第27話 蓮見さんと風邪1

「コホッ、コホッ……」


 何気ない平日の朝方。

 俺は目覚ましよりも先に、聞きなれない音を聞いて目を覚ました。


「コホッ、コホッ、コホッ……」

「……うんん……?」


 眠い目をこすりながら布団から起き上がった俺。

 まだ視界と意識がぼやけているが、とりあえず音のする方に視線を向ける。


「コホッ、コホッ……」


 するとどうやらその音は、蓮見さんの咳であることがわかった。

 しかもかなり苦しそうに咳き込んでいるようなので、俺はすかさず立ち上がり、ベットに寝ている彼女の様子を上から覗き込んでみた。


「蓮見さん? 大丈夫ですか?」

「だ、大丈……コホッ、コホッ……」


 壁側を向いて寝ていた蓮見さんは、俺の声で仰向けに。

 今日は珍しく布団をしっかりかけて寝ているな……なんて思ってたら。


「ちょ、顔真っ赤じゃないですか! どうしたんですか!?」

「わかんない……けど……何だか辛くって……コホッ、コホッ……」


 咳き込みながらそう呟く蓮見さんの顔。

 それは普段の彼女からは想像もつかないくらい真っ赤っかだった。


「すごい汗ですよ!? 暑いんですか!?」

「ううん、寒い……」


 その上蓮見さんは、汗をかいているのに寒いと言う。

 確かによく見ると、布団の中で小刻みに震えているのがわかる。


 ——予備の布団ってあったけか……。


 ふと押入れの中を想像してみたが、確かそれらしいものはなかった気がする。

 そもそもこの人は、普段からあまり布団をかけて寝ないので、こんな事態になった時のための準備はされていなかった。


 ——にしても……どうする……。


 寒いと言っているからには、何か掛けてあげないと。

 しかし他に使えそうな布団は、この部屋には……。


「あっ」


 そういえば、俺が使ってた布団があったじゃないか。

 少々ペラペラではあるけど、上からかけるくらいには丁度いいはずだ。


「蓮見さん、俺ので悪いですけど布団掛けますね」


 そう言いつつ、俺は自分の布団を、追加で蓮見さんに掛けてあげた。


「どうですか。さっきよりはマシですかね」

「うん、さっきよりは……コホッ、コホッ……」


 咳き込みながらだが、どうやらひとまずは大丈夫そう。

 身体の震えも止まったみたいだし、とりあえずは良かった。


 しかし。


 こうなってくると、間違いなくこの人はアレだろう。

 一向に咳が止まる様子も見られないし、額にはどんどん汗が滲んできている。


 アホの子の蓮見さんがアレになるなんてにわかには信じがたいが。

 それでも一応、体温を調べないことには何も始まらない。


「ちょっと待っててくださいね。今体温計持ってきますんで」


 俺は一言そう呟き、物置にしまってあるはずの体温計を取りに向かった。



 * * *



『ピピピピッ、ピピピピッ』


 体温計をセットしてから間も無く。

 測定完了の音が鳴り響いたのを合図に、蓮見さんは脇に挟んでいた体温計を俺に差し出した。


「38度5分……。やっぱり風邪みたいですね……」


 すると数値は38度5分。

 これは間違いなく風邪だろう。


「とりあえず、今日は仕事休んでゆっくり寝ててください」

「うん……わかった……」

「会社への連絡は、俺から夏美さんにお願いしとくので」

「うん……コホッ、コホッ……」


 先日夏美さんがうちに来た時、連絡先を聞いといて正解だった。

 あの人ならきっと上手く会社に欠席の連絡をしてくれると思う。

 そこに関してはおそらく大丈夫だ。


「あと、俺も今日は大学休むので。何かあったらすぐ言ってください」

「え、大丈夫なの?」

「まあ1日くらいなら問題ないです。それにこんな状態の蓮見さんを1人にするわけにもいかないですし」


 正直授業を欠席するのはあまり好ましくない。

 ましてや今日は4コマ分も授業が入っているし。

 ここで周りの奴らから遅れを取るのは、秀才の俺からしたら痛い選択だ。


 しかし病人を1人きりにするわけにもいかない。

 ましてやその病人が蓮見さんなので、余計に放っておくわけにはいかない。


 とりあえず今日は1日様子を見て。

 蓮見さんの風邪が良くなるように、最善を尽くすことにしよう。

 1日くらいの遅れなんて、頑張ればどうにかなるはずだ。


「じゃあとりあえず、濡れタオルとか色々用意するので」


 そうして俺がまず用意したのは、氷水を絞って作った濡れタオル。

 やはり風邪の時には、これをおでこに乗せておくのが一番だろう。


 それに加えて、水分補給も大切だ。

 なんてったって蓮見さんは汗をたくさんかいている。

 そんな時には冷たいポカリスエットが何よりもの適正品だ。


「えっと、ちなみにお腹空いてたりします?」

「うん、空いてる」

「なら雑炊でも作りましょうか? 簡単なやつですけど」

「うん、食べたい……コホッ、コホッ……」


 さらに風邪の時の食事といえば、温かい雑炊に限るだろう。

 俺も昔風邪をひいた時は、よく母ちゃんに雑炊を作ってもらっていた。


 今でも覚えているが、あの雑炊は本当に美味かった。

 野菜もたくさん入っていて、丁度いい薄味で。

 あれを食べたいが故に、わざと風邪をひこうとした時もあったほどだ。


「とりあえず、作ってみるか」


 正直俺が母ちゃんみたいな雑炊を作れる自信はない。

 しかしそれでもあの味は、今でも頭の中にしっかりと刻み込まれている。


 同じとまではいかなくても、できるだけ近しいものを蓮見さんには食べさせてあげたい。

 その思いで俺は、経験のない雑炊作りに勤しんだ。


「えっと……多分ダシはこんくらいだな」


 正しい分量などはわからない。

 なので俺は自分の感覚を信じて、数ある調味料たちを投入していく。


 塩。白ダシ。隠し味に醤油を少々。

 それを煮詰めたご飯の中に加え、刻んだネギとキャベツを投入する。


 そしてしばらく煮詰めたところで、最後に溶き卵を回し入れ。

 火を止めて蓋をして、あとは余熱で卵が良い感じになるまで様子を見る。


「よし、できた」


 調理時間約10分。

 簡単ではあるが、佐久間家特製の雑炊が完成した。


 匂いを嗅いだ感じ、良い感じにダシが効いていてかなり美味しそう。

 ご飯の上で黄金色に輝く卵のおかげで、より一層食欲が刺激される一品だ。


「できましたよ、蓮見さん。少し身体起こせますかね」

「うん」


 ダシのいい香りにつられるようにして、蓮見さんはおもむろにベットから起き上がる。

 その様子からして少し身体がだるそうではあるが、寝たままでは食べられないので、なんとか堪えてもらいたい。


「熱いので気をつけてくださいね」


 そう言って俺は、ベットの上に雑炊の乗ったお盆を置いた。

 もしかしたら味が薄いかもしれないので、その上にはお塩の瓶。

 普段はあまり活躍することの少ないスプーンもセットだ。


「タオルだいぶ熱くなってますね。冷やしてくるので、蓮見さんは先に食べててください」


 蓮見さんが起き上がった時にぽろっと落ちたタオルは、もう効力がない。

 さっき作った氷水がまだ生きているはずだし、今のうちにもう一度冷やしておこう。

 そう思った俺が、タオルを片手にその場を立ち去ろうとした。


 すると——。


「待って」


 そう言われたかと思えば、後ろから蓮見さんに服の袖をつままれた。

 あまりにも突然だったため俺は少し驚きつつも、あくまで平静を装い返事を返す。


「どうしました?」

「ねえ、これ食べさせて」

「はい?」


 すると蓮見さんは、高揚した顔でそんなことを呟く。

 確かに病人にご飯を食べさせるのは定番ではあるが……。


 ——この人は抵抗とかないのか?


 なんてったって蓮見さんは俺より年上。

 そんな人が年下の俺なんかに介抱されて、何も感じないのだろうか。

 普通だったら無理にも自分で食べようとするはずなのだが——。


「あの、嫌じゃないんですか?」

「え、何が?」

「だからあの、食べさせてもらうとか」

「別にないけど」

「そ、そうですか」


 どうやら蓮見さんは、その手の羞恥心は持ち合わせていないらしい。

 まあよく考えてみれば、今までもこれに似たようなことをしてきたから、今更棚に上げて話すような話でもなかったかもな。


「それじゃ俺が口元まで運ぶんで、蓮見さんふぅふぅしてください」

「え、ふぅふぅもしてよ。私咳出ちゃうし」

「なっ……。はぁぁ……わかりました」


 まあ確かに、咳が酷い蓮見さんにふぅふぅは無理かもしれない。

 でもだからって、俺がふぅふぅしても何も感じないのだろうか。

 そんなのまるで……恋人同士みたいじゃないか——?


「何してるの? 早く食べたい」

「あ、ああ……すみません」


 そうして俺は考える暇もなく、雑炊をスプーンですくい。

 一度自分の口元に持ってきて、3、4回ふぅふぅする。


「口開けてください」


 十分に冷めた頃合いを見定め、すかさずそれを蓮見さんの口に。

 まるで親鳥から餌をもらう雛鳥のように、彼女は小さな口を精一杯開く。


「美味しいですか?」

「うん、おいひ」


 弱った彼女の表情に、一筋の笑顔が浮かぶ。

 それを見るとなんだか、無性に心がくすぐられるような感覚になる。


「もっと食べたい」

「はいはい」


 これでもかと甘える蓮見さんは、まるで実の妹のよう。

 普段のだらしなく、何事にも無頓着な彼女からは想像もつかない、純粋で愛らしい姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る