第24話 蓮見さんと夏美さん2

「あれ、お酒なくなっちゃった」


 そんな声が聞こえてきたのは、乾杯からしばらくしてのこと。

 空になったお酒の缶を小刻みに振りながら、夏美さんが物足りなそうに呟いていた。


「もうちょっと飲みたいんだけどなー」


 続けてそう言うと、夏美さんはテーブルに顎を乗せ、プクッと膨れて見せる。

 その様子からして、この人はまだあまり満足できていないよう。


「桃子ー、お酒余ってない?」

「余ってない」

「むぅー」


 蓮見さんの元にはもう少しお酒が残っているようだが。

 余ってないと即答するあたり、どうやら誰にも渡すつもりはないらしい。


 ——というかこの人ら、どんだけ飲んだら気が済むんだ?


 俺が見ていた限りでは、2人とも相当な量のお酒を飲んでいるはず。

 その証拠にそれぞれのすぐそばには、飲み終わった空き缶が何本も並べられているし。


「けどなー、このまま終わるのもなんかなー」


 なんて言っている夏美さんは、まだまだ飲み足りないのだろう。

 その表情を見れば、俺にもなんとなくその気持ちが伝わってくる。


 しかしだ。


 もう買ってきた分のお酒はすでに飲み干してしまっている。

 うちの冷蔵庫にも、お茶や牛乳以外の飲み物は入っていないはずだし。

 夏美さんにはここら辺で満足してもらうしか——。


「あ、そうだ」


 すると突然夏美さんは、何かを思いついたようにその場を立ち上がった。

 よく見ると手には財布を握っているようだが——。


「確かすぐそこにコンビニあったよね?」

「え、ああ、はい。5分くらい歩けば」

「おっけーい」


 そう呟いたかと思えば、夏美さんはひとりでに部屋から出ていった。

 そしてそのまま玄関に向かったので、どうやら今から買い出しに行くつもりらしい。


「お酒買いに行くんですか?」

「うん、ちょっと行ってくるね」

「1人で大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫ー。私大人だし」


 玄関で靴を履きながら、淡々と答える夏美さん。

 あまり酔っていないようだし、大丈夫だとは思うが——。


 ——なんかあっても困るしな。


 俺の頭をよぎったのは、つい先日の蓮見さんのこと。

 すぐ近くだからと油断したがゆえの、予想外な出来事だった。

 

 あの時はまだ運よく見つかったからいい。

 しかしまた同じようなことになっても、無事に見つけ出せる保証はない。


 本人が言っているように、夏美さんは大人だ。

 だからおそらくは大丈夫だとは思う。


 でも——。


「やっぱり俺もついていきますよ。1人じゃ心配なんで」

「ええ? いいよ別にー。どうせすぐそこなんでしょ?」

「まあそうですけど。夜も遅いんで。何かあってからでは困りますし」

「んー」


 俺の話に夏美さんは少しばかり喉を鳴らすと。


「わかった。じゃあお願いする」


 そう言って、俺が同行するのを許可してくれた。


「良かったです。それじゃ俺、蓮見さんに外出するって伝えてきますんで」

「うん、待ってるね」


 そうして俺は蓮見さんに事情を伝えるべく部屋へ。

 するとそこには、1人難しい顔でお酒を飲んでいる蓮見さんの姿が——。


「え、えっと蓮見さん?」

「ん、なに」


 俺が声をかけると、蓮見さんはおもむろに視線をこちらへ。

 その様子からして、おそらくは酔っ払って眠くなっているのだと思う。


「あの、今から少し外出しようと思うんですけど。1人でも大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫」

「すみません。15分くらいで戻ると思うので」

「うん」


 そう伝え、俺は急いで玄関へと向かう。

 そして待っていた夏美さんと共に、俺は最寄りのコンビニに向かった。



 * * *



『カポッ』


 夜の住宅街に軽快な音が鳴り響く。

 そしてそれは気持ちのいい喉越しへと変わり。

 終いには幸せの吐息となって、思う存分に吐き出される。


「ぷはぁ」


 まるで数日ぶりにお酒を飲んだかのような夏美さんの表情。

 一体この人はどこまでお酒を愛しているのか。

 コンビニから出てすぐに口開けるその忙しさが、全てを物語っていた。


「やー、生き返ったぁー」

「いやいや……何本目ですかそれ」

「んー、6本目くらい?」

「マジすか……」


 呆れる俺を気にすることもなく、夏美さんは豪快にお酒を流し込んでいく。

 歩きながら飲んでしまうあたり、相当お酒を欲していたのだろう。

 その可愛らしい顔からは想像もつかない、実にいい飲みっぷりだ。


「そういえばごめんね、幸太郎くん」

「えっ? なにがです?」

「いや、気を遣わせちゃったかなーって思って」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。自分の意思でついてきたので」


