第13話 同居人と捜索1

「蓮見さん」

「ん、なに」

「そろそろお金返して欲しいんですけど」


 蓮見さんのゲーム代を立て替えてから、随分と時が経った。

 俺はその間、お金を返して欲しい衝動を抑えて、ひたすらに我慢してきた。

 蓮見さんにだって都合というものがあるだろうし、自ら貸したお金をせがむようなことはあまりしたくはなかったのだ。


 しかし——。


「お金なんて借りたっけ」


 俺の心遣いを知る由もない彼女は、平然とそう言ってのける。

 まるであの日俺と交わした約束を、綺麗さっぱり忘れてしまったかのように。


「前一緒に買い物行った時に貸したじゃないですか。ゲーム買うからって」

「え、そうだっけ」

「そうですよ。俺ずっと待ってたんですからね、返してもらえるの」

「ふーん」


 俺が必死に訴えかけても、蓮見さんに目立った変化は見られず。

 ただひたすらゲーム画面に注目しているあたり、彼女に罪悪感というものは存在しないのだろう。


「聞いてくれてますか?」

「うん、聞いてる」

「じゃあ1+1=?」

「1」

「2ですよ……」


 どうやら全く俺の話を聞いていないらしい。

 というか蓮見さんはアホだから、今のは素で間違った可能性もあるな。

 だとしたら本当に末期だけどこの人。


「とにかくちゃんと返してもらいますからね」

「うん、わかった」

「今わかったっていいましたからね」

「うん、言った」


 意識は間違いなくゲームだが、今この人は間違いなく了承した。

 これでもし返さなかったら、どうしてやろうかこの美人。


 いっそのことこの部屋にあるゲーム全部売却してやろうかな。

 そしたら嫌でもお金返ってくるしな。


 なんて悪魔的妄想をしたのはいいが、おそらく俺にそんな度胸はない。

 どうせ無理やり返してもらおうとしても、無駄なのはわかっているし。

 とりあえず今は、この人のゲームがひと段落するまで待機だ。



 * * *



 蓮見さんが手を休めたのは、それから20分後のこと。

 あまりにも長い待機時間だったため、俺はずっと1人で悶々としていた。

 本当によく我慢したよ、俺。


「さあ、ゲームもひと段落したことですし、貸してたお金返してください」

「ああ、忘れてた。今返すから待って」

「あ、はい」


 おお。

 意外にも素直にお金を返してくれる気になったようだ。

 こんなことならもう少し早めに言っておけばよかったな。


「ねえ、私の財布どこだっけ」

「知りませんよ。スーツのポケットの中とかじゃないですか?」


 俺が適当に助言すると、蓮見さんはすかさずスーツのポケットに手を入れる。

 そしてわしゃわしゃと手で探りを入れると、


「あ、ホントだ」


 あろうことか、本当に蓮見さんの財布が出てきた。

 これには予想した本人もびっくり。

 結構適当に言ったんだけどな、今の。


「なんでわかったの。もしかしてキミが入れた?」

「い、いやまさか。偶然ですよ偶然」

「ふーん、ちょっとすごいね」


 どうやら蓮見さん的に、今の俺はちょっとすごかったらしい。

 偶然にも勘が当たったんだから、普通にすごいでいいじゃないの。


 てかなんだよ『ちょっと』って。

 その表現ちょっと可愛いじゃねえかよ。


「えっと、いくらだっけ」

「あ、ああ。確か6500円です」

「え、高っ」


 俺が値段を伝えると、蓮見さんは反射的にそう言った。


 もちろんその反応は大大大正解。

 あの時の俺も、あなたと全く同じことを思いましたよ。


「嘘ついてないよね」

「まさかそんな」

「記憶違いかも」

「俺に限ってそれはないですよ。なんならレシート見せましょうか?」

「ぐっ……もういい」


 そう呟いた蓮見さんは頬を丸め、不機嫌そうに財布の中身を漁り始めた。

 おそらくこの人は、どうにかして俺への借金を誤魔化したかったのだろう。


 でも俺がレシートを残しておいたおかげで、その手口も使えなくなった。

 これはあの日の俺に「ナイス!」と一言伝えてやりたいものだ。


 ——てかいい歳して誤魔化そうとするなよ。

 

 チンケな悪巧みも失敗に終わり、今の蓮見さんは少し拗ねているらしい。

 小銭をいじくる音が、少しばかり荒々しく聞こえてくる。

 

「蓮見さん、お金はもっと優しく扱ってください」

「なんで。いいじゃん別に」


 ジャラジャラとわざとらしく音を出す蓮見さん。

 その姿はまるで、お菓子掴み取りに手を突っ込んでいる子供の様。

 決してお金を扱っている大人の姿ではない。


『ジャラジャラジャラジャラ』


 てかさっきっからずっと小銭いじってるなこの人。

 まさかとは思うが全部100円玉で帰ってきたりしないよな。

 だとしたら俺の財布間違いなくパンクするんだが。


『ジャラジャラジャラジャラ』


 どんだけ小銭が入ってるのかは知らないが、この音からするに、かなりの量の小銭があの財布の中に入っているのは間違いない。


 まああの人のことだから、普段からあまり小銭を使わないのだろう。

 だとしても財布が爆発寸前だし、どうにかした方がいいとは思う……。

 ってか、さっきっから小銭いじりすぎじゃね——?


「……は、蓮見さん」

「ん、なに」

「い、いや、さっきっから小銭ばっか見てるなって思って」

「え、だって私今小銭しか持ってないもん」

「はっ?」


 あまりにも斜め上すぎる返答に、俺の頭はついていけず。

 ようやくその言葉の意味を理解できた頃には、蓮見さんの手によって、溢れかえるような小銭の山が築かれていた。


「多分これでちょうど」

「いやいや待ってください。なんですかこれ……」

「え、借りてたお金だけど」

「だとしても流石にこれはないでしょ……」

「でも今これしか持ってないし」


 その言葉を聞いて、俺の中の自制心が末期を迎えた。

 我慢という言葉に限界があることを、ここへ来てようやく理解したのだ。


「いい加減にしてください。そんなの受け取れるわけないじゃないですか」

「え、いらないの、お金」

「いります。でもお札じゃないと受け取りません」

「だから今小銭しか——」

「ないなら今すぐおろしてきてください」


 食い気味のそう呟くと、蓮見さんは露骨に嫌な表情を浮かべた。


「ええ、それはめんどくさい」

「ダメです。でなきゃ今日の夕飯抜きにしますから」

「それは酷い」

「酷くありません。さあ早く」


 蓮見さんの意思など関係なしに、俺は彼女を部屋から追い出した。

 服がう○こ色のジャージのままだったのが少し気になったが、今の俺にとってはそんなもの些細な問題でしかなかった。


 ——このタイミングを逃したら、絶対お金は返ってこない。

 

 その心だけが、今の俺を突き動かしていた。

 我慢という堤防を越え、怒りの波が心の中に押し寄せてくる。

 俺は多分、少しだけイラついてしまっていたのだ。

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