
いい買い物ができて興奮しているんだきっと。
とりあえず落ち着け幸太郎。
まずは落ち着いて周りを見るんだ。
そしたら必ずこの状況を打破するヒントが——。
『ニ○リのお届けサービス! お買い求めになられた商品をご自宅までお届けします!』
レジの横に貼ってあった小さな広告。
それを見つけた俺は、花が咲くように閃いてしまった。
「これだっ!!」
「え、なに」
「これですよ! このお届けサービス!」
「だからなに」
俺が広告を指差しても、蓮見さんはポカンとしたまま。
どうやらこの人はまだ何も気がついていないらしい。
まったく仕方がないな。
この俺が説明してやろう。
「いいですか蓮見さん。このサービスを使えばどんなに重い家具だろうと布団だろうと、安心して家まで運ぶことができるんです。だから俺は布団を買っても冷静だった。全ては最初から計画の内だったんですよ!」
やはり俺は天才だった。
この広告を一目見ただけで、ここまで思考が働くとは。
己のことながらこの才能が恐ろしいよまったく。
さあどうする蓮見さん。
これでもう俺がとやかく言われる筋合いはなくなった。
まああなたにしてはよくやった方だと思うけどな。
「ふっ、ふふっ」
さあかかってこいアホの子よ。
それでもなお俺を追い込もうと言うのなら、正々堂々受けて立とうではないか——!
「え、何その笑い、ちょっとキモい」
「なっ……」
まずは右頬に素早いジャブ。
「それと布団買ったなら、家に届けてもらうのが普通でしょ」
そして今度は左頬に軽快なフック。
な、なかなかやるな。
でも俺はまだまだ——。
「なに『名案出しましたよ』みたいな雰囲気出してんの」
極め付けには、強烈な右ストレートが顔面にヒット。
ちょ、ちょっと待ってください。
もうこれ以上は——。
「バカじゃないの。普通に引く」
——ズドーン!
最後を締めくくるにふさわしい蓮見さんの強烈なアッパー。
それをまともに受けた俺は、勢いよくリング外まで吹き飛ばされた。
——参りました。
もうここまで言われたらぐうの音も出ません。
誰が見ても立派なKOです。
「ああもう嫌。早く他のとこ見たいのに」
——おや。
どうやら蓮見さんは、俺を殴る手を止めるつもりはないらしい。
正直これ以上いじめられたら、立ち直れる自信がないんですけど……。
「あの……すみません。その辺でどうにか止めてもらえると……」
「なら早くして。私お腹空いた」
「少々お待ちを……」
そうして俺は、手早くお届けサービスの手続きを済ませた。
するとどうやら布団が届くのは明日以降になってしまうらしい。
その上手数料で1000円余計に払うことになり、結局良さげだと思っていた布団もなかなかいいお値段に。
まあ、それでも十分安いから全然いいんだけど——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます