第26話 蓮見さんと夏美さん4

 小さな街灯しかない、薄暗い夜道。

 そこで不意に夏美さんは、真剣な面持ちで何かを言いかけた。


 しかし——。


「桃子、どうしてここに?」


 夏美さんの意識の先には、ジャージ姿の蓮見さんが。

 両手を膝に置いて、荒く息を切らしている。


「部屋で待ってるんじゃなかったの?」

「待ってた……けど……」

「けど?」


 思いの外食い気味にそう尋ねる夏美さん。

 どうやら先ほどまでの2人とは、雰囲気が少し違うらしい。

 どこかふざけられない何かを感じる気がする。


「……そ、それよりも夏美」

「ん、何?」

「さっき夏美が言いかけてたのって」

「ああ、幸太郎くんの話? あれなら冗談だから気にする必要ないよ」

「じょ、冗談?」

「うん、冗談」


 そう言う夏美さんは、雰囲気を和ませるかのごとく微笑を浮かべる。

 そして蓮見さんの方に歩み寄っては、手にぶら下げていたコンビニの袋から、お酒を一本取り出し、


「はいこれ。私のだけどあげる」

「え、いいの?」

「うん。どうせ飲み足りなかったんでしょ?」

「あ、ありがと」


 蓮見さんにお酒を渡し、それに蓋の開いた自分のお酒を軽くぶつける。

『カツン』という軽快な音が響くと、夏美さんは残っていたお酒を一気に飲み干してみせた。


「ぷはぁぁ。ほら、桃子も飲みなよ」

「う、うん」


 夏美さんに促され、蓮見さんもお酒の蓋を開けた。

『カポッ』という快音が聞こえたかと思えば、蓮見さんは勢いよくお酒を喉に流し込む。


「ぷはぁぁ……美味しい」

「でしょ? それ新発売なんだって」

「ふーん。なんかア○スの実飲んでるみたい」

「飲んでるみたいって……そりゃそのお酒がア○スの実だからね。ラベルに書いてあるでしょ?」

「あ、ホントだ」


 どうやら夏美さんが渡したのは、ア○スの実とコラボしたお酒らしい。

 それを知らずに飲んだ蓮見さんのリアクションを見て、夏美さんはケラケラと笑っていた。


「もう……桃子ってホントブレないよね」

「え、ブレないってどういうこと?」

「ううん、なんでもない」


 そう言うと夏美さんは、おもむろにこちらへと歩み寄ってくる。

 そして俺のすぐそばで一瞬立ち止まり、蓮見さんには聞こえないような小声でこう呟いた。


「待ってるからねっ」

「えっ……?」


 すると彼女は、そのまま俺の横を通り過ぎ。

 2、3歩ほどあるったところで再び足を止める。

 

「それじゃ私もう帰るから」

「えっ……でも荷物は……?」

「荷物は明日桃子に持って来てもらうから。どうせ何も入ってないし」

「持って来てもらうからって……ちょっと夏美さん!?」


 呼び止める俺の声を構う様子もなく、再び夏美さんは歩き出す。

 先ほど小声で呟いた言葉の意味すらも教えないまま。


 ——どうしたんだよ急に……。


 夏美さんといい、蓮見さんといい。

 2人が一体何を考えているのか、正直俺には全然わからない。


 一緒に買い出しに来たと思えば、突然帰るとか言い出すし。

 蓮見さんだってうちで待ってるかと思えば、突然走ってくるし。


「何がどうなってんだよ……」


 俺が思わず呟いた言葉も、夏美さんには届かず。

 それから間も無くして振り返ったかと思えば、ニコッと笑って手を振ってみせる。


「料理美味しかったよー」


 そのまま彼女の姿は暗闇へと消え。

 残されたのは確かな疑問、ただ一つだけ。


 ——待ってるって……どういう意味だ?


 考えても、その意味を掴めるわけもなく。

 俺はひたすら、暗闇の先を見据えていた。



 * * *



「ねえ」


 そう声をかけられ振り向くと、そこには蓮見さんがいた。

 事が渋滞しすぎていて忘れていたが、そういえば彼女もすぐそばにいたんだった。


「どうしたんですか?」


 俺が尋ねると、なぜか蓮見さんは目を逸らす。

 そして突然俺の手を取ったかと思えば、小さな声でこう言った。


「帰ろ」



 * * *



 なぜか蓮見さんに手を引かれ、俺はアパートに帰宅した。

 あろうことか開きっぱなしだった玄関を覗くと、そこは予想だにしなかった凄まじい光景が——。


「な、なんじゃこれ……」


 床に散らばるのは、粉々に砕けたお皿の破片。

 そしてそれを包むように溢れる、白い大量の洗剤。


 ——たった数分で何があった……。


 一体どうやったらこんなことになるのか。

 それはこれをやったご本人に聞くのが一番手っ取り早い。


「蓮見さん……何でこんなことになってるんですか……」

「うぅぅ……」


 俺が厳格な面持ちで尋ねると、蓮見さんは困ったように縮こまった。

 ついさっきまではそれらしい雰囲気は出していなかったので、おそらくはこの人も、こうなっているのを忘れていたのだろう。


「というかこれ、料理乗せてたお皿ですよね。どうしてここに」


 帰って来たら洗おうとそのままにしといたのだが。

 どうやら蓮見さんは、それをわざわざ台所まで移動させたらしい。


「説明してください」

「え、えっと……」


 どんどん縮こまってく蓮見さん。

 けど俺もここで許すわけにはいかない。

 ちゃんと自分の口で説明してもらうまでは——。


「あ……」

「あ?」

「洗おうとして……その……そしたら割れちゃって……」

「えっ? 洗おうとしてって……」


 待てよ。

 つまり蓮見さんはこの皿を洗ってくれようとしてたのか?

 だからわざわざテーブルに置いてあったお皿を台所まで……。


「それ、本当なんですか?」

「うん……でも、私、上手くできなくて……」


 そう言われて気づいたが、確かに台所の流し場には、割れたお皿の他にも、別のお皿がいくつか置かれていた。

 しかもその全てが、今日料理を乗せるために使ったお皿に間違いない。


「で、でも、どうしたんですか急に? 蓮見さん、普段洗い物とかしないのに」


 この人はいつも、家事全般を俺に丸投げしている。

 それどころかだらしなくて、食事も好きなものしか食べない。

 今日だってお酒や焼き鳥ばっかり……。


 いや待てよ。


 よく考えてみれば今日。

 蓮見さんは普段なら飲まない味噌汁を、俺が言わずとも完食していた。


 もちろんそれが偶然という選もある。

 だがそれにしても今日の彼女はずっと様子がおかしかったように感じられる。


 俺が買い出しに行く前だって、何かを考えていたようだし。

 やっぱりどこか、具合でも悪いのかもしれない。


「蓮見さん、具合が悪いなら言ってくださいね?」

「だ、だから具合は悪くない」

「じゃあなんで突然洗い物なんて……」


 拍子抜けしつつもそう尋ねた俺。

 するとそんな俺の目をまっすぐに見て、蓮見さんは一言こう言った。


「これからは、私も手伝うから」


 そう呟いた彼女は、颯爽と家の中へ。

 散らばったお皿の破片を、一つ一つ手で拾っていく。


 ——私も手伝うからって……。


 わけのわからない俺の脳内には、様々な思考が渦巻いている。


 あのだらしない蓮見さんが、そんなこと言うはずない。

 今のはきっと幻で、都合のいい夢でも見ている最中なんだと。


 でも——。


「ほら、キミも手伝って」


 そう俺に向かって言うのは、紛れもなく蓮見さん。

 あのどうしようもないズボラ美人の見知らぬ同居人だった。


「ねえ、突っ立ってないで手伝って」

「あ、ああ……」


 その声でようやく我に返った俺は、急いでうちに上がる。

 そしてすかさずお皿を拾う蓮見さんの元へ。


「てか蓮見さん、素手で拾うと危ないですよ。今ほうき持ってくるんで」

「うん。よろしく」


 そうして俺は慎重にいばらの床を跨ぎ、箒を取るべく部屋へ。

 すぐ右手にある物置から小さな箒を取り出し、急いで台所へと戻る。


「手とか怪我してないですか?」

「うん、大丈夫」

「なら良かったです。これで一気に掃いちゃうんで、蓮見さん部屋に入っててください」

「うん」


 そして俺は、チリ一つ残さず割れたお皿を回収する。

 箒で一箇所にまとめて、それを開いたビニール袋へ。

 破れてしまうのが心配なので、一応2枚重ねにしておく。


「ふぅ、これで大丈夫だな」


 怪我もなく全てを回収し終え、思わず安堵の息が漏れる。

 今からこれを捨てに行かないといけないわけだが、どうせ1階まで降りるなら、部屋に溜まっているゴミも一緒に捨ててきてしまおう。


 そう思った俺は、一度回収したお皿を台所に置いて部屋に入る。

 どうせ蓮見さんは、いつものようにゲームしているんだろうな。

 と、思っていたら。


「は、蓮見さん? テーブル、拭いてくれたんですか?」

「うん、暇だったから」


 あろうことか蓮見さんは、夕飯で汚れたテーブルを、台拭きで綺麗に拭いてくれていた。


 別に俺がやってくれと頼んだわけじゃないのに。

 やらないと怒りますよとか脅しをかけたわけじゃないのに。

 蓮見さんは自らの意思で、片付けを手伝ってくれていたのだ。

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