 もちろん夏美さんが心配で、こうしてついてきてはいる。

 でも正直に言うと、自分のためという気持ちも少しばかりあった。


 何か事が起きてから後悔してしまう。

 なぜあの時の反省を活かせていないんだろう。

 なぜ二度もまったく同じ過ちを繰り返したんだろうと。


 俺はそうして自分を責めたくなかっただけで。

 周りで何かが起きてしまうことが怖かっただけで。


 1人じゃ心配だからという先ほどの思いも、おそらくは俺の自己満足。

 結局自分を悪人に仕立て上げたくなかっただけなのだ。俺は。


「でも、少し心配し過ぎだったかもしれませんね」

「えっ、どうして?」

「ほら。夏美さんって見た目以上にしっかりしてるっていうか。蓮見さんと重ねたのが間違いだったのかなって」


 蓮見さんは普通じゃない。

 今日まで一緒に暮らしてきて、それはよく理解しているつもりだ。


 でも夏美さんは違う。

 この人は蓮見さんと違って、大人としての自覚があるように感じられる。


 もちろんこれがという確証があるわけではない。

 でもこうして話していると、なんとなくだがわかるのだ。

 彼女はきっと自分の中に確かな何かを持って生きていると。


「蓮見さんは子どもっていうか。年上のはずなのになぜか幼く感じてしまって。気づいたら放っておけなくて、手を貸してしまってるんです。でも夏美さんはそれに比べて大人っていうか、1人でもちゃんと生きていけるって感じがして」


 蓮見さんと夏美さんはどこか似ている。

 でも決定的な違いは、自立してるかしてないか。

 ちゃんと自分1人で何かを成し遂げることができるのか。

 だと、俺は思う。


 現に夏美さんは、1人で買い出しに来ようとしていたわけで。

 蓮見さんのように誰かに任せるという考えは、持ち合わせていなかったはず。


 もちろんそれは当たり前のことで、特出すべき点ではない。

 でもその当たり前のことをできるかできないかが2人の違いであり。

 蓮見さんには見習ってほしい、夏美さんの一面でもあって——。


「私、幸太郎くんが思ってるほど大人じゃないよ」

「えっ?」


 突然の真剣な声音に、俺の思考は途絶える。

 そして不意に隣を見ると、先ほどまでとは一変して、真面目な表情の夏美さんがいた。


「確かに桃子は子どもだけど、だからって私が大人なわけじゃない。だから桃子だけがそうやって特別扱いされるのは、ちょっと納得いかないかな」

「特別扱い……ですか……?」

「うん」


 小さくうなずいた夏美さんは、持っていたお酒を一口。

 そして短く息を吐いては、どこか遠い目をしながら話を続ける。


「幸太郎くんはさっき、桃子が子どもだから手を貸すって言ったよね」

「は、はい」

「つまりそれは桃子を特別扱いしてるってことだと思うの。料理を作れないから代わりに作ったり、掃除ができないから代わりに掃除したりさ」

「それは……一緒に住んでるから仕方なくやってるだけで」

「……仕方なく……ね」


 そう呟くと、夏美さんはまたもやお酒を一口。

 と思ったら今度は、遠くを見ていたはずの視線をこちらに。

 俺の戸惑いなど知る由もなく、こう言った。


「ならさ、私のためにそれができる?」

「えっ?」

「あの部屋を出て、私の同居人になってくれる?」


 それは予期せぬ問い。

 しかし彼女の表情からして、俺をからかってのものでもなさそうだった。


 ——急にどうしてそんなこと……?


 その言葉の意味を追ううちに、俺は思わず歩みを止めていた。

 すると夏美さんもそれに合わせるようにして、俺のすぐそばに立ち止まる。


「桃子はさ、ホント羨ましい。君みたいな人に面倒見てもらえて。だけど私はさ、誰にも面倒を見てもらえないんだよ。誰もそばにいないの……」


 そう言って夏美さんは、おもむろに俺の手を取った。


 重ねた視線を逸らさないまま。

 熱が伝わるほどに力強く。


「だからさ、幸太郎くん……」


 そして夏美さんが、何かを言いかけた時。


「——待って!」


 そう聞こえてきたのは、うちがある方角。

 焦りが混じったような聞きなれない声音。

 それが聞こえた瞬間、自然と俺の視線はそちらへと寄せられた。


「ハァ、ハァ……待って……」


 するとそこには見慣れたジャージを着た同居人。

 息を切らしながら両手を膝に置いているその様は、いつもの彼女とは違う。

 こんなにも必死な蓮見さんを見たのは、これが初めての経験だった。

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