第23話 蓮見さんと夏美さん1

「かんぱーい……」「かんぱーい」「カンパーイ!」


 そう声を合わせて間も無く。

 テーブルの上ではグラスのぶつかる軽快な音が鳴った。


 その一つはお茶が入った俺のコップ。

 そしてもう一つはお酒が入った蓮見さんのグラス。

 さらにもう一つは……。


「ぷはぁー、やっぱりビールはアサヒだねー」


 俺が座っているちょうど向かい側。

 そこに座って幸せそうな吐息を漏らすのは、蓮見さんと同じ会社の同僚。


 名前は真壁夏美まかべなつみさん。


 短い茶髪に大きな瞳。

 蓮見さんと同い年という割に、幼さが残る可愛らしい顔立ち。

 間違いなく社会人なのだが、スーツを着ている様が妙に不自然に感じられる。


「桃子ってプレモル好きなの? ビールは絶対にアサヒっしょ!」

「アサヒも好きだけど今日は気分じゃない」

「なにそれ。ビールに気分とかないじゃん!」

「あるから」


 そんな夏美さんは今、俺たちと一緒に夕食のテーブルを囲んでいる。

 だがせっかく並べた夕食には目もくれず、蓮見さんとなにやらお酒の話をしているよう。


「プレモルってなんか花みたいな味しない? 後味とか特に」

「え、しない」

「するって! よーく味わってみ!」


 いや、それより早く飯を食え飯を。

 せっかく味噌汁作ったのに冷めちまうじゃねえか。


「……やっぱりしない。夏美、舌おかしいんじゃない」

「絶対するって! 桃子の舌がおかしいんだよ!」

「あのー……」

「うん?」「うん?」


 俺が話に割って入ると、2人は揃ってこちらに視線を移してきた。

 声が届いたのは良かったけど、そんなに揃ってじっと見られても……。


「どうしたの幸太郎くん。もしかして君もお酒飲みたい?」

「い、いや……そうじゃなくて」

「じゃあ何? 夏美お姉さんと遊びたい?」

「遊びたいって……」


 そう言うと夏美さんは、シャツの胸元をわざとらしくパタパタ。

 その隙間からは不意に、ピンクっぽい下着がチラチラと顔を出す。


 ——この人可愛い顔してるくせに何してんだ……。


 俺は少し動揺しそうになるのをグググっとこらえて。

 あくまで平静ですよ感を出しながら一言物申す。


「あの……お酒もいいですけど、料理もちゃんと食べてください」

「ああ、そういうことか。おっけーい」

「はぁ……」


 俺が力なく料理を指差すと、夏美さんは素直にコップを置いた。

 そして俺が作った味噌汁……ではなく。

 なぜか今日のバイトでもらった焼き鳥に、迷わず手を伸ばす。


「お、これいい! お店の焼き鳥みたい!」

「え、私も食べる」


 ニコッと微笑んだ夏美さんにつられ、蓮見さんもすかさず箸を焼き鳥に。

 ほぐしてあるのをいいことに、いろんな種類をいっぺんに掻っ攫っていく。


「ホントだ。おいひ」


 そしてそれを一口で食べ、夏美さん同様にっこり笑顔。

 何回か咀嚼したかと思えば、今度はそこに続けてビールを流し入れる。


「ぷはっ」


 出ました。

 蓮見さんお得意の幸せそうな「ぷはっ」。

 この人と暮らし始めてから、俺は何回これを聞かされたことか。


「やっぱり花の味なんてしない。普通に美味しい」

「えー、すると思うけどなー。ちょっと一口ちょうだい」


 すると蓮見さんは、意外にも素直に自分のグラスを夏美さんに渡した。

 そして夏美さんはそれを受け取ったかと思うと、まるでソムリエのような表情で、ゆっくりとビールを喉に流し込んでいく。


「んー、やっぱりなんか花の味。アサヒの方がいい」


 そう言ったかと思えば、今度は自分のグラスに入ったビールを一口。

 これこれ! と言わんばかりに、何度も首を縦に振ってみせる。


 ——てか、早く味噌汁飲んでくれ。


 せっかく材料を買ってきて作ったのに。

 このままじゃ間違いなく飲まずに捨てる羽目になる。

 もしそんなことになれば、もったいないお化けが——。


「てかさ、桃子もいいよね。こんなしっかりした同居人がいてさー」

「え、なに、急に」

「いやだって、羨ましいじゃんこんなの」

「これって、羨ましいの」

「羨ましいよー。うちにも欲しいもん。幸太郎くんみたいな同居人」

「ふーん」


 ん。

 何やら今度は俺の話題が始まったらしい。

 夏美さんが話しながら、チラチラとこちらに視線を送ってきている。


「ところでさー。2人はいつから付き合ってんのー?」

「ぶぅぅっっっっっっ!!!!」


 と思ったら、突然夏美さんはそんなぶっ飛んだ話を。

 あまりにも唐突過ぎて、俺は口に含んでいた味噌汁を勢いよく吹き出してしまった。


「……ゲホッ……ゲホッ……」

「ちょっと大丈夫、幸太郎くん?」

「だ、だ、大丈夫です……」

「ほらほら、ティッシュティッシュ」

「あ、ああ、ありがとうございます」


 親切な夏美さんは、すかさず俺にティッシュを渡してくれた。

 それを受け取った俺は、急いで濡れたカーペットやらズボンやらを拭く。


 ——ってか、付き合ってるってどこ情報!?


「そんなに驚くとは思わなくて」

「は、はあ……」

「2人がただの同居人だってことは、桃子から聞いてるから」

「そ、そうですか……」


 ——ならなんでこの人、わざわざ俺が驚くようなことを……。


 と、少し考えたところで、ふと気がついた。


 この人は蓮見さんの同僚。

 つまり今のはただ俺をからかっただけだと。


「でもまさか味噌汁吹いちゃうなんて。火傷とかしてない?」

「だ、大丈夫ですけど……」

「なら良かった。ごめんねー、ちょっとイタズラが過ぎちゃったみたい」

「い、いえ、別に俺は……」


 ペロッと舌を出し謝る夏美さんに、俺は何も言うことができず。


 ——なんだそのあざとい謝り方は!


 とは思ったものの。

 ちゃんと謝罪するあたり、まだ蓮見さんよりかはマシかもしれない。


 ——というかこの2人……なんか似てるよな……。


 適当な感じというか、自由な感じというか。

 2人とも自分の欲望に忠実に生きているという感じがする。


 食事だって自分の好きなものばかり食べるし。

 お酒を飲んでいる時は、揃って幸せそうな顔してるし。


 外見は違えど、まるで双子の姉妹を見ているような。

 そんな感覚さえ覚えてしまう。


 まあでも、それが蓮見さんと夏美さんなわけであって。

 気が合うからこそ、こうして2人は一緒にいるのだろう。

 類は友を呼ぶとは、まさにこのことだ。


「それよりも夏美さん。味噌汁も飲んでくださいね」

「あ、はーい」


 俺がそう言うと、夏美さんは素直に味噌汁を手に取った。

 そして一口ズルズルとすすると「これおいしー!」とニッコリ。

 もちろんそれを見た俺も、心の中でニッコリ。


「これ幸太郎くんが作ったんでしょ? すごいね!」

「いや、別にこれくらい」


 と言いつつも、本当は嬉しくてニッコリ。

 手料理を褒められるのは、俺とて悪い気はしない。


「やっぱり羨ましいなー。ねえ桃子、この子うちにも貸して!」

「だからいや」

「お願い!」

「いや」


 うちにも貸してって。

 一体今度は何の話が始まったんだ。


 夏美さんはあざとく膨れているし。

 その上美味しいって言ってた味噌汁そっちのけだし。

 蓮見さんだってさっきっからお酒ばっかり……。


「……ってあれ? 蓮見さん、味噌汁は?」

「え、もう飲んだけど」


 ふと俺が蓮見さんのお椀を見ると、あろうことか空っぽだった。

 しかも平然とした感じで「飲んだ」って言ってるし。

 一体これはどうしたと言うのだ。


「蓮見さんが味噌汁飲むなんて珍しいですね」

「うん、まあ」

「もしかして具合でも悪いですか?」

「ううん。悪くない」

「そ、そうですか。ならいいんですけど」


 訳を聞いても、特段蓮見さんに変わった点は見られず。

 なぜ味噌汁を飲んでくれたのかは、よくわからないまま。


 ——夏美さん来てるからか?


 なんてことも思った。

 でもおそらく2人の間には、遠慮や気遣いといった感情はない。

 蓮見さんの性格なら、誰が居ようが居まいが残す時は残すのだろう。


 しかし、蓮見さんは珍しく味噌汁を飲んだ。

 いつもは美味しそうなおかずばかりを選んで食べているのに。

 今日に限っては俺が作った味噌汁を——。


「ねえ桃子ー」

「いや」


 未だもめている2人を前に、俺は静かに味噌汁をすすった。


 ワカメと豆腐とジャガイモとネギ。

 いつもと何ら変わりのない、ちょっと薄味の味噌汁を。

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